約束の期日
約束の七日目の朝――
『船長、デロス氏が聖都の街に姿を現しました。外門方向に歩いてきているので、こちらに向かって来ているものと予測されます』
朝食後のコーヒーを嗜んでいると、突如ノアから船内放送を通じて報告が入る。
「うむ、そうか。なら迎えに行かねばな」
ダンはそう言って席を立つ。
どうやらデロスは約束通りこちらに向かってきているようだ。
前日にちょっと奴隷市場を襲った騒ぎで衛兵の警戒が厳しくなっているらしいので、ダンは光学迷彩を使って近くまで迎えにいくことにした。
――しかし、ノアは次に予想外のことを口にした。
『続けて報告があります。どうやらデロス氏は他に二名を供に連れてこちらに向かってきているようです』
「なに? 私の知った顔か?」
『はい。一名はイーラと闘技場で対戦した、"幻惑のイゾルデ"です。ただし、もう一名に関してはデータが存在しません』
そうノアから返答が来ると同時に、モニターに三人の顔が映し出される。
そこにはデロスとあの闘技場で見たイゾルデの他に、何やら神経質そうに張り詰めた顔をした、壮年の西大陸人の男が映し出されていた。
「ふーむ、デロス氏が一体どういう意図か分からんが……まあひとまず直接話を訊いてみるか。ノア、イーラを起こしてすぐに準備させてくれ。イゾルデがいるなら彼女も居た方が話が早いだろう」
『了解しました』
その返答後、イーラは非番にも関わらず朝イチに叩き起こされて、慌てて準備して迎えに出る羽目になった。
* * *
「一体こんな場所のどこに船などあるというのだ? 酒と闘技場のやり過ぎで夢遊病にでもかかずらったのではないか?」
外門を出て共に外を歩きながら、神経質そうな男はデロスに呆れたように言う。
「お主が疑うのも無理はないが、わしは至って正気だ! 本当に一日足らずで南大陸の砂漠にまで一気に辿り着いて、そこで黒妖族の隠れ里を見たのだ! この目でしっかと覚えておる!」
「あはは! そこであのイーラが姫様として扱われてたって? 爺さん、流石にボケ過ぎだよ! あんたぐらいの歳だとそうなっちまうのも無理はないけどさあ」
「わしは呆けてなどおらんわ!」
そう言葉を交わしながら、三名は先日と同じ、船を隠している場所に近付いてくる。
聖都から離れていい加減衛兵の目が届かなくなったタイミングで、ダンは光学迷彩をかけたまま話し掛けた。
『そこで止まりなさい』
「なっ……!?」
「何者だいッ!?」
流石闘技場の闘士と言うべきか、イゾルデは気を抜いていたのにも関わらず、即座に戦闘態勢に入って辺りを警戒し始める。
しかしほとんど無機物な身体のダンの気配を察することは出来ないらしく、緊張した面持ちで辺りを見やる。
「待ってください、イゾルデさん! 私です!」
「…………!?」
そう呼び掛けてイーラが姿を現すと、イゾルデは驚きながらもようやく武器を下ろした。
「なんだい、あんたかい……! だけど、今の声は……!?」
「私のものだよ」
イーラが対応したのを見て、ダンも続けて姿を現す。
しかしデロスもイゾルデも、ダンの本体と顔を合わせたのは初めてなので、困惑しながら固まっている。
「やあ、デロスさん、そしてイゾルデ。この姿で挨拶するのは初めてだな」
「……まさか、あの坊っちゃんですかな!?」
デロスは喋りと雰囲気から察したのか、ダンが差し出した手を取る。
「そうです。これが私の本来の姿。あの子供は遠隔操作していた仮の姿に過ぎません」
「おーおー! まさかあの坊っちゃんの本当の姿がこのような偉丈夫とは! なんとも強そうではありませんか! 拳闘は嗜みますかな!?」
「ふむ、それなりにはやれるつもりですがね。機会があればドレヴァスと少し打ち合ってみたいと思う程度にはですが」
「わははは! 他ならぬダン様ならきっと思い上がりではないのでしょうな! その時はぜひ観戦させて頂きたいものです!」
「ま、まさか、あんたがあの生意気坊っちゃんだってのか!? なんでまたあんな子供のふりなんかしてたんだい!?」
イゾルデもようやく状況を察したのか、驚きと不審が混じったように尋ねる。
「西大陸の聖教会とやらでは、十歳くらいの子が、苦痛と引き換えに魔法を使えるようになる、"洗礼"なる儀式があると聞いてね。その実態を調査してたのさ。死ぬ子供もいるらしいし、虐待じみた内容なら儀式ごとぶち壊してやろうと思っていたんだ。闘技場に立ち寄ったのはそのついでだ」
「ほほう! 洗礼を受けるためにあのような子供のふりをしていたのですな! しかし、聖教会の洗礼を受けておらぬということは、ダン様はまた別のとこで魔法を習ったということですかな?」
「詳しくは説明しかねますが……私の技術体系は魔法とは少し違いましてね。まあそれはいいではありませんか。……それよりも、そこの方を紹介して欲しいところですね」
ダンがそう尋ねると、一人だけ所在なさげに佇む、壮年の男に全員の視線が集まった。
「おお、それはそうですな! すまぬなルシウス、お主のことを忘れておった訳ではないのだ」
「いや、それは構わないが……」
「ダン様、紹介致します。この男は聖都で建築家をやっておる、私の親友のルシウスと申します。例の闘技場建築のことで彼に相談を持ち掛けたところ、非常に興味を持ったようでして。ならばと思い連れてきたのです。勝手なことをして申し訳なくは思うのですが……」
