今後の方策
「こ、これが、神々の船の内部ですか……」
中に足を踏み入れるや否や、エーリカは少し怖気付いたように萎縮する。
先程まで十万を超える帝国軍を相手していたとは思えない様子に、ダンは苦笑しながら言う。
「しばらくその場でお待ち下さい。今ランドルフ殿下に声を掛けて来ますので」
「わ、分かりました」
そう緊張しながら言うエーリカを他所に、ダンは休憩室の中に入る。
室内では、椅子に座ったまま何かを決心したような厳しい顔をするランドルフと、その侍従フリックの姿があった。
「そろそろどうするか、お決めになられましたか?」
「首領殿か……!? うむ、我は――」
「おっと、少々お待ち下さい。その先は、関係者も交えてお話しましょう」
「む、関係者?」
ダンはそう言うと、部屋の外に「お入りください」と声を掛ける。
すると、しばらくして緊張した面持ちでエーリカが休憩室へと入って来た。
「エーリカ姫……!? そうか、確かに彼女も関係者じゃったな」
「ランドルフ殿下もご機嫌麗しく存じ上げます」
「麗しく……はないが危機感は抱いておるよ。今帝国は未曾有の危機に陥っておる。故に今しがた、重大な決断を下した所じゃ」
ランドルフがそう言うのを見計らって、ダンが口を開く。
「さて……ここからは一応、代表者同士の会談となりますので、申し訳ありませんがフリック殿はご退出ください」
「なっ……!? しかし私は、殿下の侍従として……」
「フリック! ここは首領殿の領土よ。大人しく従え。……それに同じ年頃の女性が付き添いなしで来ておるというのに、我だけ過保護にされるのは恥ずかしいわ!」
ランドルフがそう言うと、フリックは歯噛みしながら「失礼します……」と言って、退出して行った。
それを確認したあと、ランドルフは大きく息を吸って言った。
「――我は皇帝になろうと思う」
「そうですか……。では、今後帝国をどうお導きになるおつもりですか?」
エーリカもその言葉を予想していたのか、特に動揺することなく尋ねる。
「まず奴隷制の廃止と、現存の奴隷の解放、そして極端な覇権主義を放棄せねばならん。これは皇帝になるにあたって首領殿と約束した故に絶対じゃ。今後我が生きている内はロムールに侵攻しないことを誓おう」
「なるほど……ですがそれでは不十分では? 私共の国は帝国に侵攻され、それを撃退しました。その事に対する賠償をお考え下さい」
「分かっておる……。それに関しては我が戴冠したあとに改めて交渉しよう。今のこの状況では空手形しか切ることが出来んからのう」
ランドルフの言葉に、エーリカも「分かりました」と引き下がる。
「では今後、ランドルフ皇子が戴冠した暁には二国は対立を収め、共同歩調を取るということで構いませんね?」
「ええ」
「それで構いませぬ、が……我が国に少し問題がありましてのう」
「ほう、問題と言いますと?」
そう言って渋い顔をするランドルフに、ダンは聞き返す。
「我が国に東方聖教会なる組織があるのはご存じかと思いますが……その本部が西大陸にあるのです。我が国に奴隷制と亜人差別を持ち込んだのは他ならぬその西大陸の本部でしてのう。我が国の貴族にも、そのシンパがたくさんおるのです」
「……つまり、国の方針で勝手に奴隷制や侵略をやめてしまうと、今度は西大陸の聖教会がちょっかいを掛けて、国内の貴族が反発する恐れがあると」
「そういうことになりますのう」
「なるほど……そういう事でしたら問題ありません。これをご覧下さい」
「は?」
「え?」
ダンの突然の言葉に、ランドルフとエーリカ二人が同時に、キョトンとした声を上げる。
それに構わず、ダンは船内のモニターを付けて映像を映し出す。
その中では、燃え盛って阿鼻叫喚の聖都と、民衆や建物に笑いながら火を放つ聖職者たちの姿があった。
