エンリルとの戦い③
『貴様、エンリル!! あれはお前を慕い、長年尽くしてきた我が子のような者たちだろうがァッ!!』
『ふははは!! これは面白いことを言うなマルドゥリン!! あんなものは虫けらも同然、畑に撒いておけば勝手に生えてくる雑草よ!! あのような奴隷種どもに感情移入するとは、長い年月で貴様の魂も相当衰えたと見える!!』
そう珍しく激昂しながらニードルガンを撃つダンに、エンリルは嘲笑うように雷で迎撃する。
それを他所に、今の光景を受け止めきれずに、ベータは呆然自失のまま呟く。
「そん、な……我が主神……我が一族は、長年あなた様の言いつけを守って……」
「諦めろ……あれが我らが主神の正体だ。主神……いや、エンリルの正体は血も涙もない魔王だった。だが、マルドゥリン、真なる主神が我らの救済を約束して下さった。故にこれから我らは、マルドゥリンの眷属とならねばならない」
アルファはそう宣言したあと、今の光景を見て、ショックで固まっている別の同族たちに向かって宣言する。
「見たか、同胞たちよ! あの主神の無慈悲なる行いを! 彼の者は我らのことなど気にかけてもいない! エンリルは我らの祈りや献身を嘲笑い、虫けら同然に思っている! 我らは仕える神を間違えたのだ!」
「…………!」
そのアルファの宣言に、同胞の竜人たちも目を見開くが、今の光景を見た以上、それを否定出来ずに黙り込む。
「だがまだ希望はある! マルドゥリン――イシュベールは我らをこの不毛な凍獄から解放し、新たな楽園へ導くと約束して下さった! 故にこの戦い、マルドゥリンが勝てば我らはこの世界の何処にだって飛び立てる、自由が手に入るのだ!」
「自由……!」
「自由だって……!?」
アルファの言葉に、竜人たちの目に生気が戻る。
「そうだ、だから我らの新たなる主神の勝利を祈れ! 我らは神々の戦いに割り込むほどの力はない! だが、少なくとも祈り、この戦いの顛末を見届ける義務がある!」
『おい、先ほどから喚いているそこの小虫……不快なり、消え失せよッ!』
「がっ!?」
そう言葉の途中で、エンリルから雷撃が飛んでアルファの身体を撃ち抜く。
咄嗟にベータを投げ飛ばして娘だけは守ったものの、アルファは身体をくの字に折りながら力なく墜落していく。
「は、母上!?」
「い、今のを見たか、ベータ……! あの暴力性こそエンリルの本質……! お前はこれからイシュベールに仕え、部族の者たちを教え導くのだ……!」
アルファは地面に墜落寸前にどうにか娘に身体を支えられながら、うわ言のように言う。
「は、母上! 母上ぇ! 嫌だぁ! 死なないでよぉ!」
『ふははは! 虫けらの分際で俺を非難するなど烏滸がましい! 貴様ら畜生は飼い主の命に従っていれば……ぐおっ!』
『――対象の胴体の破壊を確認』
そのこちらからの注意が逸れた一瞬の隙を見逃さず、ノアはエンリルの横腹に見事レールガンを命中させる。
『でかしたぞ!』
ダンがそう叫んだ瞬間――
『ぐ、はははは! 今のは効いたぞ、デク人形! 褒美に我が雷霆をくれてやる!!』
『……ッ! 損傷率15パーセント。メインバッテリーから漏電発生。活動限界まであと三十分』
エンリルは何事もなかったかのように復活し、ノアに向かって雷を浴びせ掛ける。
先ほどノアが吹き飛ばした胴体を見るとそこでは――周囲の塵のようなものが集まって、再び身体を再構成しつつあった。
『まさか……あの身体自体もナノマシンの集合体か!?』
ダンはそう結論付ける。
先程の異常な修復速度の速さと、胴体の半分を喪失しても大した影響を受けてなかったことから間違いない。
あの翼獅子の実体そのものが存在しないと言って差し支えなかった。
『ほう……気付いたか! だが分かったところでどうする事もできん! 貴様はここで、我が復活の贄となるのだマルドゥリィィィィンッ!!』
エンリルはそう咆哮を上げながら、ダンに向かって突進する。
『くっ……!』
ダンは顔を歪めながら、翼獅子の姿を取ったエンリルから、ジェットパックを吹かして急いで距離を取る。
確かにその通りだった。
知ったところで、エンリルには実弾の兵器は効かない。倒すには面の火力で焼き払う他ないということしか分からないのだ。
しかし、あのような巨体を、回復する間もなく一撃で焼き払うなど、相応に手段が限られる。
ダンが今背中に背負っている核兵器などはまさにそれなのだが、あの巨体で猫科の猛獣のように素早く動き回る相手に、鈍重なミサイルランチャーなど当たるはずがない。
その上、この距離で撃てば竜人たちは元より、自分たちまでも爆風に巻き込まれて消し飛ぶ可能性があった。
(…………いや、待て。ナノマシンなら、あの手が使えるんじゃないか!?)
