第69話 滲み出る不安の足音
ドレスの注文を終え、家に帰る前に折角だからとランチを食べることになった。
ここ数年のお父様はヘーゼロッテ領にとって必要なものを見極めるように積極的に領民と関わっているため、行く先々の店でも『領主様』として顔を知っている人がちらほらといる。
直接の知り合いでなくとも、だ。
そのせいかランチのために立ち寄った料理店でも店長に驚かれた。
店長は貴族の口に合うものなんて出せないと困った様子で断っていたけれど、厨房の奥さんはお父様がしょっちゅう普通の店でも食事しているのを知っていたのか「うちの店にも箔が付くだろ、断ってるんじゃないよ!」と喝を入れられていた。
店長さんの気持ちもわかるだけにちょっと申し訳ないわね。
なにはともあれ食事をできることになったので、私たちは揃って魚介パスタを注文した。じつは店の前を通るたびに気になっていたから頼めて嬉しい。看板に描かれているイラストからして美味しそうなのよ……!
そうワクワクしている私とは反対に、お父様は困った笑みを浮かべていた。
「店の人に気を遣わせてしまったみたいだ。気づかれなければ外で買い食いしててもなにも言われないんだけれど……」
「お父様もお母様も領民との関わり方を変えましたもんね。顔が知れ渡るのも仕方ないことですよ」
それにこういう形で顔が知られるのは誇らしくもある。
そう伝えるとお父様は照れ笑いを浮かべて嬉しそうにした。
店内ではお父様を知らないらしい旅人や観光客にまで奥さんが「あれがウチの領主様だよ!」と豪快且つ丁寧に説明していた。これは更に知れ渡っちゃいそうだわ。
届いた魚介パスタはアサリやイカ、そしてぷりぷりのエビなどが入ったボリュームのあるもので、前世でいうペスカトーレに似ていた。
出汁がよく出ていていつの間にか食べ終わってしまい、できることならもう一度味わいたい気持ちになる。次はお姉様も連れて来ましょう、うん、きっと喜ぶわ。
そうやってほくほくしながら食後のお茶を待っていると、お父様が声を潜めて訊ねてきた。
「ヘルガ、これは外で話すことではないんだが――家の中のほうが障りがあるから、ここで話してもいいかい?」
「……? はい、なんですか?」
「例の忌み子発言に関してだ」
一瞬で体温が下がった気がした。
お父様はレネの誕生日パーティーの日に中庭でお祖父様たちの会話を断片的に把握している。
読唇術で知るという特殊な状況だったため、同じ音の別の言葉を聞き間違えたんじゃないかと誤魔化しておいたのだけれど……お父様は独自に調べると言っていた。
もしかして私とレネが長い期間かけて調べたことをすべて調べ上げたのかしら。
お父様は抜けたところがあるけれど、時々人間離れしたことをするからありえなくもない。話次第では誤魔化しきれなくなるかも、とドキドキしながら続きを促すとお父様は小さな声で言った。
「ヘーゼロッテ家には以前から忌み子の逸話が存在していたみたいだ。身内の中で徹底的に隠していたのか、婿養子として潜り込む前に調べた時には欠片も出てこなかったけれど」
「そ、そうなんですか」
「今は僕も長い間ヘーゼロッテ家の一員をやっているからね、それを利用して調べ回ってようやく知ることができたよ」
お父様、やっぱり油断大敵だわ……!
「最後に噂されたのはお義父さんの若い頃だった。その頃になにか事件が起きたようだけれど、詳細まではわからなかったな……」
「それだけ昔のことなら気にしなくてもいいんじゃないですか? お祖父様もその頃の名残りで口にしちゃっただけかもしれませんし」
「それもあるかもしれないね、ただ……あの日の問答での態度は今まで見たことがないものだった。お義父さんはずっとヘルガに対して気に入らない部分があったのかもしれない」
あの時のお父様は色々と取り乱した後だったけれど、きちんと私たちの話を聞いていたし覚えていたらしい。すぐに慰めの言葉もかけてくれたものね。
心底心配した様子でお父様は私の頭を撫でた。
「気をつけるんだよ、ヘルガ。お義父さんのことも気になるけれど――情報を調べる過程で気になることがあってね」
「気になること、ですか?」
「さっき話した事件が原因で居場所を追われた者がいたらしい」
それは初耳だった。
お父様はレネの情報網とは別の角度から調べていったのかもしれない。
「……僕の一族を見てもわかる通り、居場所を奪われた恨みでとんでもないことをする人間はいるものだ。だから変な奴にはついていっちゃダメだよ、声をかけられたらすぐに大きな声を出して――」
「お、お父様、私はもう小さな子供じゃないので大丈夫ですよ」
どうやらお祖父様の件でお父様はかなり心配性になっているみたいね。
ヘーゼロッテ家が色々な恨みを買っているのはすでに理解している。それに一族単位で恨まれてるならお父様たちも例外じゃない。
