南大陸にて
『報告します。個体名:ドレヴァスが目を覚ましました。ただ、医務室の中から脱出しようと、壁に対する破壊行為を続けているようです』
船内放送を通じてノアの無機質な声が響く。
ドレヴァスは先の闘技場の乱入騒ぎに乗じて、ノアが船内に連れ去っていた。
それが今になって目を覚ましたのだろうが、いきなり壁を殴り付けるような暴挙に出るとは予想外だった。
「おお、これは……ノア嬢の声ですかな!?」
「ううむ……元気なのはいいが、君の内部を壊されるのは面白くないな。構わないから部屋から出してやるといい。流石に私たち相手に襲い掛かるほど見境がなくなっているわけではないだろう」
ダンがそう指令を出すと、どこかでプシュン、とドアが開く音がする。
しばらくして、拳を構えて警戒したまま、ドレヴァスが休憩室に現れた。
「なっ……!? 坊主に、デロスのジジイだと!? お前らこんな所で何やってんだ!?」
ドレヴァスは驚きと同時に、構えた拳を下ろす。
「おお、グランドチャンピオン! ノア嬢にこっぴどくやられていたが、平気そうで何よりだ!」
「やあ、ドレヴァスさん。私の船にようこそ。デロスさんと共に、あなたも治療がてらここに招待させて頂きました」
「船……だと? 一体どういうことだ!?」
「まあそれに関してこれから説明しますので、どうぞここにお掛けください」
ダンがそう言って椅子を勧めると、ドレヴァスは不審がりながらも、テーブルの近くの椅子に腰掛ける。
それを見計らって、ダンはこれまでのことを掻い摘んで説明した。
「――つまり、本当はお前は餓鬼のふりをしていた大人で、この船は空を飛んでまっすぐ南大陸に向かってる最中ってことか?」
そう胡散臭そうに聞き返すドレヴァスに、ダンは頷いて答えた。
「その通りです。理解が早くて助かります」
「バカバカしい。理解した訳じゃねえよ。餓鬼の戯言に付き合っている暇はねえ。さっさと俺を闘技場に……いや、ちょっと待て。そもそも俺はさっきまで闘技場で闘ってたはずなのに、なんでこんな所で寝てたんだ?」
ノアに殴られた衝撃で記憶が飛んでいるらしく、ドレヴァスは困惑したように頭を抱える。
「あなたはノアに一撃でのされて気絶してたんですよ。それで、一応怪我や後遺症などが残っていないか、私の船で確認するために連れてきたんです」
「そうだ、グランドチャンピオン! まさかお主があそこまで完膚なきまでに敗北するとは予想しておらんかったわ! ノア嬢の力は恐ろしいものがある!」
ダンの言葉を、すぐ近くで目撃していたデロスが保証する。
「お、俺が負けた? しかも、若い女にだと?」
「ノアのあの身体は生き物の範疇ではありませんから、負けても恥ではありませんよ。ちなみにその時の映像もありますから見せましょう」
ダンはそう言うと、ノアに命じて先ほどの戦いをノア自身の視点、そして付近に忍ばせていた"ビットアイ"が撮影した三方向の映像をモニターに映し出す。
「ほほーっ! これはなんとも素晴らしい! これがあれば、闘技場の名勝負を一瞬だけじゃなく、何度も異なる視点からでも見られるのですな!」
そう歓声を上げるデロスを他所に、モニターの中では、乱入したノアにドレヴァスが襲い掛かり――そして見事にカウンターを決められ、地面と平行に吹っ飛んで客席に突き刺さっていく所であった。
改めて見ると大型のダンプカーに跳ねられたくらいの威力のはずだが、検査の結果ドレヴァスは何本か歯が折れて首が軽くムチウチになった程度。
呆れるほどの耐久力であった。
「ま、負けた、俺が……!?」
「まあノアは特別ですからね。血の通った生き物でノアに勝てるものは地上に存在しません」
「…………」
そう断言するダンを他所に、ノアが船内放送で告げる。
『――現在、南大陸上空二千メートルを飛行中。あと60秒以内に目的地に到着後、着陸致します』
「おっと、そろそろ着くようです。一端皆さんで、外に出る準備を整えてください。私の拠点までご案内致します」
「おお〜! まさかもう南大陸に着いてしまったのですかな!? なんと驚くべきこと! 否、人ならざる神々の御業と考えれば当然のことかも知れませぬな!」
「…………」
大仰に驚くデロスを他所に、ドレヴァスは厳しい顔をしながら無言で着いてくる。
「イーラからすればいつ頃かぶりの故郷と言ったところかな?」
「そうですね。皆に故郷を任せて旅立ったのに、こんな早いうちに里帰りすることになるのはちょっと気まずいですが……」
「ふ、まあいいじゃないか。向こうだって姫様の元気な顔を見たがっているだろう。生憎長期の滞在は出来ないが、少しは顔見知りと話してくるといい」
ダンはそう言って、乗降口から船の外に姿を現す。
外では既にイーラと同族である黒妖族たちが、船を前にして膝を付いて待ち構えていた。
「イシュベール!」
「我らが偉大なる御主! ……ん? 人間の子供?」
「落ち着きなさい! この御方はイシュベールです! 事情があって、このように子供の姿をとられているだけです」
「おお、姫様がおられるぞ!」
イーラが姿を現してそう取りなすことで、黒妖族たちの動揺も収まる。
同族に取り囲まれてあれやこれやと質問攻めにあうイーラを他所に、デロスとドレヴァスは驚愕しながら乗降口から顔を出して言った。
