第67話 就寝前の訪問者
デビュタントパーティーの日が刻々と近づいている。
レネを紹介したあの日からお祖父様に動きはなかった。
――もしかして本当に思い直してくれたのかもしれない。
そうソワソワしてしまったけれど、当たり前のことながら本人に確かめることはできないので、私はこのまま当日まで様子を見ることしかできなかった。
万一のことを考えてレネのアドバイス通り常に影の動物を護衛として忍ばせているけれど、それを活かす瞬間が来ないことを祈るばかりだ。
(もし、もしお祖父様の問題が解決したら……これからはなんの心配もせずに自由に生きられるんだわ)
前世で死んでから新しく得たこの人生は楽しかったけれど、半分近くは心から楽しみきることはできていなかった。
七歳の誕生日に自分が家族三人から命を狙われていることを知ってから、常に警戒したり今後の対策について考えていたように思う。
そうやってお姉様の件を解決し、物騒なことにはなったけれどお父様の件も解決した。今では良好な関係を築けている。
そんな長かった奮闘が終わりを迎えたなら――本当の意味で新しい人生を楽しみながら生きていける気がした。
そうすればきっと、夢のように望んでいた順風満帆で幸せな人生になる。
(あと少しでそんな人生が手に入るかもしれない。だから……)
今はまだ、気を抜かずに頑張ろう。
一日の予定を終え、部屋の窓から外の景色を眺めながらそう思う。転生してすぐは慣れない世界に困ることもあったけれど、今ではかけがえのない故郷のひとつだ。
この世界で自由に生きるために、もうひと頑張りしましょう。
そんなことを考えながら寝支度をしているとドアがノックされた。
こんな時間に? と念のため影のアリに意識を移して鍵穴から廊下の様子を窺う。
三日おきにレネの元へ飛んでいるのが訓練になっているのか、こうして影の動物に意識を移したり戻したりするのもかなりスムーズになった。
そうっと廊下に目をやると――そこにいたのはお母様だった。
しかも胸の前で両手になにかを握っている。
お母様もノーマークというわけではないけれど、一番初めの頃から私を心から愛してくれている人のひとりだ。
でも……もしお母様がお祖父様の考えに同調していたらどうしよう。
ついそんな不安が首をもたげたものの、よくよく見れば握っているのはブラシだった。今より幼い頃によく私の髪をといてくれたブラシだ。
頭の中にクエスチョンマークを浮かばせつつも体へと戻り、ドアを開けて出迎えるとお母様は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「こんな時間にごめんなさいね、ヘルガ。もしよかったらあなたの髪をとかせてくれない? たぶん侍女がやった後でしょうけど……」
「髪をですか? はいっ、じつはさっきベッドでゴロゴロしちゃって……また髪が乱れたのでお願いします!」
部屋の中に招かれたお母様はベッドに腰掛け、私の髪を丁寧にといてくれた。
これだけのために部屋まで来てくれたのかしら?
小さな頃ならたまにあったし、私から両親の寝室へ行って髪をといてもらったことも多いけれど、成長してからはその頻度もだいぶ落ちていた。
私がこうしてもらうのが好きだったように、お母様も私の髪をとくのが好きだったのかも。そうちょっと自惚れてしまう。
「……ヘルガ」
「はい?」
「私ね、なんだかちょっぴり寂しくなってしまったのよ」
そう穏やかな声で言いながらお母様は髪を整えていく。
「あなたとレネ君の仲はずっと応援していたけれど、イベイタスお父様も認めてくださったでしょう?」
「はい、あの時は凄くドキドキしました」
半分以上は別の意味でのドキドキだったけれど、とりあえず嘘ではない。
お母様は「そうよね」とくすくすと笑うと話を続けた。
「あの時、あぁこの子も近いうちに本当の意味で大人になって巣立ってしまうんだなと思ったの。……いつかは必ず大人になるのにね」
「お母様……」
「それに、ほら、メラリァも最近は舞踏会や晩餐会によく出ていってるでしょう?」
「はい、交友関係を広げるって息巻いてました」
「あれって貴族間のお見合いも兼ねているのよ」
お見合い!? とギョッとしてしまう。
デビュタントを終えた後もお姉様は嫁ぐ気配もなく日々お父様に目をキラキラさせていた。その上で勉強を続けていたので、このままヘーゼロッテ家を継ぐんだろうなと私は思っていたのだけれど……。
いや、嫁入りのためじゃなくてお父様みたいに婿養子に来てくれる人を探すためなのかも。
そう色んな予想をしながら目を白黒させているとお母様がまた小さく笑った。
「メラリァも最終的にどうするか迷ってるんだと思うわ。だから今のうちに色んなことに挑戦しているのね」
「なるほど……」
「娘ふたりがこうやって大人になっていくことは、親としては嬉しいことだけれど寂しくなってしまったの。だから久しぶりに髪を整えてあげたくなっちゃって」
要するに甘えにきたのよ、とお母様は微笑む。
これは私もお母様に甘えさせてもらっているようなものだわ。くすぐったい気持ちになりながら「ありがとうございます」とお礼を口にする。
「お母様、これから私たちがどんな大人になっても、お母様とお父様の娘であることは変わりませんよ」
「……! ふふ、嬉しいことを言ってくれるのね」
「お母様こそ。私……素敵な大人になってみせるので、お母様もしっかりと見ていてくださいね?」
私が大人になるには最後の試練を乗り越えられるかどうかにかかっているけれど、それは同時にお母様にこれからも笑顔でいてもらえるかどうかにも繋がっていた。
命が狙われている件について穏便に済ませたかったのは私の今後のためだけれど、お母様の顔を曇らせたくないというのも大きな理由のひとつだ。
これだけ娘のことを想ってくれている人だもの。
悲しい思いをさせるわけにはいかないわ。
私の髪をとき終え、嬉しげに「次はメラリァのところへ行くわね」と手を振ったお母様を見送りながらそう思う。
お祖父様には私が生きていても大丈夫だと納得してもらう。
お父様には真実を黙ったまま今と昔の罪を償ってもらう。
お姉様にも真実を伏せたまま私の許しを受け入れてもらう。
これでお母様も今まで通り笑顔で過ごせるはず。
――騙しているような罪悪感は未だにあるけれど、この気持ちごと沈黙するという罪を背負うのが私のすべきことだ。
お父様たちにだけ背負わせてはならないものだから、罪悪感にはなくなってもらっては困る。
(明日はデビュタントパーティー用のドレスを注文しに行くんだったわね。よし、引き続き頑張りましょう!)
人気店だから家に呼びつけるより直接行ったほうが早いらしい。
不透明なことが多くて不安は残るけど、目標のためにこうして一歩ずつ確実に進んでいきましょう。
そう決意を新たにベッドへ横になる直前、再び窓から外を見ると――空には相変わらず綺麗な星々が瞬いていた。




