前編
僕の右腕が透明になってから、半年が経った。
今日も指から肘までが、ガラスのように透けている。
それを革の手袋で隠し、きっちりと長袖を着こむ。
玄関に掛かったヘルメットをかぶり、ゴーグルをつける。
ライディングブーツに両足を突っ込み、ドアをあければ五月晴れ。
暑くなりそうな予感にうんざりしながら、僕は室内に声を飛ばす。
「リク、行くよ」
奥からのっそり歩いてきたのは、黄土色の甲羅。相棒のケヅメリクガメだ。
甲羅の区画――甲板のひとつひとつが、山のように尖っている。
リクはマイペースに外に出ると、僕のバイクへと向かう。
FVK400。
白カウルと赤フレームのスポーツバイクは、タイヤが太くて、ライトがでかい。
フレームにつなげたサイドカーは、ボディカラーがバイクとおそろいだ。後方に、特注のドア。あけると、リクは慣れた動きで、サイドカーへと乗り込んだ。
サイドカーのドアをしめ、バイクにまたがりキーを回す。
体の芯まで轟くエンジン音に、僕の鼓動は速くなる。
「今日こそ、色喰いウサギを殺してやる」
力強くアクセルを回すと、バイクは風を切って発進した。
だんだん悪路になる登山道を、バイクで走る。ケツが痛いから立ち乗りだ。
これ以上進めないところまで進み、エンジンを停止する。
静かな林だ。
風が吹くたびにザワザワと葉擦れし、こもれびが揺れている。
遠くのさえずりに耳を澄まし、サイドカーのドアをあければ、リクはのっそりと地面に降りた。
僕は腰のレザーバッグに、武器を収納していく。
今日のイチオシは、懐中電灯型の、最新式ネットランチャーだ。
発射ボタンを押せば、クモの巣状のネットが飛びだし、獲物にからみつく。素材は釣り糸の強化版。獲物が暴れても切れないどころか、余計にからみつく構造だ。
リクはこもれびの下で、気持ちよさそうに日光浴をしている。
「リク、色喰いウサギはどっちにいる?」
左右を指さして問うと、リクは前方へ、マイペースに歩きだす。
僕の勘は、今日も外れたようだ。苦笑し、おとなしく黄土色の甲羅についていく。
静寂に風がおどる。
寒くないのに、身震いひとつ。僕は今、宿敵に肉薄している。
色喰いウサギは害悪だ。
漆黒の体に、真っ赤な瞳。生き物の「色」を喰っていく。喰われた生き物は透明に変わり、生命活動を停止する。
「ガラス細工職人」の異名を持つ彼らは、多くのナゾにつつまれている。
いきなり群れで現れ、手当たりしだいに生き物を襲い、満足したら帰っていく。
どこからきて、どこに行くのか。なぜ色を喰うのか。さまざまな研究者がさまざまな実験を試みたが、色喰いウサギに接触して生きて帰った者はいない。
ガラス細工になった被害者は、三日以内に崩れて消える。
僕が色喰いウサギに出会ったとき、目の前で三人の人間が、ガラス細工になった。
あと時の屈辱は忘れない。
色喰いウサギは、血のような赤眼。目が合ったとたん、僕は腰が抜けて動けなくなった。
ヒクヒクと動く鼻が僕の右手にチョンとふれた瞬間、ごっそりと何かが奪われた。
魂が削られる感触。ああ、生命力を奪われた。そうとしか表現できない感覚だった。
右腕だけで済んだのは、色喰いウサギの気まぐれか、三人を喰って満腹だったのか。
いっせいに踵を返す漆黒の波をぼんやりと見送っていた僕は、背中にリクの体温を感じ、ごつごつした甲羅にすがってワンワン泣いた。
落ち葉を踏んで、リクが止まる。首を伸ばし、ゆったりまたたき、僕を見やる。
色喰いウサギが近い合図だ。
なぜかリクは色喰いウサギを見つけるのが上手く、なぜか色喰いウサギはリクを喰わない。
僕は気配を消し、前方の大木に身を隠す。
ネットランチャーに手をかけ、そっと向こう側をのぞく。
やわらかそうな苔の絨毯に、まばらな漆黒――色喰いウサギの群れだ。
ここで飛び出せば、やつらはこちらに殺到し、きっと僕は餌食になる。
それを防ぐには、ウサギが来られない場所――高所で迎え撃つしかない。
