9.好きなものがあるということ
俺は自分のこと、そんなに好きじゃない。物事が自分の思い通りになるとか、バイトでうまくやれたとか、バスケでゴールうまくいったとか、所々で”俺やるじゃん”と思うことはある。
でも、こんなひねくれた性格も、思ってることうまく言えないのも、素直になれないのも、みーくんに優しくできないのも、いつも振り回してばかりなのも、嫌になる。
小さい頃からそうだった。
”綺麗な子ね”
周りからはそれしか言われない。
絵が下手でも、かけっこが早くても、他の子より早くあいうえおが書けても、
”綺麗な子ね”
”いつも見ちゃうわ”
ただ、それだけ。
そんなこんなで幼少期からだいぶひねくれていた。外見しか褒めない大人たちに、無遠慮に見てくる同級生に、見た目がいいだけで少し優位になることに。
「なぁおまえ!」
先生が来るギリギリにクラスに入ろうと、いつものように園内をぶらぶらを歩いていると、後ろからTシャツの首根っこを引っ張られた。
「なにすんだよ!」
首元を抑えながら振り返ると
「おまえ、いちごぐみ!?みおもつれてって!」
続けざまになにかをぶつけられ、後ろにしりもちをついた。
「いってー……」
胸の上に重く乗っかかるものは、むくりと起き上がった。
目に大粒の涙を浮かべた俺よりも小さいのが、ふるふると震えながらじーっと俺を見ていた。
「……しーふぶるー?」
当時、シーフージャーを見ていなかった俺は、みーくんがなにを言っているのかわからなかった。
速攻でみーくんを押しのけた俺は、また園内を適当に歩き始めた。
遊具がある方は人が多いからバツ、出入り口も近づかない。自然と人気のない教会の方へと進んでいた。
遊んでいる園児の笑い声も遠ざかり、他の音が耳に入るようになった。
後ろと振り向くと、さっきの小さいのがいた。
俺のあとをついてきたのだろうが、しっかりと俺と目が合うと二歩下がった。そのまま無視しようかとも思ったが、進むとその分ついてくる。振り向くと、立ち止まる。怯えながら、こっちを見上げる。
「しーふぶるー……」
にらみつけても、怯えるだけで全然離れようとしない。
だから知らんぷりしておくことにした。そのうちどっか行くだろうと。
思っていたが、違った。次の日も、その次の日もそのまた次の日もずっとついて来る。
振り向きざまににらんでもビクッとするだけで、絶対にどっか行ってくれない。むしろ、振り向くのを待ち構えられている気がする。振り向くと、目を大きく輝かせる。
「こらっ!二人とも!早くクラスに入りなさい」
巻こうとして、怒られることもしばしば。
保育園に着いた途端に園内ストーキングが始まる。しばらくすると靴箱の前で待機されるようになった。
年少から年長までの廊下を早足で通り過ぎ、遊具の下をくぐり、校舎の裏手をまわり、教会まで逃げて来た。それでもずっとついて来る。
「しーふぶるー」
「……それ、なに?」
さすがに1カ月も聞かされたら気になった。
俺がせっかく質問したのに、何を聞かれているのかわからないのか『あれ?』と首を傾げられた。
「しーふぶるーって、なに?」
「……あのね、シーフージャーだよ。ぶるーはね、──……」
ペラペラと小さいのはしゃべり続けた。半分以上なに言ってるのかわからなかったけど、目を輝かせて楽しそうに話す様子に、思わず笑ってしまった。こういうやつは、初めてだった。
「……これあげる」
「え、なに?」
「シール」
小さいのがライダー的なのが書いてあるシールを手渡してきた。昆布の絵が一緒に描いてある変なやつで、今度は俺が『なんだこれ?』と首を傾げた。
「しーふぶるー、お顔いろいろしててかわいいね」
今のしーふぶるーは俺のことを言ってるとわかった瞬間、小さいのが笑いかけてきてたのに
「うるさいっ!」
俺は小さいのを押し退けて、クラスに戻った。
いつもだったら、嫌で仕方なかった。一挙一動が見張られてるようで、心の奥からムカムカしてくる。
けれど、そのときは恥ずかしくて、顔が一気に熱くなっていった。
だって、こいつは違う。
見や目だけじゃなく、俺がなにに笑って、なにに興味があって、どういうことが好きなのかを聞いてくる。
