七話
不思議な言い方をして、魔王のしもべは、ぎこちない動きで……もしかしたら暴行の結果、手がまともに動かないのかもしれない……お椀を受け取ろうとしたけれど、それがあまりにも不安定だったから、こうなったら最後まで面倒見てやろうじゃねえか、という思いで、私はこう言った。
「口出して、口。今日は口に運び入れる。あなた、手、ろくに動かないんでしょう」
無言は肯定だった。抵抗したら強引に口に入れられる、と察したのか、魔王のしもべは目出し帽を少しめくった。
その手は、あまりうまく力加減も出来ていないのか、指先に力を込めすぎているのか、かすかに震えていた。
そしてやっぱり目出し帽は、文献に書かれていた通り、顔と一体化しているのか、口元までは何とか捲れたけれど、それ以上はめくれる事がなかった。でもとりあえず食事はさせられたのだった。
「すごい……強い……」
エリーゼさんが、引きつった声で背後でそう言っていたけれど、これ位の事だったら、はっきり言って訓練の時代の、容赦なく木剣で打ち据えられていた時の方が、いつ打たれるかわからないから怖かった。
そんな事、言わなかったけれども。
お椀いっぱいのどろどろの汁物をなんとか全部飲み込ませて、私は魔王のしもべに問いかけた。寝台の方を指さしながら聞いてみたのだ。
「寝ないの」
「おちツかナ い」
まさか、寝台で寝る事も忘れるほど、あの場所に立ち続けていたとかなのだろうか。
そんな怖い事を思った後、私は寝台脇にかけられていた、替え布で覆われている毛布を掴んだ。
「……だったら、せめて毛布を被って。医療院で自分勝手して風邪ひくとか、医療院にとって不名誉すぎるから」
私はそう言って、手に持った毛布を肩に被せてやり、感嘆の目で見ているエリーゼさんと一緒に、訳あり部屋を出たのだった。
「うちの看護神官たちが迷惑をかけて申し訳ない」
その日のうちに、乾いた洗濯物を取り込み、簡易宿泊施設の予備のシーツをリネンルームにしまって、さて、寺院の職員のための寮に戻ろうと、すっかり慣れた帰路につこうとした私に声をかけたのは、医療院の副院長だった。
副院長は、高度な回復魔法がつかえるし、博識で、若いからこそまだ副院長というだけで、実績を詰めば院長も間近だろう、と言われている人だ。
柔和な顔の、誰にでも丁寧に喋る人という印象が強い人でもある。
彼が、私を呼び止めたから、きっと今日の事だろうな、とすぐに分かって、私は一緒に帰っていた人達に、先に帰って、と伝えて、副院長とその場で話す事にした。
まず、副院長は謝った。看護神官がやる事を、私にやらせたからだという。
「看護神官たちは、それなりに覚悟を持って患者と向き合っていると思っていたのだが……まさか防御結界のネックレスをつけていない、寺院の職員に仕事を押し付けるとは思わなかったんだ」
普通はそんな事考えもつかないだろう。寺院の職員と、看護神官たちの職業は全く違っているし、職わけもきちんとされている。
寺院の階級もない職員は、防御結界のネックレスを持っていないから、いざという時に大怪我をする可能性が高いのだ。だが、看護神官たちは、いざという時に身を守るそれを常に着用している。危ないのはどちらだ、と言われたら、寺院の職員の方と言っていいだろう。
そんな理由で、どちらかが、どちらかの代わりをするという事も、やれる事やできる事の範囲が大違い過ぎるから、まずありえないのだ。
それを、私とエリーゼさんは、行ってしまったわけである。
そのため、それを強く憤った口調でいう事は出来なかった。
「まあ、多少成り行きだったのは否めませんので……」
実際にはたから見たら、お人よし過ぎる寺院の職員が、看護神官に付添ったという事にしか見えない。まさに成り行き。悪意とかが発生したとは思えないやり取りを、私達は医療院に来ていた人たちに見られている。
「本当に申し訳ない。実は、虜囚の看護などは、今日の先ほどだけで構わない、明日からはやらなくていい、と言えればよかったのだが……」
あ、なんか嫌な予感がする。
そんな事を思うと、副院長は、心底申し訳ない、という声でこう言った。
「どの医療神官にも、看護神官にも、あの虜囚の面倒を見たくない、見るくらいなら職を辞する、とまで言われてしまい……だが処刑の日までは生きてもらわなければならず……」
そこで私は言いたい事を察してしまった。考えたくなかったけれども。
つまり処刑の日まで生きてもらわなければ、勇者ヘリオスとその仲間たちがこのダズエルに来る予定はなくなるので、それはこの町として大きな問題なのだろう。
それがわからない私ではなかった。
何故かって、それはヘリオスの脇で、ヘリオスが訪れる事を心の底から待っていた人たちの反応を、ずっと見てきたからだ。
私は、勇者という肩書の存在が、やって来る事で熱狂する人々というものを知っている。
そしてその事はお祭り騒ぎになる事もよく知っている。
まして、魔王を倒した張本人が来るのだ。生身の、この世で一番の英雄が来る予定がなくなるという事の大問題さくらい、軽くだが想像がついた。
頭の中で色々考えた後、私は慎重に問いかけた。嘘であればいいな、と思いつつ。
「その時まで、私に面倒を見てほしいというんですか?」
「大変に申し訳ないのだが、できないだろうか」
「私にも仕事があります」
一応、私だって暇を持て余しているわけではない、と伝える。ここで暇人だから対応してもらう、なんて思われたら業腹だ。
私が行う仕事は、字面の中身は簡単かもしれないが、重労働で、衛生的な事のために、気を遣う仕事なのだ。
簡易宿泊施設で、虱だのノミだのを発生させるのは、物凄く問題になる事でもある。
それらはいともたやすく、感染症を広げる生き物で、それらの点検は実はとても大事な仕事だ。
まさか医療院の副院長ともあろう人が、それも理解しないなんて事はないだろう。
「私は暇ではありません。今日はたまたま、居合わせただけです」
「そちらに関しては、寺院の方に院長の方から伝えておくし、寺院の方に人手も回す。勇者ヘリオスがダズエルに来ないというのは、極めて問題になってしまうのだ……だから……」
きちんと伝えても、副院長はしぶとかった。諦めない、と言えばいい方はましだが、しつこいと言えばしつこい。
仕事があるからできません、が通用しないとなったら、後どうすればいいかわからない。
私はしばし黙ってから、仕方がない、という声で言うほかなかった。
「必ず、寺院の方に、人手を回してくださいね? 簡易宿泊施設のあれこれは、結構時間と手間がかかる、大変な仕事ですからね?」
私が、その頼まれごとを請け負う姿勢を見せると、副院長は喜んだ。
「ああ、助かる!! 担当のエリーゼ君も、一人では怖くてとても無理だ、と言っていてね……その時に、あなたがとても頼りになったと言っていたものだから」
しっかり世話を焼いた事で、この面倒に巻き込まれたという事なのか、それは複雑かもしれない。
でも、魔王のしもべを処刑するその日までの仕事なら、そんなに日にちが過ぎる事もないだろう。
私は確認のために問いかけた。
「その時が来るのはいつですか?」
「一週間後の、正午だ」
「分かりました、それまでは面倒を見ましょう」
魔王のしもべの世話を、一週間見る。
一週間だけなら、ぎりぎり大丈夫だろう、と私は判断したのだった。