氷山にて
カラン、とノアが右手で弾いた手製の石槍のようなものが地面に落ちる。
『敵対行動を確認、戦闘態勢に入ります』
『何者だ! 両手を頭の上に挙げて後ろを向け!』
ダンがそう大声で威嚇しながら槍が飛んできた方に銃を構えると、そこには――
「貴様……その特異な姿、そして銀色の船、"マルドゥリン"だな?」
バサバサと背中に生えた爬虫類のような羽で飛翔する、人型の異種族の少女がこちらを憮然と見下ろしていた。
『なっ、異種族だと? こんな寂しい場所で……』
「貴様のことは、我が御主の命令により、手厚く歓迎してやれと命じられている! 聖地に赴くまでもない、ここで凍土の一部と化すがいい!」
『――敵の口腔内から高エネルギー反応。制圧致します』
『詳しく話を聞きたい。命までは取らないでやってくれ』
『了解しました』
そうダンが呼び掛けると同時に、ノアが背中のエンゼルウィングを吹かして、その少女に突貫する。
「がっ……!?」
――そして目にも留まらぬ速さで女の腹に拳を突き入れたあと、スレッジハンマーで地べたの上に叩き落した。
ノアは即座に追撃を仕掛けたあと、凍土の上で悶絶する少女の首に足を置き、頭に銃口を突きつけた。
『抵抗はやめて下さい。当方の指揮官はあなたとの対話をお望みです。抵抗しなければ命を奪ったりはしません』
「くっ……!」
ノアに押さえつけられながら、少女は悔しそうに顔を歪める。
しかしその時――
「その辺にしてくれ。その者は私の娘だ。これ以上手を出すと言うなら、一族総出でお前の相手となるぞ」
「は、母上……!」
吹き荒ぶ吹雪の向こう側から、目の前の少女と同じ、爬虫類のような羽を生やした女たちの一団が現れる。
その足はまるで恐竜のように鱗に覆われ、ずしりと凍土を踏みしめる足は、人間くらいなら容易く引き裂けそうなほどに大きな爪が生えていた。
その額からは二本の角が生え、人間の少女のような顔でありながら、口元からは太く鋭い牙を覗かせていた。
『……敵対行動を取ってきたのはそちらだ。それ以上こちらに近付くな。全員その手の槍を捨てて手を挙げろ。私が女子供を撃てないと思ったら大間違いだぞ』
ダンは現状に驚きつつも、それをおくびにも出さず乱入してきた女たちにニードルガンを向ける。
もちろんこれは脅しである。太陽系連合における軍事規則に基づいて、規制されているダンの引き金はそれほど軽くない。
組織立って軍事行動を取る集団相手にならともかく、手槍を武器に使うような未開人相手に引き金など引けるはずがない。
なのでこれは、相手を引かせるための示威行動である。
「ふん、そちらが我らの縄張りに勝手に踏み入ってきたから、その者が攻撃したまでだ。どちらに責があるかなど明らかだろう」
『詭弁だな。そこの女は私のことをマルドゥリンと呼んだ。その名前を知っているのは、私の目的を知っている関係者のみだ。つまりその女は、縄張りに入った誰かを無作為に襲った訳ではなく、私を誰だか認識した上で敵対行動を取った。よって排除すべき敵なのは明らかだ。10秒くれてやる。それまでに私の指示に従わなければ、この女の頭を吹っ飛ばす。10……』
「ちっ……おい、皆の者、槍を捨てろ!」
そう代表者らしき女が言うと、羽を生やした女たちは渋々槍を足元に捨てる。
『両手を頭の後ろにして後ろを向け。どうやらお前たちは口から妙な熱エネルギー体を吐くようだからな。顔を突き合わせての話し合いをするつもりはない。妙な真似をしたらどうなるか分かっているだろうな?』
「ちっ……」
ダンがそう指示を出すと、女たちは全員こちらに背中を向ける。
