1.覚えてますか
俺のこと、覚えてる?
そんなことも聞けないまま、日々は過ぎていく。
「悪いな、梨田。じゃあよろしくな」
「……うん」
バイト先にヘルプで呼ばれてるからと適当な嘘をついた彼は、絶対に悪いと思ってない軽い感じで、俺に日直の仕事を押し付けて行ってしまった。本当は今から何人かでカラオケに行くって知ってる。目当ての女子が来るから絶対に行くって言ってたのは、俺の耳にも聞こえていた。
でも、波風を立てない方がいいと知っているから、知らないふりして引き受けた。
うんざりした気持ちを身体から引きはがしながら、ホッチキスで3枚綴りのプリントを綴じていく。パチン、パチンと俺の周りだけ音が響く。
「わ、潮谷君いるよ。今日も超かっこいー!」
「えー、きれいでしょ?」
「いや、どっちもあるから」
窓から身を乗り出して騒ぐ女子の声に、俺はビクリと震えた。
「造形美がえぐい」
「わかるっ!髪型変わってからさらにヤバイよね」
「見すぎだからー」
声を上げて笑い合っているあの子達が、心底羨ましい。廊下側の俺に、その姿は見えない。
“しーちゃん“
小さな彼が俺の中で振り返る。
そう呼んでいたこともあった。
潮谷君──潮谷詩織と、俺は仲が良かった、と思う。保育園・小学校が同じで、ずっと一緒にいた。
潮谷君は幼い頃から誰が見ても美しく、目を惹く子だった。
出会いは保育園。俺はいやいや期で、保育園に行くのを全身全霊で拒否してた。保育園に着いても兄ちゃんから離れず、今から思えば先生をとても困らせていた。
困った兄ちゃんが、たまたま目立っていた潮谷君に俺を押しつけたのがすべての始まりだった。
ハーフかクオーターだとかで、碧眼に黒髪の彼は、その当時俺がハマっていた”海鮮戦隊シーフージャー”のシーフブルーと髪と目の色が同じで、俺はもしかしてシーフージャーが変身して子どもになったのかなと思った。
その日以降、保育園に着くなり隣のりんご組(俺はいちご組だった)の潮谷君の後ろをトコトコとついて歩くようになった。潮谷君は最初こそうっとうしそうにしていたが、俺のしつこさに諦めたのかもしれない。話してくれるようになり、笑ってくれるようになり、遊んでくれるようになった。
保育園を卒業し、小学校に上がってからもよく一緒に遊んだ。クラスが一緒の時は俺は潮谷君にべったりで、クラスが分かれてもお互いの家に遊びに行くこともあれば、両家族でキャンプに行ったりもした。
小学校を卒業する頃には、もう俺の気持ちは潮谷君にバレてたと思う。
俺より少し背の高い潮谷君は、年々美しさに磨きがかかり、そんな彼に名前を呼ばれるだけで俺はドキドキしていた。ちょっと意地悪で、とげとげすることを言われたりもしたけど、そんなところも含めて大好きだった。気持ちを隠すなんて無理だった。そういう目で見て、そういう対象として接してた。
今から思うと、なんておこがましかったんだろう。潮谷君もよく、そんな俺と仲良くしてくれてたなと思う。
でもずっとそんな日々が続いていくと、信じて疑ってなかった。
転機は、中学の時。小学校卒業前に、俺の両親は憧れのマイホームを購入した。その結果、俺は潮田君と別の学区の中学に通うこととなった。それでもなにも心配していなかった、だって潮谷君とはずっと仲良しだと思ってたから。
でも、実際は違った。
全く会わなくなった。遊びにも誘われない。
始めの方は、入学したばかりだし、部活動も決めないといけないし、きっと忙しいから、きっとそのうち連絡が来ると思っていた。でも、2カ月経っても、3カ月経っても、潮谷君から連絡は来なかった。
毎日、今日こそは連絡が来るはずと思って、でも全然来なくて、電話が鳴るたびに一喜一憂で──次第に俺は落ち込んでいった。
そんな日々を送って、紅い木の葉が降りしきる頃、俺は潮谷君を見かけた。本当に偶然、本屋に行った帰りに、学校帰りの彼を見た。俺に背を向けていた彼は、中学の友達と横断歩道が青に変わるのを待っていた。待っている間に後ろからまた一人やってきて、潮谷君を中心に楽しそうに笑い合っていた。潮谷君も一段と楽しそうに笑っていた。そんな彼を、俺は初めて見た。俺といるときには見なかった笑顔。
”しーちゃん、俺ここにいるよ”
”しーちゃん、気づいて”
祈るような気持ちで彼を見つめていたが、そんな俺にもちろん気づくわけもなく、信号が青になると潮谷君は横断歩道の向こう側に、俺の知らない彼の友達と一緒に行ってしまった。
そのとき、思った。俺はもう、潮谷君にとって必要のない存在になったんだなと。
それからはもう、潮谷君との思い出に蓋をした。どんよりした気持ちで毎日いたけれど、次第に凪のような日々を過ごすようになった。
そうして月日は流れ、俺は高校に入学した。
入学式の会場に入るとざわめく声が聞こえて来た。
「ねー、あの子めっちゃきれいじゃない」
「ヤバ、めっちゃかっこいい」
ふと注目の的を見て、俺は動けなくなった。
ダルそうに、足を組んで座っている潮谷君がいたから。
その姿を目にした瞬間、自分の内からぶわっと熱いものが上がってきた。蓋した気持ちが、開いてしまった。また会えてうれしくて、また会えて悲しかった。
だって潮谷君は、俺のことなんて覚えてないだろうから。