「ルシウスでございます。この度、広大な領地を持つ大領主様が、大きな建造物を作りたがっているとのことで、非才ながらお役に立てればと思い馳せ参じました。もっとも、こんな場所に船があると言ったり、半日もたたずに南大陸の砂漠に辿り着いたりと、デロスの言うことにいまいち信じ難いものが混じっているのも確かなのですが……」
ルシウスはこちらに右手を差し出しながらも、その目は疑わしげにダンを睨みつけていた。
大方ダンを新手の詐欺師か何かと警戒しているのだろう。
それ自体は仕方がないと受け流したあと、ダンは改めて尋ねる。
「ふむ、ルシウス技師、あなたは異種族――いわゆる亜人に対して偏見はありませんか? 私の領地に純粋な人間はほとんどいません。そんな場所に、異種族を亜人や奴隷と蔑む者を連れて行くことは出来ません」
「亜人……いえ異種族を使用人として雇っていたことはありますが、私個人としては下に見たり蔑んでいる感情はないつもりです」
「結構。ならあなたに妻や子は居ますか? 信じられぬのも無理はありませんが、今からあなたには南大陸の砂漠地帯に向かってもらうことになります。金銭面や生活での面倒は見ますが、完成するまでは複数年帰ってこれない可能性があります。離れられない家族などがいらっしゃる方は連れていけません」
「……お恥ずかしながら私は男やもめです。仕事にかまけて妻と子に逃げられましてな。今は独り身を満喫しております」
「わっはっは! 全てをかけて打ち込むものがある一流の男は、常に妻や子には理解されぬものよ! わしも同じだから気にすることはないわい!」
そう肩を叩きながら言うデロスに、ルシウスは「お前のはただの道楽だろ!」と心外そうに言った。
「なるほど……ではお二方は、聖教会の洗礼を受けたことはありますか?」
ダンはそう尋ねる。
あの洗礼を受けているのなら少し不味い。なぜならアレは思考誘導や洗脳プログラムが混ざっているからだ。
話した感じはまともな印象を受けるが、どこに罠が潜んでいるか分からない以上、信用する訳にはいかない。
「いえ、そのようなものは受けたものはありません」
「ははは! アレは金持ちの商家の息子か、貴族階級しか受けられませんからなあ。魔法は便利ですが、平民出の我々に教会に高い心付けなど払う余裕はありませんわい!」
ルシウスに続いて、デロスもそう答える。
どうやら問題なさそうだと判断すると、ダンは言った。
「分かりました。あなたになら見せても良いでしょう。これが私の"船"です」
ダンがそう言ってパン、と手を叩いて合図した瞬間――目の前にすう、と銀色の方舟が突如として現れる。
「なぁっ…………!?」
「ほれ、言った通りじゃろうが! わしは呆けてなどおらぬ! 本当にここに船があったんじゃ!」
言葉を失うルシウスとイゾルデに、デロスが得意げに言う。
「今からこれに乗って、南大陸の現場に向かって頂きます。イゾルデ、君も来るか?」
「……あったり前だよ! こんな面白そうなもん見て、すごすごと引き下がれるもんかい!」
イゾルデは目の前の正体不明な存在にも一切臆することなく言い切る。
「そうか。まあ君も異種族ならこれに乗る権利はあるだろうしな。……では皆さん、こちらの乗降口から乗り込んでください」
その言葉と同時に開く室内に、イゾルデを先頭に三人はおっかなびっくり乗り込んだ。
「へえ……中は真っ白なのかい!」
「これは……なんと洗練された見事な内装だ。どのような職人が誂えばこんな風に……」
「おおっ! 異種族の子供がたくさんおりますな! それにあの美丈夫は……おお、剣闘一位の男、カスパリウスではないか!!」
そう三者三様の反応を示しながら、三人は船内を見て回る。
「カスパリウスくんは今後私の部下として南大陸で護衛として働いてもらう事になったのです。私なら折れた腕も元通り治せますし、彼ほどの逸材を潰すのは惜しい。あなた方とは働く場所が同じなので、これからも顔を合わせることになるでしょう」
「デロス、さん、これからよろしく、お願、シマス」
「おお! これは何とも頼もしいことですな! まさかあの無型のカスパリウスが守り手として付いてくれるとは!」
片言の西大陸語で挨拶するカスパリウスに、デロスは笑顔で握手に応じる。
「それで……話は変わるがイゾルデも私の部下になるつもりはないか? 条件はカスパリウスと同じで、月に金貨百枚、家と装備は支給で、仕事は護衛と剣術の指導だ。君の剣技は美麗で見事だし、速さと俊敏さを活かした獣人らしい技だ。一代限りで無くすのは惜しい」
ダンのその言葉に一瞬驚きを見せたあと、イゾルデは怪訝な顔で言った。
「……正気かい? 亜人にそんな大金払うバカはいないよ。せいぜいが甘い言葉でだまくらかして、体よく使い潰すくらいさね」
「ダン様はそのようなことはしません! 全ての種族に対して公平でお優しい方です! 訓練は地獄みたいに厳しい時はありますが……」
「こら」
余計なことを言いそうになったイーラを咎めたあと、ダンは続けて言った。
「まあ結論を急ぐ必要はない。今日一日、私たちと同行して仲間になっても良さそうだと判断したらそうすればいい」
「……悪いがそうさせてもらうよ」
未だに警戒を滲ませるイゾルデを他所に、船は一同を乗せたまま、南大陸へと向かった。




