【3】
周家にたどり着くと、凛はほうと息を吐き出した。
ーすごい、立派。
貴族の邸よりは小さいものの、大きなものだった。
「ねえ、すごくない?」
小声で雅巳に言うと、肩をすくめてくる。
「茶の邸と言われているらしい。茶の輸出や貴族に提供することで、建てたと聞いたことがある」
「なるほど」
それで、茶館に繋がるのかと納得する。
「着きましたわ」
そう言い、麗が先に御者の手を借りて降りる。
「次、俺」
と啓太が言っており、残ったのは凛と雅巳だった。
「俺が先に降りる。ーほら」
馬車から降りた雅巳に手を出され、凛は「えっ」と小さくつぶやく。手を取っていいのか悩む。
ーいいのかしら?
ドキドキしていると、雅巳が手を握ったり開いたりを繰り返し、催促してくる。
「…ありがとう」
礼を言い、そっと雅巳の手を取る。甘味処で働いているからか、豆のできたがっしりした手だった。
ー大きな手。
改めて、雅巳は男なんだと思い知る。ドキドキが伝わりそうだと思った時、手が離される。
「行きますわよ」
麗の声かけで皆が動く。入り口の戸を叩くと、
「ーこれはこれはお嬢様、お坊ちゃん、おかえりなさい」
1人の男が出てきた。いや、男と言えるか凛はびっくりする。
ー何、この人。
顔が狐みたいで、中心に寄って、年寄りに見えた。戸惑って雅巳の袖を引くと、彼は答えてくれる。
「宦官だ。心配するな」
「宦官? 何それ?」
「簡単に言うと、睾丸を去勢した男のことだ」
「去勢って?」
「切ったと言ったほうが早い」
「切っ!!」
慌てて口に手を当て、宦官を見る。宦官は気づかなかったようで、「お客様ですか」凛と雅巳に視線を向けてくる。麗はそっけなく、
「案内しなくて良いわ」
「…かしこまりました」
わきにどき、礼をしてくる。麗を先頭に、啓太、雅巳、凛の順に回廊を歩いていく。
「おかえりなさいませ」
進んでいく途中、途中で自分と同じ歳くらいか少女たちが礼をしてくる。
ー雅巳さんの邸もこんなかんじだったのかなあ。
回廊のわきに寄った姿を見ていると、雅巳が振り返ってくる。
「ぼうっとするな。堂々としろ」
「…分かったわよ」
胸をはり、しずしずと貴族の娘をイメージして、歩いていく。召使いなのか、男性も忙しそうにしており、皆、麗と啓太を見ると、頭をさげてきた。2人は慣れているのか、平気に歩いていく。
「ーわっ」
途中、庭があり、凛は思わず声を出す。岩で作られた段差やそこから生える植物たち。小さな橋が中央にあり、色とりどりの魚が泳いでいるようだった。
ーきれいな庭。落ち着く。
立ち止まって見ていると、啓太が1人で作業している男に声をかける。
「明おじさん」
作業している手を止め、男が振り返る。庭の手入れをしているようで、静かに頭をさげてきた。歳は50代くらいだろうか。穏やかそうな性格のように見受けられる。
ーこの人が作った庭か。
庭作りは性格を表すのか、明と呼ばれた人の作られた庭はほっとする。緊張が少し緩んだのだった。
「大丈夫か!?」
雅巳に言われ、凛は答える。
「うん、平気よ」
庭のおかげか、少し息のつまった感じが減る。明は頭を下げたままであり、麗が啓太に言う。
「行きますわよ、啓太」
「はーい」
頭の後ろで手を組むと、また歩き出した。ところがすぐに、
「啓太坊ちゃん」
1人の男が姿を現した。啓太は小声で「げっ」と言う。
ー誰、この人?
眼鏡をかけており、歳は30代くらいだろうか。長髪を結んでおり、冷たい感じがする。
「王先生」
啓太の代わりに麗が答える。王と言われた男は麗に向かって礼をしてくる。
「啓太、行きなさい」
「はーい」
嫌そうなのを隠さず、男の元へ向かう。麗が振り返り、教えてくれる。
「王有仁先生といって、啓太の家庭教師ですわ」
「家庭教師?」
そういえば、科挙を目指していたと言っていたのを思い出す。
「啓太坊ちゃんは神童ですから」
小さな肩に手を置き、淡々とした声で言ってくる。
「神童? 何それ?」
小声で雅巳に問うと、彼は肩をすくめる。
「子どもで賢いことを言う」
「なるほど」
「ただし、大人になったら使いものにならないと聞くがな」
「そうなの?」
「そんなものだ」
小声で説明してくれ、前を見る。啓太は肩に手を置かれたまま、去っていった。これから科挙の勉強をするのかと思うと、頭が痛くなりそうだった。
「さて、お父様とお母様のところに参りましょうか」
麗が扇を広げ、ほほっと言う。凛は顔を引き締める。そんな彼女に雅巳が言ってくる。
「挨拶ぐらいできるな」
「できるわよ。その…、緊張するけど」
「そうか、頼もしいな」
「もう、本当のことなんだから」
少し頬を膨らませ、凛が答える。雅巳が背中を向けたので、凛は後について行くのだった。