第1話 「俺と結婚しろ」と言われました
出版パーティー以上に嫌いなものが思いつかない。
いえ、文壇サロンも嫌いだったけれど、あれはタラント村の事件もあって壊滅状態。私をいじめていた文壇サロンのおじ様達は、然るべき末路になっている。
どうも、皆さんこんにちは。
私は作家令嬢のアンナ・エマール。推理小説マニアの成金令嬢。推理小説を愛し、ついに本格推理作家になった。
滅多に感情的にならず、令嬢らしい振る舞いも苦手だから、氷の成金令嬢なんて二つ名もついていたけれど、タラント村の事件に関わり、今は私の事を探偵と呼ぶ者もいる。正直、困る。まあ、しがない新人推理作家なのだけど。
今はタラント村の事件をモデルとし、本格派ではない素人探偵ミステリを執筆中だ。推理文芸誌で連載も始まり、執筆も終盤。編集部によると、評判は賛否両論で、初版の部数は絞られるかもしれない。最初は宣伝費も出してくれる約束だったが、我が国、相変わらず推理が不人気ジャンルだし、雲行きは怪しい。
本格ではない素人探偵ミステリは珍しいが、営業部も慎重になり始めたのだタラント村の事件ももうあんまり話題にならないし。という事で、評論家や他の作家、編集者と人脈作りと営業の為、出版パーティーへ参加しているが、来るんじゃなかった。後悔してる。
会場は男爵のバルザリー家。貴族だけあり、屋敷のものは全て一流品。天井のシャンデリアも高額に違いない。私が今、踏みつけているカーペットも。
成金令嬢の私。貴族の家にいるだけでも、神経質になってきた。実家も成金らしく品の悪い調度品だらけだけど、バリザリー家にある物は、背筋をピンと緊張させ、息がつけない。壁にある海外も美しく、ゆっくり鑑賞したいところだけど、余裕がない。
パーティー会場は、着飾った貴族連中が押し寄せ、混み合ってきた。今日はバルザリー家の三女・マーガレット嬢が新しく本を出した。子供向けの絵本で、自費出版らしい。
私みたいに営業部からの数字で胃が痛む事はなさそうなマーガレット嬢。実際、優雅に笑っている。繊細なスミレ色のドレスも似合い、金髪もキラキラと輝いてる。私みたいな成金令嬢とは天地ほどの差がある。
私も一応、せっせと髪を巻き、令嬢らしいドレスを着込んでいたけれど、これも違和感がある。元々着飾るのも好きじゃないし、人が多い場所も苦手。それでも、今日は編集部に命令されて来た。どうにか招待状を入手してくれた編集部に申し訳ない。
という事で、出版関係の貴族連中に愛想を振り撒き、営業を始めた。最初は順調だった。タラント村の事件に興味を示してくれたり、人気推理小説や毒物について盛り上がった。連絡先も交換し、現在連載中の作品のゲラを送る約束を取り付けたり、泥臭く営業していた。
本来はマーガレット嬢の出版パーティーではあるけれど、人脈作りは一般なパーティーと同じだ。
元々、部屋にこもって執筆いる方が性に合うタイプだけれど、何とか笑顔で営業中。タラント村の事件のおかげで私も一皮剥けたらしい。こんな風に営業する事も、別段苦ではなかった。タラント村の時のように殺人犯と対面するよりマシだ。
それでも所詮成金令嬢。貴族連中から馬鹿にされたり、相変わらず「推理なんてやめろ」と言われる事もあったけれど、作家の仕事は書くだけではない。こうした営業だって仕事なのだ。何とか笑顔でこなす。
「そういえば、アンナ嬢。評論家のトリスタン・バルべ先生が行方不明になっている事は、ご存知?」
なぜか主役のマーガレット嬢に声をかけられた。隣に並ぶと、私との容姿格差がえぐい。向こうはキラキラの太陽で、私は地味な月にでもなった気分だが、その話題は気になる。評論家のトリスタン先生は、私のデビュー作をケチョンケチョンに酷評したおじ様。しかも理にかなった酷評で、いつか傑作を書き、トリスタンを唸らせるのが私の目標だったりする。その夢が叶った日は、印税で最新のタイプライターを買うと決めていた。
「マーガレット嬢、本当?」
「ええ、本当よ。私の家もトリスタンとは仲が良くて、立派な方。気になっているの」
「そう」
「ところで、アンナ嬢」
なぜかここでマーガレット嬢は目を光らせてきた。ダイヤモンドのように大きな目だが、眉は吊り上がってる。まさか睨んでいる?