「しーちゃん、きのうのシーフージャーがね」
「うん」
いつの間にか、みーくんと一緒にいることが
「しーちゃん、おはよ」
「おはよ、みーくん」
みーくんがそばいることが嬉しくてたまらなくなった。
「しーふぶるーがね!」
しーふぶるーの話をするときだけは、気に食わなかった。だって、俺よりも好きなものがあるなんて許せない。
「みーくん、帰るよ」
小学校に上がってからも、それは変わらなかった。
クラスが分かれたとき、帰りにみーくんを迎えに行った。
「潮谷、サッカーやんだけど入らね?」
「メンバー足りないんだよね」
たまにみーくんのクラスの奴らと、俺のクラスの奴も含めて昼休みに遊んだ。
「ごめん、俺みーくんと遊ぶから」
「えー、あんな奴と遊んでて楽しいの?」
「暗いし、全然しゃべんないし」
みーくんのことそういう風に言われると、イライラする。
「ま、またやろうな」
「……おー」
俺が不機嫌になったのがわかると、二人は急いで運動場に向かった。
こういう時は、この顔が便利だと思う。早く蹴散らせられるから。
「しーちゃん……」
さっきの会話が聞こえていたのだろうか。所在なさげなみーくんが、扉の裏に立っていた。
「帰ろ、みーくん」
そう言って、俺はみーくんの手を引いた。
俺が絶対にこの手を離さないから、だから安心して。笑って。
そう思いながら見つめていると、力が抜けたようにみーくんは小さく笑った。
「帰ったらなにして遊ぶ?」
「えっとねー……、週末にシーフージャーのトランプ買ってもらってね、それで──」
またシーフージャーか。
思わずげんなりしそうになったが、ここでそんな顔するとみーくんが不安になるのは確実。
「みーくん、ほんとにシーフージャー好きだね」
「うん、大好き!」
満面の笑みを向けられ、俺は心臓が高鳴った。
嬉しそうに俺とつないだ手を揺らすみーくん。
そんなみーくんを見つめつつ、いつになればシーフージャーより好きになってくれるのかと思いながら帰ることもよくあった。
でも、俺がずっとそばにいて、俺がみーくんと一番仲良しだから、心配してなかった。
「……引っ越し?」
あの日、そのことを聞いても。
「家、買うんだって。少しだけ、今より遠くに住むの。そうなると、中学校もしーちゃんと別の学校になるって」
「そうなんだ……」
いじけているのか、みーくんは何度もシーフージャーのトランプをかきまぜた。
「なに?ぐじぐじして」
俺の言い方を気にしてか、みーくんは急いでトランプを並べ始めた。
「あ……、ごめんね。しーちゃんと同じ中学校に行くと思ってたのに、離れちゃう」
そんなことで沈んでんのかと、思わずにやけた。
「ま、こうやって会えばいいだろ?」
みーくんの隣に座って、俺はみーくんの肩に腕をまわして大きく揺すった。
「しーちゃん、やめてよー」
笑いながらそういうみーくんは楽しそうで、りんごみたいに赤く染まった頬に俺はうれしくなった。
みーくんは絶対に、俺のことが好きだ。隠す気もなさそうだ、みーくんも二人だけのときはこうして俺に抱きついてくる。
「あ、見てしーちゃん。シーフブルーで揃った」
7が二枚揃ったみーくんは、次はどれを取ろうかと迷っている。いじけもどこかに行ったようだ。
大丈夫、心配ない。ずっと変わらない。
でも、俺は不安になった。
「潮谷ー、サッカー」
「おー」
クラスの奴らと運動場に行こうと廊下を歩いていると、みーくんが向こうから歩いてきた。
いつものこと、でも俺が学校で他のやつといると、みーくんは俺と一瞬目を合わせてから、目をそらす。
いつものこと、でも俺の胸が小さく痛まないわけじゃない。
みーくんが人見知りで、他人とかかわるのが苦手なのは知っている。でも他人といると、俺もいない存在にされるのが、悲しかった。
「みーくん、帰ろ」
毎日のように、みーくんを迎えに行った。
「みーくん、遊ぼ」
毎回、誘うは俺から。もうみーくんは俺を追いかけてこない。
もし、俺から声を掛けなくなったら、みーくんから来てくれるんだろうか。
「しーちゃん、どうしたの?」
「……なんでもないよ」
意地悪しようとか、試そうとか、そんなこと思ってなかった。
