8.コーヒーの香りに誘われて
「私の勝ちですねっ。」
ただの訓練戦。審判などはいないため、莉瀬のその言葉で試合は決着となった。だが、刃が首に当たる寸前で止まっているこの状況を見れば、誰しもが莉瀬の勝ちだと言うだろう。
「....?」
外で見ていた三人は、突然の決着に混乱し首を傾げていた。
すぐに起き上がり、ナイフをしまう莉瀬。京助はまだ混乱している様子でズレたままの眼鏡を直すことも無く動かない。
「何があったぁ?!莉瀬ちゃん、能力無効化使ったのかなぁ?!」
ガラス窓にへばりつき、食い入るように中の様子をみる彩葉。
「な、何がどう....なった....。」
やっとずれた眼鏡を押さえながら立ち上がる京助。莉瀬と戦った本人ですら、状況がよく分かっていない。
すると、莉瀬が解説を始めた。
「まず、一つの事に集中していても、脳内に浮かぶ思考は一つじゃない。そして貴方の能力は、その思考の声が脳に響いてくる。色々考えていれば、あなたの脳内ではうるさく思考の声が響く。それは、貴方の能力を分析して分かりました。」
能力を分析し、相手の能力を詳しく知り利用するという、能力操作の強みを最大限に生かした莉瀬。
「そして、強く思ったことは、分かりやすく脳に届きますが、そうじゃない思考は届きづらい。つまり、全ての思考が聞こえているわけではないんですよね、きっと。私はそれを利用して、一つの思考を繰り返し脳内で繰り返し、本当の思考を隠しました。それに、あまりうるさいと、気が散るでしょっ?それも目的でした。」
莉瀬の作戦に気づけなかった理由が分かり、感心し頷く京助。どこまでも莉瀬の方が上手だ。
「....あれ、けど結局ただの力勝負で勝った訳では無いし....本題とはズレていますかね....。」
得意げに解説をしていた莉瀬だったが、突然顎に手を当て冷静に考え始める。
「いや、謝罪する。ただの力勝負に持ち込ませないというのも一つの戦術だ。けど、力勝負でも君には勝てなかったと思う。それくらい、君はちゃんと戦闘能力や力もあった。足を持ち上げられた時は驚いた。華奢なのに、力もあって凄いな。」
だが、京助は戦いの結果に不満など抱いていなかった。
「舐められるのはむしろ私からしたら好都合です。相手が油断してくれるので。非力そうに見せるのも一つの戦術ですねっ。」
「すまなかった。酷くて失礼なことを言った。君が羨ましくて、ついカッとなってしまった。」
その上、人が変わったかのように優しく微笑み莉瀬に頭を下げた。
「....。」
あまりにもすんなりと謝罪をする京助に莉瀬は驚き言葉を失った。すると
「いやー、俺からも謝るからさ許してくれないかなぁ、ごめんね。」
外で見ていた翔明が手を合わせながら訓練室内へと入ってきた。続けて彩葉と朝陽も入室する。彩葉は莉瀬が勝ってご満悦のようで満面の笑みで拍手をしている。
「怒っていたわけではないので、大丈夫ですっ。それにいい訓練になりました。ありがとうございました。」
一番感情的になっていた彩葉も、まるで自分が勝ったかのように清々しい顔をしている。敢えてもう一度言おう。戦ったのは莉瀬である。
「って、もうこんな時間じゃんっ?!お昼食べに行こう!」
彩葉が携帯電話の時計を見て驚きながら腹に手を当てた。色々なことをしているうちに、気づけばとうに正午を過ぎていた。
「じゃあここらで解散かなっ。」
翔明もそう言い、そのまま五人は訓練室で解散した。
「さ!お昼外で食べる?食堂で食べる?」
訓練棟の外に出ると、強い日差しが三人を照りつけた。お腹を空かせた彩葉は早く食事をしたいらしく、ソワソワとした様子で莉瀬と朝陽に意見を求めた。
彼女の頭の中には恐らくいくつもの料理が浮かんでいるのだろう。ぼんやりと空を見つめ、口が半開きだ。
「食堂以外で食べてもいいの?」
首を傾げながら問いかけた莉瀬。それもそのはず。
八咫烏には食堂があり、隊員は皆そこで食事をしていた。そのため隊員は隊内で食事をする事を強制されているのだと思い込んでいたのだ。
だが、八咫烏は莉瀬の想像ほど厳しくないらしい。
「いいよーっ!なんなら待機の日も、近場でだったら食事する隊員も多いし!パトロールにもなるから、隊服のまま街でご飯食べるのはむしろいい事なんだよね!」
「そうなのね、知らなかった....。」
意外と自由に生活ができる事を知りほっと胸を撫で下ろす。だが思い返せば、確かに八咫烏は自由な組織だ。でなければ元婚約者の成宮蓮が頻繁にディナーに誘ってはこれないだろう。
「せっかくだから外の方がいいんじゃないか?ここら辺の土地も知っといた方が楽だろうし。」
「そうだね!ならそうしよぉーっ!」
朝陽の助言もあり、三人は外で食事をすることに決めた。軽い足取りで基地の主要な出入口へ向かう彩葉の後を着いて行く二人。
だが、三人はとあるものを目にし、足を止めた。
「能力正当化反対!」
「反対!」
「八咫烏活動反対ー!!」
