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4.お誘い

朝から何度、見ただろう。何度も何度も夢じゃなかったかと思って、俺は何度もスマホを見た。

”しおや”

ちゃんと俺のスマホには、しーちゃんの連絡先があった。

またこうしてしーちゃんと話せるようになるなんて、夢みたいだ。あの日、コンビニに行ってくれた兄ちゃんには感謝しかない。今日帰ってきたら、心からの感謝を込めて、兄ちゃんの好きなお菓子を渡そう。

授業が終わり、俺はうっかりと画面を見てまた感動してしまっていた。

いけない、しーちゃんに連絡しなければ、とトーク画面を開き、ピタリと止まった。

いったい、なんて連絡すればいいんだ?授業終わりました?それはしーちゃんも同じだから、わかってるはず。

スマホ画面の前に苦悩の表情を浮かべたまま、数分が経過した。早く送らないとと思うと、焦る。

するとポコン!とメッセージが届き、俺は肩から飛び上がった。

”もう授業終わってるだろ?早くこっちの教室来い”

一大事だ、俺が悩んでいる間にしーちゃんをお待たせしている!

俺は急いで立ち上がって、しーちゃんの教室へと廊下を走った。


「あ、あの、しーちゃ──」

「遅い」

「ご、ごめんなさい」

温度のない目で見られ、背筋が伸びた。でも、しーちゃんは教室の前で待っててくれていた。嬉しい。

パンケーキを食べに行くのが目的なのに、メッセージを送れないことでお待たせしてしまうなんてふがいない。こんなこともできないなんて、と捨てられないように気をつけないと。

早く行こうと先を歩くしーちゃんに続く。すると、しーちゃんが振り返った。

「お前さ──」

「ん?なに、しーちゃん」

しーちゃんは口を開いたが、向こうから来た下級生にチラチラ見られているのに気づくと口を閉じた。

「あとでいいわ」

そのまましーちゃんは、足早に階段を下りて行った。


パンケーキの店って言うから、もっとファンシーな感じを想像していたけど、落ち着いている。

目的の店は、学校から数駅先の、駅からも離れた繁華街と住宅街の間の利便性がよくないところにあった。店先には観葉植物が無造作に、それでいてバランスよく並べられて、店内に足を踏み入れたときは⦅ボタニカルショップ?⦆と思った。

「やっぱサンデーにしようかな…」

ボックス席に案内され、しーちゃんはメニューとにらめっこしている。窓からの陽光が悩める彼の御髪を輝かせ、天使の輪ができている。紛うことなく美しい。まつ毛長い、碧眼がキラキラしてる。あごを乗せた手はシルクのようだ。唇は潤いのあるほんのりピンクで柔らかそう。

ぽかぽかした気持ちでしーちゃんを見ていると、しーちゃんが目だけ俺に向けた。

「みーくん、もう決めた?」

「俺はなんでもいいよ」

すでにこの状況で心が満ちている。

「……なんだよ、なんでもって」

しーちゃんは背もたれに体を預け、ぼそりと言った。

「俺だけ浮かれてるみたいじゃん」

「ち、違うよ!そう言う意味じゃなくて」

「じゃあなんだよ?」

しーちゃんの鋭い眼光に、俺はたじろいだ。でも、ちゃんと言わないと。もう明日から話しかけるなって言われないように。

「その、俺はほんとになんでも、パンケーキでもアイスでもいいんだ。大事なのは、しーちゃんと一緒にいられることだから」

つたないうえに焦ってるから、ボディランゲージみたいに大げさな動きになってしまった。じわじわと汗ばむ中、しーちゃんの反応を待った。

「……ふーん」

しーちゃんはそっけない返事だった。でも、口元にうっすらと笑みが浮かんでいる。

誤解は解けたと、思っていいだろうか。

「やっぱ、パンケーキにする」

「うん、そうして」

しーちゃんが言うことに”Yes”の姿勢を示す。今俺が気をつけないといけないことは、これかもしれない。

「次来た時に、サンデーにする」

メニューを閉じたしーちゃんは、ふんっと鼻息荒くそう言って、店員さんを呼んだ。

次は、誰と来るんだろう。

「そうだね」

胸の奥からじわじわと、むしばむような気持ちが湧き上がって来たけど、俺は静かに微笑むことにした。


「結構うまかったな」

「そうだね」

しーちゃんはパンケーキとクリームソーダ、俺はカフェオレにした。

一人では多いからと、なんとしーちゃんがパンケーキをシェアしてくれた。俺は拝みながら食した。パンケーキをこの世に生み出してくれた人、ありがとう。

食べながら学校での出来事や、兄ちゃんのおっちょこちょい話や、なんでもない話をした。

こんな風にしーちゃんと過ごせるようになるなんて、と俺がまた拝んでいると、

「なにしてんの?」

「しーちゃんとまた話せるようになったことを神様に感謝してる」

「……」

なんとも言えない顔をされた。

「あのさぁ、さっき学校で言おうとしたことなんだけど」

「うん、なに?」

店を出たところで、しーちゃんは言いずらそうにした。

「人前でしーちゃん呼びはやめろ、恥ずかしい」

「──ごめんねっ!もうしーちゃんって呼ばないよ!」

しーちゃんに恥ずかしい思いをさせていたなんて、俺はショックのあまり息をのんだ。てっきり喜んでもらえてると思っていた。

「だから、人前ではやめろって、言ってんだ!」

しーちゃんの大声に、俺は跳ね上がった。

こんなに怒らせているのに、しーちゃんと呼ばない案は却下された。なんで、どうして!?と俺は頭をかかえた。よく考えるんだ、俺!しーちゃんの言葉を思い出せ!人前でしーちゃん呼びはって──

