為政者の器
「いやぁ、しかし素晴らしいですなあ、ここの"学園"と呼ばれる施設は! このような美麗な建造物は帝都にもございますまい! まさか魔性の森のような未開の地に……おっと、失礼」
道すがら、ランドルフはダンが指示して建造した学園を褒め称える。
それもそのはずだろう。
この"学園"はダンが肝煎りで造った、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のいいとこ取りをしたような巨大建造物だ。
中途半端な出来になりようもない。
「ありがとうございます。ここは私が森の住人たちに指導して作らせたものです。やはり国家の成長を担う根幹と言えば、未来を担う子供たちです。それ故に、子供の教育を担うための学園は格別に力を入れて作りました」
「ほほう、国家の根幹は、子供への教育と……。なるほど素晴らしい達見をお持ちですな! 王宮や離宮の建造ばかりに予算をつぎ込む我が同族にも聞かせてやりたいものです!」
ダンの言葉に感銘を受けたように、ランドルフが手を叩いて嬉しそうな声を上げる。
「……疑問に思ったのですが、首領殿は一体何者なのですか? この文明圏から遠く離れた森の中で、突如として現れて指導者として君臨し、亜人たちの文明化に成功しつつある。ましてやこのような壮麗な建物を作れる建築士が居れば、我が帝国のみならず世界の何処かでその名を轟かせて居たはずです。ですが、今までダン殿やゾディアックなどという名は寡聞にして存じ上げません」
ランドルフに遅れて、フリックがそう尋ねる。
ダンはそれにニコリと微笑みながら答えた。
「なるほど、ではそれも含めて中でお話しましょう。どうぞ」
そう言ってダンが応接間のドアを開けると、ランドルフとフリックが揃って中へ入る。
中には合成皮革で造ったソファとガラステーブルが置かれている。
これはダンが船の工作室で作って置いたものだが、放ったらかしにならずにちゃんと綺麗に掃除されているようだった。
「ほおお……これはなんと見事な……! 特にここまで透き通ったガラスのテーブルなど、我が国の最高峰の職人でも作れぬのではないか!?」
「この椅子は革……ですか? それをこのような見事な加工に……。さぞや熟練の腕のいい職人が手間暇かけて作り上げたのでしょうな」
二人は感心しながら室内の調度品を見やる。
「ははは! まあそれほどでもありません。どうぞお掛けください、今お茶を入れますので」
ダンはそう言うと、応接室に備え付けてあるティーポットに水道から水を入れて、スイッチを入れる。
これはソーラーパネル付きで充電してくれるティーポットであり、中に水を入れていればいつでもどこでも湯を沸かすことが出来る。
一回使えば2時間ほどは日に当ててチャージしなければならず、沸かせる量もたかが知れているが、お茶を飲む程度の量は十分確保出来ていた。
「どうぞ、西大陸から取り寄せた紅茶です」
そう言って、カップに三人分の紅茶を注いだあとダンはテーブルに差し出す。
「おお! もう湯が沸いたのですか!? まだ十を数えるほどしか経っておりませんぞ!」
「これは私が持ち寄ったもので、すぐに湯を沸かすことの出来る魔道具ですよ。お茶を飲んだりちょっとしたことに使えるので重宝してるんです。それとお好みで砂糖をどうぞ」
ダンはそう言って、砂糖を入れた小さな壺を二人の前に置く。
「ほう、砂糖がこんなに白く……。我が国でも使っているのは貴族か皇族くらいです。さすが魔性の森の首領殿、と言ったところでしょうか」
フリックは未だに警戒心を滲ませながらもそう褒め称える。
「まあこの砂糖はうちで作っているものですから。本当は黒い砂糖や不純物の混じった茶色い砂糖の方が栄養豊富なんですが、紅茶を飲む時は色合いを損なわぬよう純白のものを使っています」
「このお茶も実に上等です。白い砂糖、それに先ほどの見たこともない魔道具といい、この地は底が知れませんな。一体こんなものが突然何処から現れたのやら……」
純粋に紅茶を楽しむランドルフを他所に、フリックがダンの方に警戒するような眼差しを向ける。
「ふふふ、私の正体に関しては後ほど説明致しましょう。……しかし今は、帝国とロムールの戦が一刻の猶予もありません。その事を第一に話し合う必要があります」
