洗礼
その後、船を飛ばして軽々と西大陸に戻ってきた一行はデロスと別れ、本来の目的へと戻ることにした。
そう、何も闘技場散策が目的で来たわけではない。一番の目的は聖教会が行っている"洗礼"とやらなのだ。
十歳前後の子供が洗礼を受けることで、魔法が使えるようになるという。
なんとも胡散臭い話――というより恐らく信仰にかこつけた身体改造だろうと予想は付いている。
故にわざわざ幼子の肉体を作って、自分自身でそれを体験しに来たのだ。
(万が一おかしな毒物やウィルスなどを注入されたら厄介だな。一応、一番抵抗性の強いナノマシンを入れておくか)
ダンはそう判断して、首筋にカートリッジ型の注射器をプシュッ、と注入する。
一瞬ふらっ、と眩暈がするが、子供の体に強力なものを打ったので負担がかかるのは致し方ない。
『大丈夫ですか……!?』
側で姿を隠して控えるイーラが心配そうに言うが、ダンはそれを制止して教会へと進んだ。
「……問題ない、行こう」
そう言って、ダンはふらつく足元を抑えながら再び教会の支部へと足を踏み入れた。
中では四日前と同じ、エリアスが教会支部の受付として立っていた。
「ああ、あなたは……あのノアさんの!」
「"デュラン"と申します。今日は約束通り、洗礼を受けに参りました」
ダンは事前に決めた偽名を名乗ったあと、目的を告げた。
このエリアスという青年は、傲慢な者が多い教会関係者の中でも比較的良心的で、穏やかな気性であった。
どうもノアに気があるらしく、それを利用させてもらって西大陸語を習得させてもらったという経緯がある。
「ええと、あの、ノアさんは……?」
「ああ、申し訳ありません。今彼女は別の用事で席を外しておりまして、今日は私一人で参ったのです」
ダンの言葉に、エリアスは「そ、そうですか……」と残念そうに言う。
しかし仕事と思い直したのか、改めて言った。
「ではこれより、司祭様をお呼びして洗礼の儀を始めたく思いますが……ええと、お心付けのほうは?」
「ええ、もちろん用意しています」
なんとも言いづらそうなエリアスに、ダンは金貨が百枚ほど入った袋を手渡す。
イーラに賭けてまとまった大金も手に入ったので、この程度大した痛手でもない。
この街の腐敗した聖職者の懐に入るのはいささか業腹だが、下手なトラブルを招かない為にも割り切る必要があるだろう。
「おお、こんなに……! これほどなら司祭様もお喜びになるでしょう! では、私のあとに着いてきて下さい」
「はい」
『…………』
ダンがそう言ってエリアスの後に続くのに従って、背後からイーラの気配が着いてくるのを感じる。
「ここです」
そう言ってエリアスが立ち止まった場所は教会の最奥であり、そこには小さな水を溜めたプールと、その中心にある台座の上に、金色の杯のようなものが置かれていた。
「少しお待ち下さい。今すぐ司教を呼んでまいりますので……」
「分かりました」
そう言って立ち去るエリアスの背を見送ったあと、ダンは小声で言った。
「……イーラ、万が一私が酷い目にあったとしても、決して手は出すなよ。これは所詮スペアの身体に過ぎない。それに、聖教会では洗礼と称して、子供にどんな酷いことをしているか、この身を持って調査する目的もある。それより君の存在がバレて、騒ぎになったりする方がかなりまずい」
『そんな……いえ、分かりました』
ダンの言葉に、イーラは不承不承ながらも答える。
やがて洗礼の間のドアが開き、奥からでっぷりと肥え太った、聖職者の服を着た男がエリアスと共に部屋に入ってきた。
「ふう……お前が今回、洗礼を受けたいと申す者か?」
そう言って、その聖職者の男はこちらに蔑むような目を向けながら尋ねる。
「はい、私は東大陸から来た商人の息子、デュランと申します。司祭様、この度は――」
「あー、構わん。東大陸くんだりから来た田舎者の挨拶などどうでも良いわ。それよりもさっさと水に入れ、面倒で敵わんわい」
「ええと……水に入れといいますと、このままでしょうか?」
ダンがそう尋ねると、あろうことかその司祭は、子供相手にその顔を叩いた。
「私が入れと言っておるのだから、一にも二にもなく従わんか! まったくこれだから東の田舎者は……」