「じゃあ、二人のときは、いいの?」

口をついて出た問いだった。

「……うん」

小さい子みたいに、コクリと頷くしーちゃんが可愛すぎて、心臓がズキュンとして

「かわいい」

ぽろりと、零れ落ちた。

「は!?かわいくねーし!」

俺は口を手で抑えた、口に出していた自覚がなかった。

「ご、ごめんね。しーちゃんはいつもかっこいいよ、俺いつもそう思ってて」

「もういいからっ!帰るぞ!」

しーちゃんは顔を真っ赤にして怒っていた。さっき鎮火したばかりなのに、また火をつけてしまった。

心のルールブックに、『しーちゃんにかわいいって言わない』の項目を増やした。

むんっとした表情のまま大股で駅に向かうしーちゃんをちらちら見つつ、これ以上怒らせないように俺はお口にチャックした。

「……で?」

チャック中のため、俺は肩に着くくらい頭を傾げた。

「だから、呼び方、わかった?」

「……あ、えと、じゃあ二人のときはしーちゃんって呼ぶね?」

しーちゃんのご機嫌を伺いつつちょっとだけチャックを開けて言うと

「……うん」

しーちゃんは袖で口元を抑えながら頷いた。

⦅きゃーかわいー!⦆で頭の中がいっぱいだ。でも言わないように、俺は歯を食いしばった。

胸に手を当てて落ち着きを取り戻さないと。こんなところで倒れたらしーちゃんのご迷惑だ。

「あれ、じゃあ、人がいるときはなんて呼べば……」

ふと思った。しーちゃんも腕を前に組んで考えているようだが、案出してみろと言わんばかりにあごをくいっと上げた。

「えっと、じゃあ、潮谷君?」

「他人行儀すぎる」

「じゃあ、詩織君?」

しーちゃんは、額を人差し指でかいた。さっきより感度よさそうだ。

「じゃあ、……しお君?」

「……それ、どっち?」

「え?」

「苗字?名前?」

足を止めて、じっとしーちゃんが俺を見上げてくるその青い瞳が、さっきよりもキラキラして見える。

ここで、選択肢を誤ってはいけない──

「えっ……と、名前?」

「……ふーん」

別にいいけど、という素振りだったけど、しーちゃんがふっと笑ったのを俺は見逃さなかった。

よくわからないけど、ご機嫌は治ったようだ。


「じゃあね、しーちゃん。気をつけてね、知らない人について行ったらだめだよ?変な人がいたら大声出して周りの人に助けてもらってね?」

「お前は俺をいくつだと思ってんだ?」

「だってしーちゃんかわ……かっこいいから心配なんだよ。本当に家まで送らなくていいの?」

「いいって」

駅のホームで俺は粘ったが、しーちゃんに手を振って断られた。

遅くなった(19時半)から家まで送り届けたかったのに、心配だ。今度防犯ブザーをプレゼントした方がいいかもしれないと俺が真剣に考えていると

「なぁ、俺に、なんか言うことない?」

しーちゃんが横目で俺を見ていた。

なにか、なにかってなんだ?かわいいって言ってもいいの?いや、それは怒られるだろうから──

「今日は、ありがとうございました。またご一緒できると嬉しいです」

深々とお辞儀しつつ、サラリーマンみたいな返事をした。不快にさせないを一番に考えて、こうなった。

「……いつ?」

「え?」

「次、いつにする?」

「……──ッ明日は!?」

「ははっ、明日は早すぎるだろ」

声をあげて笑うしーちゃんは本当に楽しそうで、ホームから見える真ん丸い月が、まるでしーちゃんにスポットライトを当てているように見えた。

あぁ、俺、ずっとこんなしーちゃんを見たかった。

そっとしーちゃんに手を伸ばし、その頬に触れた。温かくて、柔らかい。

「みーくん?どした?」

しーちゃんは俺の手に顔をすりつけてきた。もうそれだけで、俺は全身の血が沸騰するようだった。

しーちゃんは不思議そうに俺を見つめる。苦しい、もう息が詰まりそうだ。

「しーちゃん、俺──」

俺が口を開くと、特急列車が隣を通過して、強い風に吹かれた。

「みーくん?なんて?」

「……なんでもないよ」

そうして俺は、しーちゃんから手を離した。

「……そう」

しーちゃんも、もう一度聞いてくることはなかった。

 その後、快速列車に乗るしーちゃんを見送ってから、俺はベンチで普通列車を待った。

さっき、俺はなにを言おうとしてたんだろうか。言ってしまうと、しーちゃんを困らせるかもしれない。バレてるかもしれないけど、でも言わない間は友達として仲良くしてくれるかもしれないから。

『──ご乗車のお客様は黄色い点字ブロックの内側に……』

ホームに響くアナウンスに、俺はゆっくりとベンチから立ち上がった。

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