心優しき巨人
一方、ロムール側の南岸とは反対の北岸側では、魔性の森勢力の別動隊が動いていた。
北岸側は鳥人の爆撃で陣地が壊滅したのと、南岸側に主力がほとんど渡ってしまったこともあり、少数の兵力しか残されていなかった。
そんな閑散とした戦場の中を、ドスドスと音を立てて巨大な人影が歩いていく。
「うわぁ、やっぱ戦は怖いべえ……。兵隊さん、すんごい殺気立ってるし、オラァ、殺されねえか心配だべよ……」
そう言って、戦場をおっかなびっくり横切っていくのは、有角族の長、アダムであった。
有角族は全員が身長三メートル以上もある、牛のような角を生やした筋骨隆々の巨人であり、それらが列を成して戦場を歩いているだけで、帝国兵は怯えて近付く事すらままならなかった。
しかし有角族自体は非常に温厚で争いを嫌う種族であり、戦場に来ること自体を避けていた。
それでもここを訪れることになったのは、他ならぬダンからの指示があったからだった。
「首領様のご命令だから仕方ねえけんども……オラァ、あんまりここに長居したくはねえかなあ」
「ム、大丈夫……アダム、守ル。神様、命令。オーク、絶対ヤリ遂ゲル」
そう言って重装鎧をつけたままアダムと共に歩くのは、緑鬼族の勇士ドルゴスであった。
一人の有角族に付き二十体の緑鬼族の重戦士が付き、その周囲を厳重に守っていた。
「そりゃあドルゴスさんは頼もしいけんども、オラァ戦の臭い自体が好きでねぇんだ。なんか生臭えし、畑耕してる方がずっと性に合ってるべ」
「ム、アダム……凄ク強イ、勿体ナイ」
ドルゴスは本心から言う。
有角族は魔性の森の中でも珍しく緑鬼に嫌悪感を持たない種族であり、二人は十二支族連合成立以前からの付き合いがあった。
そんなドルゴスは、アダムの力をよく知っている。
魔人種と呼ばれる魔性の森の住人の中でも、有角族は争いを嫌うことからそれほど戦った話は多くない。
しかし一度怒らせると、素手で大木を引っこ抜き、張り手で地面を割るほどの桁外れの怪力を発揮する。
その戦闘力は、あるいは魔性の森の種族の中でも最強と言っても良かった。
「オラァ、そんな戦いの力よりうめえ野菜作る才能が欲しかっただよ。最近天気悪いから、作物の実付きも悪くてなぁ……あ、これだこれだ」
「うわあああ! こっちに近付いて来たぞぉ!!」
橋車を守っていた帝国兵たちは、アダムが近付いて来るのを見ただけで戦意を失い、その場から逃げ出す。
「失礼な人たちだべなあ、オラの顔見て、おっとろしいバケモンみてえに逃げちまって……ん?」
「お、おい、あんた! 有角族だろ!? 頼む! 助けてくれ!」
そうアダムの足元で叫ぶのは、帝国側に捕らえられた者たちで、獣人の奴隷たちであった。
橋車を運ぶ労役として連れてこられたのだろう。その姿はボロボロで、首には鎖が繋がれていた。
「頼む、この鎖が車と繋がれて逃げられないんだ! その辺の兵士から鍵を……」
「可哀想なごどすんなあ。大丈夫だ、すーぐに外してやっから」
アダムはそうのんびりした口調で言うと、橋車と奴隷たちを繋ぐ太く頑丈な鎖に手を掛ける。
――そして次の瞬間、まるで小枝でもへし折るようにバキッ、と簡単に引き千切ってしまった。
「て、手で……!?」
「森の方に逃げれば首領様がなんとかしてくれるべ。捕まらんようにあっちに逃げなあ」
「す、すまん! 恩に着る!」
獣人の奴隷たちは、口々に礼を述べながら、森の方に向かって走っていく。
