戦後処理
「き、貴様、何者だ! 止まれ!」
戦場に降り立ったダンの異質な姿を見て、ロムールの若い兵士が警戒して剣を抜く。
ダンはそれに両手を挙げながら言った。
「落ち着いて下さい。私は敵ではありませんよ。少しエーリカ姫と話をさせていただけませんか?」
「首領!」
「兄貴ィ!」
そう兵士たちを説得していると、ジャガラールと、ロンゾの二人が魔性の森の戦士たちを引き連れてダンの元に駆け寄ってくる。
「何処行ってたんだよ兄貴ィ!」
「言っただろう? 少し用事があって世界中を見て回っていたんだ。二人とも、今回は出兵ご苦労だったな。何処も怪我などしていないか?」
「へっ、オレが帝国兵みたいな雑魚なんぞにやられるかよ。うちの連中も何人か殺られちまったが……そんなに数は減ってねえ。一人頭三人は帝国兵を道連れにしてやったはずだ」
ジャガラールは得意げにそう答える。
「そうか、やはり戦となれば死者は避けられんな……。今から全員の死体を私の船で回収して、魔性の森で丁重に弔ってやろう。私の命令で勇敢に戦った戦士たちだ。無碍に扱うことは出来ん」
「そうか……なら部下たちに命じて、死体を川から引き揚げさせておく。おい!」
ジャガラールはそう言ったあと、部下たちを呼び寄せて遺体の回収を命じる。
「それと……すまんがロムール軍と、帝国兵の死体も頼む。このままでは下流の水が汚染されて病気が蔓延する。心情的には気に食わんだろうが我慢してくれ」
「チッ……帝国の奴らもかよ。仕方がねえ」
あからさまに不満げに言うも、事情が事情なだけにジャガラールも渋々命令に従った。
そんな時――
「ゾディアック様! ……でよろしいのですよね?」
突如として横から、兵士たちに呼び寄せられたのか涼やかな少女の声が響く。
そこには――たった今戦を指揮していたとは思えないほどのあどけない少女、エーリカの姿があった。
「ええ、如何にも私がゾディアックです。こうして面と向かって話すのは初めてですね。お会い出来て光栄です、エーリカ姫」
ダンはそう言って、エーリカに片膝を付いて応える。
180センチ以上あるダンに対して、エーリカは150センチほどしかない。
故に、目線を合わせる為にダンが片膝を付く必要があった。
「私はエーリカ・フォン・ロムールと申します。お会いできて光栄ですわ、稀代の魔術師様……。魔性の森では、神として扱われている方が、このような壮観な殿方とは思いませんでしたわ」
「ふふふ、ガイウスの奴にそう聞きましたか。ですが私は神などではありません。そう装うだけの力を持っているだけのただの人間です。この度は戦勝、心よりお祝い申し上げます」
「あなた様のおかげですわ。まさかあんな形で勝利を手にすることが出来るだなんて……。ところで、魔性の森の皆さんは何をやっているのですか?」
エーリカは、川から次々と死体を引きずり上げている、ジャガラールの部下たちを見て尋ねる。
「あれは川から死体を引き上げて、処分しようとしているんですよ。川の水に浸かった死体をそのままにしておくと、やがては腐って下流の水に毒が流れ出します。敵味方問わずそのままにしてはおけません」
「なるほど……そういうことだったんですね。ならば我が軍も協力させていただきます。ハルパレオス将軍!」
「はっ!」
エーリカがそう命じると、ハルパレオスは部下を引き連れて死体の回収に向かった。
「ご協力感謝します。あれを放置していると、最悪疫病なども発生しかねませんので……」
「勝たせていただいたのですから当然のことですわ。……それよりも、先ほどの魔法は一体――」
「船長」
ダンがエーリカと会話を交わしていると、横からノアが合流してくる。
「ああ、ノア、ご苦労だった。いい仕事だったぞ。……姫様、ご紹介致します。彼女こそが私の無二の相棒であり、そして先ほどの奇跡を起こした張本人でもあります」
「ノアと申します。以後お見知りおきを」
「……! こちらこそ、本物の天使様とお話できるなんて夢のようですわ! 先ほどの透き通るような歌声といい、私、ノア様ほどお美しい方を見たことがありません!」
「…………お褒めに預かり、光栄です」
先程までの凛々しい雰囲気は何処へやらで、ノアに対しては年頃の少女のようにエーリカははしゃぎながら、目をキラキラと輝かせている。
どうやら同性のノアに対しては憧れのような感情を抱いているらしい。
「彼女はこう見えて戦闘力も桁外れでして。大の男十人がかりでも彼女に傷一つ付けられません。それに先ほどの奇跡を起こしたのも、実はほとんどがノアの手柄なんですよ」
「まあ……! お美しい上に強いだなんて、ノア様は本当に凄い方なのですね! では、先ほどの天空の巨神をこの地に呼び出して下さったのもノア様が?」
「ええ、ノアが天界との執り成しを行って、神々を召喚したのです」
ダンが代わりにそう答える。
エーリカだけになら先程の神が偽物だとバレても問題はないが、周りにはロムールや帝国の兵士たちもいる。
ノアは本物の天使であり、先ほどの神々も本物であると信じさせた方が、エーリカの権威付けにも都合が良いだろうと判断した。
「……ところで、この後はどうなさいますか?」
「どう、と申しますと?」
