楽園へ
「ノア、西大陸の樹精たちの秘境に向かってくれ」
『了解しました』
ダンがそう指示すると同時に、船は目的地に向かって進んでいく。
何故今そこを目的地としたかと言うと、今格納庫に載せている北大陸の人々や動物たちを匿うのにそこが一番都合が良かったからだ。
何せダンが保護している領域は、他二つは暑すぎる。
魔性の森は湿度の高い熱帯雨林で、黒妖たちの郷、エアンナルは酷暑の砂漠だ。
動物たちは元より、人間たちも暑さに耐えかねて死者が出かねない。
その点高き屋根の館を中心とした樹精たちの隠れ里は、高所なだけに気候もかなり冷涼で食料も無限に手に入る。
暮らすにはうってつけなのだ。
もっとも完全な事後承諾なので、長であるダナイーが受け入れてくれるかは別問題である。
「私が直接話を付けるしかないな……」
ダンはそう言って席を立つ。
西大陸の高き屋根の館は、北大陸とほど近い位置にある。もう十分も経たぬ内に着くだろう。
『西大陸の上空二千メートルに到達しました。ただ今より着陸態勢に入ります』
そう考える内に目的地に到達し、船が高度を下げ始める。
「君たちはここで待っていてくれ。まず私が一人で話をする」
「そんな……いえ、分かりました」
竜人たちに待機を命じたあと、ダンは西大陸の地に降り立った。
相変わらず自然豊かな高き屋根の館周辺に降り立つと、ダナイーが小さな樹精たちを引き連れて出迎えに来た。
「あーっ、いしゅべんべんだ!」
「えらい人きた?」
「やあ、イシュベール! 久しぶり、というほどでもないがしばらくぶりだね。……もしかして、先の天を焼き尽くす光と、あの火を噴き始めた山の件についてかな?」
顔を合わせるなり、ダナイーは察しよく先回って用件を切り出した。
高き屋根の館からでも、北大陸の大噴火はよく見える。
未だ絶え間なく噴煙が上がっている様は、全ての大陸からでも観測出来るだろう。
「実はそうなんだ、ダナイー殿。貴女に頼みがあってな」
「ふむ……他ならぬイシュベールの頼みとあってはやぶさかではないが……内容によるな。私に何をさせたいんだ?」
ダンに一定の配慮を見せつつも、ダナイーはそう答える。
「ここに北大陸から避難してきた人々や動物たちを住まわせてもらえないだろうか? 先の噴火で彼らは帰る家や住処を失ってしまったんだ。私の考える限り、ここが一番条件に合っていてな」
「なるほど……そういうことか。無論、私たちもかつて噴火と地震の脅威に怯えていた身故に他人事ではない。受け入れること自体は構わない」
「おお、そうか! それではさっそく……」
そうまで言った辺りで、ダナイーが「ただし」と付け加える。
「ここ高き屋根の館は、ニンフルサグ様の聖なる力で守られた聖地。この地には邪心ある者、欲深な者、人を傷付ける意思のある者は近付けない。無理に入り込めば、胸が締め付けられるように苦しみ、最後にはここから逃げ出すしかなくなる」
「相変わらずどういう理屈か分からんが……それは動物たちもそうなのか?」
「いや、動物たちは問題ない。彼らにあるのは『生きたい』という純粋な欲求のみ。適応されるのは人間や亜人のみだ」
ダナイーはそう言ったあと、更に続けた。
「簡単な理屈だ。ここ高き屋根の館周辺は、実体のように見えてニンフルサグ様の心象世界を投影したもの。故にあの御方の心と同調出来ないものは弾かれる。かつてはその機能が封印されていたが、他ならぬ貴方がこの地の機能を復活させたことで、邪悪なものは寄り付かなくなった」
そう少し得意げに語りながら、ダナイーは光に照らされて宙に浮かぶ大樹を見上げる。
「なるほどな……。まあ彼らは北大陸で素朴な狩猟生活を営んできた朴訥な人々だ。悪心とは無縁だと思うが……ひとまず紹介はさせてもらおう」
「ああ、そうしてくれ」
ダンはそう言うと、ノアに命じて格納庫のハッチを開かせる。
すると奥から、毛皮を着た北大陸の住人たちと、それに続いて獣たちがゾロゾロと降りてくる。
「こ、ここは一体!?」
「なんと美しい場所だ……」
「皆さん、長旅お疲れ様でした。……とは言っても三十分も経っていませんが。ここは西大陸の山の奥地です。ひとまず皆さんにはここで暮らして頂こうと思っています」
ダンがそう言うと、北大陸の島民たちは顔を見合わせながら歓声を上げた。
「お、おお……! まさかこんな短時間で新天地に! 感謝致します、尊き御方よ!」
「いえ……まだです。この地の主は私ではなく、このダナイーですから。彼女に認められて初めて移住が叶うと思ってください」