それを手を振って見送っていると、突如として後方から土煙を上げて接近してくる一団が現れた。
「おのれ化け物どもめ! 我らの橋に何か細工でもするつもりか!?」
そう馬を駆って突進してくるのは、帝国側の重装騎兵の一軍であった。
その数は五十と少数だが、陣形の一糸乱れぬ統率は相当に練度が高いことが見て取れた。
「我ら蒼鉄騎士団の渾身の突進を受けよ!」
「うわわぁ! 怖え顔の騎士様が襲ってくるべ!」
「――ム、大丈夫……! オーク、アダム、守ル……!」
そう言うとドルゴスたち緑鬼族は、高さ二メートルを超える、鉄板のように分厚いタワーシールドを地面に突き立てて密集する。
そして、盾にその肉厚の体を寄せるようにしてその足を踏ん張った。
その姿は、傍から見ればまるで壁のようですらあり、半端な突破力では到底突き崩すことは不可能であった。
「おのれ小癪な……突き破れェーー!」
「ヤアァァァァァーーッ!!」
帝国側の精鋭である蒼鉄騎士団は、ドルゴスたちの陣形にも構わず突進してくる。
――そして、接触した瞬間、
「ムンッ!!」
「ぐおっ!?」
ドキャッ! と激しくぶつかって鉄がひしゃげる音と同時に、激しく火花が散らされる。
馬はいななきを上げながらその場に倒れ、緑鬼族の作り上げた鉄壁の防御の前に折り重なる。
その上に乗っていた騎士たちは、馬から振り落とされて、そのまま真上に吹き飛んで顔から地面に落下した。
最も衝撃の強い中心に居たドルゴスは、鉄板の盾は真っ二つに折れてひしゃげるも、騎士団の突撃をその肉体で受け止めて、大地に足を踏みしめてしっかりと生き残っていた。
「ム……! オーク、防御、破レナイ! 押シ合イ、誰ニモ負ケナイ!!」
「ドルゴスさん流石だべ! ……そんならオラも、ちょっとは頑張んねえと、な!」
アダムはそう言うと、「ふんぬ!」と掛け声を上げて、橋車の下に手をやる。
太い丸太で組み上げられ、その長さが二十メートルを超える橋車は、ただそれだけですさまじい重量を誇る。
しかしアダムは、どっしりと足を地べたに踏ん張って、橋車を持ち上げようと全身に力を籠める。
その瞬間――
「ぬおぉぉぉぉぉ……!」
重さ十トンはあろうかという橋車を、アダムはなんと腕の力だけで徐々に持ち上げ始める。
橋の上にはまだ帝国の兵士が乗っており、急に傾いてくる足場に、怯えて必死にしがみつく。
「なんだなんだ!?」
「傾いてるぞ!?」
「あいつだ! あの化け物をなんとかしろっ!」
しかしアダムはそのまま、ぐっと膝に膝に力を入れて、力任せに橋車をひっくり返してしまった。
「ふんぬらっ!」
「うわあああああああッ!?」
真っ逆さまに振り落とされて増水していた川に落ちた帝国兵は、悲鳴を上げながらそのまま濁流に飲み込まれていく。
「……なーんつか、ちょっと可哀想だったがなあ?」
「ム、問題ナイ! アダム、敵倒シタ!」
少し罪悪感にかられるアダムに、ドルゴスは自信を持って頷く。
他に対岸に繋がっている橋車も、アダム以外の有角族によって、ひっくり返されるか、破壊されてその機能をいっぺんに失う。
有角族が橋車を壊し、帝国側の軍勢を川で分断することで、向こう岸とこちらの軍勢を各個撃破する狙いがあったのだ。
捕らわれていた獣人たちも三百名以上に上り、全員解放されて無事魔性の森の中に逃げ込んだ。
見事任務をやり遂げるも、有角族たちは勝者ではなく、まるで逃げ帰るようにコソコソと、巨体を縮めながら森の中に退散していった。
※今回は少し短めです