「そうだぞ、フリック! 首領殿の正体を探るような不躾な真似はやめよ! 今はそれより優先すべきことがある!」
「……失礼しました。確かにおっしゃる通りでございます。少し口を噤んでおります故」
フリックが陳謝して会話を終えたあと、改めてダンは口を開いた。
「さて、この度ランドルフ殿下は帝国とロムールの戦を止めるためにこちらに来られたということですが、一体どういう経緯で魔性の森に?」
「うむ、それなんですがのう、ロムールに訪れた時に、あちら側の総大将、エーリカ姫に接見しましてな。『こちらは前線ゆえ皇族の身は扱いかねる故、ゾディアック殿の元に身を寄せてほしい』と言われましてな。いやー、戦姫エーリカとは、エドマン兄者の軍勢を押し返した女傑と言っていたので、どんな強面の女性かと思いましたが、何とも可憐な方で驚きましたぞ!」
ランドルフはそう一息に語る。
ダンはそれを聞いて、少し考えたあと言った。
「姫様の側には、顔を隠した男が付き従っておりましたか?」
「おお、おりましたぞ! 魔将ガイウス殿でしたな! いやー、仮面で顔を隠しておりましたが、目つきが鋭く実に恐ろしい男でしたぞ。……噂によると、一人で我が国の兵士百人をいとも簡単に括り殺しにしてしまったという噂も。流石にそれは出鱈目でしょうが……」
「いえ……ガイウスなら出来るでしょうね。奴は元々、この私の部下でしたから」
「「ええっ!?」」
ダンの言葉に、二人揃って大声を上げる。
「元々奴はこの魔将の森で暮らす吸血鬼という、他者の血を吸って力を付ける非常に強力な種族でして、この森で暴れ回っていたのです。そこで私が奴を叩きのめして部下に引き入れました」
「そ、そんなことが……それが何故、今はエーリカ姫の元で働いているのですか?」
「前の侵攻の際に魔性の森とロムールが共闘して帝国を撃退した際に、ガイウスがあの姫様の血の味をいたく気に入ってしまいましてな。どうやらあの姫様の血は、一滴飲んだだけで吸血鬼の力を何十倍にも引き上げ、無双の戦士にする特別な代物のようなのです。それでガイウスは姫様をいたく気に入り、姫様自身も裏切る心配のない最強の護衛を必要としていた為、本人たちの意思を尊重してガイウスを譲ってやったという訳です」
ダンはそうあっけらかんと言う。
「つまり……まあ何らかの書類に調印した訳ではありませんが、ここ魔性の森とロムールは実質同盟軍のようなものなのです。殿下たちがここに通されたのも、その伝手を辿って私に知恵を借りる為でしょう」
「ですが……今回マリウス兄者の連れてきた軍勢は十万を超える。如何にガイウス殿が無類の戦士と言えど、数の前にはどうにもなりますまい。そこで、我らが調停の使者として参ったのです」
「ふーむ、それは……こちらに攻め込んできているマリウス皇子の命を受けてと言うことですか?」
「いや……実はマリウス兄者はこの事を何も知らぬ。我が独断でこの地に降り立ったのです」
「……なんですって??」
ダンはランドルフの言うことが理解出来ず、思わず聞き返す。
ノアからランドルフは単独行動をしている可能性は示唆されていたが、実際にそれが事実であると言われると、その真意を図りかねた。
「実は……我が兄弟は殊の外仲が悪くてのう。特に我は、皇族の中で唯一の厭戦派ということもあって上二人から睨まれておる。いや、睨まれておるどころではないのう。疎まれ、命すら狙われておる有様じゃ」
「なんと、それでどうやって停戦の渡りを付けるのです?」
「我が父と直接交渉するのです。我が父――皇帝ラスカリス二世は、後世の評価を非常に気にしている小心な王でしてのう。虐殺などして無慈悲で苛烈な皇帝として名が残るのを大層嫌がるのです。我が名で父上に急使を遣れば、少なくとも話は聞いてくれるでしょう。あとはロムールが降伏さえすれば、虐殺や奴隷化などの無慈悲な所業は防げると考えます」
「ふむ……言ってることは分かりますが、一体何故あなたがそんなことを心配するのですか? あなたにとってはロムールも所詮は他所の国ではないですか」
ダンはどうしても解せぬ事があり、そう尋ねる。
