第11話 クリスとランチをしましょう
風の音は爽やか。時々響く野鳥の鳴き声も可愛らしい。アサリオン村の伝説・蒼い鳥などは見つかるわけもなく、茶色い小鳥ばかりが目立ってはいたが、今はそんなことは関係ないだろう。
あの後、クリスとパウラでランチをしようという事になり、アサリオン・クイーンホテルへ来ていた。泊まるわけではない。一階にあるレストランで軽くランチをするだけだが、クリスは顔パスで一番眺めの良いテラス席に案内され、私達もそのおこぼれにあずかっていた。
レストラン内は感観光客に溢れ、賑やかというより騒々しいが、庭に面したテラス席は静かで私達もゆっくりと食事ができた。
テーブルの上はパン、鶏肉の香草焼き、パスタという炭水化物と脂肪祭りだったが、空きっ腹には全部が美味しい。
シビルやマーガレット嬢、村人や観光客に迫害を受け、想像以上に私は参っていたらしい。クリスの前で泣いてしまう程だったが、料理は美味しく、無言で食べ続けてしまう。
その間、クリスはパウラと自己紹介をかわす。物怖じせず、人懐っこいパウラはクリスとも打ち解けていた。
「クリスさん、よろしくね。ところでクリスさんとアンナってどういう関係? 恋人? 深い仲にしか見えないわ」
このパウラの発言で私はむせそうになる。テーブルの右端のグラスの水を慌てて飲み込むが、隣にいるパウラは下衆っぽい目をしている。まだ若いのに、噂好きのおばさんみたい。
「そうだ。アンナと俺は婚約者だ」
「ちょ、クリス。何を言っているの?」
余計にむせそう。目の前に座っているクリスはの発言は全く解せない。パウラと違い、目を細めて笑っているクリスは、今まで一番極悪に見えた。
水をごくごくと飲み、どうにか落ち着こうとしている私を嘲笑っているみたいだ。意地悪だ。
「そうなの? じゃあ、私はお邪魔ね。あとは若い二人で!」
「ちょ、パウラ。まだデザート来ていないでしょ?」
「いいのよ。その代わりクリスさん、全額奢っておいて」
「了解。今日はありがとう、パウラ」
パウラとクリスは勝手に話を進めてしまった。パウラは家に帰ってしまうし、クリスは全額奢る事でこの条件を飲み、口元もふむふむとさせている。私を揶揄って楽しんでいる模様。怒りを通り越し、呆れてきた。
「ところでアンナ嬢。この状況はどういう事かい? なんで村人やマーガレット嬢にいじめられていたんだよ?」
「実はね……」
意地悪なクリスだが、なぜか再会してホッとしたのも事実だ。私は現状を一から十まで説明した。
意外にもクリスは私がアサリオン村まで逃げて来た事など責めず、ちゃんと話を聞いてくれた。特に同情心を見せる訳ではない。それでもタラント村では一緒に犯人を捕まえた実績もあり、信頼してしまう。不本意ではあったが。
食後のケーキやコーヒーも届けられ、私の気はますます緩んでいた。じいやが入院中の事、村人からの酷い迫害については、愚痴っていたが、クリスは特に否定せず、黙って聞いてくれた。
困る。こういう優しさがあるから、クリスの事は全面的に嫌いになれないんだ。これがもっと強引で、私への悪口も多く、高圧的だったら、簡単に嫌いになれるのに。
その上、またクリスの香水の匂いがした。タラント村の時は香水などつけていなかった癖に、今はその匂いも似合っている。なぜかクリスの香水の匂いを感じると、ソワソワとし、クリスの顔がまともに見られない。下を向いてしまう。
「それは困ったな、アンナ嬢」
「ええ。あなたがちょっと素敵に見えてしまうほど」
「へえ」
クリスはまたふむふむと笑っていた。今も左手の薬指にはダミーの指輪をしたまま。そろそろ外してもらいたいものだが、言い出すタイミングがわからない。もし指輪の件を質問してしまったら、決定的な言葉を言われそう。
「だったら、推理して真犯人を見つけるしかないだろ?」
「そうだけど」
「アンナ嬢だったらできるさ。なんせタラント村では犯人を見つけ出したんだ。そうだ、アンナ嬢、推理をしろ」
言葉自体は命令のくせに、その口調は優しく、私はますます顔を上げられない。無理矢理コーヒーを口に含み、変な咳払いをしてしまったが、向こうは私の戸惑いなど、全く気づいていない。それどころか、こんな台詞までのたまう。
「アンナ嬢。お前はタラント村で推理をしていた時が一番目が輝いていた。そうだ、絶対に推理をしろ。推理をしているアンナ嬢、俺は嫌いじゃない」
その声は先程よりもっと甘い。ケーキみたいな甘さだ。私はまた咳払いし、コーヒーを口に含む。こちらは何も入れていないブラックコーヒーだ。これで少しは甘みが中和されたような。
「と、ところで、クリスはなんでアサリオン村に来たの?」
クリスは自身の前髪をかきあげると、また笑い始めた。
このホテルを買収する予定があり、視察に来たという。当初ば部下にやらせる仕事でもあったが、なんとなくカンで来たらしい。
「このホテルはマーガレット嬢の親戚が経営者だしな。嫌な予感がしたんだ。マーガレット嬢はアンナ嬢に嫌がらせしていると部下に調査もさせたし」
「そうなの?」
私は目をぱちくりとさせていた。確かに王都でもクリスの追っかけ令嬢から嫌がらせを受けていたが、マーガレット嬢が犯人だと断定できなかった。証拠がなかったから。
「マーガレット嬢のような貴族令嬢など、俺は興味などないのにさ。俺は面白い女が好きなんだ」
さらっと自然にクリスは告白。ますます私は居た堪れなくなってきた。トリスタン先生が殺され、濡れ衣を着せられているが、クリスのこの態度の方が事件かもしれない。こんな女に執着を見せるようなタイプに見えない。夢にも想像できなかった。
それでも逆にはっきりとしてきた事がある。クリスでさえこんな裏の顔がある。素朴なパウラも意外と恋愛小説が好き。観光地で空気のいいアサリオン村も、決して良い村人ばかりじゃない。
となると、善人のトリスタン先生だって裏の顔があっても自然だ。そんな所が事件を呼び寄せたと思えば、事件の全貌も解けそう。まずはトリスタン先生の事をよく調査する必要がある。
「という事でこのホテルのトリスタン先生の部屋がみたいのよね。ここに泊まっいたらしいから。もちろん、もう白警団が調査して、部屋も保存されているかどうか分からないけれど……」
白警団が見落とした手がかりが、部屋に残っていたとしたら、気になってくる。もうクリスの事は忘れてきた。今は推理に集中しようではないか。
「だったら、俺に言えよ。俺の名前を出せば、被害者の部屋も見られるだろうよ」
「いいの?」
「婚約者の願いを叶えるのが、役目みたいなもんだろ?」
クリスはニヤニヤと笑う。さっきよりもご機嫌そうだ。私もつられて笑ってしまう。
勝手に婚約者扱いされるのは不本意だ。こうしてクリスと一緒にいると、アサリオン村まで逃げてきた意味も無いが、乗り掛かった船だ。この船からは決して降りないと決めた。推理して、この謎も解こう。
「さっそく推理しよう、アンナ嬢」
「ええ、もちろんよ」
二人で笑っていると、少し楽しくもなってくるから、困る。殺人事件が起きているのに。