全身を覆う毛皮のローブのようなものの隙間から、まるで爬虫類のような長い尻尾が見える。
一体どういう種族なんだと思いながらも、ダンは淡々と指示を出した。
『ノア、その女を立たせて人質にしろ。奴らが妙な真似をしたらすぐに首をへし折って構わん』
『了解しました』
「やめろ、離せよ!」
「ベータ! 余計なことをするな、この無能め……。お前のせいで部族全員が危険に晒されていることが分からんのか!」
そう代表者らしき女が一喝すると、ベータと呼ばれた少女は――ノアに首を腕で固定されて頭部に銃口を突き付けられたまま、シュンと項垂れる。
「ご、ごめんなさい、母上……」
『家族ごっこに付き合うつもりはない。そのまま進んでお前たちの集落に案内しろ。わざと遅らせたり、妙な時間稼ぎをしたら誰か一人の足を撃つ。誰か逃げたり後ろから回り込もうとしても同じだ。人質はこっちにいることを忘れるなよ』
「外道め……」
女はそう吐き捨てるように言いながら、大人しくこちらに背を向けて歩き出す。
ダンは自身の戦闘プログラムに、太陽系連合における"子どもの権利条約"という縛りが設けられている。よっていついかなる場合においても十八歳未満の子供相手に引き金を引くことは出来ない。
相手が大人しく指示に従ってくれることを願うしかなかった。
「ここだ……」
案内された先には、十メートルほどの高さの場所に、山肌の岩壁を掘り進んだであろう大穴が空いていた。
まるで蟻の巣だなと思いながら、ダンは相手の背中に銃口を向けたまま命令する。
『全員飛んで先に中に入れ。私たちは遅れて入る。おかしな真似をするなよ。ノアがお前らの動きを察知して、行動に移すのに0.1秒も掛からんぞ』
「分かっている」
リーダーらしき女がそう言ったあと、奴らは全員翼をはためかして穴の中へと入っていく。
それを確認してから、ダンとノアもジェットパックを吹かして穴の中へと飛び込んだ。
彼女たちの巣の中には――意外にもそこそこ文明が発展しており、内部には一定間隔で燭台と、そして毛皮を繋ぎ合わせて作った絨毯のようなものまで敷かれていた。
『てっきり穴ぐらで原始的な生活をしているものと思ったが……意外と中は整理されているんだな』
「舐めるなよ……! 私たち竜人は、麓の人間どもからは神の使いと崇められているんだ! 貢ぎ物もあるし、そこらの亜人どもとは格が違う!」
ダンの独り言に、ベータがそう反応する。
「余計なことを言うな、ベータ!」
「も、申し訳ありません、母上……」
そう叱責に怯えすくむ少女を他所に、その女は言った。
「……さて、我々の住処にまで足を踏み入れて、一体どうしようと言うんだ?」
『そちらが抵抗しないならどうもしない。少し話を聞きたいだけだからな。それが終わったらこの子供もそちらに返そう』
「ふん……意外だな。エンリル神からの言い伝えでは、いずれここに訪れるマルドゥリンは、主神の座の簒奪を目論む血に飢えた怪物だと聞いたが」
『生憎だがエンリルと私は直接の面識はない。顔も知らん奴にどう言われようと私の行動は変わらんが……君たちが何故私を見るなり襲い掛かってきたか、その理由はなんとなく想像は付いた』
ダンはそう言うと、ノアに命じて少女を解放させる。
ベータは、こちらをちらっと見たあと、慌てて仲間たちの方へと駆け出した。
『見ての通り、私は武力や人質をもって君たちの意思を侵害しようとは考えていない。ここに来たのはあくまで対等な話し合いのためだ』
「……いいだろう。竜人の族長として、このアルファが話を聞こう」
アルファと名乗った銀髪で長身の女は、他の者たちを下がらせたあと、ダンを奥の応接間らしい穴ぐらへと誘った。