ただみーくんにとっても、一人が嫌で俺といるんじゃなくて、本当に俺が必要な存在なんだって、確かめたかっただけ。
「じゃあね、しーちゃん」
「おう」
だから、引っ越していくみーくんを見送った後、俺からは連絡しなかった。
俺は待っていた、みーくんから連絡が来るのを。でも待っても待っても、連絡は来ない。
みーくんにとって、俺はそれくらいの存在だったんだ。あんなに熱い目線を、好意を向けてくれてたのに──。
そんなとき、みーくんを見かけた。
学校の帰り、信号待ちをしていると自転車に乗ったみーくんがいた。
じっと俺を見つめるみーくんに、やっぱり俺のこと忘れてなかったんだと嬉しくなった。
早く話しかけてくれと思うのに、でも何の連絡もしてこなかったことに腹が立って、強がって全然仲良くもないクラスメイトと楽しんでしゃべっているふりをしてしまった。
だからだろうか。みーくんは、話しかけてこなかった。話しかけないまま、また俺から離れて行ってしまった。
寂しかったし、悔しかった。意地張って話しかけない自分に。みーくんと離れてしまったことに。
どうしたらまた、みーくんと元の関係に戻れるのか。
そう思いながら、みーくんの家の近くまで行って、でもみーくんを訪ねるなんて勇気もわかなくて──何度もそんなことを繰り返していた。
「あれ?詩織?」
そんなとき、偶然まこ兄と会った。
みーくんの家から十分ほどのコンビニで、急に降り出した雨から逃れようと店に入ると、出て行こうとするまこ兄に声をかけられた。
「で、なにしてんの?」
「……」
なにも言わない俺に、まこ兄はため息を吐いた。
「こんなとこまで来るってことは、未央に会いに来たんだろ。今までなんの連絡も寄越さなかったのに」
まこ兄の言葉にちくりと胸が痛んだ。
「だって……、みーくんだって俺に全然連絡してくれなかった!」
やっとの思いでそう言うと、お前なぁとまこ兄は憮然とした。
「未央が自分から連絡できると思うか?あんなに遠慮して生きてるのに。多分、お前の邪魔になるかもしれないと思って連絡できないんだよ」
「……俺は、邪魔なんて思ったことない」
そういうことじゃないと言うように、まこ兄は頭をかいた。
「ま、未央と仲良くしたいんだったらお前から近づくことだな」
じゃあ俺は行くから、とまこ兄は立ち上がった。
「お前はもう、未央を見ても未央ってわからないかもな。今はもう俺より、お前よりも背が高い、だいぶ見た目も変わったからな。ま、知らないままでいたいならいいけど」
そのまままこ兄はひらひらと手を振って
「ま、俺は毎日一緒だけどなー!」
腹立つ笑顔を向けてから、雨の中走っていった。
「そんなのどうやって……」
急に家に電話するのもおかしい。偶然会えるなら今度こそ、その幸運にかけたい。
でもそんなことは起こらず、俺は何度もコンビニに行き、まこ兄が来るのを待った。
「な、お前高校どこ行くの?」
毎週同じ曜日、同じ時間に会うのが習慣になった頃、まこ兄に聞かれた。
「どこって──」
俺は家から徒歩圏内の安全圏の高校を言った。
「へー、じゃあ高校でも会わないな。未央は──」
まこ兄が言ったのは、俺が行こうとしているとこより偏差値が高い高校だった。
「みーくんが?」
「おー。詩織は小学校までのぽやんとしてる未央までしか知らんけどな、中学からは成績いいんだよ」
「へー………」
平静を装っていたけど、内心ドキドキしていた。
家に帰ってから、みーくんの志望校を調べた。
何とか頑張れば、俺も行けるかもしれなかった。
もうこれしかない、この機会にかけないといけないと思った。
そうして──
「しーちゃん」
「なに、みーくん」
俺がもたついているとまこ兄が協力してくれて(でもあの日のまこ兄は本当に財布を忘れていた)、やっとみーくんと再会して、話せるようになって、今では部屋に入れてもらえるくらいになった。
「しーちゃんの番だよ?」
久々のシーフージャートランプでの七並べで、圧倒的にみーくんに負けている。
敗因はわかっている。みーくんに気を取られてるから、トランプの並びなんて全然気にしてないからだ。
「なぁ」
