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造られた三位一体

十一

 

 水族館をゆっくりと一通り周り終え外にでると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。毎度のことながら冬の陽が落ちる早さは一種の詐欺だと僕は思う。

 けれど今だけは感謝する。

 もしも日が照っていたら、急に気恥ずかしくなってしまって今のように彼女の手を握ってはいられなかっただろうから。

 二人、手を握りながら水族館に併設された海浜公園から夜の海を眺めていると、

「やぁやぁ、そこのお熱いお二人」

 固さのない、親しげな男の声が背後から響いてくる。知り合いだろうかと思い振り返ってみると、外灯が射るオレンジの光に背を焼かれながら、見知らぬ華奢な黒いシルエットがこちらを向いていた。

 男は口角を上げて続ける。

「最近女運悪くてさ、実は俺、道具みたいに扱われてんだよね。ったくあのクソ女ときたら……。っていきなり不幸な身の上語りだしても困るよな。うん。こっからは益のある話をしよう。意味のある話をしよう」

 言いながら、じりじりと寄ってくる謎の男。逆光で相手の表情は読めないが、ひりつくような悪意を感じた。本能的な部分が、関わるな、逃げ出せ! と警告を与え続ける。

 しかし、逃げられない。

 いや勿論、自分の足を動かして移動することはできる。背中に当たるフェンスを乗り越えて海へ泳ぎ出ることすら可能だ。

 しかし、それは単なる移動以上の意味を持たない。

 そんなことをしても、コイツからは逃げられない。

 なぜか、そういう確信があった。そう確信させるだけの圧力を、シルエットの男は放っていた。

 逆に、そんなことをすればコイツのトリガーを引いてしまうことになる。野生動物の世界において、急激な動きというのは開戦の合図だ。死期を早めることになる。

 そして、生物として、より長く自分の命を保持しようというのは当然のこと。

 だから、僕は動けなかった。

 ――ヤツが目の前に来ても――

「良い判断だよ。素人じゃなかなかそういう境地には達せない。ぐずぐずと無駄な努力をしたがるもんだ。アンタは合理的だな」

 間近に来て、ヤツの全体像が初めて分かる。

 驚いた。

 あれだけの威圧感を放っておきながら、身長は僕と同じか、少し低いぐらい。枯れ枝のような細い腕に、少女のような華奢な体。月光に照らされた横顔は青ざめたように白く、死人のようだ。客観的に見て、力比べで僕が負ける要素なんてない。

 けれどこの、呑まれるような恐怖。

 これは狂気が帯びる類のぼんやりとしたプレッシャーではない。単純に、どちらが生物として上か下かを現す、形をもつ恐怖。

「合理的なオマエに倣って、俺も直球で行く。問うぜ? オマエは誰だ」

「意外だな。知っててつっかかってきたのかと思ってたよ」

 弱みは見せられない。虚勢を張っておく。

僕だけならまだしも、真弓に被害がいくようなことはあってはならない。

「……すっとぼけてるわけでも、ない……か。“メイン”と見て間違いないな」

 理解不能な隠語を話す謎の男。“メイン”とは僕のことを指しているのだろうか。口ぶりからして計画性のある、僕個人、すなわち伊佐美秋人を狙っているようなのに、僕の名前を知らないのはなぜなのか。

「安心しろ、お前はエサだ。直接被害が及ぶことはないだろうよ……大人しく命令にしたがえばな」

 滑らかな動作で、細く血管の浮いた腕が僕の肩に置かれる。傍から見れば優しげなその動作も、僕には白蛇がその顎を開き、噛みつこうとしてくるように見えた。

 そしてヤツは命令する。

 その刀剣のような鋭い瞳をギラつかせ、傲慢な王がそうするように。

「『双樹冬香』『氷沼夏輝』の二人を呼びだすことを許可する」


 僕達は倉庫へと連行された。船で運ばれた荷物を一時的に蓄えておくための、広いだけで他に何もない空間。当然、その設計に人が長く居座ることを想定しているわけもなく、冷たい海風が無慈悲に吹きつけてくる。

 しかし、悪事を企むものにとってこれ以上の場所は望めないであろう。

 風を防げない薄い壁といえど、人の眼は防げる。そのうえに、人通りが多い区画からも相当に離れていて、何を叫ぼうと届くことはない。特に集荷物がない今、警備の人間がやってくる確率も絶望的だ。

 僕のミスだ。

 海浜公園で絡まれた時点で、声を張り上げながらしゃにむに暴れ回って、真弓だけでも逃がすべきだった。威圧感に負けて何もできなかったついさきほどの自分が恨めしい。こんな場所では、真弓の身に最悪の事態さえ起ってしまう。

 最悪の事態……。

 何を代償に払おうと、それだけはさせない。

 強く、隣に座る真弓の肩を抱く。震えが伝わってきた。

「寒いね、大丈夫?」

「う……平気、だよ」

薄く笑って見せる真弓。しかしその唇は原色に近い青に変色していた。

 慌てて、自分の上着を脱いではおらせる。

「ちょ、本当に、大丈夫だってば……」

「いいから、着ておいて」

 抵抗する彼女に押しつけるようにしてはおらせる。相手の意思を無視して自分の我を通すのは僕の流儀じゃない。普段の僕ならそんなことは決してしない。

けれど今は、エゴだろうと貫かせてもらう。そういう決意を表すものとして、あえてそうした。

「僕はこれから、温まることするからさ。必要ないんだ」

 立ち上がって『敵』を見すえる。もう我慢は限界だった。

「おー、恐い恐い。お前、そんな顔できたんだな」

 応じるように奴はその小駆を起こして言う。

「もしかして……来たのか?」

「真弓、逃げろ!」

 トリガーを引くように声を張り上げ、突進する。技もなにもない。地面すれすれまで身を屈め、己が身を砲弾と化して、ただぶつかる。

「うおぉおおおおおおおお!!」

 叫び、自分を鼓舞する。倒せるはずはない。倒せるはずはなくとも、組みついて少しでも時間を―――

 ―――!?

 なぜだか、僕の視界は天井一杯に広がっていた。さっき、ほんの一瞬前まで、アスファルトの臭いが嗅げるくらいに身を低くしていたはずなのに。口いっぱいに鉄の無機質な味が広がっている。僕は我慢できずその不快な液体を吐きだした。足下に、赤い水たまりができる。

 思い切り腹を蹴りあげられたのだ。

 漠とする意識の中で、やっと結論を出し、後ずさる。もとから敵う相手ではない。それは分かっていた。しかし、足止めもできないとは。

 悔しい。

 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!


 けれど。


 近くで、ポツポツと水滴の音がする。

 寒さで感覚を失った頬に、温かい何かが流れていた。

 しかし、その一粒が流れるたび、温かさが徐々に消えていく。

 それだけじゃない。

 切った口の中の痛み。

 不快な鉄の味。

 そして、

 力なき自分への悔しさも消えていく。

 感覚が無くなり、意識が消えてゆく。

 万倍にもなった重力に引かれ、奈落へ落ちゆく僕が最後に見たのは、怒れる氷沼夏輝の姿だった。

 いや、正確を期すなら違う。


 それは『氷沼夏輝』になった僕の姿だ。

 僕は……。

 そうだ僕は……!


 「第二ラウンドだぜクソ野郎……!」

 普段なら決して口にしない強い言葉が、僕……いや、俺の口から吐き出される。



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