だから、クラスが違って俺は安心した。覚えられてないことをまざまざと知ることはない。2年に上がってからも同じクラスにはならなくて、俺はただ遠くから潮谷君を見つめる日々を送るようになった。
押し付けられた仕事を終え、職員室に書類を届けてから、俺はとぼとぼと家に帰った。
「お、おかえり未央。聞いてよ、さっきコンビニ行ったらさ」
「ごめん兄ちゃん、ちょっと疲れたから部屋で寝てくる」
リビングでテレビを見ていた兄ちゃんが話しかけて来たけど、俺は気分が滅入っていた。
日直の仕事を押し付けられるし、なにより今日は一度も潮谷君を見れなかった。
「はぁ~……」
深いため息をついてから、俺はベットに倒れこみ、朝までふて寝した。
「わ、なにしてんの潮谷」
「ちょっと、手が滑った」
だから、こういうとき、どうしたらいいかわからなくなる。
廊下を歩いていると、潮谷君がいた。俺はそっと、潮谷君の後ろに移動した。
今日も変わらずかっこいい。急に金髪にしたときはびっくりしたけど、白い肌にとても似合っている。
こんなに近くにいるなんて、小学校ぶりだ。自分でも気持ち悪いってわかってる。でも触れないし、話さないし、ただ少しそばにいるだけだからって。そんな言い訳で頭を埋めながら。
そうしていると、潮谷君が手に持っていた荷物を落とした。
それが今、俺の足先に散らばっている。なんならシャーペンなんて一回俺の足先にあたって、潮谷君へとリバウンドしたくらいだ。
急な状況に、俺は思わず固まってしまった。
「あー…、悪い」
そう言いながら、潮谷君は俺の前にしゃがんで教科書やらペンを拾っている。
緊張で動けなくなった俺だったけど、潮谷君を目で追っていると、何と俺の足の間に消しゴムが落ちている。
さすがに潮谷君に拾わせるわけにはいかない。俺はゴクリと唾を飲みこみ、きっと周りから見てもぎこちない動きだっただろう。三段階くらいでしゃがんで消しゴムを掴み、潮谷君に差しだした。
なにも言えないままの俺から、潮谷君は手のひらで消しゴムを受け取った。
「サンキューな」
「……」
「……あのさ、」
「潮谷ー、行くぞー」
「……おー」
ゆっくりと立ち上がった潮谷君は、そのまま俺に背を向けて行ってしまった。
姿が見えなくなってから、思いっきり息を吐いた。呼吸が止まってたことにも、気づかなかった。
次の授業、俺は全く集中できなかった。何年ぶりに、話しかけてもらえたのかって思い出すだけで震えそうだった。艶のある髪の間から見えた涼しげな眼もと、長いまつ毛。すらりとした鼻筋に薄い唇。久しぶりに間近で潮谷君を見た。それだけで心臓が高鳴る──けど、潮谷君にとって、もう俺は”ただの同じ学校の人”だっていうことも、同時にわかってしまった。
『あれ、もしかして』なんて声をかけてもらえるかと、一瞬でも思った自分を殺したい。
きっとそうだろうって、もう随分前から覚悟してたから、まだ傷は浅い。
でも、やっぱり、痛くないってことは、なかった。
「ただいまー……」
家に帰ると、兄ちゃんの靴と知らない靴の2足。兄ちゃんの友達がまた来ているんだろう。
今日は嬉しいことと、すごく悲しいことがあったから、心が疲れた。
結局俺は、今も潮谷君のことばかり考えて過ごしている。本当にもう、こんなこと止めないといけない。
重い足取りで階段を上がり、兄ちゃんの部屋を通過しようとした。
「お、おかえり未央。遅かったなー」
ちょっと傷心だったから、回り道をして川でぼーっと夕陽を見ながらたそがれていた。
別にそんなこと言うつもりもないから、ただいまとだけ言って部屋に入ろうと思った。
「ただいま兄ちゃ──」
そんな俺の足は、ピタリと止まった。目が、くぎ付けになって、体が動かない。
「こないだ買った漫画どこいったっけ?詩織に貸そうと思ったんだけど見つからなくてさぁ」
どこ行ったっけなぁと探す兄ちゃんのそばで、潮谷君があぐらをかいて座っていた。
「未央持ってる?なぁ、おい、どうした?」
兄ちゃんに強く揺さぶられ、俺は我に返った。
「あの、漫画、先週きた大学の友達に、貸してなかった?」
とても冷静ではいられない状況だけど、兄ちゃんが”詩織に貸そうと思ったんだけど”と言うから、俺の中の優先順位第1位の”自分の心情”はすぐに陥落した。
「先週……?あー、そうだわ!わりぃな詩織、返ってきたら貸すわ」
これは一体、どういう状況なんだろうか。
兄ちゃんと潮谷君が俺の目の前でしゃべっている。全く状況に追いつけない。
「俺ジュース取ってくるわ。未央も部屋入っとけよ、さっきお菓子買ってきたから」
「え、あの、兄ちゃ──」
俺の返事も待たずに、兄ちゃんはどたどたと階段を下りて行った。
恐る恐る、兄ちゃんの部屋を見ると、私服姿の潮谷君がじっと俺を見ている。制服姿もいいが、私服姿もすごくいい。スウェットなのに足が長いのがわかるし、立ち上がったらもっとスタイルの良さが強調され──ってそうじゃなくて!
うっかりいつもの癖で潮谷君を見つめていたが、不思議そうに見上げてくる潮谷君に俺はなにも言うこともできず、かといって動くこともできないまま、永遠にも続くような気まずい心地で数秒を過ごした。もう逃げるしかないと、自分の部屋へすり足をすると
「おい」
部屋の中からの声に、俺は静止した。
「こっち来いよ」
その声に、俺が従わないわけがなかった。




