第29話 「クリスさんが恋愛小説家になったらいいんでは?」と言われました
「なんだって!? シビルが第一容疑者か!?」
クリスの大きな声が響く。耳がキンとした。
翌日、エドモンド編集長がやってくる予定があり、別荘の客間を準備し、彼の到着を待っているところだった。ちょうど昼過ぎで少し眠くなった時、なぜかクリスが訪問してきた。今日は仕事が休みなのだという。ちなみにじいやとパウラは買い出しの為、外出中だった。
一応ダイニングルームにクリスを呼び、一緒に紅茶を飲みつつ、事件の進捗を話す。シビルが第一容疑者の可能性大だと話すが、悔しがっていた。大きな声を出し、下唇を噛んでいる。
「これだと俺の賭けは負けじゃないか」
よっぽど悔しいのだろう。目も少し赤くなっていたが、私も余裕はない。
「でも、この推理は大きな欠点があるわ。証拠がない事ね。シビルが男装している様子の証拠はない。シビルがトリスタン先生はじめ、何股もかけていた証拠もないわ」
「なるほど」
ここでようやくクリスが紅茶を飲み、ほっと安堵していた。
「ところでクリス。何しに来たの?」
「いや、セドリック料理長だよ。俺はあいつが怪しいと思ってるからな。あいつをマークしていたら、ジスラン支配人とホテルの裏にいたんで報告しに来たわけ」
「なるほど……」
謎の少年、いや暫定シビルを巡り、何か二人で共闘している可能性もあるのだろうか。もっとも二人とも同じホテルで働いている。二人が会っていたところで、大きな証拠にもならないが、これは怪しい。シビルが主犯だが、他の男達が共闘し、トリスタン先生を殺した可能性は多いにある。
「ありがとう、クリス。推理に協力してくれて」
口から出る言葉は、やけに素直だ。自分でもわからない。思えば、クリスは経営者だ。自分の仕事もあるのに、推理に協力してくれている。賭けを持ちかけてくるのはどうかと思うが、推理なんて別にしなくてもいいのに。
「ちょ、アンナ嬢? 今日はなんでそんな素直なんだよ」
クリスはこんな私に戸惑い、顔も赤くしていたが、私もマーガレット嬢の想いが伝染してしまったのだろうか。今は、なぜかクリスと毎日会って、推理ができる事は、面白いとすら思ったりもする。
こんな自分に戸惑う。私の方こそ、顔が赤くなりそうだが、エドモンド編集長がやってきた。
さっそく、客間に案内し、紅茶とクッキーを出す。クッキーはパウラが作ったものだ。コレット店長から分けてもらった小麦粉を使って焼いたものだが、サクサクで甘くて美味しい。コレット店長の小麦粉発注ミスに感謝したいところだ。
甘いものに目がないエドモンド編集長は、これだけでご機嫌だ。おかげでエドモンド編集長は太っているが、私と似たような成金商家出身のためか、男尊女卑もしない。仕事もできる。その変わり数字にはシビアで、売れない作品は容赦ない。それでもデビューから気にかけて貰い、私との関係も良好だった。タラント村の事件後も仕事ができるのは、エドモンド編集長が陰で色々とフォローしてくれたからだ。
なぜかクリスもこの場に同席していたが、エドモンド編集長は、クリスの噂も耳にしているのだろう。極悪経営方針などで二人は盛り上がり、なかなか本題に入らない。
「ちょっと、編集長。何しに来たんですか?」
思わず咳払いし、私はツッコミをいれた。エドモンド編集長も咳払いし、色々と書類を見せてくれた。
まずは、この別荘の利用状況だった。トリスタン先生の利用頻度がかなり高い。最近はホテルに泊まる事も多かったが、数年前は毎月のように来ている。
「おそらく、トリスタン先生、合鍵を勝手につくっていただろうね。この記録に載っていない時に来てた可能性もあるな」
エドモンド編集長は呆れつつ、クッキーをボリボリと齧っていた。予測通りだが、これで密室トリックの謎も解けてしまった。この事もエドモンド編集長は白警団に報告済みというが、ここで彼は急に声のボリュームを落としてきた。
「実はな、アンナ嬢。トリスタン先生は隣のフィリ村にある別荘もよく仕事で使っていたんだ」
「え、本当?」
てっきりこの別荘かホテルだけかと思ったが、編集部は他にも各地に別荘を所有し、スランプ中の作家や評論家に提供しているという。