だからお父様も気をつけてくださいね、と言うとお父様は心配する娘に感動したのか目を潤ませた。親ばかも加速している気がするわ。
ひとまずどちらの件も気をつけていこうという結論に達し、食事を終えた私たちは会計を済ませて店の外へと出た。
昼下がりの街中はまだまだ賑わいを見せており、店の呼び込みや新商品を宣伝する商売上手たちの声が聞こえる。
少し歩くと広場で芸を披露する旅人も見ることができるけれど、あんな話をした後なので日が暮れる前に帰ったほうがいいかもしれない。
今夜はヘラの姿でレネのところへ行って新しく得た情報を共有しましょう。
そう考えながら道を歩いていると、道ゆく親子連れがハンカチを落としたのが見えた。それを拾って届けると親子は落としたことに気づいていなかったようで、頭を下げて感謝してくれたのでホッとする。
お父様も止まって見守ってくれていたけれど、これで最初より二歩分ほど距離が空いてしまった。
歩き始めてまた隣に並ぼうと足を早めかけたところで、真横の細い路地から筋肉質な腕が伸びてきてギョッとする。
その腕は私を路地に引き込むと凄い力で口を押さえてきた。
「!?」
「ほら、早く行くぞ!」
これは私に向けられた言葉ではない。
この角度からじゃ見えないけれど、後ろにふたりほど仲間がいるみたいだった。
私に絡みついた腕はびくともしないし、声を出して助けを求めようにも口が塞がれていて満足に喋れなかった。
そうしている間にもずるずると引きずられて大通りの景色が遠のく。
私を捕まえた人たちは細い道を更に曲がって別の路地に入ったようだ。
この大通りには様々な場所から繋がる細い道が多く、つまりお父様が急いで路地に飛び込んだ時点ですでにそこに私たちの姿はなかったことになる。
見失っている間に犯人は逃げ放題だ。
(影の動物たちで攻撃する? でも普通の人間だったら殺してしまうかも)
なにかの勘違いでこんなことをしてしまった可能性も現時点ではある。
その場合は殺すのは本望じゃない。
咄嗟に判断がつかず、しかしこのままなすがままになっていても最悪の事態を招くだけな気がした。
(声……そうだ!)
私は影のクロヒョウを呼び出すと、そのクロヒョウに攻撃ではなく全力で吠えることを指示した。
驚いた男たちがそれで逃げてくれれば良し、駄目でも私の力を知っているお父様に知らせられるし、そもそもこんな街中で肉食獣の声がすれば誰かが見にきてくれるかもしれない。
すると男たちは驚きの声を上げたけれど――私を離すことはなかった。
むしろ担いででも無理やり離れようとしている。
どうやらクロヒョウを私が呼び出したものだとは思っていないらしい。
思いきり引かれた腕が軋んで痛みが走る。
その時、私たちの上を黒い人影が飛び越え、男たちの前にお父様が着地した。
わ、私の見間違いでなければ屋根の上から降りてきたような……?
とんでもない方法で追いついたお父様は護身用に持っていた剣を引き抜くと一閃、二閃させる。そしてそう間を置かずに男たちがバタバタと倒れた。
自由になってすぐに確認したけれど、どうやら死んではいないらしい。
ホッとしているとお父様が「まずは自分の身を心配するべきだろう……!?」と慌てた様子で駆け寄ってきた。
「す、すみません、そうですよね。その……お父様の手をまた汚すわけにはいかないと思ってしまって……」
「それは嬉しいが、っ……ごめんよ、ヘルガに怒ってるわけじゃないんだ。怪我はないかい?」
腕は痛いけれど切り傷を負ったり骨折したということはない。
そう確認して伝えるとお父様は心の底から安堵した顔で私を抱き締めた。そして未だに倒れたまま呻く男たちを見下ろす。
男たちは急所は外れているものの痛みの強く出る場所や足を斬られたらしく、痛みに耐えるばかりで逃げることすらできないでいた。
「――とりあえず、コイツらには後でよく話を聞くとしよう」
ドスの効いた声が怖いわ。
人攫いか強盗か、はたまた他の目的があったのか。
彼らがこんなことをした理由は本人に直接問い質せばわかるはず。
さっき聞いた追放された人間の話が脳裏を過ったけれど……その人たちが関わっているのかどうか今すぐに知るすべはないため、それも問うまでわからなさそうだ。
なんにせよレネに話すと心配されそうだし、お姉様やお母様にも心配をかけてしまいそうね。なるべくマイルドな伝え方を今から考えておかないと。
それに。
(……お祖父様がどんな反応をするか……)
折角健やかに育ってなんの心配もいりませんよとアピールしてきたのに、こんな事件に巻き込まれたと知ったらお祖父様がどんな考えに至るかわからなかった。
最後の大舞台を前に幸先が悪い。
そんな複雑な気持ちを抱きながら、私は未だに抱き締めたまま離そうとしないお父様の背中を優しく撫でた。




