第6話 ドラゴンスレイヤー
「このプロジェクト、順調ですね」
真山さんがそう言って、笑顔を見せた。
コーチングプログラミングを始めてから2週間。
彼は目に見えて成長していた。
コードレビューでの指摘事項も少なくなり、議論の場でも自分の意見を言えるようになった。
「いやあ、真山さんが頼もしくなったおかげですよ」
昔の私は、自分ですべてを抱えていた。
プロジェクトマネージャーとして計画作成と進捗管理をやり、
プロダクトマネージャーのように要件定義もし、
テックリードとして技術課題の解決とメンバーのレビューを行いながら、
業務委託の管理までしていた。
すべての責任を、一人で抱えていた。
でも、今は違う。
真山さんに任せるところは任して “チームの力” で前に進んでいる。
そう感じられることが、何より嬉しかった。
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そんなある日、雑談の中で、私は真山さんに、また新しいことを提案してみた。
「真山さん、開発って、ちょっとした遊び心があると楽しくなりますよね」
「はい、そうですね」
「記事で見たんですけど、“不具合をドラゴンって呼ぶ” っていうチームがあるらしくて」
「ドラゴンですか?」
「はい。バグ報告じゃなくて、“ドラゴンが出ました!”って報告するんです」
「面白いですね。じゃあ、修正したら“討伐完了”とか言うんですかね」
「そんな感じです。ちょっとやってみませんか?」
「いいですね。じゃあ、僕たちも今日からドラゴンスレイヤーですね」
そんなやり取りをして、不具合報告の Slack のチャンネル名を「#ドラゴン報告」に変えた。
くだらないけど、楽しい。
真面目で冗談を言ったりするのが苦手な私にとって、普段の開発の中で遊び心を入れたり場を和ませたりするのは難しい。
無理にキャラを変えようとしても、きっと長続きしない。
だからこそ、個人のセンスに頼らず、仕組みで空気を変える方がいいと思った。
言葉を一つ変えるだけ。
ルールを一つ決めるだけ。
それだけで、チームの会話の温度が少し変わると感じた。
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そして、プロジェクトはリリース直前。
来週の月曜にリリース予定だ。
スケジュールは順調。
久しぶりに「安心して週末を迎えられそうだ」と思えた。
私は金曜日に有休を入れていた。
結婚記念日だ。
妻にはずっと負担をかけてきた。
以前のプロジェクトでは、上司に怒鳴られながら夜中まで残業していた。
休日に予定していた妻との約束を何度も破り、休みの日もずっと技術課題の解消や溜まっていたレビューをしていた。
妻になんの労いもできないどころか、仕事の忙しさにかまけて、だんだん家事は妻に任せきりになっていった。
妻の優しさに甘えていた自分を思い出すと、胸が痛む。
だから今回は、ちゃんと労いたかった。
妻の大好物の蟹。
お店の予約をして、ようやく恩返しができると思っていた。
――すべてがうまくいっていた。
その、はずだった。
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「野島さん、大変です。ドラゴンが……大量に出ました!」
真山さんの声が震えていた。
テスト工程の最終段階。
環境を変えて統合テストを回したところ、想定外の不具合が次々と噴き出した。
不明なエラーで動作しない機能、画面のUI崩れ。
Slackには “ドラゴン報告” の嵐。
真山さんは「エントロピーの増大が……」と何度も呟いている。
私は頭を抱えた。
リリースは月曜。今は水曜日の夜。
「明日の木曜に全部倒せば、金曜の結婚記念日は予定通り休める」
そう思った瞬間、冷や汗が流れた。
――明日は研修だ。
社外での必須参加の研修。丸一日。
そうだ、日程をうっかり忘れていた。
これじゃ、明日に修正作業はできない。
金曜に休むのは無理かもしれない。
「すみません真山さん、明日は一日研修なんです……」
「大丈夫です。僕、できる限り頑張ってみます」
その言葉に、少しだけ救われた。
でも、正直不安だった。
ドラゴンの数があまりにも多い。
経験の浅い彼に全部を任せるのは酷だ。
しかし――私が行けないのは事実。
「任せるしかない」
そう言い聞かせるように、家に帰った。
