第10話 クリスと一夜を過ごします
私、クリス、そしてメイドのマクダは三人で海辺を歩いていた。古城の敷地内からついに外に出たわけだが、今は夜だ。古城の全貌も見えず。何が何だがさっぱりだ。
島の土地勘もない。今は海辺の小道を歩いていたが、どこに繋がっているかは不明だ。反対側は商業施設もあるらしく、比較的明るかったが、私達が歩く先はそうでもない。
「大丈夫よ。島民の私にここは案内をまかせて。西側の海辺のあるバンガローでしょ。わかるわ、大丈夫」
この中で一番島について詳しいマクダ。頼もしい。先頭を歩き、その後をクリスと二人でついていく形となった。
「おお、それにしても夜空が綺麗だな。星や月ってこんな華やかだったのか?」
隣を歩くクリスは夜空を見上げ、感心していた。いつもより瞬きも多く、初めて見る島の夜空に感動している。おかげでクリスの怒りも完全におさまり、呑気に歩いていた。波音や潮風も穏やかなものだ。誘拐事件など洗い流されてしまいそう。クリスが落ち着いてくるのもわかる。
「それにしてもマクダは大丈夫? 私が逃げたってロルフにバレたら、大変じゃない?」
私はそのことが心配。こうしてマクダは協力してくれたが、後のことを思うと素直に笑えない。
「いえ、大丈夫。もし何かされそうになったら、急所をつくわ」
腕まくりし、身を構えたポーズをとるマクダはかなり強そう。
「マクダ! かっこいい!」
「アンナ、そんな褒めないでよ」
「やっぱりうちの実家のメイドになって!」
女子二人でキャッキャと騒いでいると、クリスは咳払い。極悪経営者と呼ばれているクリスだが、こういった女子達のノリにはついていけないらしい。新しい発見だ。タラント村やアサリオン村では見られないクリスを知ると楽しくなってきた。もう本当に誘拐事件のことなど忘れそうだ。
そうこうしているうちにバンガローの前まで到着。周辺も似たようなバンガローが並んでいたが、案の定、人気はない。
海辺にも近く、波音もより響くが、見た目は可愛らしい雰囲気のバンガローだ。清潔感もある。全く問題なさそう。
「じゃあ、アンナ。私は帰るわー。あとはよろしく!」
道案内してくれたマクダは手を振って去っていく。初対面はクールそうだったマクダだが、南の島民らしいおおらかさも持ち合わせている。タラント村やアサリオン村とは、違った雰囲気らしい。あちらは典型的な田舎者だったが、ここの島民は大らか。かくいう私も潮風を感じていると、どうも気が抜けてくる。確かの推理はしたいのだが、緊張感は抜けてくるのも事実。
「まあ、アンナ。とりあえず、バンガロー入るか?」
「そうね」
あんなに怒っていたクリスも、すっかり目尻が下がっていた。星空、潮風、波音という環境に囲まれていると、なんか神経がゆるんでしまうのもわかる。
こうしてバンガローの中に入った。灯りもついたが、こじんまりとし、落ち着いた雰囲気だった。欠点はドアの金具が潮風で錆びついている事ぐらいだろうか。二階もあり、ベッドやソファなどもちゃんと設置されている。キッチンやシャワーやトイレもある。しばらく快適に暮らせそうではないか。
「おお、これはいいな。窓から海もよく見えるぜ」
「本当?」
クリスとともに窓辺へ向かう。夜の静かな海が見える。海面には月が反射していた。二つも月が見え、ちょっとお得だ。
「へえ、綺麗ね」
そう呟いた時だった。海辺から、波音以外の音が聞こえてきた。最初は鳥の鳴き声かと思ったが、その割には綺麗な音。
「この音、何?」
クリスと共に耳をすますと、誰かの歌声が響いてきた。可愛らしい女性の歌声。歌詞は悲しみが表現されていた。魔法戦時中、殺された人魚の嘆きをテーマにしているらしい。ストーリー調の歌詞が耳に残る。
「素敵な歌声ね。誰が歌っての? もしかて人魚? 人魚みたいな歌声ね」
思わずうっとりと目を細めてしまう。クリスも表情が穏やかだった。
「気になるな。誰が歌ってるんだ? プロ級だぜ。素人の声の出し方でもない」
「そう? まさか本当に人魚?」
そんなわけはないだろう。人魚はとっくに絶滅しているはずだったが、歌声はクライマックスへ向かい、私達のムードも妙に艶っぽくなってきた。
クリスは無言になり、私を見つめていた。いつになく真剣な眼差し。アサリオン村の事件の後、正式に婚約を交わした私たちだが、こうして二人きりでいるのは初めてだ。
お互い仕事が忙しく、デートも頻繁にできるわけじゃない。式の日取りや新婚旅行、新居の話も何も進んでいなかったが、今の状況って一般的な恋人みたい?
さらにクリスの眼差しが艶っぽくなってきた。この孤島まで来て疲れているはずのクリスだが、目の色は潤んでいる。
ドクン、ドクンと心臓が跳ねる。私だってウブな令嬢ではない。令嬢教育の一環で子供ができる過程も頭に入ってる。
それに十八歳以上の読者しか読めな恋愛小説もチェックしてる。恋愛小説を書くための勉強で読んでいたが、恋人たちが何をするかは頭では理解していた。残念ながら、恋愛偏差値がかなり低い私は、ひとつも実践したことはなかったけど、知識だけはある。
「アンナ。少し早いが、式の前でもあるが、恋愛小説みたいなことをしないか? もちろん、恋愛小説を書くためだ。取材と思いながら、どうだ?」
クリスはそんな提案をしてきたが、急に頭がハッとした。確かに今は仕事で恋愛小説も着手中だったが、今は本格推理小説の企画も練っていた。
それに、この瞬間、暗号文のアイディアも浮かんでしまった!
忘れたら困る。私はバンガローの机に直行し、引き出しをあさり、ノートとメモ帳を見つけ出した。急いで暗号文のアイディアを書き付け、矛盾点がないか、あらゆる角度から検証していた。
「ちょ、アンナ、何をしているんだ?」
「待って、たった今暗号文のアイディアが思いついてしまったの! ちょっとクリスも協力して。ここの古文書の引用、矛盾はないかしら? どう?」
私は鼻息あらく暗号文を見せたせいだろうか。さっきまでの雰囲気は蒸発してしまった。
「いや、そこまで矛盾がある暗号文ではないが、難易度的に難しすぎないか? 技巧に走りすぎてる。推理マニアはともかく、一般読者には難しすぎるぜ」
「そうなのよ! ねえ、クリス。一緒に暗号文作らない? 私が作るとどうもマニアックになってしまうの!」
結局、一晩中、クリスと一緒に暗号文の作成に没頭してしまった。恋愛小説のような甘い時間は一秒も流れず、クリスと二人でウンウンと頭をひねっていた。
「本当、アンナはおもしれー女だな。こういう普通の女と違うところがいいんだよ」
なぜかクリスは上機嫌で、暗号文作りに協力してくれた。
「よし! あっと驚くような暗号文作るわ!」
「その調子だよ、アンナ。もう一生、推理に突き進め!」
しかしクリスの声、どこかヤケクソな雰囲気も滲んでいた。
「それでこそ、アンナ嬢だな!」
クリスの声で、あの美しい歌声はかき消され、全く聞こえなくなった。




