悪意の神
「は、母上! 私も一緒に……!」
「お前にはまだ早い。先ほどのこともある、自室で謹慎していろ」
「…………はい、分かりました」
そうピシャリと言い放ったあと、族長の女――アルファはダンを伴ってさっさと奥へ向かった。
『……随分と厳しい躾じゃないか。君たちは実の母子なんだろう?』
ダンは奥の部屋にたどり着く道すがら、そう声を掛ける。
あのベータという少女はダンに対しては敵対的で、唐突に襲い掛かってきた敵ではあったが、見た目はまだ中学生くらいの子供である。
それがあんな扱いを受けているのは些か哀れではあった。
「なんだ? 偉大なるマルドゥリンは、我らの部族内のことまで口を出してくるのか?」
『……いや、そうだな。私が口を出すべきことではなかったか。では本題に入ろう』
掘り進められた洞窟を進んだ先には空間があり、そこには銀の燭台と、岩をそのままテーブルと椅子の形に削り取った客室があった。
ダンはその椅子の一つに座り、アルファに問いかけた。
『まず君たちのことを聞かせてもらえないだろうか? 確か、竜人と言ったな。エンリルの眷属ということで相違ないか?』
「そうだ。……そちらばかり質問するのは対等とは言えんな。一つ答えるたびに、こちらからも一つ質問するが構わんな?」
『一問一答形式ということか。良いだろう。答えられる範囲でなら答えよう』
ダンがそう言うと、アルファは改めてこう尋ねる。
「では……お前はこれまで各地の、七柱の神々……"アヌンナキ"の遺跡を巡礼してきたのだろう? その目的はなんだ?」
『そうだな……元の星に帰るための手掛かりを探すためだ。君らの中で私がどう伝わっているかは知らないが……私は地球という、こことは別の星から飛ばされてきたただの遭難者に過ぎない。そして、私をここに連れてきたのは他ならぬそのアヌンナキだ。故に、彼らの遺跡を巡って帰る手段を探している』
「ならば、お前は全ての巡礼が済めば、元の星に帰るという訳か?」
『いや……私もこちらでそれなりに大事なものが出来たしな。これまで巡ったアヌンナキの遺跡を護ってきた眷属たち、虐げられてきた彼らがまともに生きていけるよう、最後まで面倒を見てから考えるつもりだ。いずれ帰るにしても、いつまでも遭難したままと、帰る目処が付いているのとでは心構えが違ってくるからな』
「…………」
ダンのその答えに、アルファは厳めしい顔で黙り込む。
『私は今二つ質問に答えたな。君にも二つ答えてもらおう』
「……いいだろう。なんだ?」
『君たちのその名前は……何か由来があってのものなのか? アルファだとかベータだとか、私たちの感覚では、あまり名前として使われる印象がない言葉でな。どちらかといえば型式とか記号に近い印象を受けるんだが……』
本筋とは少しズレているが、ダンはそのまるで実験動物に付けるような名前に、どうしても違和感が拭えなかった。
「そんなことか。我らに個としての名前などない。アルファというのはエンリル神が決めた階級に過ぎず、長の血統であるベータはそれに次ぐものだ。その次はガンマ、デルタと続く。私が死んだらベータが後を継いでアルファとなる。ただそれだけのことだ」
「…………そうか」
ダンはなんとなく覚えた嫌な予感が、的中してしまったことにため息をこぼす。
恐らくエンリルは、彼女たちに愛着もなければ何一つ関心もないのだろう。
そうでなくば、こんな何もない不毛の凍土の上に彼女たちを放置したりはしないはずだ。
過酷な環境だったのは他のアヌンナキの眷属にも言えることだが、少なくともウトゥの眠る魔性の森は、人間が奴隷狩りにさえ来なければ、それなりに豊かで食うに困らない場所だった。
主人から寵愛されていたダナイーたち樹精や、大海原を自由に移動していたアダパたち海精は元より豊かな環境で育っていた。
イーラ率いる黒妖族たちですら、幽冥の主なる怪物の侵攻で焼き払われる前は、あの地は砂漠ではなく豊かな森であったという。
彼らは創造主からそれなりに寵愛を受けているのだ。
だがここには何もない。
気温は常に氷点下で、地面は岩のように固まった凍土で、水もなければ草の一本も生えてこない。