そんな時ふと、ダンの脳裏にある考えが浮かんだ。
今のダンでも可能で、ナノマシンに絶大な威力を持ち、点ではなく面でダメージを与える大規模な攻撃兵器。
しかしこれは自分たちですらダメージを受ける諸刃の剣であった。
(いや……もう迷っている暇はない!)
『ノア、自身と本船の両方に電磁シールドを張れ!』
『――了解しました。電磁シールド展開します』
ダンはそう命令を下すと同時に、背中のミサイルランチャーを構え、核兵器をエンリルではなく、あろうことか真上に向かって撃ち放った。
『ふははは! なんだ、とうとう頭がおかしくなったのか!? ……いや、待て。貴様、まさか!!』
エンリルもダンの狙いに気付いたのか、その声に焦りの色が浮かぶ。
『もう遅い! 電気信号を介するナノマシンはこの攻撃には耐えられまい! お前の負けだ、エンリル!』
ダンはそう宣言すると同時に、煙の尾を引きながら上空にすっ飛んでいく核弾頭とは反対方向に逃れる。
『全員、耳を塞いで出来るだけ遠くに離れていろ!!』
「!?」
続けざまにダンがそう叫ぶと、竜人たちもその指示に従って慌てて核弾頭から距離を取る。
唯一、ベータとアルファだけが、マグマが侵食している山肌に取り残されていたので、ダンは覆いかぶさるようにその場に降り立った。
「マルドゥリン!?」
『伏せていろッ! 顔を上げるなよ!!』
そうダンがベータの頭を押さえ込んだ、次の瞬間――
カッ
と世界中が真っ白に塗り替えられたと錯覚するような強い光と共に、凍土の山肌にかつてないほどの爆風が吹き荒れる。
「キャアアアアア!」
『口を開けるな! 舌を噛むぞ!』
ダンは母子が爆風に吹き飛ばされないように支えながら、そう声を掛ける。
スーツに搭載されているガイガーカウンターが、カリカリと激しく音を立てる。
ダンが行ったのは"EMP核攻撃"であった。
爆風で直接焼き払うのではなく、核爆発から発生する電磁パルスによって電子機器の制御を狂わせる。
ナノマシンは電気信号によって互いに連携し合って動くのは、例の西大陸での"魔法"の解析によって判明している。
即ち、電磁パルスによって電気信号が乱されたら、ナノマシン同士の連携が取れずに制御がめちゃくちゃになるのは容易に想像が出来た。
しかしそれはダンたちも同じ。ノアは元よりダンも身体の90パーセント近くを機械化している。
SACスーツはそれなりに電磁波も防いではくれるが完全ではない。今ダンの視界の隅には、ひっきりなしに身体の異常を知らせるエラーコードが流れ続けていた。
(くそっ……これは機能の復旧に相応の時間がかかりそうだ)
ダンがそう内心で舌打ちしていると、やがて爆風は収まり、きぃん、と轟音の残響を除いて辺りに静寂が訪れる。
顔を上げるとそこには――爆風で少し抉れた山肌と、よろよろとこちらに向かってくるエンリル、もとい翼獅子の姿があった。
その姿はドロドロと半ば溶けており、ナノマシンを統制出来なくなって、原型を保てなくなってしまっているようであった。
『お、おおおのれ、ママ、マルドゥマリン! どこへ行ったぁぁぁぁ!!』
それでなお殺意は衰えておらず、半分融解した身体のまま、ズルズルと引きずってこちらに向かってくる。
そしてその溶けた顔の横から、コントロールコアらしき、赤い十二面体の物体が姿を覗かせていた。
『あれか……ぐっ!』
「マルドゥリン!?」
