力の理
『南大陸南部、砂漠地帯中央部、イナンナの聖塔付近まで到達しました。たたいまより着陸態勢に入ります』
ノアがそう船内放送を通じて声を掛ける。
「おっと、そろそろ南大陸に着いたようですよ。皆さんも上陸の準備をしてください」
「なんと、もう着いたのですか!? まだ茶の湯の一杯も飲みきってませんぞ!」
「ふはは! ルシウスよ、だから言ったであろう! ダン様は類稀なる偉大な魔術師であらせられると。大陸間など軽々と飛び越えてしまうのだよ!」
驚きのあまり声を上げるルシウスに、デロスが得意げに言う。
「イーラもカスパリウスくんたちを呼んできてやりなさい。彼らにとっては念願の故郷だ。他の子供たちも、ずっと船の中に居ては息が詰まるだろう。ここは安全だし外に出してやっても問題はない」
「分かりました!」
ダンの言葉に、イーラは奴隷市場から連れ出した者たちが集まっている、ベッドルームに向かう。
それを他所に、着陸を果たしたダンたちは、乗降口を開けて、太陽の焼け付く外の世界へと足を踏み出した。
「おおおお! 相変わらず暑いですなあ! たった一週間ぶりとはいえ、この地で我が人生を掛けた大仕事をやるとなると、万感の思いがありますな!」
「ま、まさか……本当に南大陸なのか!? こんな巨大な砂漠、西大陸の何処にもないぞ!?」
すっかりこの地を受け入れたデロスを他所に、未だに現実が受け入れられないルシウスは頭を抱えながらそう叫ぶ。
現地人の基準では、大陸同士をつないで航海するということは、最低でも準備に一月、移動となると三ヶ月以上もかかる大冒険なのだ。
それをわずかお茶を一杯飲む程度の時間で済ませてしまうなど、驚愕を通り越して狂気の沙汰ですらあった。
(魔法ではない……! 魔法にこんな事はできん! 一体何者なのだこの御仁は!?)
ルシウスは、目の前の男がまるで神の化身か何かのように思えて、心底畏れを抱いた。
「イナーンナルトゥ……! これはまさしく南大陸の渇いた大地! まさか生きて再びこの地を踏めるとは……感謝します、女神よ!」
それを他所に、カスパリウスは砂漠の上に片膝をつきながら、南大陸語で自らの神に感謝の祈りを捧げる。
その後ろでは、彼の妹が船内で仲良くなった獣人の子供たちと、キャッキャと砂の上を転げ回っていた。
「イシュベール! そして姫様も、よくお帰りくださいました!」
それを他所に、ダンの船には黒妖族の者たちがぞろぞろと集まってダンの前に平伏する。
「平伏する必要はない。皆仕事があるのだろう? 君たちの生活を邪魔するつもりはないから、各々好きに過ごしていてくれ」
「イシュベールの代わりに私がお話を聞きます! 皆こっちに集まってください!」
「おお、姫様!」
イーラが気を利かせて、黒妖族たちを集めて話を始める。
それを横目に、イゾルデはあきれたように言った。
「まさかあの子、本当にここのお姫様だったのかい!? よくそんな子を闘技場なんて危ない場に出してきたもんさね」
「そんじょそこらの連中には負けないよう、私が鍛えたからな。それでも君やカスパリウス、ドレヴァスの相手をさせるのは肝が冷えたが……本人がやると言った以上私に否やはない」
「――俺がどうかしたのか?」
ダンがそう言うと、横から会話を聞いていたドレヴァスが、酒瓶片手にこちらに近付いてくる。
どうやらこの一週間を砂漠地帯で過ごしても、特に不調になることもなく健康体であるらしい。
「おお、グランドチャンピオン! その後はどうだ!? ここでの暮らしぶりは!」
「悪かねえ。飯も酒も勝手に出てくるし、暑さ寒さも俺にはあまり気にならねえ。……だが退屈だ。ここに居る連中は全員弱っちくてまともな奴ばっかだ。喧嘩を売ってくる馬鹿もいなけりゃ、殴ってスッキリできるゴロツキもいねえ。どいつもこいつもニコニコ親切で反吐が出そうだぜ」