「反対ー!」
「メドゥーサ狩り反対!」
「反対!」
主要出入口の前で、八咫烏に対する抗議のデモが行われていたのだ。
八咫烏は能力悪用者やメドゥーサを取り締まっているものの、メドゥーサ狩りに不満を持つ人、能力という存在を使用し国の英雄となっている八咫烏に不満を持つ人。世の中には様々な人がいるものだ。
そのため八咫烏に対する不満を持った人々により、度々こういったデモは行われている。つまり彩葉達からすれば日常茶飯事ということだ。
「慣れてね、こういうものだから。」
珍しく彩葉が真剣な面持ちでそう呟く。
きっと彼らにも色んな出来事や思いがあり、今こうしてデモ活動者としてあそこに立っているのだろう。
莉瀬はその光景をじっと見ながら小さく頷いた。
ーー誰も悲しまない世界を作るために、私が頑張らないと
「こういう時はー、主要出入口使ったらものすーごい活動者に絡まれて面倒だからー、別の出入口から行くんだよぉーっ!案内になるからちょうどいいね、行こ!」
数秒前とは人が変わったかのように彩葉はまたいつもの明るい大きな声をあげた。
彼女の本当の性格はどれなんだろうと少し疑問を抱くも、その事には触れない莉瀬だった。
ーーー
八咫烏は市街地に基地を構えているため、近場には生きていく上で必要な施設が揃っている。もちろん様々な種類の飲食店も。
世間は平日とはいえど繁華街は人で賑わっていた。
「どのお店も結構混んでるね〜、並ぶ?」
「裏路地の方の店行ったら並ばずに済むんじゃないか?」
「見に行ってみよっかぁ!」
特にこれが食べたいといった希望の無い三人は、比較的空いている店を探すために裏路地へと行った。
「....。」
莉瀬がとある店の前で立ち止まった。視線の先にはモダンな雰囲気の喫茶店がある。一見閉店しているように見えるが、手入れされていない蔓の隙間から見える看板には«喫茶モミノキ»と書かれており、ドアにかかる札にはOPENと書いてある。そしてなにより、コーヒーの香りが外までほんのりと漂っていた。
「喫茶モミノキ....へーっ!いいじゃんっ!入ってみよぉ!」
躊躇することも無く彩葉が店のドアを開けた。よほどお腹がすいていたのだろう。
人の気配も無く薄暗い店内。裏路地とはいえ繁華街のすぐ側の喫茶店だが、営業しているかも怪しいその店に客が居ないのは正直納得だ。だが、コーヒーの深みある香りが広がっており落ち着く雰囲気の店内。
彩葉が大きく息を吸いコーヒーの香りを体全体で堪能した時。
「あら、いらっしゃい。....八咫烏の子が来るなんて珍しいねぇ。お好きな席にどうぞっ。」
カウンターの奥からゆったりとした話し方の色の白い老婦人が現れた。どうやら彼女が店主らしい。
窓際の席に座り莉瀬はドリア、彩葉はピラフ、朝陽はナポリタンを注文した。
「ちょっと時間がかかるかもしれないけどいいかしら?」
「はい!大丈夫でーっす!むしろ一気に頼んで大丈夫でしたかっ?」
「ふふふっ。もう何十年もお店をやっているから、そこは大丈夫。美味しいのを作るから、少し待っていてね。」
老婦人は柔らかい笑顔を見せながら厨房へと戻り、手際よく調理を始めた。
「八咫烏の子が来るなんて久々だから嬉しいねぇ。」
「最近は八咫烏の人来ないんですか〜?」
代表して彩葉が店主の老婦人と会話をする。初対面の相手と会話をする上で、フレンドリーで明るい彩葉は三人の中で一番適任だ。
「えぇ、まぁ元々お客さんが多いお店では無かったけれどもね。表の通りにカフェができてからこっちはめっきり。いつも通ってくれていた子も突然来なくなってね....元気だといいのだけれど....。」
老婦人の言葉を聞いて三人の顔が曇る。三人の頭の中には同じ言葉が浮かんでいる。八咫烏の戦闘部隊員だからこその言葉。
“その人は生きているのか“
「....あぁ、暗い話をしてごめんなさいね。大丈夫、最悪の可能性も頭にはあるわ。」
「そ、そうなんですねぇー。あ!良かったら、その人の名前!教えていただけませんか!もしかしたら知ってるかもしれないし!!」
最悪の可能性、つまり既に殉職しているかもという想定は出来ている老婦人。
それを聞き、もしその人が殉職していたとしてもその事実を伝えられると思った彩葉が提案した。
「えぇっとね、よく三人で来てくれていたのだけれど、一人の子の名前しか覚えてなくてねぇ....。その子の名前は確か....康久....くん....だったかしら。」
「朝陽知ってるぅ?」
「いや、知らないな。」
二人とも康久という名前に心当たりはなかった。
ーーー
時は変わり、翌日の夕方。
「九十九康久だ。今日の任務、よろしく頼む。」
ーー康久....、康久....?!
「名前は確か....康久....くん....だったかしら。」
ーー昨日喫茶店の店主さんが言ってた方だわ....!
莉瀬は老婦人の言っていた隊員と二人でホテルの警備任務と出向こうとしていた。