降臨
『北大陸八千メートル上空、目標地点付近に到達しました。ただいまより着陸態勢に入ります』
ノアのその無機質な音声とともに、徐々に高度が下がっていく。
モニターで見える北大陸の環境は、寒風吹き荒ぶ永久凍土の地であり、横殴りに降り続ける粉雪と、そびえ立つ高い山脈が特徴のなんとも厳しい環境の地であった。
ヘラジカのような野生動物が見えたり、野ウサギのような動物も居たりと、一応生き物もそこそこに散見される。
どうやら人間もそこそこ住んでいるようで、麓では集落らしきものもいくつか見つけることができた。
「白銀世界というのははたから見る分には美しいが、実際に暮らすとなるとなかなか大変そうだな。……ノア、外の気候はどんな感じだ?」
『地表付近は摂氏マイナス12℃、風速三メートル。目的地である標高11000メートルの山頂付近ではマイナス86℃に到達し、風速一五メートル、気圧は地上の五分の一に相当します』
「とてもじゃないが生物が生きていける環境じゃないな……。もしイーラが来ていても呼吸のひと吸いで失神して死んでいただろう。そういう意味でも置いてきて正解だったか」
ダンはそうしみじみと言う。
アヌンナキの遺跡は大抵人間ではたどり着けないような極地にあるのだが、その中でもこことエンキの水の館は極めつけだ。
火星にもオリンポス山という二万メートルを超える火山があるが、あれは海がないので平均重力面からの高さだからだ。
海抜換算で一万メートル超えの山はこれまで見たことがなかった。
「ずいぶんと峻険な山だが……何処かに降りれるような場所はあるのか?」
『スキャンした結果、八千メートル地点に一万平方メートル以上を超える平らな凍土を確認しました。その地点なら着陸可能です』
「……ということは、残る三千は装備を担いで八甲田山か。やむを得んな」
ダンはそうため息混じりに準備を始める。
八甲田山を遥かに超える危険な行軍だが、既に生身ではなくなっているダンにとってはそれはさほど問題ではない。
それよりも、気温が低すぎて装備が不具合を起こさないかどうかの方が心配であった。
『船長、これまでのアヌンナキの試練の傾向から、本機の護衛型アンドロイドに"飛行型特殊兵装"の使用許可を願います』
ダンが兵器庫で装備を整えていると、突如としてノアからそう提案される。
"飛行型特殊兵装"とは、ノアの背中に装着できる大型のジェットパックのことである。
最大二十時間の連続飛行が可能であり、最大時速はマッハ2.5。
小回りも利いて制動力にも優れるという装備だが、使用している重水素がなかなか手に入りづらいのと、飛行した際に発生する大量のトリチウムが環境に悪影響を及ぼすので、これまでは使ってこなかった。
しかし今回ばかりはそうも言っていられなさそうであった。
「分かった、許可しよう。それに伴ってこの船の全ての兵装の制限も解除する。使えるものは全て使って、目の前の山場を乗り切ろう」
『了解しました』
ダンもそう言って、SACスーツを着たあと、重量級の高火力装備を探す。
腰にグレネードを付けて、いつも通り高振動ブレードも背中に据えていると――ふと、ある一つの装備が目に入った。
一・五メートル近い長い筒の先端に、丸っこい弾頭のついた何処となく不格好な兵器。
「…………核か」
ダンも、アクリルケースに保管されている筒状のミサイルランチャーを見て、流石に使用を躊躇う。
この核は"スポーン"と呼ばれる持ち運び出来る小型核兵器であり、先端に卵のような弾頭が付いた砲塔の形をしている。
あの悪名高き"デイビークロケット"の流れを汲む核ミサイルランチャーだ。
使用は一発限りであるが威力は絶大で、半径二百メートルを4500℃で焼き尽くし、辺り一帯がマグマと焦土と化す。
巻き込まれればダンとてただでは済まないが、それであるが故にアヌンナキの試練と称して、襲い掛かってくる機械獣にも一定の効果が期待できた。
また使用するのは標高11000メートル以上なので、人界に与える影響も限定的と言えた。
「やむを得んか……」
ダンはアクリルケースに包まれたそれを厳重に取り出したあと、背中に背負ってベルトで固定する。
周りの環境に対する悪影響は懸念されるが、そこを気にして死んでしまっては元も子もないので、手段を選んでは居られなかった。
そしてスカルフェイスのヘルメットで顔面も覆い隠したあと、ニードルガンを装備して兵器庫の外へ出た。
そこでは既に、すっかり装備を整えたノアが、乗降口を前に待機していた。
『携帯型荷電粒子砲に、電磁砲か。エネルギーは足りるのか?』
『問題ありません。飛行型特殊兵装には五基のエネルギーチャージャーが搭載されております。粒子砲なら五発、電磁砲なら十発以上の連射が可能です』
ノアはナノマシンを通じたハッキング対策用のガスマスク越しにそう応える。
その背中には、厳しく機械で象られた二対の翼と、頭部には天使の輪のような形の通信アンテナが搭載されていた。
これこそが飛行型特殊兵装――通称"エンゼルウィング"である。
見た目がまさに機械仕掛けの天使であり、あまりにも開発者の趣味が反映され過ぎている。
それもそのはずで、これを開発したのは、稀代のアンドロイド開発者であるジョージ・ヤナギサワ博士であり、どれだけ自分の趣味を残したまま、実用性を追求できるかばかりを考える、変態のような男の作品であった。
『色々ツッコミどころはあるが……カタログ上のスペックは文句の付けようがないからな……。まったくなんであんな変人に天才的な頭脳が宿ってしまったのか』
『何でしょう?』
『いや……なんでもない。では行こう』
ダンはそう言って話を打ち切ったあと、ハッチを開けて船の外に降り立つ。
外界は五メートル以上の激しい横風が吹き荒んでおり、舞い散る粉雪以外は動くものは何もない、完全な死の世界であった。
ダンが周囲の安全を確認して進もうとした、次の瞬間――
『船長!』
ノアの声と同時に、ダンの目の前でガキン、と何か硬いものが弾かれる音が響いた。