そう言って、ドレヴァスはウンザリしたように言う。
それ即ち黒妖族の民度が非常に高いことの表れでもあるのだが、ドレヴァスはそれが気に入らなかったようだ。
「ふっ、どうやら君にはこの長閑な場所は合っていないらしいな。部下にするにしても配属先は考えなければならんらしい」
「……あ? 誰だお前は」
ダンがそう言うと、ドレヴァスは怪訝な顔でそう尋ねる。
だが、少し考えたあと、その正体に思い至る。
「いや……お前もしかして、あのガキの"中身"かよ?」
「察しが良くて助かるよ、ドレヴァス。如何にも私があのデュラン少年の中身という訳だ。約束の一週間が過ぎた訳だが……例の答えを聞かせてくれるかい?」
「そうだな、その前に……お前、俺と仕合え」
そう言って、ドレヴァスは酒瓶を片手で握り潰したあと、パキパキと指を鳴らしながら言う。
「結局のところ……俺は俺より弱っちい奴の下に付くのはごめんなんだ。部下にしたいってんならそれ相応の実力を見せてもらわなきゃ気がすまねえ」
「なるほど……分かりやすくていいじゃないか。これまで何人も私の前で同じことを言った者たちがいたが、そのことごとくが今は私の下で真面目に職務に励んでいる。君もそうなるだろう」
「ぬかせッ!」
そう叫ぶと同時に突き出された右拳を、ダンは危なげなく大きく躱す。
そして、周りに向かって言い放つ。
「皆大きく離れなさい! ドレヴァスの拳は火の粉が飛び散って危険だ! 巻き込まれるぞ!」
「!?」
ダンがそう言うと、周りの者たちは潮が引くように慌てて距離を取る。
「おお、グランドチャンピオンとあの偉丈夫たるダン様の決闘でございますか! これは金を取らずに見るのはもったいないほどのカードですぞ!」
「デロス! この闘技場バカめ! 死にたいのか!?」
興奮するデロスをルシウスが無理やり引き下げると、自ずと戦いが始まった。
「ふん……おあつらえ向きにリングが出来たようだな」
「そのようだ。君の拳は周りには少し危険だからね。オーディエンスに怪我人が出ないよう、私も少し本気を出そうじゃないか」
「ふん……出来るもんなら――やってみろッ!!」
ドレヴァスはそう言うや否や、地面を掬って焼けて赤熱化した砂や礫を投げつけて来る。
「ふッ!」
――しかしダンは、飛んできた礫を、両手で円を描くように受けて、全て掴み取ってジャリ、と握り潰して粉にする。
「なっ……!?」
「す、凄い……」
その離れ業に、周囲のオーディエンスから感嘆の声が上がる。
「ふーむ、グランドチャンピオンを名乗る割には、やることがいちいち狡っ辛いな。砂かけなんてそこらの子供にだって出来るぞ。もっと闘士として恥じない闘いを見せて欲しいものだね」
「……!? 上等、だァッ!!」
その挑発に激昂したのか、ドレヴァスはダンめがけて拳を振りかざす。
怒りによって火力が増したのか、ドレヴァスの拳は赤熱どころか燃え上がりすらしながら、火の粉を撒き散らした旋風を起こす。
――だが、
「遅いッ!!」
「がっ……!?」
そんな大振りがダンに当たるはずもなく、即座に顔面にワン・ツーを返されて大きく空を切る。
「てめえ……ッ!」
「遅すぎる。君は確かに強いが……生まれ持った力と体の頑丈さに胡座をかいて鍛錬を怠ったな。今まではそれでもゴリ押しで勝てたのかも知れんが……私には通用せんぞ」
「黙れッ!」
そう言って再び拳を振り回すも、ダンは即座に相手に肘打ちを入れて顔面にカウンターを取る。
「ぐがっ!?」
ドレヴァスはそれに痛そうにするものの、効いている様子はなくその返す手で裏拳を放ってくる。
「くそっ……さっきからチクチクと……!」
「呆れるほどの硬さだな……。石ころを殴ってるみたいだ。これは並居る剣闘士でも歯が立たなかった訳だ」
ダンはそう変に納得する。
全身機械化されたダンのパンチは、地球人の基準ではヘヴィ級ボクサーのランカークラスに匹敵する。