俺はやっぱり揃わなくて、あぐらに肘ついたまま、どれを取ろうかと床に並ぶトランプを見つめるみーくんの横顔を見つめた。
「なぁに?しーちゃん」
こんなに甘ったるく呼ばれるのに、付き合ってないだなんて信じられない。
「あれ、なに?」
もうひとつ、俺はさっきから気になるものを目で指した。
「……棚だよ」
それはそうなんだが、乗っているものを俺が気にしているとは全く思ってないかのように、みーくんはきょとん顔だ。
「……」
「うん。あ、次しーちゃんだよ」
「おー」
気にはなるが、みーくんが俺に一途であることが具現化していると思っていいことにした。
「なぁ」
「なぁに?」
みーくんは俺のこと、好きだよな。
そう聞きたいのに
「なんでもない」
聞けないままだ。
みーくんから言ってほしいって、どうしても思ってしまう。
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好きなものがあるって、やっぱりいいな。
「お、棚復活したん?」
「兄ちゃん」
棚というのは、俺の部屋の壁に立てかけている、癒しスポットのことだ。
三段目にしーちゃんの小さい頃の愛らしい写真(若干俺も映ってるやつもあるが、しーちゃんが美しすぎるから気にならない)。
二段目がシーフージャー、今日しーちゃんからいただいたバッチも奉った。
そして一段目は、現在のしーちゃんのお写真。
お家に遊びに行ったときは断られてしまったが、やっぱり今のしーちゃんのお写真が一枚もないのは寂しいと言って、なんとか一週間に一回は撮らせてもらえるようになった(本当は毎日撮りたい)。
「お写真は毎週変えようと思ってるんだ」
「楽しそうだな、未央」
「うん、楽しいよ」
しーちゃんとの関係に終止符が打たれたと思った中学のとき、俺は棚を解体した。大事に大事に箱の中に入れて、クローゼットの奥の奥に、普段目に着かないところに入れ込んでいた。
それを取り出してきた。なんとなく、取り出しても大丈夫な気がしたから。
棚を前に、俺は思わず正座で手を合わせた。どうかこの日々ができるだけ長く続きますように。
「詩織とまた仲良くなれてよかったな」
「うん」
あの日兄ちゃんがコンビニに行ってくれたおかげだ。
前の、しーちゃんと会えなかった日々を思い出すとまだ泣きそうになるけど、でもそれを追い越すほどの喜びがある。
「遊びに行ったりしねーの?」
「そんな、しーちゃんの貴重な時間を俺が奪うなんてもったいない」
俺がないないと首を振ると、兄ちゃんが首を傾げた。
「お前、詩織をどう思ってんだ?」
「どうって?」
「あ~……、詩織とどうなりたい?」
「……」
急激に、頭の中が慌ただしくなった。
昔は、友達だった。憧れだった。しーちゃんのそばにいたかった。淡い淡い想いがあった。
でも今は、それだけじゃなくて──そばにいたくて、気持ちは前よりずっと質量があって、そばにいるだけじゃ足りなくて──
「ま、あとはお前がどうしたいかと、詩織が素直になれるかだと思うから」
考え込んでいる俺にそう言って、兄ちゃんは部屋に戻っていった。
どういうことなのか、まるで兄ちゃんは正解がわかっているかのようだった。
「……兄ちゃんには、わからないよ」
どうなりたいか、なんて考えられない。だってそれは先があると思えるから考えられることだから。
ずっとそばにいたい、ずっと俺のそばにいて欲しい。もっともっとしーちゃんに近づきたくて、いつも心に乾いたところがある。
でも、明日からも仲良くしてくれるなんて保証はなにもない。
あのときだって、まさか引っ越したらしーちゃんと何年も会えなくなるなんて思いもしなかった。
だから寂しいし苦しいけど、しーちゃんがしばらく俺に会いたくないって言うなら俺はそうしないといけない。また会ってほしから。
そう考えていると、ズキンと胸の中心が痛んだ。
思わず胸を抱えたまま横たわっていると、ピコンとスマホに呼ばれた。
見てみると『明日10時駅前』としーちゃんから来ていた。
それだけですっかり痛みがなくなった俺は、正座で『はい』と返事した。
明日はまだ仲良くしてくれる。それだけでも、俺には贅沢なことだ。




