出涸らし皇子との出会い
その後、別れを惜しむエリアスを振り切って西大陸を飛び立ったあと、真反対の東大陸へとダンは急行する。
「ノア、東大陸の情勢はどうだ?」
ダンは船の中を元気に駆け回る、解放した子供たちをあやしながら、そうノアに尋ねる。
――しかし、その答えはとても楽観出来るようなものではなかった。
『ティグリス川を挟んで互いの陣営を非難しあいながら、時折矢の応酬が起きる程度です。帝国側十万に対してロムール側は二万五千。魔性の森からの援軍が更に五千ほど合流しています。開戦しては居ませんが、予断は許さない戦況のようです』
「急がなければならんな……ひとまず魔性の森に降りて、例の帝国の第三皇子様とやらと話をする必要があるか」
ダンはそう言ったあと、東大陸に向かって船を急行させる。
そのままわずか三十分ほどで東大陸上空に辿り着き、モニターを通して下部の状況を確認した。
「まだ戦闘は始まっていないな……。よし、ノア、白き館前の広場に着陸してくれ」
『了解しました。着陸体勢に入ります』
ノアがそう返答すると同時に、徐々に高度が下がっていく。
久々に見た魔性の森は以前よりかなり発展していた。道路がきちんと石材で舗装され、家屋のようなものがいくつも立ち並び、広場の前にはいつの間にか噴水のようなものまで設置されていた。
恐らくエヴァが勝手に開発したのだろう。ビットアイは石材や木材の運搬や加工も出来るので、自分の好みに都市を改造して遊んでいたようだ。
仕方がないやつだと思うが、まあそれなりに綺麗な景観になっているので良しとしようとダンは諦め混じりにため息を付いた。
『到着しました』
「よし、皆も行こう」
ダンはそう答えると、子供たちを連れてハッチから降りる。
するとそこには――まだ帰ったばかりだと言うのに、白き館の周りに大量の住人たちが集まって、一斉にダンを出迎えた。
「首領様!」
「おおおお、首領様だ!」
「おかえりなさいませ、首領様!」
「首領様、万歳!」
「ああ、ただいま。皆元気そうで何よりだ。……ところで、帝国側からお客様がやってきたそうじゃないか。その人物が何処にいるかは知っているか?」
「おお、首領様! お帰りになられましたか! 言ってくだされば出迎えに上がりましたものを!」
そう言って、手を振りながらこちらに駆けてくるのは、北の獣人の族長であるロクジであった。
この老人にはダンが不在の間は、魔性の森全体のまとめ役を任せている。ダン以外で指導者適性があるのがこの老人しか居なかったので、後々を考えると思いやられるところであった。
「久しぶりだな、ロクジ。積もる話も色々あるが……今はロムールと帝国が怪しい。お前も分かっているだろう?」
「ええ、ええ、もちろん分かっておりますとも。ここ魔性の森からも、ジャガラール率いる東の獣人と、ロンゾ率いる西の獣人、そしてカイラ殿率いる鬼族も援軍としてロムール側に付きましたからのう」
「なら話は早い。……先日ここに帝国側の要人が訪れたそうだな? 今は何処にいるか分かるか?」
「分かりますが、その……今授業中でして」
「授業中??」
ダンはその言葉が理解出来ず、そのまま聞き返す。
「ええ、実はその……帝国の皇子様とやらはここに来て、首領様が指示して建造したあの"学園"とやらにいたく感銘を受けておりましてな、『我もここで教鞭をとってやろう! 帝国式の算術を獣人の子らに仕込んでやる!』と意気込んでおりましてな……」
「なんというか……随分と自由な御仁のようだな。算数に関してはこちらのやり方があるからあまり変なことを教え込まないで欲しいんだが……」
ダンはそう呆れながらも、学校の方に歩を進める。
