プロローグ:逆襲の帝国
かつて不毛な東大陸の北の端に追いやられ、付近の列強から属国のように見下されていた国があった。
周囲を豊かな強国に囲まれて、外交的圧力によって国号の前に"小"を付けるよう強制されたその国。
その名も"小リンド王国"といった。
土地は痩せ、まともな麦も育たない小リンドでは、当然ろくな産物も取れず、国民は常に飢えに苦しんでいた。
彼の国が侵略されなかったのは、ひとえに魅力のある産物もなく、占領するほどの旨味もなかったからに他ならない。
その屈辱、無力感を、かの国に住まう者たちは自身の故郷の名を呼ぶ度に魂魄に刻み付けられた。
――その国は復讐を誓った。
自分たちより南の、より豊かな土地に住まう者たちが妬ましい。
ただ生まれ持った土地が豊かであるだけで、まるで神に選ばれし者かのように振る舞う驕り高ぶった者たち。
奪ってやる――その全てを。
蹂躙してやる。馬蹄と鉄の音によって、大地を赤く染め上げてやる。
その国は、恵まれない痩せた土地の中で強い復讐心を抱きながら、機を待ち続けた。
牙を研ぎ、屈辱に耐え、ひたすらに軍事力のみを高め続けたのだ。
――そして、機は訪れた。
幽冥の動乱――または、"アスラ大戦"とも呼ばれる。
百年前に起きたその災厄は、"幽鬼"という、肉体を持たない怪物たちが起こした侵略戦争である。
その戦禍は東大陸のみならず、四大陸全てに及び、被害を受けていない国はないと言うほどの凄まじい被害をもたらした。
しかし幸か不幸か、かの国は奪われるほどの領土も資源も無かったが故に、大戦においてもほとんど被害を受けずにやり過ごすことが出来た。
やがて幽冥の王が、ネルウァという名の一人の勇気ある若者によって打ち倒された時、怪物たちの侵攻の手は弱まり、世界に束の間の平穏が訪れた。
――そして、かの国はその時を待っていた。
未だ大戦の傷跡が深く残る周辺諸国に、かの国は宣戦布告すると同時に一気呵成に攻め入ったのだ。
突然のことでろくに対応も出来なかった国々は、ボロボロの国内に比べて、ほぼ無傷のまま牙を研ぎ続けた小リンド王国の素早い進軍に、成すすべなく占領されてしまう。
小リンド王国の周辺国に対する憎悪は凄まじく、統治は苛烈を極めた。
王族は赤子から九族に至るまで滅ぼされ、国民からは税を吸い上げ、不安定な情勢も相まって民衆の間に大量の餓死者を生み出すこととなった。
国内の貴族でも逆らった者は徹底的に弾圧し、忠実な貴族からも人質を取り、誰一人として王家に逆らえないような強固な独裁体制を作り上げた。
『隣の赤い土にはリンドの穂がよく実る』
隣国が流した血の分だけ、リンドは栄えるという狂気じみたことわざが民衆の中にも浸透し始めた頃、小リンドはかの国を侮っていた周辺諸国全てを呑み込んだ。
――やがて、支配する国が二十を超えたとき、王国は帝国となり、国号をリンドから東大陸そのものの名を冠する、"アウストラシア"へと変えた。
まるで東大陸は我らのものだ、と言わんばかりの傲慢な態度にも、他の国々は何も言えずに黙認する。
かつては北方の小貧国だったリンドは、今や東大陸の六割の面積を支配し、自他共に認める超大国にまで成り上がった。
しかし、彼らは決して止まることはない。
『誇り高きリンドの民は、赤き大地の上に立つ』
その言葉通り、残忍で狡猾なる蛇"リンドヴルム"の旗を掲げ、今日も赤い大地を軍靴の音が踏み鳴らすのであった。




