蠢動
耳長族の族長、エランケルは驚きを隠せなかった。
世界には、まだ自分の知らない魔術が残っていたのかということが。
ここには他に誰も居ないはずなのに、まるでこの場に立っているかのように見える立体映像。
ふと触れられないかと手をかざしてみるが、虚しく空を切るばかりだった。
『――で、あるからして、各種族の族長方、長老方の皆々様に置かれましては、七日後にあの白い塔の下にお集まり頂いて――』
そう立体映像の中で、恭しく話す老婆は、数十年前には女だてらに戦士として名を馳せた大物だったはず。
齢五百歳を重ねるエランケルからすればまだ小童だが、今は獣人の中では長老として尊敬を受ける人物とされている。
――だが、今はそんなことはどうでもいい。
これは一体、どういう魔法体系なのか?
魔力を一切感じない、この何故か宙に浮く不思議なカラクリはなんだ?
短命種と違って圧倒的な寿命を持ち、全種族において最も優れた種であると自負する我ら耳長族ですら、これがどういった理屈で動いているのか見当すら付かない。
そのことが、エランケルのプライドを酷く傷つけた。
そして、あの突如現れた巨大な白い塔。
あの位置には確か、古代の神々が遺したと思われる遺跡があったはずだ。
大昔から、禁域とされた場所に降り立つとされる、暗黒の海を渡る新しき神の言い伝え。
当然、長くこの地に住まうエランケルが知らぬはずもない。
故に、禁域とされる場所の中心にある、あの遺跡には必ず何か隠されていると確信して、掟も無視して何度も足を踏み入れたことがあるのだ。
――しかし、何も見つけられなかった。
あの場所にあったのはただの古びた遺跡でしかなく、そこに書かれた文字すら理解出来なかった。
結局あそこはただの文化的な遺跡に過ぎず、神々の遺した画期的な遺産があるわけではなかったと、そう結論付けて興味を抱くこともなくなった。
だというのに、今あの場所に見えるものはなんだ。あれこそまさしく、自分が追い求めていた、神々の遺産ではないのか?
優れた叡智を持つはずの自分があれほど探しても見つからなかったものが、どこか別の誰かに発見され、こうして地上に現れている。
そのことにエランケルは、どうしようもない悔しさを抱くと同時に、何か超常の存在が現れたのだと確信する。
「……鳥人の娘よ。一つ聞きたいことがある」
「ん? なーにー」
エランケルは、この会合の伝達役として雇われたという、鳥人の少女に話しかける。
彼はこの鳥人という種族があまり好きではなかった。
いつも何も考えていないような顔で空に浮かび、いざ会話を試みてもフワフワと掴みどころのない返事が返ってくるばかり。
獣に近い愚かな種族なのだろうと見下していた。
だが、今エランケルが得られる情報源はこの鳥人からしかない。
内心の蔑みを胸に秘めてエランケルは問いかける。
「伝達役、ということは貴君はあの白い塔と、その主人に直接会ってきたということだな? 一体どういう人物だったのだ?」
「かき氷のおじさんのこと? 優しかったよ〜。かき氷も冷たくてサクサクで美味しかったし〜。あ、七日後の宴会、わたしたちも一緒に参加して、いっぱいおいしいもの食べていいんだって!」
そう鳥人の少女は嬉しそうに笑う。
それに対して、エランケルは内心で舌打ちする。
聞きたかったのは相手の種族や、どういった力を持っているかということだ。
これでは相手がひとまず敵対的ではない、ということ以外何もわからないではないか。
この娘自体が見た目と違って相当幼いのか、話がとっ散らかって知りたいことが何も伝わってこない。
――だが、ひとつだけ気になることがある。
(冷たくてサクサク、とはどういうことだ? この熱帯の森林で、そんな風に表現をされる食べ物など存在するのか?)
エランケルは少ない情報を拾い上げて考察する。
「一つ聞きたいのだが……その"カキゴオリ"、というものはどんな食べ物なのだ?」
「かき氷? キラキラして、シャリシャリして、甘くて酸っぱくて、冷たくて食べると頭がキーン、ってするの! 獣人のお婆ちゃんが言うには、『水をすっごく冷やして固めたもの』って言ってたよ?」
そう大げさな身振り手振りを加えながら、少女は説明する。
(まさか……雪? こんな暑い場所で!? あの白い塔の主は、我らがまだ開発途中の"氷庫"を作り上げ、既に使用しているということか!?)
