試合の後
試合後――
ダンたちは選手の控室の前で、イーラを待っていた。
先ほどの戦いは見事と言ってよかった。
スーツで身体能力が底上げされているとはいえ、あれほどの強敵に勝ったのは見事と言えるだろう。
開口一番は称賛の言葉だな、とダンが考えていると、控室の扉が開き、奥から疲れた顔のイーラが姿を現した。
「つ、強かった、死ぬかと思いました……」
「おつかれさま。凄かったよ、随分と成長したね」
「お見事でした」
「あ、は、はい! ありがとうございます!」
ダンとノア二人の言葉に、イーラは恐縮しながら頭を下げる。
「ぃよーーぅっ! 我が麗しの閃光よ!! なんたる激闘! なんたるスペクタクル! 素晴らしい戦いだったぞ! 汝に神々の祝福あれ!」
「あ、ありがとうございます……」
諸手を挙げながらホクホク顔でそう叫ぶデロスに、イーラは顔を引き攣らせながら答えた。
しかしそんな祝福の雰囲気の中で唯一――ドレヴァスだけが、厳しい顔でイーラのことを見下ろしていた。
「あ、あの……なんでしょう? なにか私、気に障ることでも?」
「……ちょっと腕を見せてみろ」
イーラが怯えながらおずおずとそう尋ねると、ドレヴァスがそう言っておもむろにイーラの二の腕をグッと掴む。
「ちょっ……!?」
「この細さであの速さと威力……? あり得ねえ、お嬢ちゃんの腕は鋼でできてんのか?」
「は、離してくださいっ!」
不審がるドレヴァスを他所に、イーラは慌てて手を振り払う。
「どうかしましたか? 何か彼女に不審な点でも?」
「いや……なんでもねえ。少し気になっただけだ」
ドレヴァスはそう言うと、踵を返してダンたちの元から立ち去る。
「どちらへ?」
「少し……一人で考えたいことがある。お前らと一緒に行動するのはここまでだ。あとは俺の好きにさせてもらう」
一方的にそう告げたあと、ドレヴァスは闘技場の外へと姿を消した。
「……なんだったんでしょうか?」
「さあ、彼なりに何か思うところがあったんだろう。今はそっとしておいてやろう。これまで十分に付き合ってくれたしね」
「ふはは! 大方自身を脅かす新たな好敵手の登場に、血が湧いて仕方がないのでしょうな! もしやグランドチャンピオンの復活、そして我が黒き閃光との夢の対決が見れるかも知れませんぞ!?」
困惑するダンたちを他所に、デロスは上機嫌で応える。
「ドレヴァスさんと戦うなんて……冗談ですよね? せっかく仲良くなれたのに戦いたくなんかないですよ、私……」
「まあまだ可能性の話だよ。それに彼ほどの実力者と戦うのはこれ以上ない実戦経験にもなる。本当にそうなるかは分からないけど、一応心構えくらいはしておくことだね」
「…………」
ダンがそう言うも、イーラは微妙な顔で黙り込んだ。
それを他所に、突如として明るい声が控え室前に響き渡った。
「あははは! いやー、負けた負けた! あんた、めちゃくちゃ強いじゃないか! 悔しいけど完敗だよ! 次も頑張っておくれよ!」
そう言って、イーラの真後ろからイゾルデが顔を出して、その背中に抱き着く。
「ふわっ!? い、イゾルデさん!?」
「おっ、さすがはあたいを破った女拳闘士様だ。華奢なように見えてしっかり鍛えてるねえ。あたいが乗っかってもビクともしない」
そう言ってイゾルデは、ケラケラと笑いながらイーラの背中に乗りかかる。
その衣服の一枚下には強靭なパワードスーツを着込んでいるのだが、外から触れただけではどうやら気付かれて居ないらしい。
「あなたも流石でした。もしイーラが負けるとすれば、あなたのように素早く熟練した技を持つ剣闘士だと思っていましたから。今回は勝てましたが、次があるならどうなるか分からないでしょう」
「おや? ただのお金持ちのお坊ちゃんだと思っていたが、意外に分かってるじゃないか。あたいだって最初はイケると思ってたんだけどねえ、この子が可愛い顔して恐ろしいのなんのって……まさかあたいが何も出来ずに完封されるとは思わなかったよ」
「いひゃい! いひゃい! ひゃめてくだはい!」
そう愚痴りながらほっぺたを引き伸ばすイゾルデに、イーラは涙目で抗議する。
「ま、金貨五千枚は惜しかったけどさ、おかげであたいも楽しめたよ。まさか世の中で素手で自分より強い女がいるなんて考えたこともなかったからねえ。いい経験をさせてもらったさ」
「おっと、そうでしたね。はい、最初の約束通り、金貨二千枚です。あなたのおかげでイーラはもう一段階強くなった。心から感謝します」