「クリス・ドニエと婚約している事は本当?」
「え!?」
顎が外れそう。確かにクリスは、私の知人。経営者のクリスは私の父と共にホテルやレストランなどを他数経営しているから。タラント村事件の時も世話になったのは事実。それに「俺と結婚しろ」と言われているが、お互い仕事も忙しく、最近は滅多に会えていなかった。
「そ、そんな噂は事実無根よ」
私はそう言いながら、冷静さを保つ。マーガレット嬢の目や頬を観察。特に目が鋭い。どうも私に敵意を向けているようだ。まさか、マーガレット嬢はクリスが好きなのか?
証拠はないが、その可能性はありそう。クリスの性格は悪いが、見た目はいい。地位や名誉も貴族と同等といっていい。クリスの追っかけ令嬢は何人もいると周囲から聞いていたが、だんだんとマーガレット嬢からの視線が痛い。パーティー会場から出る事にした。
「まさかマーガレット嬢がクリスを好きとはね……」
バルコニーから屋敷の裏手へ。ここまで来ると、パーティー会場の喧騒が遠のき、少しホっとしてくる。夜空は綺麗な満月。庭からは鳥の鳴き声が響き、決して静かではないが、息は吸いやすくなった。
「別にクリスはイケメンではないわよ。タラント村での性格の悪さ、全部教えてあげたいぐらい……」
ぶつぶつ愚痴も溢れる。そういえば、タラント村から王都に戻って来てから、同年代の令嬢からキツく言われる事が増えたような。
それに、仕事が年中忙しい両親の機嫌もいい。何故か王都のベビー用品店のカタログを見て盛り上がっていた。相変わらず成金御用達の店のものだったが、どういうことだろう。
じいやも何故かクリスの家に行こうと誘って来るし、これも一体なんだろう。
推理作家らしく、考える。
「まさか、クリス。噂を流したり、外堀から埋めようとしている?」
夜風が吹き、少々熱ってきた私の頬を冷やす。
なぜクリスが私を気に入っているか心底謎。「おもしれー女」などと言い、馬鹿にしてくるし、あの性格の悪さだ。私を揶揄い、楽しんでいる可能性大。嫌がらせだとしたら色々と辻褄は合う。
「そうだぜ。外堀から埋めるのが、得策だろう?」
「え?」
驚いた。顔を上げるとクリスがいた。いつものジャケット姿ではなく、パーティー仕様の礼服だったが、髪もセットし、ふわりと香水の匂いもした。
「クリス、なぜ、ここへ?」
「マーガレット嬢は知り合いだからな。一応来てみたら、アンナ。お前がここにいるじゃないか」
クリスは不器用に笑っていた。いや、笑っているのは理解できるが、不器用すぎて、ちょっと怒っているみたいね?
「まさか、私と婚約していると噂流した?」
「そうだ。決まってるだろ」
なぜかクリスは私に近づき、壁の方まで追い詰めてくる。さらに香水の匂いがする。これはウッディ系の匂い。何か香水で推理小説のトリックにできるだろうか?
「アンナ嬢、お前は何を考えている?」
香水で推理トリックが作れないか等と考えていた、とは言えない。クリスの表情はさらに神経質になり、私を壁まで追い詰めたら、ドンと叩く。
「アンナ嬢、俺と結婚しろよ」
「え!? あれは冗談ではなかったの?」
「そんなわけないだろ。そうだ、後でアンナ嬢のご両親にも挨拶に行こう。それにうちの母親にも会おう」
「なぜそんな展開!?」
普段、冷静な私でも変な声が出る。それにクリスとの距離も近い。息遣いも聞こえそう。香水の匂いも漂い続ける。私の脳はキャパシティを超えた。
「俺と結婚しろ。アンナ嬢。三食昼寝つきで養ってあげてもいい。好きな小説も書けばいい。出版社だってあげるぞ。こんな出版パーティーに出て泥臭い営業なんてしなくて良いんだ」
そんな事を言われても。
というか、営業中の私を馬鹿にしてる?
笑っているクリスの口元を観察した。小馬鹿にしているみたいに歪んでいるじゃないの。婚約するとかで揶揄っている可能性大。それにしても、クリスはまだ左手の薬指に指輪をつけている。タラント村の事件でダミーでつけた結婚指輪だが、どうして外さないの? もう事件から三ヶ月以上もたっているのに。
「お断りです!」
これには逃げるしかない。一刻も早く、クリスから逃げたい。
「待て、アンナ嬢!」
クリスは必死に追いかけて来たけれど、もう限界。王都でクリスと私が婚約中という噂は全く消えないし、両親もその気。クリスファンの令嬢からも嫌がらせが相次ぎ、仕事の休暇をとって逃げる事にした。
「じいや、逃げるわよ!」
「はい、お嬢様!」
執事のじいやは味方だが、仕事も順調と言えないし、立場も危うい。タラント村の功績は一応あるが、しがない新人作家だ。ジ・エンドかもしれない。




