第19話 ヤモリの見たもの
ヤモリの目を通して怪しい動きを確認できたのは一週間が経った頃だった。
初めの頃はさすがに二十四時間ずっと見張っているわけにはいかないので、視界を共有するのは『お父様が自室に居る時』に限定してたわ。
手紙を窓際に置いていくという手段もあるけれど、これはうっかり誰かに見つかる可能性があると思うの。周辺は手入れされているからメイドや庭師が出入りしているだろうし、それはお父様もわかっているだろうから。
だから自分の手で確実に受け取れるタイミングにするはず、と予想してのことよ。
もし予想が外れてもお父様が手紙を回収するところは見れるはず。
ただし、自分の睡眠時間は確保しなくてはならない。
意識を移している間、私の肉体は眠ったような状態になるけれど、べつに睡眠をとれているわけではないから夜通しそのままだと寝不足になるのよ。……前に一度試したわ。翌日はもの凄く寝不足だった。
これも二十四時間見張っていられない理由のひとつね。
マクベスの件もあるし、怪しまれる要素はなるべく少なくしないと。
その代わり監視が手薄になるのが気掛かりだったけれど、三日目くらいにあることに気がついた。
意識をリンクしていなかった期間中に影の動物が見たものを、次回のリンク時に記憶として見返すことができたのだ。
お父様にまだ習っていないことだったから少し不安だったけれど、それはつまりお父様も私がこんな使い方をできると早々には予想できないということ。
なら活かす他ないわよね。
見返せる記憶は肉眼で見た時より劣化していて完璧なものではなかった。録画したものを見ているような感覚と言うべきかしら。
けれど――幸いにもその記憶の中に、真っ黒なコウモリが手紙を持って窓に寄っていく光景が残っていた。
お父様は念には念を入れて夜中に受け渡しをしていたらしい。
力の新しい使い方に気づけてよかった……と安堵しつつ続きを見ていると、窓際に現れたお父様がコウモリから手紙を受け取った。
そのまますぐに窓を閉める。
コウモリも用は終わったと言わんばかりの様子でその場で掻き消えた。
……やっぱり影の動物だわ。
(そして今、お父様の手元には一番新しい手紙がある。……内容は予想がつくけど、レネに知らせて確認したいところね)
でも、その前にもうひとつやるべきことがある。
お父様の自室の不在時間はこの期間中に大体わかった。
時期によって少し異なるけれど、注視し始めたのが最近なので新鮮な情報しか手元にないのは願ったり叶ったりだ。
この季節、お父様は昼の休憩時間に中庭で剣の素振りをやっているらしい。
アシュガルドの王様は剣技がお好きで、城で催しをする際は参加した貴族にもなにかしら披露するように言うらしい。
もちろん見せ物程度のものだけれど、あまりにも酷いものを披露するとそれはそれでメンツが潰れるので、大抵の貴族は多少は鍛えているそうだ。
……と、メイドが言っていた。
使用人の耳、侮るなかれだ。
(この情報を活かしてひきだしの鍵の場所を特定しないと)
鍵を見つけることができれば、お父様のうっかりを待つことなくいつでも中身を確認することができるわ。
もし持ち歩いていたらそこまでだけれど、それは部屋の中で見つからなかった時に確かめましょう。
(まず下調べは影の動物でやって、実際に探すのは自分の手でやろうかしら)
見つかりにくいサイズの影の動物だと、潜り込むのは簡単でも鍵が目視できない場所にあった場合はなかなか探すことができない。
例えば今回作ったヤモリで『中に物を入れられるよう細工がされた本』みたいなものがないか探るのは難しい、そんな感じだ。
だからといって探すのに適した影の動物を使うのは見つかった時が大変だ。
仮にお父様の部屋に影の猿がいたら――犯人は確実に私ってことになるじゃない?
それなら私本人が忍び込んでいたほうがまだマシだ。「お父様の部屋にいたずらしようと思って……」とか少し苦しいものの言い訳ができる。
だから初めから詳しく調べるのは後回しにして、下調べだけに力を注ぐわ。
(危ないけど……レネにはもっと危ない橋を渡ってもらってる。私も頑張らないと)
一歩前進したことを喜びつつ、巻き込んだ人のことを考えて気合いを入れ直す。
――ここでもし失敗しても、その原因が油断だったなんてことには絶対にしたくなかった。
***
まず鍵の場所を探るために送り込む影の動物について決める。
ヤモリをそのまま使ってもいいけれど、見つかった場合は屋外とは比にならないほど目立ってしまうと思う。
公爵家邸は掃除が行き届いており、お父様の部屋も例外ではない。
恐らくお父様の部屋も掃除に入っている担当者がいるのだろうけど、さすがに使用人はひきだしの鍵がかかっていないからといって中の手紙を見たりしないのか、今まで騒ぎにはなっていなかった。
……そう思うと興味本位とはいえ覗いちゃった私の前世の育ちの悪さが見えるわね。おかげで危機を察知できたのだけれど。
まあそれはそれとして。
(たしか前に爬虫類が苦手で大騒ぎしていたメイドがいたから、ヤモリはやめておいたほうが良いかも)
壁や天井に張りつくことができて探しやすいものの、デメリットを考えて今回は別の子にすることにした。
屋内にいても疑われにくく、コストが低く、機動性に優れ、少なくとも目がある生き物。
採用するならこの辺りだ。
結果、私は小さな羽虫を影で作り出すことにした。
こんな小さなものに意識を移して大丈夫なのか心底心配だったけれど、部屋で練習してみた感じでは慣れればなんとかなりそうだ。
動物って言葉は脊柱動物に意識が向きがちだけど、昆虫や貝なんかも含むから問題ないわよね。
練習中を除いて窓の監視も続けていた。
お父様が手紙を受け取るところは見たけど、返事を送るところは見ていなかったからだ。
一応確かめておこうって程度のつもりだったものの――私の予想とはいえいつもはすぐに返事を返しているようだったのに、今回はその気配がない。
でも見れていなかった時間やなにか別の方法で送った可能性もあるし、もしかすると返事のいらない内容だったのかも。
とにかく想像しかできないので、今は一番新しい手紙の内容を確かめてから議題に上げた方が良さそうだ。
そして昼前、お父様の部屋の前まで足を進めた私は立ち止まって深呼吸をした。
ノックをして深呼吸する。
「お父様、いらっしゃいますか?」
返事はない。しかしもう一度同じように繰り返すと、慌てた様子で「あ、ああ、ヘルガかい?」と返答があった。
そのまま入るよう促されてドアを開ける。
そうして私はお父様の部屋に足を踏み入れた。
「ランチの準備ができたと聞いたので呼びにきちゃいました。今日はお父様の好物のイチジクパンですよ!」
服の裾に隠した、影の羽虫を伴って。