エンリルとの闘い①
「母上!」
アルファがダンと共に客室から姿を現すと、ベータが二人に駆け寄ってくる。
アルファはそれを一瞥して、冷たい声で言った。
「ベータ、お前には自室での謹慎を命じていたはずだ。ここで何をやっている?」
「い、いや、あの……母上が心配で……」
「お前に心配されるほど弱くはない。分かったら今すぐ自室に戻れ」
『……いや、アルファ殿、彼女とてこの地の関係者だ。最低限の情報共有くらいはしておいた方がいいのではないか?』
「…………!」
ダンがそう助言するも、ベータはキッとそちらの方を睨みつける。
アルファはその言葉に少し考え込んだあと言った。
「そうだな……では、我々はマルドゥリンとは敵対しないことにした。この互いのことを何も知らない状態で、殺し合うのは余りに不毛だ。下手をすれば共倒れになりかねない」
族長のその宣言に、集まっていた竜人の者たちは一斉に動揺する。
中でも一番に声を上げたのは、実の娘であるベータであった。
「そ、そんな……我らは誇り高きエンリル神の眷属! だと言うのに、山の館を守護する使命を捨てて、マルドゥリン如きに我らが聖地を明け渡すと言うんですか!?」
「そうだ、愚かな娘よ。お前はエンリル神の使命とは言うが……私はまず部族の存続を考えねばならん。マルドゥリンは既に数多のアヌンナキの試練を乗り越え、その力を受け継いでいる。その強さたるやどれほどのものか想像も出来ん。まともにぶつかれば我らとてただでは済むまい。……ならば、我らの出る幕はなく、神々同士で決着を付けてもらうのが一番良いと考えたまで」
「し、しかし、それでは……エンリル神からの使命は!? 我らは一体なぜこんな場所に何千年もの間縛られねばならなかったのです!?」
今度はベータではない、別の竜人が言う。
「エンリル神からの使命というのはあれか? 『マルドゥリンが現れたら攻撃を仕掛け、あわよくば殺せ』という。それをすることに一体どういう意味があるのか、それを成したら何が与えられるのか、主神は一度でも我らにその先をお示しくださったことがあるのか?」
「ア、アルファ……」
アルファのエンリルを非難したとも取れる淡々とした言葉に、敬虔な眷属である竜人たちの中にも動揺が広がる。
その動揺を断ち切るように、アルファは言葉を続けた。
「ともかく……我らはマルドゥリンには干渉しないことに決めた。我々は自身の部族を守ることを優先する。以上だ」
「…………ッ!」
そうアルファが宣言した瞬間、ベータが外に向かって駆け出してしまう。
「ベータ!」
他の者がそれを追いかけようとするも、アルファがそれを制止する。
「追うな! あの愚か者は放っておけ。とにかく今後はマルドゥリンに対して無用な手出しは禁ずる。これは族長命令だ!」
アルファがそう宣言すると、他の竜人たちも渋々ながら従う様子を見せる。
ダンはそれを確認したあと、アルファに向かって言った。
『話は纏まったか? では私は先に進ませてもらおう』
「ああ、今後我らからお前に敵対することはない。だが、その……」
そうまで言ったあと、アルファは歯切れが悪く言った。
「もしかしたらベータが……先回りをしてお前を邪魔しに来るかも知れない。その時はどうか殺さずに済ませてやってくれないだろうか……。あれでも愚かで可愛い私の娘なのだ」
そう弱気に懇願するアルファに、ダンはふっ、とヘルメットの下に笑みを浮かべて言った。
『もちろんだ。私とてあんな子供を殺したくはない。万が一そうなった場合は気絶させておくから、後で回収しに来るといいだろう』
「感謝する……」
アルファの言葉に頷いたあと、ダンは竜人たちの視線を背に受けながら、巣穴から飛び立っていった。
* * *
少しばかり寄り道をしたが、ダンは再び山頂の山の館を目指した。
少しでもジェットパックの燃料を節約するために歩きだが、体のほとんどの機能を機械に依存しているダンにとっては大した苦ではなかった。
エンリルの遺跡がある山は、地元ではクルガル山と呼ばれているらしい。
上層部はまるで崖のように切り立っており、流石のダンでも手足で登るには苦労が大きかった。
ましてや生身で登るなど超人でもなければ到底不可能だろう。
そんな前人未到の峰を、ノアの助けを受けてようやく登りきったあと――ダンは頂上であるものを見た。
直径十メートルほどしかない頂上の中心に佇む、遺跡と思わしき石碑と――そして、その前で意識を失って倒れている、まだ子供と思わしき少女の姿であった。
『ベータ!?』
ダンはその見覚えのある少女に慌てて駆け寄って抱き起こす。
どうやらダンの前に立ち塞がるために先回りしたはいいものの、頂上の環境のあまりの過酷さに力尽きてしまったらしい。
何せここは0.2気圧。地上の5分の1しか空気がないのだ。
脈を図って見るとどうにか息はあるようなので、ダンは慌てて緊急用の酸素供給器をベータの口に突っ込む。
常人なら既に死んでいて当然の状態だが、どうやら元々高山で住んでいたことと、竜人の心肺能力の高さでどうにか生命を繋ぎ止めていたようだ。
今ベータは頂上の酸素の薄さと低温によって既に仮死状態になっており、ひとまず酸素供給器さえ繋いでいれば、死ぬことはなかった。
『まったく……とんでもない拾い物をしたもんだ。これは今回は諦めるしかないな。ひとまず下山してベータをアルファ殿に預けてから、後日アタックし直すしかないだろう。正直もう一度登るのは憂鬱だが……』
『了解しました』
ダンはそう言ってノアにベータを預けたあと、頂上の中心にある遺跡らしき石碑へと目を向ける。
しかし次の瞬間――
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――死ぬがいい、マルドゥリン
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『!?』
そう耳元で低く唸るような男の声が響くと同時に、ダンの視界が轟音と共に白い光に包まれた。