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翌日。
研修を終え、すぐに会社へ直行した。
時計は夜の7時をゆうに回っていた。
夜10時までは作業ができるので、残された時間はあと2時間半くらい。
真山さんの席に向かうと、彼は真剣な表情でパソコンに向かっていた。
「真山さん、どうです?ドラゴンの方は……」
彼はゆっくりと顔を上げて、笑った。
「残り一匹です」
一瞬、言葉が出なかった。
喉の奥がきゅっと詰まって、息を吸うのを忘れていた。
「……えっ……本当に?」
あの量のドラゴンを。
昨日の夜、正直「金曜は諦めるしかないかもしれない」と思っていた。
それを、たった一日で。
「……真山さん、ありがとうございます」
声が少し震えた。
驚きよりも、安堵の方がずっと大きかった。
「いやぁ……最初は焦りましたけど、“ドラゴン退治”って考えたら、なんか楽しくなってきて」
彼は少し照れくさそうに笑った。
「ドラゴンに対して、なぜ問題が起きているのか、調査して原因を見つけるたびに、エントロピーが減っていく感じがして。
カオスが秩序に戻っていくというか……世界が整っていく感じがして。
それが気持ちよくて、どんどん集中できて」
なるほど、と思った。
ネガティブな言葉で状況を語るより、「ドラゴン」という少し笑える言葉に置き換えた方が、心に余裕が生まれるということだろう。
心理学的にはストレスの低い状態の方が、認知資源が奪われにくく、集中力も高まるという話をギルドで聞いたことがある。
実際にコードを開いて確認すると、コメントの書き方に少し荒い部分はあったが、原因に対して適切に対処する方法で修正されていた。
次々に真山さんの調査結果と直したコードをレビューしていったが、どれも納得できる論理で修正されていた。
私は息をのんだ。
「すごいですね……。まさかここまでやり切るなんて」
「野島さんの “コーチングプログラミング” のおかげです。
原因調査する時に、野島さんにいつも質問されているみたいに自分で自分に質問しながらやったら、一人でできたんです」
その言葉を聞いて、胸が熱くなった。
コーチングプログラミングの成果が、確かにここにあった。
「じゃあ、最後の一匹のドラゴンをやっつけますか」
「僕もお供しますよ」
二人で笑って、ペアプログラミングを始めた。
エディタ上に、コメントとコードが少しずつ整っていく。
画面に向かいながら、真山さんがぽつりと言った。
「“ドラゴン”って呼んでなかったら、途中で今日中に直し切るのを諦めてた気がします。ゲームみたいに思えたから、楽しくて集中できたんだと思います」
「そっか……。“楽しい” って大事なんですね」
「はい。僕にとっては、楽しいのは大事です」
最後の修正を終え、テストを走らせる。
画面上のテスト結果が、すべてグリーンに染まった。
「ドラゴン討伐完了!」
その瞬間、二人で思わずハイタッチをした。
時間は22時にさしかかろうとしていた。
すっかり静かになったオフィスに、ハイタッチの音が心地よく響いた。
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翌日。
私は予定どおり、有休を取った。
蟹の香りが漂う店で、妻が幸せそうにもぐもぐしている。
妻が次に食べるための蟹の身をせっせとほぐしている私に、妻が言った。
「最近、いい顔してるね」
「うん。昨日、ドラゴンを全滅させたんだ」
「ドラゴン?」
「うん。プログラムのバグのこと。チームでそう呼んでるんだ」
「ふふ、なんか楽しそうね」
「うん。楽しいよ」
そう言葉にした時、私は蟹の身をほぐす手を止めた。
仕事が楽しく感じるなんて、何年ぶりだろう。
前のプロジェクトの時は、自分にそんな未来が来るなんて考えられなかった。
前ほどじゃないけど、今も毎日遅くまで残業している。
でもいつの間にか、毎朝起きるのも、電車に乗るのも、憂鬱じゃなくなっていた。
ペアプログラミングを始めたり、後輩に対する言葉づかいを変えたり、コーチングプログラミングを始めたり、不具合をドラゴンと呼んでみたり。
そういう新しい試みでプロジェクトが良くなっていくことを楽しく感じている。
「うん……楽しい……。最近、仕事が楽しいんだ」
あらためて自分の想いを口にした時、私の声はうわづっていた。
ぼやけ始めた視界の中で、妻は優しくうなずいた。