「もちろんそうです。我も帝国の皇子として、戦争に勝利して自国が繫栄するのは喜ばしい側面もあります。……しかし、今の帝国の道はどうにも危ういと感じざるを得ないのです。手当たり次第に版図を広げ、大量に奴隷を生み出し大陸中に悲劇を広げ続けている。我もここに来る道すがら、帝国の領地や属領と、近隣諸国も見て回りましたが、何処に行っても帝国に恨みや怨嗟の声が響かぬ場所はありませんでした」
「…………」
ダンはその言葉に黙って耳を傾ける。
ランドルフは帝国の税金を使って遊び回るバカ皇子という評判だったが、実際は旅すがら帝国内外の実情を調べるために視察も兼ねていたのだろう。
ダンは内心でこの目の前の若き皇子に対する評価を上げた。
「今の帝国は国内外に敵が多過ぎる。戦争に勝ち続けることで国内を纏めていますが、これでもし何処かで敗戦でも喫すれば、帝国内の不穏分子が動き出して、東大陸中を巻き込む未曾有の大混乱が起きるやも知れませぬ。この第二次ロムール戦役を上手く矛を収めさせ、帝国に従いさえすれば無下には扱わないという印象を諸国家に持たせる事が肝要であると考えました」
「ふむ……それで、帝国自身の為にも調停役を申し出たと? しかし、それではあなたには何の得もありません。攻め込んできて、無血で領地を手にしたというマリウス皇子の手柄となるだけでしょう」
「それはもう致し方ありませぬ。我は元より帝国内では出涸らし扱いの皇子。兄弟間で殺し合ってまで求めるほど皇位に執着もありませぬ。今回ロムールに調停役を持ち掛けたのは、帝国に対して皇族としての最後の務めを果たすと同時に、あわよくば南大陸に亡命する伝手を頼もうという打算もあったのです。ロムールは南方諸王国に顔も利きますし、最近は商船も行き交っておるという話ですからのう」
「なるほど……このまま帝国に戻ってもご自身の身が危ういと言うことですね?」
そう推察するダンに、ランドルフは「ご想像にお任せしますわい」と肩をすくめた。
「そちらの事情はよく分かりました。最後に質問なのですが――ランドルフ殿下は帝国が推し進める奴隷制についてはどうお考えですか?」
「即刻やめるべきでしょう。これは首領殿や森の民たちにおもねって言っているのではありませんぞ。奴隷を使うことで我が帝国の民は堕落し、自分たちで何かを作ったり発展しようとする気概を失いつつあります。奴隷というのは甘い毒です。何か不便があっても奴隷を使えばいいという考え方では、国家はゆっくりと衰退していくばかり」
ランドルフはすぐさまそう答えたあと、更に続ける。
「……また、多くの亜人種を奴隷にすることで、国内外に相当数の不穏分子を作り出しています。それらは何れ、帝国を脅かす厄災の種にもなりましょう。もし我が皇帝になれば、まず最初に取り掛かるのは奴隷制の破棄でしょうな。最も、我が皇帝になるなど到底あり得ぬことですが……」
その答えに、ダンは満足したのか大いに頷く。そして続けて尋ねた。
「それにしても殿下は、非常に巧みに異種族共通語……亜人種たちの言葉を使いますね。何処かで学ばれたのですか?」
「ええ、実はここに来るまでの道すがら、何人か亜人種の奴隷を購入して、道中のお供として色々話を聞いていたのです。……もちろん、奴隷として扱ってはおりませんぞ? あくまで旅の協力者として、解放するのと引き換えに、その地域のことや、ここ魔性の森のことなどを尋ねていたのです。その最中に彼らの言語も覚えました」
「なるほど……よく分かりました。殿下は私から見ても非常に叡明な方のように思いました。あなたのような方が帝国の指導者なら、今のような血に飢えた戦争を繰り返すような国にはならなかったでしょう」
「わっはっは! その評価は大変ありがたいですが過分というものです。我は結局のところ出涸らしの皇子、日々遊山しながら、地酒を飲んで遊び回っている方が性に合う放蕩者なのですよ。為政者の道などとうに諦めましたわい」
そう言ってケラケラと笑うランドルフに、ダンは改まって言った。
「それなんですが殿下――もし私が、あなたを皇帝にして差し上げると言ったらどうなさいますか?」
「えっ?」
その言葉の真意を図り兼ねたのか、ランドルフはキョトンと目を丸くした。