「司祭様、相手は子供です! どうかご容赦を……」
「…………分かりました」
エリアスが止めるも、司祭はさっさとやれと言わんばかりに苛立たしげに舌打ちする。
イーラの方から凄まじい怒気が漂ってきているのをダンも感じるが、どうやら言いつけを守って我慢しているようだ。
ダンが服を着たまま冷たい水の中に入ると、遅れて司祭が水の中に入って、ダンの顔を水の中に力付くで沈めた。
「…………!」
「貴様ら下賤の民はこうして浄化してやらねば神の恩寵は受け入れられん。特に東の臭い山猿などは念入りにやっておかねばな」
突然顔面を沈められて慌てて肺の空気を吐き出すも、頭を抑えつけられてまともに呼吸も出来ない。
そのまま一分半ほど頭を押さえつけられたあと、ようやく呼吸を許されてダンは頭を上げる。
「ハァ……ハァ……!」
「ふん……気絶はしなかったか。前のガキなど、これで小便を漏らして折檻してやったものだが……まあいい。中央の聖杯の水を飲み干せ。それで洗礼は終わりだ」
『…………!』
もはやイーラの怒りが限界に達しつつあるのを感じているが、ダンはそちらに軽く目配せして抑えたあと、儀式を終わらせようとする。
水場の中央に置いてある、何やら生温い水を飲み干したあと、再び同じ場所に返した。
「ではな。これで洗礼は終わりだ。まったく、余計な手間を取らせおって……おい、早く新しい着替えをもってこんかッ!」
「は、はいただ今! 申し訳ない! 今日はいつもより虫の居所が悪かったようだ。洗礼自体はもう終わりなので、もう帰って良い……本当に済まなかった……」
そう言って、エリアスは肩を落としながらそそくさと部屋を後にした。
彼自身は善良な人柄なのだろう。しかしこの国の教会組織は、上に行くほど腐っていくようだ。
「よく耐えたな、イーラ」
『…………!』
ダンがそう言って労うと、洗礼の間の石壁がべきりと音を立てて凹む。
恐らくイーラが全力で殴り付けたのだろう。
これだけの怒りを溜め込んで起きながら、しっかりと忠実に命令を守りきったのだ。彼女には後で褒美を与えねば、とダンは考える。
「しかしあの者はダメだな……。ノア、後で先ほどの司祭の男に一体ビットアイをつけろ。そして機を見て"精神安定化処置"を施しておけ」
『了解しました。期限はいつまででしょう?』
「無期限だ。あれを野放しにしておくのは子供のためにならん」
ダンはそう命じると、水場から上がる。
"精神安定化処置"とは、ダンたち地球連邦人が重犯罪者やテロリストなどの危険人物に行う、最大級の拘束処置である。
人体を傷つけて拷問したり、長期間身体的に拘束して精神的に虐待するのは地球連邦の人権条約により禁止されている。
しかしそんな中で考案された、身体的にも精神的にも虐待や拷問に当たらない、最大級の刑罰が精神安定化処置であった。
その対象者には脳の機能を抑制するナノマシンを注入し、食事、入浴、排泄、睡眠以外の行動が取れないよう、著しい思考の制限をかける。
結果食事して排泄して寝る以外何も出来ない生ける屍のようになってしまう。
本人は拘束されていることすら気付かず、なんの不満も喜びや怒りも感じず、ただぼんやりと朽ちていく、そんな緩やかな刑罰であった。
「あのように他害性の強い人間は放置すると別の被害者が出るからな。特に本人が自供した子どもに対する虐待は看過できるものじゃない」
ダンはそう言って、イーラと共に教会を立ち去ろうとする。
しかし、その時――
「ぐっ……!?」
「ダン様!?」
突如胸を押さえて倒れ込むダンに、イーラは光学迷彩を解いて慌てて駆け寄る。
この洗礼を受けた者は、魔法が使えるようになる代わりに、身体に激しい苦痛と三日間に及ぶ高熱に苦しむという。
身体が弱い子供なら死ぬことも珍しくない、そんな怪しい儀式の中身を調べることこそ、今回の潜入の本当の目的であった。
「イーラ、姿を消して、今すぐ私を船に連れ戻してくれ……! 今の私の体の中で、何が起きているのか詳しく調べたい!」
「わ、分かりました!」
イーラはそう答えると、ダンの身体を横抱きにして、光学迷彩を展開しながら教会を飛び出す。
そして屋根伝いに飛び回りながら、外壁の外へと姿を消した。




