猫。さまよう。
夢だこれ。
そう気づく瞬間がある。
暗い暗い闇の中。
失われた温もりを右手に感じて。
離したくないと握りしめる。
どうしようもない喜びの陰。
ああ、なんだ。
途方に暮れる自分。
気づいたことに気づかれたくない。
この幸福な時間が覚めてしまうから。
だるい。
まだ夜と呼んで良い時間。
目覚めてしまった。
何か大切な夢を見てた気がするのに。
現実にぐしゃぐしゃにされてしまった。
毛布にくるまる。
小さめのソファー。
狭いかも。
すまなそうにマリアル。
横になってみる。
俺にぴったり。
喧嘩売ってんのか。
寝心地はよい。
お気に入り。
でも、今は眠れそうにない。
ふむ。
むくり、起き上がる。
毛布を持って、玄関に向かう。
がちゃり。
静かに鍵を開けたつもりなんだが、意外と大きな音が鳴るじゃないか。
セコムか。
小さな庭の雑草の上。
庭の木で少し隠れるけれど。
一面に広がる星空。
この世界の青空は青空じゃないことが多いけど、夜空は夜空だった。
夜空がカラフルだったら眠れないもんな、と俺は概ね納得。
こんな感じの夜空を、あっちではよく眺めていたものだ。
親にはもちろん内緒で。
二階の窓から屋根に上がり。
眠くなるまで、なんでもない話をする。
私はほとんど聞いてるだけだったけど。
うん?
違うな、俺ばかりが話していたのか。
俺の片割れは、ただ頷いて星を見上げていたのだっけ。
だから、俺は右手で握った。
違う。
『俺』が握ったのは片割れの右手。
じゃあ、俺は左手で握った。
ややこしいな自分。
「なんで泣いてんだ」
後ろを振り向くと、イニアが立ってた。
困った顔をしている。
腰には剣。
しかし寝間着。
腰には剣。
「イニアはどこに行くの?」
困った顔がなおさら困った顔に。
これだからガキは、みたいな顔に。
「どこにも行かない」
「素敵なお召し物ですけど」
「誰のせいだ」
俺のせいなのか、と上目使いをした。
お前せいだ、と見下された。
「ごめん?」
「疑問符をつけるな」
ため息。
イニアは幸せを逃がし過ぎじゃないか。
そして、少し目が泳ぐ。
どうした。
「マリアルが小さい頃は」
マリアル昔話の始まり。
イニアは結構、ブラコンだと思うんだ。
「夜泣きが酷くて」
お前はお母さんか。
しかし、その成り立ちを聞いた今。
大きな声でつっこむことは出来ない。
兄であり、母であり、父である。
イニアはとってもえらい子だ。
「寝かせるのが大変だった」
そこでよいしょとばかりに、俺の両脇に手を差し込み、持ち上げた。
そのまま腕の中に。
意外に中は広い。
ひょろいわりに。
そして、イニアもストンと座り込んだ。
とん、とん、背中を叩く。
ぎこちない感じが逆にいい味を出している、なんて言ったら放り出されるな。
「こうやって寝かしつけたんだ?」
隠しきれずに少し吹き出してしまった。
眉が寄る。
あはは、イニアって実は子供好きだな。
でも、子供に嫌われてしまうから、俺も嫌いだなんて言うんだ。
子供はどっちだろう。
「……」
返事はないが、リズムはそのまま。
ありがとう、ありがとう。
腰にぎゅっと抱きついた。
温かいものは大好きだ。
一瞬。
手が止まったものの、また再開。
優しい時間。
覚えていない夢のようだ。
「イニアー」
「なんだ」
「明日、お迎え行くよ」
「必要ない」
俺は締め付けるように力をいれる。
俺の腕の方が痛い気がするけど。
お前かたい。
「何がしたい」
「痛くない?」
「全く」
「俺も」
何故か張り合ってしまった。
腕が痛い。
「言いたいこと、あるんだ」
頭をこすりつける。
猫の名残。
「…今は言えないのか」
言ったら怒って離しちゃうだろうが。
「今はだめー」
「…」
拗ねた。
これは確実に拗ねた。
叩く手が微妙に乱暴になる。
こらこら、なまものですよ。
「あ、二人でいちゃいちゃしてー」
マリアル参戦。
ばたばたと忙しない足音を立ててやって来た。
「ごめんよ。マリアルの場所少し借りてたー」
ぐるんと回転して、背中をイニアに預けるかたち。
マリアルはきょとんとしてから、赤くなった。
「それこんなちっちゃい時だから!!」
親指と人差し指で間を作るが、その頃のお前は腹の中のはずだ。
嘘はバレないようにつくべし。
「あ、兄さんなんてね」
ニヤリと人の悪そうな顔。
マリアルは天使みたいな容姿なのに、やることなすことえげつない。
夢なくすわ。
「院の子供らに泣かれるのを気にして」
「マリアル!!」
イニアが止めようとするが、いかんせん腕の中に俺がいる。
振り落とすのを躊躇するイニア。
多分、猫の方だったら俺はヘミングウェイだったと思う。
意味は俺も知らないので、心で感じて欲しい。
言いたいことは伝わったはず。
「鏡で笑顔の練習してたんだよ」
額を抑えるイニア。
眠そうだったマリアルが、生き生きとし始めている。
みんな、寝ようよ。
「あとねあとね」
「もうない!!」
「「まだある!!」」
ハモってしまった。
いえーいと、ハイタッチ。
お前ら、呟いて、ため息。
腰の剣がカチャカチャ揺れる。
しばらく、喋るのは俺とマリアルだけだった。
イニアは星を見上げて動かない。
どうにでもしてくれ。
彼の瞳は語っていた。
見えんけど。
「君の小さい頃は?」
自然な流れで聞いてきたけど、マリアルはどこか気遣いながら。
イニアの視線が俺のつむじに移動したのがわかる。
「俺ね、双子だったんだ」
大切な大切な私の片割れ。
全部君が教えてくれた。
おはようの挨拶も。
ごめんなさいの仲直りも。
君が大好きだった。
ずっと一緒だと、思っていたんだ。
「グズでのろまで一人ぼっちの俺の妹」
イニアはひどい言いようだなって困って、マリアルは黙って俺の頭を撫でた。
鬼畜な者同士、俺の頭の中の展開が読めたのかもしれない。
「私をかばって死んじゃった」
車のライト。
驚く人の顔。
ブレーキの音。
動かない体。
突き飛ばされた。
君が笑った。
覚えているよ。
忘れるわけない。
君はそれで本当によかったの?
「今日は三人で寝よう」
唐突にマリアルが立ち上がる。
こちらを向いて、ふわりと微笑んだ。
いいでしょ?って顔。
「床は痛いんだがな」
イニアが俺を抱いたまま、立ち上がる。
残念ながら、姫抱きではない。
支える手は加減を迷っているようだ。
「僕と兄さんのベッドマット、繋げればいいんだよ」
めんどくさいとイニア。
言葉とは反対に聞こえる不思議。
きっと、用意してくれるんだろう。
「今どき川の字かよ」
俺は笑えていたか、わからない。
肝心な時に素直になれない俺。
だけど二人とも、わかってるぜ任せておいて欲しいんだぜって顔してたから、甘えることにした。
明日、イニアに話すのが少し怖い。