第30話 夫婦設定で潜入調査する必要あります?
ガタン、ガタンと馬車が揺れる。
アサリオン村からフィリ村へ向かっている途中だったが、道はあまり良くないらしい。時々、石に躓き、馬車も止まってしまうが、徒歩よりはマシだろう。
あの後、さっそくフィリ村の別荘に行くことに。エドモンド編集長はアサリオン村の野鳥観察に出かけてしまい、しばらくホテルに泊まるというが、私達は捜査だ。クリスと共に変装もし、フィリ村に向かっているわけだが。
「また夫婦のフリして潜入調査す必要あります?」
思わず愚痴がこぼれる。クリスはフィリ村は誰が見ているかわからない、変装しようと提案し、なぜか夫婦のフリをする事になった。私はホテル潜入時と同様、野暮ったい主婦の格好をしたが、なぜかクリスも似たような田舎風の旦那に変装。ダサいセーターに汚いジーンズ、メガネもかけている。
カツラは被っていないが、これだけでも別人だ。相変わらず偉そうに脚を組んで座っていたが、遠目にはクリスには見えない。人は服装だけでも印象が変わるらしい。謎の少年の正体が女性で、シビルだった可能性は、大いにありそう。これはいいが、なぜクリスと夫婦設定で潜入調査しているのかは解せない。ため息が出そう。相変わらず、クリスは左手の薬指に指輪がある。私も変装用の指輪をしているものだが、タラント村と同じ事をしているのが解せない。
「いいじゃないか、アンナ嬢。俺と夫婦ごっこを大いに楽しもうじゃないか」
ため息をついている私と裏腹に、クリスは上機嫌だった。ふむふむと笑いながら、小説創作講座の本まで読んでいる。エドモンド編集長がプレゼントしたものだ。クリスを恋愛小説家にしようとしているのか。冗談ではなかったのかと思うと、頭が痛い。事件は進展中だが、口元が引き攣ってしまう。
別に恋愛小説に恨みはない。読む分には好きだが、自分に書けるのかと思うと、頭が痛くなる。推理小説の添え物としての恋愛描写は書けるが、全編恋愛小説は一度も書いた事がない。果たして恋愛偏差値ゼロで初恋もままならない私に書けるテーマだろうか。
「だったら、俺をモデルにすればいいだろう。愛を手取り足取り教えてやるって」
私の不安を察したクリス。歯を見せて笑っているが、楽しくて仕方ない模様だ。ずっと口元がゆるんでる。
「というか、私はクリスの事、良く知らないし。それでモデルなんて難しいわ」
「それはそうだな?」
クリスは一旦、真面目な顔を作ると、生い立ちから話し始めた。
ドラクメ村という小さな田舎の出身。田舎で常に貧乏だった。父は浮気性で、母はおかげでヒステリーを起こし、家事も代わりにクリスがしていた。兄弟はいない。いつか田舎の連中を見返すため、金持ちになる事が夢だった。奨学金でなんとか学校に入った後は、経営学を学び、人脈を作り、努力に努力を重ね、今の地位を得た。
「という生まれさ。他に何か質問は?」
「意外と苦労してきたのね。私は生まれた時から成金令嬢だったから、なんの不幸もなかったけど」
「まあ、親父とは縁切ってるしな。安心しろ、アンナ嬢。面倒な義父はいないし、母だけだ」
「結婚前提で話を進めるの、やめてくれない?」
とは言いつつ、クリスの生い立ちがわかり、彼のキャラクターが見えてきた。常時偉そうなのも、生まれのコンプレックスの裏返しだったかもしれないし、母親との関係は良好そう。根っからの悪人ではない。
こうして本人の証言の元、クリスの生い立ちはわかったが、なぜ、私にこんな執着をしているのか謎だった。一体、私のどこに惹かれたのか、本当に謎。
親の命令で貴族界隈のパーティーにも出た事があるが、全くモテなかった。氷の成金令嬢だと陰でクスクス笑われた。そもそもいけすかない貴族の男は、私も苦手ではあったので、今まで気にした事はなかったが、それを本人に聞くのも野暮。推理して考えてみようか。でも、手がかりも何もない。
「アンナ嬢。俺と結婚したら、最新型のタイプライターも買ってやるし、会社一つ分ぐらいくれてやってもいいぞ。毎日美食していいし、服やアクセサリーもなんでも買ってやる。もちろん、推理小説を書いてもいい。仕事も好きにやっていいからな。もちろん三食昼寝つきで優雅な主婦をしても良いのだ」
上機嫌なクリスは、求愛モードにスイッチオン。プレゼンのように結婚のメリットを語る。さすが極悪経営者だ。こんな風に売り込むのは、プロだ。確かに私の心は揺れていた。
「俺を恋愛小説のモデルにしてもいい。はは、絶対幸せにしてやるぞ。いわば、俺はアンナ嬢にとっての蒼い鳥さ」
気障なセリフだ。ドヤ顔でふふんと笑ってもいたが、素直に頷けない。
「別に私は蒼い鳥がいなくても幸せになれるわ。周りに茶色い野鳥しかいなくても、別にいいわ。誰かに幸せにして貰わなくても、自分で笑顔になれるから」
我ながら可愛くないセリフ。氷の成金令嬢と言われてしまう理由も察してしまったが、なぜかクリスは余計にご機嫌だった。
「ははは、アンナ嬢、おもしれー女だな。いいぞ、そういう面白い所がアンナ嬢のいいところだ。貴族の甘やかされた令嬢とは全く違う」
「それ、褒めてるの?」
クリスは深く頷く。その目は案外真剣だった。青みがかった目に吸い込まれそう。
クリスは私が「おもしれー女」だから、気に入っているらしいが、単純に女の趣味が悪いのかもしれないが、それは口に出すのはやめておこう。
気づくと、馬車はフィリ村に入っていた。アサリオン村と違い、ホテルなどの宿泊施設はなく、畑や民家が多い。過疎化しているのは事実だろうが、風俗店も立ち並び、馬車から見える景観は、全く美しくない。パウラの事も思い出してしまい、私はさっきとは違う意味で口元が引き攣ってしまった。
「いやな景色ね」
「そうだな……。こんなもん、全部一掃されるべきだよ」
珍しくクリスの声は優しい。クリスも決して恵まれた生まれではない。こうした景色も、無視できない優しさは持っている。
根っからクリスは悪人ではない。見た目は偉そうだが、貴族の男達とは違う。貴族の男達だったら、ナチュラルに男尊女卑だが、クリスはそうではない。
単純にクリスを嫌えないから困る。この求愛も断りにくい。一瞬だけ、クリスと一緒に生活する未来も予測できてしまい、慌てて咳払いした。