「ほほーっ! これが南大陸! 来るのは初めてですが、この暑さに熱砂、この目で見ても未だに信じがたいものがありますな! 大陸を渡るような大冒険が、まさか近所を散歩するのと同じような時間で果たされてしまうとは!」
「まさか、あの短時間で本当に大陸を渡ったとでも言うのか……!? それになんだ、あのバカみたいに高い塔は……!?」
すっかり現状を受け入れているデロスに対し、ドレヴァスは雲を突き抜けてそびえ立つ天の館を見上げながら、未だに状況に困惑していた。
「デロスさん、あなたに闘技場を作っていただきたいのはこの土地です。見ての通り、ここな見渡す限りの砂漠、土地はいくらでもあります。石材や建材などはこちらで用意出来ますし、労働力や重機もこちらで用意しましょう。あなたにはここで、自分が思う理想の闘技場を作って貰いたい」
「なんたる栄誉……! こうして現地を見て、具体的なイメージが天啓のごとく湧いて参りました! 坊ちゃま、いや、ダン様、あなた様がこうしてわしに機会を与えて下さったこと、まこと心より感謝申し上げますぞ!」
デロスは感激し、両手を合わせながらダンに祈るような姿勢を取る。
「そのように畏まらずとも構いませんよ。どちらかと言えばこちらが協力していただくような形ですから。……それで、一端西大陸のほうに帰りますか? 身辺を整理したいこともあるでしょう」
「ええ、ええ、もちろんです。闘技場狂いが災いして家内にも子供にも逃げられた天涯孤独の身ですが、一応友人などはおりましてな。あと、闘技場の設計について、建築家の友人もおるのです。その者と少しばかり意見を交わしてみようかと」
「なるほど、それなら分かりました。では一週間後を目処に、今日船に乗った地点の辺りにお迎えに上がりましょう」
ダンはそう言ったあと、ドレヴァスの方に視線を向ける。
「――それで、君はどうする? ドレヴァスくん」
「なに……?」
ドレヴァスは、いきなりダンの口調が改まったものに変わったことと、自分に話題が振られたことに困惑しながら聞き返す。
「端的に言って、今の君はお尋ね者だ。闘技場に乱入し、無茶苦茶に暴れ回った挙句、観客にまで被害を与えた。罪としては大した事ないだろうが、君を自分の手駒に引き入れたいと考える貴族や権力者がいた場合は、今帰ると結構面倒なことになるんじゃないかと私は予想しているんだが」
「…………」
ダンの言葉に、ドレヴァスは無言のまま顔を顰める。
その顔が何より雄弁に、ダンの危惧を事実だと告げていた。
「よければほとぼりが冷めるまでここに居るといい。私は一週間後にまた帰ってくるから、その時改めて君の意思を聞こう」
「俺の、意思だと?」
「そうだ。西大陸に戻って逃げ隠れる生活をするか、それともここか別の新天地で新たな生活を送るか。私は西大陸、南大陸、東大陸それぞれに領地を所有している。君が良ければそちらを紹介して、送り届けてやることもできるぞ」
「……何故だ?」
ダンの言葉に、ドレヴァスは困惑したようにそう尋ねる。
「何故、とは?」
「何故、俺にそこまで肩入れする? 俺はお前の護衛……いや部下だったかを殺そうとした相手だぞ」
ドレヴァスの言葉に、ダンはああ、合点がいったと頷きながら答える。
「あれは尋常な試合の上のことじゃないか。最後にはノアにのされた訳だし、恨むようなことは何もない。それに、私は君の戦闘力が惜しくてね。端的に言ってしまえば君を部下に勧誘しているんだ」
「部下だと?」
「ああ、私は広大な土地を支配……いや、保護している訳だが、それを護る戦力を欲している。戦闘力に優れた人材はいくらいてもいいという状態なんだ。それに私は、君がこの世で最も欲しているものを、唯一提供出来る存在でもある」
「…………! なんだと?」
その言葉ににわかにいきり立つドレヴァスに、ダンは続けてこう言い放った。
「君、強い相手に飢えているんだろう? 闘技場近くの酒場で腐っていたのも、周りが弱すぎて退屈していたからに過ぎない。イーラの試合後に乱入したことから、すぐに分かったよ」
「…………」
ダンの言葉に、ドレヴァスは沈黙をもって肯定する。
事実その通りであった。
圧倒的な強さで闘技場を制し、グランドチャンピオンとなったドレヴァスは、ノアに初めての敗北を喫するまでに一度も膝を付いたことすらなかった。
自分が全力を出せる相手すらいない中で、徐々に倦んで日々に退屈していたドレヴァスは、酒場に入り浸って、チンピラ相手につまらぬ喧嘩をして日々の退屈を紛らわしていたのだ。
「私の部下には、ノアほどじゃないが君といい勝負を出来そうなのが何人かいる。そして、これからも強者を見たら随時味方に引き入れていくつもりだ。どうだ? あそこで腐っているよりも、君の退屈はかなり紛れそうじゃないか?」
「おおーっ! ダン様の部下には、まさかグランドチャンピオンとまともにやり合える者までいらっしゃるのですか!?」
「ええ、加えて私自身もノアほどではありませんが、それなりにはやれるつもりですよ。もっとも今の身体では戦えませんが……どうだ? ドレヴァス君。どうせ私は一週間後にここに戻って来る。その時に改めて答えを聞かせてくれる形でも構わないぞ」
「……分かった。ならそれまではここに居よう。どうせ今帰った所でややこしいことになるだけだ。それまでに答えを考えておこう」
ドレヴァスの答えに満足して、ダンは頷く。
そしてそのまま、黒妖族の代表者にドレヴァスのことを任せたあと、再び西大陸に舞い戻った。