彼女たちに与えられたのは、この不毛の大地と、アルファ、ベータといった、システムを滞りなく運用するためだけの無機質な階級制度のみであった。
『その……君たちは普段、どうやって物資を調達しているんだ? 食料や、水などは手に入らないだろう』
ダンは再び本筋から外れたことを質問する。普段彼女たちがどうやって生きているのか、どうしても気になったからだ。
「我々は一週間程度は食べなくても死にはしない。食料も麓の人間に頼めば分けてもらえるしな。とにかく我らはここを離れることを許されていない。老いて朽ちるまで我らはここを守り続け、そして代替わりしてその役目を引き継いでいく。ただそれだけだ」
『…………そうか』
ダンは何ともやるせない気持ちを抱えながら、そう言葉を絞り出す。
彼女たちはただそのために何代もここに待ち続けたのだ。来るかも分からない"マルドゥリンを倒せ"というエンリルからの命令を守り続けて。
少なくともダンに会えた彼女たちはまだマシだ。それまでの、ただ寿命で死んでいった何代もの竜人たちの人生は何だったのだと考えてしまう。
「……ふふふ、我々を憐れむか? マルドゥリン」
『…………!』
ダンが何も言えずに黙り込んでいると、アルファが突如として口を開いた。
「薄々気付いてはいた。我々は主神から愛されてなどいない。ただの道具に過ぎぬということをな。巡ったアヌンナキの遺跡の眷属たちの面倒をいちいち見て回ってるお前からすれば、愛してもくれぬ主神に縋る今の私たちはさぞや惨めに見えることだろう」
『…………』
一人独白するアルファに、ダンは内心を見透かされたように感じて黙って耳を傾ける。
「それでも私たちは、この地から離れることが叶わぬ。我ら竜人は呪われた民であるが故に」
『呪われた民、とはどういう意味だ?』
ダンの問い掛けに、アルファは答えた。
「――我ら竜人には、ここクルガル山の山頂にある、山の館から離れると急激に老化する呪いが掛かっているのだ。以前ここでの生活に耐え切れず、麓に降りた者が居たが……その者は二年も保たずに老婆のようになって衰弱死してしまった。これは……代々アルファになった者しか知らされぬ秘密だがな」
『なんだと……!?』
ダンは、その余りに非道な処置に声を上げる。
エンリルは彼女たちに呪いのような遺伝子操作を施して、この地に強制的に縛り付けていたようだ。
彼女たちだって愚かではない。何度もここを離れようと考えたときはあったのだろう。
だがその度にその呪いに阻まれて、否応なくここに縛り付けられていたのだ。
「だから私たちは……エンリル神が悪意の神であると薄々分かっていても、信仰を失う訳にはいかん。もしそれがバレて、皆がバラバラにこの地から飛び去ってしまっても、その先に待つのは一族の破滅でしかないのだから」
『……よく分かった。君たちのその呪いとも取れる症状に関しては、後で私が調べて何とかしよう。もしかしたら私なら治せるかも知れない』
「……!? ほ、本当か!?」
ダンの言葉に、アルファは驚いたように目を見開く。
『ああ、私はこれまでアヌンナキの遺跡をいくつも受け継いでいる。中でもエンキの水の館は、生命工学の真髄が詰まっていると言っていい。恐らくその分野に関しては、エンリルよりエンキの方が遥かに上だろう』
「そうか……同じ七柱の神々のお力なら……! マルドゥリンよ、我が一族の命運、お前に託しても構わないのか? 我々はエンリル神の眷属であり、お前の敵だぞ」
『エンリルがどうあれ、私から君たちに思うところはない。敵と言っても跳ねっ返りの少女が一人襲ってきただけだしな。君たちはもう十分苦しんだ。ここから先は私が何とかしよう』
そう言って手を差し伸べるダンに、アルファは瞑目したまま、自嘲じみた笑みを浮かべた。
「ふ、ふふ……そうか、やはりマルドゥリンの方が善神だったのか……。何故私たちはエンリルの眷属などに産まれてしまったのだろうな……」
『…………』
そう涙声で呟くアルファの言葉に、ダンは何も言えずにただ黙って耳を傾けた。




