【2】
茶館にたどり着くと、馬車が数台停まっていた。
「東側からもお客さんが来ているんだよ」
そう言い、啓太が馬車から降りた。馬が歓迎したようにいななく。その音を和らげるように、茶館の中から琴や笛の音が聞こえてくる。
ーすごいわ、東側からも集まるなんて。
じっと馬車を見ていると、雅巳に頭をこづかれる。
「ほら、降りるぞ。ぼっとするな」
「分かったわよ」
馬車から降り、茶館の中に入る。そうすると、入り口近くに麗の姿があった。
「あら、いらっしゃいませ」
扇を広げ、ほほっと笑う。啓太が甘えるように言う。
「姉さんを迎えに来たよ」
「ありがとう、啓太」
すらりとした手で啓太の頭を麗が撫でる。それから、凛たちを見、
「…あの、何でしょうね」
どうも凛までいるとは思わなかったようだ。扇で口元を隠しながら、目を細める。品定めされているようで、思わず凛は嫌な気持ちになった。
ー私が居て、悪かったわね。
心の中で舌打ちし、足に力を入れる。負けるわけにはいかなかった。そんなことはつゆ知らず、雅巳が麗にはっきり言う。
「婚約の話なら断ったはずだぞ」
周りに配慮しているせいか、少し声を落として告げる。麗はひらひらと扇をあおぐと、いきなり閉じた。
「だから、言ったでしょ、家同士の約束なんですって。個人同士で約束してもどうにもなりませんわ」
「個人同士で約束して、十分だろう。お前が父親と母親を説得しろ」
「そう言われましても…」
扇を数回叩き、麗が雅巳に甘えるように言う。
「私もあなたを気に入ってますけど」
「はーい、俺も」
啓太も元気に手を挙げ、麗と笑う。その姿を見てカチンときたのは凛だった。金持ちだし、美人だからって雅巳を取らないでよと心の中で思う。しかし、同時に戸惑う。
ー何考えているの、私。
雅巳は誰のものでもないのに、なぜ嫉妬するのか。心臓がドキドキしてきたので、胸を押さえる。全く雅巳と居ると調子が崩れる。
ー平常心、平常心。
ふうと息を吐き出すと、麗に言う。
「私がついていっても良いですか?」
「あら、あなたもついてくるの? でも、その格好じゃ」
少し嫌そうな顔をされて、凛は言い返す。
「身なりの問題じゃないと思います」
「あなたはそれで良いのかもしれないのですけど、こちらとしては…」
「ブス、どっか行け」
「あのね、あんた!!」
憎まれ口をたたいた啓太を捕まえようとすると、雅巳が腕を引っ張る。
「じゃれるのは後にしろ。今は忙しい」
「分かったわよ」
不服そうに言い、自分の襦裙を見る。そんなにボロでもないし、色も薄桃色でかわいいのに、何がいけないのだろうか。
ー雅巳さんがどうするのか気になるし。
どうしてもついていきたい凛は、麗に両手を合わせ、頼みこむ。
「お願いします!! 一緒に連れて行ってください」
「…。仕方ありませんわね」
扇を開くと顎に手を当て、雅巳と凛を見る。
「連れて行くの、姉さん」
「しょうがありませんわ。しつこそうですし」
麗は肩をすくめると、女給を数人呼ぶ。
「この2人を着替えさせてくれる? あと、お化粧も」
「ーはい、ただいま」
「えっ、ちょっと待っ、きゃあ」
有無言わせず連れて行かれ、雅巳とバラバラになる。どうやら、従業員の着替え室に連れて行かれたらしい。
「それでは、始めます」
女給の目がキラリと光り、凛の頬が引きつる。
ー何が始まるのよ、一体。
恐怖を感じながら、任せること数十分。
「ーあら、できました」
戸の前で麗と啓太が待っており、こちらを見てくる。
「…へえ、嘘みたい」
啓太は面白くなさそうに、凛に言う。自分はどうなったんだと混乱していると、女給が鏡を出してくれる。
「え…、これ私!?」
大きな声が出、2人しっと指を立てたられる。凛は慌てて口を閉じると、鏡の中の自分を見る。
ーすごい、私じゃないみたい。
高価な簪をさし、絹と思われるさらりとした襦裙を着た自分の姿。普段のような暴れん坊の凛と違い、化粧もされているので、大人びて見えた。
ーこれが私…。
自分で自分に惚れそうだった。言い過ぎかもしれないが、本当にそう思った。
ー襦裙、汚さないようにしないと。
