【9】
それからしばらくは、平穏な日々だった。周家と離れた、庶民的な生活を送る。
ー幻だったのかもしれないわね。
ふうと息を吐き出すと、凛は鏡を見る。自分があんなにきれいになるなんて、この先ないと思った。
ー雅巳さんの方も大丈夫そうだし。
毎日、ダイエットで会っているが、何の問題もなさそうに冷静だった。両親をちゃんと説得したのかもしれない。
「ーさてと」
凛は腕を伸ばし、リラックスすると立ち上がる。
「お母さん!!」
「何、凛?」
厨房にいた葉定に話しかける。麗の母親とは比べものにならないが、大切な存在だった。
ーお母さんが居るから、安心できる。
母親の存在、もちろん家族もそうだが、その存在がありがたかった。今日も天気が良く、トンボが涼しげに飛んでいるので、外に出ようと思った。
「豆腐屋さんに行っても良い?」
「良いわよ。ーはい、鍋」
「ありがとう、行ってきます」
「気をつけてね」
優しいの言葉のやりとりに大きく安堵する。やっぱり金持ちよりも心のような気がした。
「行ってきます」
挨拶をすると、鍋を持って豆腐屋に向かう。ちょうど豆腐屋の暖ぼたんが出ており、嬉しくて声をかける。
「ぼたんさん!!」
「ーあら、凛ちゃん」
にこやかに返され、余計に嬉しくなる。会うのは久しぶりだった。
「今日は、どうしたの?」
「豆腐を買いに来ました」
「そう、それはありがとう」
答えると、ぼたんは鍋を受け取る。それから、凛をジロジロ見、言ってくる。
「きれいになった? 体重もずいぶん減ったようだし、顔もちゃんとお手入れしているし」
「へへ。そう? 嬉しいな」
ダイエットを頑張ってよかったと思い、あとで雅巳に言わなくてはと思う。ぼたんもにっこり笑い、髪を指す。
「その簪、きれいね」
「あ…、その。これは」
先日、雅巳がくれたものを今日は、つけて出かけたのだった。銀に青い玉が施され、日光を受けて輝いているようだった。
「よく似合っているわ」
ぼたんに言われ、嬉しくなる。が、突然、ぼたんが目頭を押さえる。
「あの…?」
突然どうしたのかと聞く前に、ぼたんが切なさそうに言う。
「聖也くんが居れば、お嫁さんにしてもらえたかもしれないのに」
「…」
何と言って良いか分からず、口を閉ざす。聖也のことは一通り落ち着いたのだが、いまだに言われると、心がざわりとする。
ー聖也、見てる?
柔らかそうな白い雲が浮かぶ空を見、目を細める。聖也の笑顔を思い出し、心を痛める。太陽のよう明るい性格の持ち主だったから、なおさらだった。
「聖也のことは…」
「ごめんなさい。つい、言葉にしてしまって」
「良いんですよ、ぼたんさん、気にしないでください」
「ありがとうね」
涙をぬぐうと、ぼたんが明るく言う。
「さて、豆腐を売らなきゃ。どれがいいの?」
「えっと…」
凛も気持ちを切り替え、豆腐屋へ入ったのだった。