思った以上に愉快な御仁のようだが、本当にただのアホなのか、腹の据わった傑物なのかは実際に会ってみないと分からない。
ロクジの案内の元、ダンはその皇子が授業をしているという教室へと向かった。
――そして、教室のドアを開けたその瞬間、
「ほうほう! これでここの粒を弾いてやれば、一の位が繰り上がるのか!」
「そうだよ! "そろばん"って言うの! 首領様が皆に教えてくれたの!」
「う〜む、これは素晴らしい計算機器じゃな……思わず帝国に持ち帰りたいくらいだぞ」
そう言って、子供たちに囲まれながら、教えるどころか逆にそろばんの使い方を教わっている、茶髪で背の低い青年の姿があった。
そしてその隣には、黒髪で背高のっぽの青年がダンの方に気付いて、警戒するような眼差しを向けていた。
「あっ、首領様だ!」
「ほんとだ、首領様だ!」
「いつ帰ってきたのっ!?」
「ついさっきだ。よしよし、みんないい子にしてたか?」
そう言って、ダンの存在に気付いた子供たちは、取り囲んでわいわいと騒ぎ始める。
ダンは子供たちの頭を撫でて和やかに言葉を交わす。
「皆、この人に勉強を教えてもらっていたのか?」
「ん〜ん! 私たちがそろばん教えてあげてたの!」
「この兄ちゃん、人間のくせになにも知らねーんだぜ!」
「いやはや……面目ないのう。まさか魔性の森で算術がここまで発展しておるとは知らなかったんじゃ」
そう子供たちに言われ、その青年はおどけたように肩を竦める。
ダンはそちらに目を向けたあと、右手を差し出しながら挨拶を交わす。
「どうも始めまして。私の名前はダン・タカナシ。対外的には"ゾディアック"と名乗っています。会えて光栄です、帝国の第三皇子、ランドルフ殿下」
「おお、ではやはりあなたが! お会い出来て嬉しく思いますぞ、森の首領殿。我が名はランドルフ・リンディア・ドゥ・アウストラシス。帝国では出涸らし皇子などと呼ばれておりますが、一応皇統の直系ではありますな!」
帝国の皇子――ランドルフは手を差し出したダンに少し躊躇ったあと、意図を理解して手を握り返した。
互いに笑みを返して挨拶を済ませると、ダンは隣に立つ青年にも目を向けた。
「そちらの彼は?」
「ああ、こやつはフリックと言って我の唯一の侍従であります! 上二人の兄者なら十人も侍従を付けられておりますが、我に付けられたのはこやつ一人だけ! 親からの期待のなさの表れという奴ですな!」
「どうも……出涸らし皇子の世話役を押し付けられた、不運なフリック・アーヴェントでございます。閑職ゆえ立身出世など到底望めぬ身の上なれど、そのお陰でこのような素晴らしい地を訪れることが出来て、大変嬉しく思います」
「……おい、さすがに首領殿を前に口さがないのではないか!?」
フリックの軽口にランドルフが怒りながら抗議する。
その主従の立場を超えた凸凹コンビのようなやり取りに、ダンは思わず苦笑する。
「どうやらお二人は固い信頼で結ばれているようだ。……それで、今回はロムールと帝国の戦の調停役として来たと伺いましたが?」
「ええ、ええ、そうですとも! これ以上戦で民の血が流れるのは、帝国と王国、そしてこの魔性の森の住人たち全てにとって良くないと思いましてな。この身非才ながらも、戦を止める為に何かせねばと思い馳せ参じた次第です」
そう話すランドルフの目には、ダンから見て嘘があるようには見えなかった。
一度詳しく話を聞く必要があるだろう、そう判断したダンは、ランドルフたちを別室に誘うことにした。
「ここではなんですから、別の棟に応接間がありますのでそこで詳しい話をしましょう。どうぞ付いてきて下さい」
「おお、助かりますぞ! ぜひお頼みします!」
そう言って意気揚々と頷くランドルフを引き連れ、ダンは子供たちに声をかけて教室を後にした。