なぜ絹なのかと知っているかというと、市場で働く清のおかげだった。絹で作られた手巾に触れたことがあったのだ。
ー良かった、お兄ちゃんから情報をもらっておいて。
そうでなければ、恥をかくところだった。と、その時、隣の戸が開いた。
「これは…」
麗も絶句したように言う。着替えた雅巳は王家の1人みたいに格好良かった。青色の袍も少し小麦色の肌にはえ、靴も黒に白や赤をあしらったようで素敵だった。
「ーすごい」
その一言につきた。皆、雅巳に注目し、言葉をつまらせる。もちろん、凛にも視線が浴びせられており、少し居心地が悪かった。
「なかなかの上物だな」
雅巳が袍の袖をつまみながら言う。以前はこういう格好をして過ごしていたのか、慣れているかんがあった。それから嫌そうに視線を避けるように、手を振る。
「俺に注目するな」
「そうは言いましても。…素敵ですわ」
ぽっと頬を赤くした麗を見、凛は仕方ないと思う。自分も顔が赤くなりそうだった。
ーもう、いつものほうが良いのに。
そうすれば、自分だけ見てくれるのにとか、訳分からない独占力を出してしまい、凛は俯く。
ー馬鹿だ、私。
きれいに磨かれた床を見、顔を手であおぐ。雅巳のことが気になるのに、気にならないふりをするのは大変だった。
「ーで、お前は?」
急に話をふられ、へっと奇妙な声を出す。雅巳に見られ、とても恥ずかしくて襦裙を握りしめる。
ー何て言うかしら?
美加や麗より劣るのは仕方ないことだった。でも、十分普段の自分とは違うと思うのだが、果たして雅巳がなんて言うか。緊張時間は数分。雅巳が口を開く。
「孫にも衣装だな」
「…はい?」
意外なことを言われ。凛は急いで顔をあげた。雅巳の頬が少し赤いのは気のせいだろうか。凛は胸元の前で手を重ねる。
ー褒められたのよね?
するとドキドキしてきて、より顔が赤くなりそうだった。雅巳の顔はいつもの無表情に戻っており、麗に話をふる。
「着替えたんだから、これで良いのか?」
「ええ!! 最高ですわ。何て美しい」
麗が少しはしゃいだ声を出す。啓太も了承のうなづきをする。
「大丈夫だよ、十分格好良いから」
「ああ、そう。それなら良いが」
雅巳自身はどうでも良いのか、冷静に言い、凛を見てくる。
ー何、何、何?
訳分からず、視線を背けてしまう。しばらく、じっと見た後、
「そうだ、こうしよう」
雅巳もポンと手を叩いた。皆の注目が一気に集まる。
「こいつ、俺の婚約者にしようと思う」
「…は?」
全員が一気に固まった。凛が一番驚いて、よろける。
「こら、しっかりしろ」
「…。うん、ごめん」
たくましい手に支えられ、ドキドキが伝わらないか気にする。
ー私が婚約者…。
まさか、雅巳がそんなことを言うとは思わなかった。心臓が飛び出しそうになるくらい、顔が真っ赤になっていく。
「…。なるほど。そう言う考えですの」
麗が少し嫉妬したように言い、凛を睨んでくる。負けてたまるかと睨み返すが、美加みたいに敵にはならないと思ったのか、雅巳に視線を向ける。
「婚約者が居るから、私との婚約は解消しようと?」
「その通り、話が早くて助かる」
「ええー、その女が婚約者のふりをするの? 猪みたいなのに」
啓太の言葉に凛が頭にくる。
「あのね、誰が猪よ」
「お前だ、お前。俺、美加さんが良い」
「美加さんのことは言うな」
雅巳にビシッと言われ、啓太は首をすくめる。それから、凛を見、
「言葉づかいに気をつけろ」
「…。良いの、私が婚約者のふりをして」
一生懸命問うと、雅巳が言ってくる。
「自分を信じろ。分かったな?」
「…うん」
まだ納得していない部分はあるが、雅巳はもう次のことを考える。
「偽名が良いなぁ。何するか」
顎に手を当て考える姿に、女性陣からうっとりした視線を浴びせられる。
ー痩せて良かった。
本気でそう思う。太ったままでは婚約者のふりなんてできたものではない。
「そうだな…。そうだ! 陳華穂にしよう」
「陳華穂? それが私の偽名になるの?」
「そうだ。いい名前だろう」
「…。うん、そうね」
短く返し、顔を背ける。どうしても直視できなかった。
「よし、決まり。行くぞ」
雅巳が歩き出したので、全員後を追ったのだった。