そう言って金貨袋を差し出すダンに、イゾルデは微妙な顔をしつつそれを受け取る。
「……ふん、五千枚じゃなく、最初から二千枚の袋だけをひとまとめにして用意してたのかい? 可愛い顔して可愛くないね。結局自分とこのモンが負けるなんて微塵も考えてなかったってことじゃないか」
「ふふふ、さてどうでしょう。確かに負ける可能性を想定していたのは確かですが、それがかなり薄いことも理解してましたよ。僕はイーラの目の良さと能力を信じてましたから」
そう言い放つダンに、イゾルデは一瞬呆気に取られたあと、ケラケラと笑い始めた。
「あっはっはっは! ただのボンボンのお坊ちゃんかと思ったが、大したタマだね、あんた! いいさ、今回はあたいの完敗だ。だけど次は絶対あたいが勝つからね! それまで誰にも負けんじゃないよ!」
「い、いえ……正直イゾルデさんとは二度とやりたくないです……」
イーラがゲンナリした顔でそう答えるのを他所に、イゾルデはひらひらと後ろ手に手を振りながら、金貨袋を担いで上機嫌でその場を立ち去った。
「さて……デロスさん、彼女を倒した以上、もはやイーラとまともに対峙できる者も少なくなって来たのではないかと思うのですが、次の相手は決まっているのでしょうか?」
イゾルデを見送ったあと、ダンはその場を代表して口を開く。
一番の難敵であると予想したイゾルデを倒した以上、もはやイーラの障害になり得る者などいないように感じられた。
確かに後に残った拳闘士や剣闘士たちも一廉の使い手ではあるが、戦い方は体格にモノを言わせた力押しがメインだ。
イーラと対峙するには、そもそも彼女の速さについて行ける軽戦士の方が有利なのだ。
鈍重な重戦士では、イーラの速さに一方的に狩られて終わってしまうことは容易に想像がついた。
「坊っちゃん、闘技場の闘士たちを舐めてもらっては困りますぞ! ……と言いたい所ですが、仰る通りですな! つい先ほど、試合を申し込んでいた拳闘一位の闘士から、挑戦を断る旨の返事が届きましてな。チャンピオンは序列三位内の闘士からの挑戦を断る権利を持ちませんので、つまりこの時点で不戦敗、イーラは拳闘においては新たなチャンピオンとなった訳です!」
デロスはそう言って、盛大に手を打ち鳴らす。
「えっ!? 戦わずにチャンピオンになるなんて、そんな事あっていいんですか!?」
いつの間にか自分がチャンピオンになってしまったことに、イーラが驚きの声を上げる。
「相手からすれば、イーラに壊されて再起不能になるくらいなら、王座を譲ってしまったほうがマシだと判断したんじゃないかな? まあ、今の破竹の勢いのイーラに挑戦するのはなかなか勇気がいるよ」
「以前に対戦した、"断頭台のウルゴス"の悲惨な末路も良い見せしめになったようですな! 序列持ちの大半は自由闘士ですので、自分の意志で試合を降りる事ができます。意気地がないと非難する事もできますが、まあ大人の判断と言ったところでしょうな!」
デロスはまるで自分のことのように誇らしげに語る。
「ですが朗報もありますぞ! 二位、三位には断られましたが、剣闘士一位、"無形の剣豪、カスパリウス"は挑戦を受けてくれました! なので明日いきなり、グランドチャンピオン決定戦となりそうですな!」
「ええええっ!?」
その唐突な知らせに、イーラは思わず声を上げる。
「そのカスパリウスというチャンピオンは強いんですか?」
動揺するイーラを他所に、ダンはそう尋ねる。
「それはもう! 儂の見立てでは歴代でも最強クラスの剣士ですぞ! 彼奴は南方から来た剣士で、波打ったような独特な形状の剣を使います! 決まった型を持たず、常にだらりと脱力して、どこから斬撃が飛んでくるか分からない怖さが持ち味ですな!」
「なるほど、だから"無形"ですか。読みづらい厄介そうな相手だね。やれるかい、イーラ?」
ダンがそう尋ねると、イーラはじっと考え込むように自分の拳を見つめたあと、やがて意を決して答えた。
「やれるかやれないかと言われれば、分かりません……。ですが、せっかくここまで来たんですから、最後までやり遂げたいです!」
そう意気込むイーラに、ダンは大きく頷いた。
「よし、ならばもう何も言わない。勝って、この挑戦を見事乗り越えてくれ。期待しているよ」
「はい!」
その激励にイーラは元気よく返事をしたあと、気合を入れ直すようにぱん、と自分の頬を張る。
しかしそれが思った以上に痛かったのか、涙目になりながらもどうにか歯を食いしばって堪えるのであった。