ダンの要領の得ない言葉に、エーリカはそう聞き返す。
「もちろん、ここにいる敗残兵たちのことです。これだけの数、放っておくには余りに危険過ぎます。今は神の裁きで大人しくしているようですが、正気を取り戻したら、それこそ付近に盗賊が跳梁跋扈としかねません。このままでは必ずロムールにも大きな災厄をもたらしますよ」
そう言ってダンが指差した先には、まだ数万人は残る敗残兵たちが、雷に打たれたショックで呆然としている。
大半の兵士は帝国側に散り散りになって逃げ出したが、それでも現状のロムール軍よりも遥かに多い数がこの場に残されていた。
「そのことなんですが……我が軍に編入しようかと考えています」
エーリカの思い切った決断に、ダンは驚きつつも聞き返す。
「本気ですか? 恭順したところで、あの数の帝国兵です。万が一反旗を翻したりしたら大変なことになりますよ? それに一気にこの数を受け入れるとなると、食糧の問題も起きるのではないでしょうか?」
「食糧に関しては問題ありません。我が国はこれでも豊富な穀倉地帯。毎年小麦は有り余るほどに採れます。最悪そちらから購入させて頂くこともあるかも知れませんが……。今から帝国兵たちに、神の名で改心を促しても宜しいでしょうか?」
「神の名を? 私が許可することではありませんが、改心させるなら問題はないと思いますが」
エーリカの言葉の真意が掴めず、ダンはそう答える。
それに感謝を伝えると、エーリカは高く教皇の王笏を掲げ、帝国兵たちに呼びかけた。
「聴きなさい、帝国の兵士たちよ! 既にマリウス皇子はこちらの手に落ち、神の威光の前に大勢は決しました! あなた方は敗北したのです!」
「…………」
そう改めて突きつけるも、大きく反応する者は誰もおらず、帝国兵たちはおぼろげな眼差しをエーリカに向けるだけであった。
「……ですが聞きなさい! 神はあなた方に慈悲を示しました! このままロムールに恭順し、真面目に罪なき人々を護る盾となるならば、その罪を減じ祝福を与えると!」
「お、おお……!」
エーリカの言葉に、帝国兵たちは希望を見出したように顔を上げる。
ダンはそれを聞いて、神の名を使うとはそういう意味かと感心した。
「投降しなさい、帝国の兵士たちよ! 今からでも遅くはありません! 我らと共に神に恥じぬ道を歩むのです!」
「せ、聖女よ……もはや貴女が神に選ばれし者であるということは疑うべくもない。だが我らは既に魔導の道を絶たれた。恐れ多くも神々に向かって魔法を放ち、洗礼の祝福を失ったのだ。貴女に従えば、我らはかつての魔力を取り戻せると言うのか?」
そう声を上げるエーリカに、絶望した顔の老いたる魔導士の男がそう尋ねる。
その問いにうぐっ、と答えあぐねて、エーリカは思わずダンの方に助けを求めるような視線を向ける。
「……彼らに魔法の行使権限を一時的に返してやってくれ。ただし、それをこちらに向けるようならすぐに剥奪しろ」
「了解しました」
ダンはそれを受けてノアに小声で指示を出したあと、エーリカに耳打ちする。
「既に彼らの魔法は返してやっています。そういう風に伝えてやればよろしいでしょう」
「ゾディアック様、本当に感謝致します……! 神があなた方を赦免されました。既に魔法を使えるようになっていることでしょう。……ただし、再び裏切るようなことがあれば、もう二度とその身が魔力を宿すことはないとお思いなさい!」
「そ、そんな、まさか……おお、使える、使えるぞ!!」
「魔力が戻った!?」
「良かった、本当に……」
魔導兵たちは、安堵で涙すら流しながら指先に火を灯すような基礎的な魔法を繰り返す。
彼らにとっては魔導の探求が生きる糧なのだろう。先程まで全てに絶望していたような魔導兵たちが、生き生きと目に輝きを取り戻していた。
「聖女よ……貴女に従おう……! 我らの力、どうか存分にお使い下されませ」
「もちろんです。その力、ロムールの発展のために生かして頂きます。あなた方も同じです。私に従うのなら、相応に祝福を与えられるでしょう! 共に光の道を歩むのです!」
その言葉と同時に、帝国兵たちからも盛大な歓声が沸き上がる。
確かにダンが裏からサポートした面はあるが、エーリカのカリスマは天性のものがある。
美しく、まだあどけない少女が屈強な兵士たちを統率して、何倍もの兵力を持って侵略してくる帝国を打ち破る。
まさに絵物語の詩篇のような話だが、彼女の伝説の下で、ロムールは更に発展して、平和を取り戻すだろう。
もはやかの国の暗雲は打ち払われた。あとは、帝国のことだけだ。
「……エーリカ姫、申し訳ありませんがこの後少しお時間頂けますか?」
「もちろん、他ならぬゾディアック様の願いとあれば否やはありませんが……一体何でしょう?」
「これからのロムール、帝国両国の関係についてです。あの船の中には、今こちらが預かっているランドルフ皇子が乗っています。彼含む三人で話をして、今後の両国の方針を決めたく存じます」
「…………! 分かりました。そういう事でしたらすぐに伺います」
エーリカはそう答えたあと、兵士たちに待機を命じて、自身はダンとともに船の中に足を踏み入れる。
戦場は未だに熱に浮かされ、エーリカと、そして神々の偉大さを謳う声が響き渡っていた。