エランケルは戦慄する。
耳長族は魔法の他に、魔道具開発においても非常に先進的な技術を有していた。
その技術は、人間の国家すら凌ぐほどであり、耳長族の作った魔道具は、人の商人の間でも大枚をはたいて取引されるほどである。
エランケルは、耳長こそがこの世界で最も進んだ種族であり、他の種族など取るに足らぬものと見下していた。
――だが今、その認識が根底から覆されようとしている。
(新しき神の伝承など心底バカバカしいと思っていたが……あそこに降り立ったのはあるいは本物かも知れぬ。ただちにその正体を見極めねばならん)
その瞬間、長い間孤立主義を貫き、外界に興味を持たなかった耳長族の出席が決まった。
* * *
「ねえ、兄さん……」
「…………」
薄暗い部屋の中で、顔色の悪い男が二人、ワインを嗜みながら向かい合う。
一人はヒョロリとした細身の優男で、もう一人は口髭を生やした、厳格な雰囲気を纏う男であった。
その顔はどちらも青白く、燻らせる葉巻の紫煙からは、生きながらにして死体のような退廃的な空気が漂っていた。
両者ともに口元にギラリと輝く八重歯が、その者たちが一体どういう種族なのかを物語っていた。
「さっき、鳥人の女の子たちが言っていただろう? 七日後に、何か面白そうな催しがあるらしいよ。僕たちも出席するべきじゃないか?」
「……新しき神か。バカバカしい。そんなものはただのお伽噺だ。我らの目的は何も変わらん。そんなものに顔を出す必要はない」
そう言って、兄と呼ばれた厳格な雰囲気の男は、器の中でワインを回しながら一気にその中身を飲み干す。
「兄さん……もうこんなことはやめよう。僕たちも、他種族と共生して生きていくべきだ。血だって、交渉して分けてもらえば細々とだって生きていける。今は力で奪えたとしても、いずれは徒党を組んだ相手に敗れて、土地を追い立てられるだけだ。僕たちはそうやって西大陸から逃げてきたんだろう?」
弟と呼ばれた優男は、兄をそう必死に説得する。
「何度も言わせるなユリウス! 我ら吸血鬼は絶対的な支配者の種族。下賤な者たちと共生など出来ぬ。我らは空腹を感じれば、好きなときに下等種族から血を奪い、力をもって支配する権利がある。それこそが、夜の帝王たる吸血鬼の生き様なのだ」
「……そう言っていた、父上や母上も、最後は人間の吸血鬼狩りにあって死んだ! そして僕たち兄弟はその追跡から逃れて、遥かこの東の果てまで逃げ延びたんじゃないか! せっかく、ここで穏やかな生活を手に入れたんだ。無理してこの地の種族を支配しようとしなくても、皆と手を取り合って生きればいいじゃないか!」
その弟――ユリウスの言葉にも、兄はふん、と鼻を鳴らして一顧だにしない。
「ユリウス……お前は甘すぎる。我ら吸血鬼が、弱き種族たちと手を携えて生きるだと? 我らが手を取れば、か弱き者らの手は途端に握り潰されてしまうだろう。奴らは最初は友のような顔で接してくるかも知れんが、やがて我らの力を恐れて、徒党を組んで排除するようになる。弱さとは卑しさなのだ。故に我らは絶対的強者として、その卑しき種族どもを支配し、管理せねばならん義務がある」
「そんな……そんなことばかりしていたら、僕たちにはいつまで経っても平穏が訪れないじゃないか!」
ユリウスは声を荒げる。
兄の言っていることは分かる。確かに、これまで接していた親しい人間も、ユリウスが吸血鬼と知るや否や、怯えた顔で逃げ回る者ばかりだった。
かつて西大陸を追われる際に、恋人と呼んでいた者に、石をぶつけられて追い立てられたのはもう何十年前も昔の話だ。
――だがそれでも、最初から弱者は信じるに値せず、と切り捨ててしまえば、あとには敵しか残らなくなってしまう。
ユリウスは誰かを信じたかったし、何よりそんな血塗られた生き方をしたくはなかった。
「……分かった。お前がそこまで言うのなら、俺の手伝いはしなくてもよい。だが、代わりに邪魔もするな」
「兄さん……」
「手始めに……そうだな。七日後にあの白い塔で、ここ周辺の有力種族の長たちが集まるという話だったか。ならば、そこから支配を始めよう! 各種族の長たちを支配下に収め、やがてこの森全体を足がかりとして、我ら吸血鬼のための偉大な夜の帝国を築くのだ!」
「兄さん、そんなのは無謀だ! 大体、ここの種族だって人間ばかりじゃない! 中には僕たちに匹敵する強力な種族だっているかも知れない!」
「ならば、それも支配するまで……。忘れるな、ユリウス。我ら吸血鬼に対等なものなど存在しない。支配するか死かだ。くれぐれも弱者と手を取り合おうなどと思うな……」
そう言い残し、兄――ガイウスは、闇の中に溶け込むように消えた。
「……」
ユリウスは、それを見送りながら呆然と立ち尽くす。
思えばユリウスは、自分のような考えこそ異端なのだろうと自覚はしていた。
同じ吸血鬼の血族たちも、ほとんどが兄寄りの考えである。
恐らく彼らは兄に協力して、七日後の会議にこの魔性の森を征服しようと行動を起こすだろう。
だが、少数ながらもユリウスに同意を示す者たちもいる。
戦いを好まぬ吸血鬼――その者たちのためにも、ユリウスは自身が暴走する兄を止めなければと決意する。
そして、全ての吸血鬼たちの居場所を守るために、兄の代わりの君主として、部族長会議に正式に出席することを決定した。