ダンが立ち上がってとどめを刺そうとするも、身体機能のエラーが出てうまく動けず、その場に膝を付く。
恐らくノアも同じ状況だろう。電磁シールドを張っているので中枢部の決定的な破壊は免れてはいるものの、身体の細かなエラーはどうしても起きる。
復旧までまだまだ時間がかかると見てよかった。
そんな中で、唯一まともに動けるのは生身でなおかつ無傷のベータだけであった。
「マルドゥリン、母上が……母上がさっきから息をしていないんだ……!」
『ベータ……落ち着いて聞け。このままでは、君の母は元より、私も君もここで死ぬことになる』
「…………!」
ダンは泣きながら訴えかけるベータに、そう無慈悲な現実を突き付ける。
エンリルは視界はないようだが、レーダーか何かで大まかに感知しているのか、まっすぐこちらに向かって来ている。
半ば崩壊した足で進む歩みは鈍足ではあるが、ダンの身体の復旧が間に合うかは五分と五分。
それでなくとも山頂から流れ出てくるマグマが、徐々にこちらに向かって来ているのも見える。
ここが呑まれるのも時間の問題と言えた。
『君に私のナイフを預ける。それで奴の顔の横に突き出た赤い石……あれを突き刺せばエンリルは機能を停止するだろう』
「…………!」
震える手でナイフを手渡してくるダンの言葉に、何を言いたいのか理解したのか、ベータは緊張ではっと息を呑む。
『君が選べ……私は強制はしない。そのナイフを使って、これまでの信仰に別れを告げて母の仇を討つか、それとも何もせずに逃げ出すか』
「う、うう……!」
ベータは震える手で、ダンの渡した漆黒の刀身の高振動ナイフを見やる。
彼女にとってはエンリルは母と同胞の憎き仇、しかしそれと同時に恐怖と畏怖の対象であった。
神を殺す――ダンにとってはエンリルなど、文明を悪用した宇宙規模の犯罪者に過ぎない。だがベータにとっては紛れもなく創造主であり神だ。
故に、ダンは少しだけ背中を押してやることにした。
『君の主は君自身だ。私でも奴でもない。神ではなく君自身でやりたい事を決めろ。もし上手くいかなかった時は……私が何とかしてやる。それが神の仕事というものだ。もっとも私は、ただの真似事に過ぎんがな』
「…………」
その自嘲の籠もったダンの言葉に、ベータは自身の心がふっ、と軽くなった気がした。
そうだ、今自分の後ろには偉大な存在がついている。
エンリルを信仰していた時にはついぞ感じられなかった、何か大きなものに後押しされているような不思議な感覚。
ベータは不思議と恐怖を感じることなく、自分の何十倍もあるかつての神の成れの果て、エンリルに向かって飛び出した。
「うああああああッ!!」
『何!?』
エンリルは元よりダンしか眼中に無かったのか、突如として反旗を翻した自身の眷属に、まともな反応すら出来なかった。
そして、ベータの持つナイフが翼獅子のコントロールコアに突き刺さり、バチバチと放電しながら致命的な傷を与える。
やがてザラザラと身体が砂のように崩れ始め、エンリルは完全に身体のコントロールを失った。
『おのれ、マルドゥリン……! まさか我が眷属までたらしこむとは……。だがこれでは済まさんぞ。俺は必ず舞い戻る。その時は必ず、この地上を絶望で塗り潰して……』
そう最後まで言い切らぬ内に、翼獅子はサラサラと崩れ落ちて完全に沈黙する。
その場には肩で息をするベータと、砂のように崩れ落ちたナノマシンの残骸だけが残されていた。