僕は考える。
ネットランチャーの射程範囲は2m。
捕獲までは地上でやるしかない。
まずは一匹、つかまえる。
そのあと、すぐに木に登り、安全な場所から、ナイフでとどめを刺せば。
いろいろと穴だらけの計画だが、やってみるしかない。
僕は覚悟を決めて、大木を飛びだす。
「色喰いウサギ! 僕を喰ってみろ!」
たくさんの赤い目が、いっせいにこちらを向いた。
背筋を震えが駆けあがる。先頭の一羽が飛びかかる。僕はネットランチャーを発射。ウサギはとっさに横に飛ぶが、すぐさま発射した二発目に、絡めとられて地に落ちた。
喜ぶ間もなく逃走する。
太い幹に突進し、セミのようにへばりついて、必死に上を目指す。
背中にゾクリと悪寒が走る。
いやな臭気を感じ、幹のコブを蹴って、高い枝へと飛びついた。
枝をよじ登り、荒い息をつく。
ようやく地面を見下ろせば、跳ねあがる漆黒が見えた。予想よりも高い跳躍力に、ほんとうにギリギリで逃れたと、いまさら気づいてゾッとした。
離れた場所で、ネットに絡まった色喰いウサギが、もがいている。
「この距離じゃ、ナイフは無理か」
地面が無理なら、木を伝って、近づくしかない。
僕はレザーバッグから、重りのついたロープを取りだす。
隣の木、太い枝にあたりをつけて、重りをふりまわして投げた。
ヒット。
重りが枝にグルグルと巻きつき、ひっぱってみると確かな手ごたえ。
これにつかまり、飛び移ればいい。目標は、ロープを掛けた真下の枝。
「よし、いくぞ」
気合を入れ、幹を蹴って空中に飛びだす。
タンッと枝に着地して、あまりに華麗に決まったから、おもわず笑ってしまった。
「僕って天才かもしれない」
そんな矢先、右足から力が抜けた。
幹にすがって足を見る。そこに喰らいつく、闇のような漆黒。
「色喰い……ウサギ」
もう一羽が枝に飛びのり、左足に喰らいつく。
僕はようやく気付く。飛び移ったのは、さっきよりも下の枝。色喰いウサギの跳躍範囲内だ。
両足からごっそりと力が抜ける――抜けているのは生命力だ。魂が削られる感触。あっという間に脱力し、僕は宙に放りだされた。
あたたかくて、やわらかい。
とてもあんしんする。
ああ、これはぼくのいろ。
うれしい。うれしい。
こんなにステキなクロになった――。
めがさめると、仲間にかこまれていた。
ふわふわな羽毛に、かおをこすられる。ボクもひたいを、相手のからだに擦りつける。それだけで、欠けた魂がもどってくる。みんながボクに、もどしてくれる。
ボクのからだは、すべての色をまぜたクロ。なんておちつく色だ。
もっとほしい。もっといろんな色をまぜて、もっとふかいクロにしたい。
ああ、どんどんどんどん、色がほしくなる。
色がたべたい。いろんな色が。いかり、かなしみ、なげき、くるしみ。いろんな色をたべてみたい。
となりの仲間が、ふとかおをあげる。
そのとなりも、そのまたとなりも。
ボクもつられて、かおをあげる。
ボクのからだがふるえた。
視界に飛びこんできた、ケヅメリクガメ。
『リク』
――にげろ!!
本能がさけび、ボクは仲間とともに駆けだす。抗いがたい衝動は、ボクをいっそう混乱させる。僕はいったい何をしている。どうしてリクから恐怖を感じる。
『リク! リク!』
僕は泣きながら全力で走る。リクから逃げるために。
必死で逃げて、大木に身を隠す。
カメが追ってくる気配はない。
そっと向こう側をのぞきこむと、カメのそばに透明な何かがあることに気づいた。
それはガラス細工のように透きとおり、こもれびに輝いている。
カメはそれに寄り添って、首を伸ばし、ゆったりまたたき、ボクを見やる。
つん、と背中をつつかれ、ボクはおどろいてとびあがる。ふりかえれば、おちつくクロの羽毛。仲間が心配してくれたことに、ボクはうれしいきもちでいっぱいになる。
いこう、と仲間がさそう。ボクの思考はおちつくクロに塗りつぶされ、それにあんしんしてうなずいた。