「こ、これは、一体なんだと言うのですか……!?」
「――つい先日までの聖都の様子です。実は……聖教会本部のある聖都にて、教皇以下洗礼を受けた聖職者たち数百人が武装蜂起を起こして、民衆を虐殺し始めましてね。まあこれは聖職者たち全員が幽冥の主なる化け物の操り人形にされていたというのもあるんですが、私はそれを鎮圧しにほんの少し前まで聖都に居たのです」
「まさかこの魔道具は……過去の光景を映し出すことができるのですか?」
その異様な光景に驚くランドルフとは別に、エーリカはモニターの方に興味を持ち、食い入るように見つめていた。
「私が立ち会った場所に限り、ですけどね。実は第一次ロムール戦争もここで全て記録していました。姫様の勇姿も歴史の一ページとしてしっかり残してありますよ」
「そ、それはなんだか、恥ずかしいですわね」
「きょ、教皇猊下がっ……!? ちょっと申し訳ない、にわかに信じ難い話で、さすがに受け入れられんのじゃが……この後首領殿はどうされたのですか?」
照れ臭そうにするエーリカを他所に、ランドルフが頭痛をこらえるようにこめかみを抑えながら尋ねる。
「この後私が聖職者全員を捕縛し、無力化したあとで、火災で家を失った避難民や瓦礫に埋もれた人々を助けていたら、いつの間にか指導者の立場になりまして。今聖都は、預言者ゾディアックの名の下で私が庇護していることになっています」
「な、なんというか……首領殿の話を聞いていると頭がおかしくなりそうじゃ……」
ランドルフは目眩を感じたように、背もたれにズルズルと寄りかかりながら零す。
「ふふふ、でもゾディアック様なら不可能ではないのでしょうね。あれほどの奇跡を起こす方ですもの。何が起きても不思議ではありませんわ」
いち早く順応したエーリカと違い、ランドルフは未だに頭を抱えている。
エーリカは既にダンなら何でもありだという事実を受け入れつつあるが、まだ付き合いの浅いランドルフには理解し難かった。
「確かに……それもそうじゃ。未だに信じられぬ話ではあるが……よく考えると我に都合の良い話でもある。つまり我は、西大陸からの横槍を気にしないで良いということですな?」
「そうなります。何なら、今の皇帝陛下と東大陸の大司教猊下に、教皇名義で破門状を送っても構いません。本人の身柄も印璽もどちらも私が確保してますから、皇帝の権威を失墜させるのに使えるでしょう」
「恐ろしい方じゃ……聖教会を手にしているなど、既に西洋世界の半分を手にしているも同然じゃろうて。しかし味方ならこれ以上頼もしいことはないのう」
「本当に。ゾディアック様が居なければ、東大陸は未だに戦火と略奪が続いていたでしょう」
そう年少二人に褒めそやされ、ダンは何とも居心地の悪い思いで咳払いする。
「ええと……私はとにかく、奴隷制なる未開な制度を駆逐して、この世界に平和と自由を取り戻したいだけです。それに協力して頂けるなら、お二方への支援は惜しみません。ランドルフ殿下を皇帝へと押し上げ、ロムール王国との和平を取り持つことも出来ます。改めて、お二人とも私の方針に同意して頂けるということで宜しいでしょうか?」
「当然ですぞ!」
「ええ、もちろんですわ」
その言葉に、年若い二人が声を合わせる。
ダンはこの二人のことを非常に好ましく、高く評価していた。
エーリカは言うまでもなく、兵を率いて圧倒的なカリスマで統率する軍事の天才であり、ランドルフは誰の懐にも入り込み、長年の友のように打ち解けて仲良くなれる、人たらしの才があった。
恐らくこの二人が権力の座について手を組むなら、東大陸には長らく平和と安寧の時代が訪れるだろう。
その確信を抱きながら、ダンはひとまず今後の方針が決まったことに胸を撫で下ろした。