そうダンが紹介すると、ダナイーが一歩前に出て言った。
「ふむ……いいだろう。全員受け入れよう」
「おお!」
「……いいのか? 確かにその方が私も助かるが」
存外あっさりと受け入れたダナイーに、ダンの方が心配になり声を掛ける。
「ああ、どうやらあなたの言った通り、悪心を持たない朴訥な人々らしい。もしそうでなければ、今のこの時点で何らかの不調を訴えているはずだからね」
ダナイーはそう言ったあと、避難してきた島民たちに向かって言った。
「皆のことを歓迎しよう! 私は樹精のダナイー。この地に五千年の長きに渡って住んでいる」
「ごっ……!?」
その桁外れの年齢に、島民たちは言葉を失う。
「ここに住む前に一つだけ守って欲しいことがある。ここでは狩りはやめて欲しい。ここの動物は人間も動物も食わない。皆木の実や果実、茸などを食べて生きている。新たに来た動物たちも、やがてはそうなっていくだろう。皆にも遵守して欲しい」
ダナイーはそう前置きしたあと、こう続けた。
「もっとも釣り程度ならしても構わないがね。ここは慈悲深き地母神の加護により、果実や野菜などを植えれば、季節を問わずにいくらでも質の良いものが生えてくる。故に飢えることもなければ取り合う必要もない。人間も動物も分け合って仲良く暮らせるならそれが一番だろう」
「おおお……!」
その言葉を聞いた島民たちが、目を輝かせて頷く。
果実や作物などがいくらでも年がら年中採れるというのは、ダンも初めて知ったことだ。
もしかしたらここは、果樹園にでもすれば凄まじいことになるかも知れない。
「それと……家を作るために木を切るのは構わないが、必要以上に木を切るのはやめて欲しい。冬に薪が必要なときなどは、木に頼めば古くなった枝を分けてもらえる。ここにある森の木は全て私の眷属だ。皆言葉が分かる故に、わざわざ傷付ける必要はない」
「…………本当か? それは」
あまりにトンデモ過ぎてダンすらも口を挟んでしまう。
しかしダナイーはそれに笑みを浮かべながら答えた。
「ふふふ、他ならぬイシュベールまでも信じられんようだ。お疑いならちょうどそこにある木で試してみるといい。幹を軽く叩いて話しかければ答えてくれるはずだ」
「…………」
ダンはそれに半信半疑ながらも、念の為試してみることにした。
「すまない、古くなった枝を一本分けてもらえないだろうか?」
『…………』
すると次の瞬間――ポトリと目の前に、しっかりとした太さの枝が落ちてきた。
「うおおおーっ!」
それに島民たちは大喜びで歓声を上げる。
その余りの常識外の光景にダンは頭痛を覚えながらも、ニンフルサグの領域はなんでもありなんだと言うことで割り切ることにした。
「ここでは植物に感謝し、願えば全て与えてくれる。だからくれぐれも大切にしてやってくれ。言葉は無くとも彼らは生きているんだ」
そう締めくくるダナイーに、避難してきた島民たちから万雷の拍手が降り注ぐ。
「まるで"エデンの園"だなここは……」
そんな中、ダンはふとそう漏らす。
「ほう。なんだいそれは?」
「……私たちの間で伝わる楽園のことさ。そこでは飢えることも凍えることも苦しむこともなく、動物も植物も人間も、皆が楽しく遊び暮らす場所だ。そして中枢には、生命の樹という、美しく神聖な大樹が鎮座しているという」
ダンがそう言って高き屋根の館の宙に浮いた大樹を見やると、ダナイーも釣られてそちらに視線を向ける。
「ほう、それは……そのままだな?」
「ああ、そのままだ。もしかしたら我々の世界に伝わるエデンの園も、アヌンナキの誰かが創ったものなのかも知れないな」
ダンはそう仮説を立てる。
旧約聖書の中には、大洪水伝説などシュメール神話に影響を受けた部分が多く散見される。
特にエデンの園は、シュメール文明の発祥の地であるチグリス・ユーフラテス川の上流のアルメニア高原に実在したとも言われている。
時とともに名前や伝承は変わったが、そこにアヌンナキたちが関わっていても何ら不思議ではないように思えた。
「ほう……ならばここはさながら"新生エデン"と言ったところかな? 七柱の神々の眷属たる我らがその地の名を継ぐのも必然だろう」
「まだそうと決まった訳では無いが……なかなかいい名前だ。ならばここは今後、『エデン』と呼称しよう。やがて誰しもがここを目指し、羨望する平和の楽園となるよう願うよ」
ダンはそう言って、現実世界とは思えない山間の楽園を見て、この先の未来に思いを馳せた。