「色々と新人作家や、大御所先生の新作も秘密裏に読んでもらったりしてたからね。先生にはフィリ村の別荘も貸してたわけ」
フィリ村はアサリオン村と違い、観光業に乗り気でなく、過疎化中だ。その一方で、アサリオン村より仕事に集中できると、作家達に好評らしいが。
「この事は白警団に言いました?」
クリスの質問に、エドモンド編集長は首を振る。
「言うわけないじゃん。大御所先生の秘密の原稿とかもあるし。あの白警団もいけすかない。エリート意識丸出しで嫌な男だったよ。だから黙ってやった。わざわざトリスタン先生の事を言わないだけだ。別に隠しているわけじゃない」
倫理的にどうかと思うが、エドモンド編集長はフィリ村の別荘の鍵を貸しててくれるという。最後に使ったのはトリスタン先生なので、まだ原稿やメモ類なども残されている可能性があるという。
「ありがとうございます。エドモンド編集長、これで事件の証拠や手がかりが見るかるかもしれない」
そう言うが、エドモンド編集長は鍵を見せるだけで、渡してくれない。私の鼻先に鍵を見せつけ、「その代わり恋愛小説の企画書を出せ」とせっついてきた。
そのエドモンド編集長の顔は極悪だった。クリスによく似てる。二人とも大股で脚を組んでいたし、偉そう。通りで二人は気が合うはずだと思ったが、鼻先ににんじんをぶら下げられている。渋々、恋愛小説の企画書を持ってエドモンド編集長に見せた。
「ほぉ、なるほどな」
エドモンド編集長はちゃんと目を通してくれたが、眉間に皺がよってる。反応は鈍い。今まで没にされた推理小説の企画と同じような反応だった。これは芳しくない。またストレスで髪が抜ける未来が予測できてしまう。
「全部没だ。もっと練ってこい」
「う、分かりました。で、鍵は?」
それでもエドモンド編集長は、別荘の鍵を貸してくれない。困った私を見てニヤニヤしている。クリスも同様の笑顔だ。嫌らしい。二人とも双子みたいだったが、クリスは冗談を言い始めた。
「俺は若き極悪経営者と作家志望の貧乏令嬢のラブストーリーが読みたいぞ。経営者は貧乏令嬢に執着し、手紙やタイプライターを貢ぎ、身分差を乗り越えていくのさ」
「ちょっと、クリス。またそのネタ? 編集長の前で冗談やめて。ふむふむと笑わないで。そんなクリスモデルにした小説なんて書きたくない」
「いいや、これがいいね。俺をモデルにして恋愛小説を書けよ。手取り足取り、恋を教えてやるよ。覚悟しとけ」
「どうしてそうなるの……」
鼻の穴を膨らませ、胸も張り、いつもより偉そうなクリス。エドモンド編集長の前でも、こんな調子なので、さすがに頭が痛くなってきた。
しかしエドモンド編集長はこんなクリスに腹を抱えて大笑い。目に涙が滲むほど笑ってる。私は余計に居た堪れない。
「そのネタいいじじゃんか。採用だよ、クリスさん!」
「ちょ、編集長、何をおっしゃているの? まさか、この恋愛小説採用? これを書けって事!?」
「いいじゃないか、アンナ先生。クリスさんに手取り足取り教えてもらいなさい。それでリアルな恋愛小説を書きたまえ。この設定だったら王都での人気小説にも似てるし、売れる可能性もある」
「そ、そんな……」
情け無い声しか出ない。どうしてこうなった。しかし、無事別荘の鍵が手に入り、調べにいく事が決まった。なぜかクリスも一緒についていく事になり、本当に逃げられない模様。
「しかし、クリスさんは面白いよな。アンナ嬢より面白い男だな。いっそ、クリスさんが恋愛小説家になったらいいんでは?」
「そうですか? 編集長、アンナ嬢が恋愛小説書けなかった場合、俺が代わりに書いてもいいですかね?」
「全然、いいぞ。共著として売る出すのもいいな。話題性があって売れるかもしれん」
「共著か。いいな!」
クリスとエドモンド編集長は勝手に盛り上がり、私はついていけない。
「なんなの、もう……」
エドモンド編集長から鍵は入手できたものの、クリスが提案した恋愛小説を書く事が決定してしまった。さっそく「プロットも出せ」とエドモンド編集長に凄まれた。もっと髪が抜ける予感しかしない。