薄い鉄板ならひしゃげるほどのパンチを、"チクチク"などと表現するドレヴァスの頑強さが異常なだけである。
(身体機能のリミッターを解除するか? ……いや、力に対して更なる力で対抗するのはスマートじゃないな。ここは技術で……)
「これで終いだッ!」
そうダンが考え込む隙に、ドレヴァスが拳を振りかざして襲い掛かる。
その空気を歪めるほどに赤熱化した赫腕が、ダンの顔面に当たろうとした、その瞬間――
「甘いな」
ダンは特に危なげなくドレヴァスのパンチを手のひらで滑らせながら受け流したあと、そのまま相手の勢いを利用して、ぐるっと腕を巻き込んで担ぎ上げる。
――そしてそのまま体重を預けて、ドレヴァスを背中から地面に叩き付けた。
「がはぁッ!?」
ドレヴァスが地面に激突するのとほぼ同時に、ダンの肘がみぞおちに突き刺さる。
流石にそれは効いたのが、ドレヴァスは肺の中の空気を絞り出しながら悶絶した。
しかしダンはそれでなお追撃を止めず、ドレヴァスの腕を反対側にねじり上げたあと――そのままゴキッ、と肩の関節を外した。
「ぐがああああああッ!!」
「君が如何に頑丈であろうと、人型である以上関節の可動域には限界がある。知識を持って適切に力を使えば、君のような暴力の化身でも力でなく技で完封出来るという訳だな」
ダンは絶叫するドレヴァスに向かって、そう言い放つ。
「おおおお! ま、まさか、グランドチャンピオンを歯牙にも掛けずに圧倒してしまうとは! 今のはパンクラトゥスですかな!?」
「いえ、これはCQCと呼ばれるものですよ。より効率的に敵を破壊するための技術を突き詰めたものですが、このように相手を壊さず制圧するにも使えます」
「と、とんでもないバケモンなんだねあんた……まさかあのドレヴァスの旦那が子供扱いなんて……」
大喜びするデロスを他所に、イゾルデが顔を引きつらせながら言う。
実際には関節を外すのは地獄の痛みは伴うものの、骨が折れた訳ではないので治りは早いのだ。
最小の破壊で相手の戦闘意欲を削ぐ最も有効な技の一つと言われているが――何事も例外があった。
「ぐうう……!」
なんとドレヴァスは、外れた肩を無理やり引きずりながら立ち上がってきたのだ。
「……これは驚いたな。脱臼したのが初めてだとしたら、とんでもなく痛いだろうに。どうやら頑丈なのは身体だけではないようだ」
「ざけんな……俺はまだ負けてねえ……! 訳の分からねえ技で、腕ぶっ壊されたくらいで降参してたまるか……!」
そう言って未だに戦意を滾らせるドレヴァスに、ダンは呆れるやら感心するやらで肩を竦める。
「まったく心も身体も呆れた耐久力だ。どうやら君を屈服させるには、技や知恵じゃなく、力でねじ伏せる必要があるようだな」
ダンはそう言うと、自身の首筋に両手をやって、親指でぐっ、と皮膚の下の突起を押し込む。
――途端、ドクン、と体内の心臓部に値するモーターが激しく回転し始め、ダンの人工筋肉がバキバキと肥大化して、血管代わりのナノマシンチューブが皮膚の表面に浮き上がる。
「――出力制限解除、90パーセントといったところか。これをやると後でメンテナンスに手間がかかるからやりたくないんだがね」
「……てめえ、本当に人間か?」
目の前でその身体の形すら変えてしまったダンに、ドレヴァスは目を見開きながら思わずそう尋ねる。
「さてどうだろうね……。この身体になってから、正直自分でも分からなくなってきていて…………ねッ!」
そう言い終わるや否や――ダンの身体が一瞬ブレたかと思うと、ドレヴァスの腹に深々と拳が突き刺さっていた。
「がはぁッ……!?」
「――君ならこの状態の私に殴られても死にはしないだろう。誇るといい。人型の生物で私に本気を出させたのは君が初めてだ」
そう賛辞なのか判断しかねる言葉を聞きながら、頭部への強い衝撃と共にドレヴァスの意識は闇に途絶えた。




