七話
「本当にけったいな場所だったぜ」
「うかつに中に入らない方が良いだろう空間だったな。……見てくれ、幻覚と幻惑を軽減する魔道具にひびが入っている。こういう事が起きるのは、尋常ではない幻覚と幻惑の術がかけられた場所と相場が決まっている」
「……」
そんな事を話しながら、霧の先の光を目指している前の二人の声を聞きながら、私はエド・エリスの残した術の事や、予言の成就や、イニシエルの裏側にあるというシェラーザードにいるであろうたくさんの人達の事を考えていた。
アフ・アリス。
きっと鍵は彼だったのだろう。そもそも彼を一人にしないと言う事のためだけに、一つの街がまるごと、何かの術に使われたのだ。
そしてシェラーザードは、アフ・アリスが大昔、まだ人の状態だった時代に、愛した街だったと、アンデッドになったエド・エリスは語っていた。
すでに塵となり消えたアンデッドが、一体何をしたのかは、もう誰にも聞けない事だろう。
シェラーザードなんて街、誰の記憶にも記録にも残っていないのだろうから。
「こう言うのはおれ等の中で、一番術ってのに詳しいギザに相談してから方針決めなきゃな」
「俺は武器のあれこれだけだったら、ギザより詳しい自信があるんだが……魔術的な見解は、ギザに遠く及ばない」
「おれはどっちもだめだからな! あ、ジルダは詳しいか、何かの方面で」
「……え、なんの話でしたっけ」
「考え込んでたのか? 出し抜けにされこうべなんてぶつが現れてしゃべり出して、妙ちきりんな事言い出したら、まあ真面目な奴は難しい顔して考え込みそうだな」
「そもそもあのされこうべの仕組みも気になる部分はある。アンデッドとはとても言えない滑舌の良さだったぞ。あれは舌がある生き物のなめらかさだった」
「そんなのは全部ギザの解析の方だろ、色々考えてギザは連れてこなかったけれどよ、次はギザも連れて行ってもよさそうだ。そもそも中に入らなきゃ結構大丈夫そうって感じがする」
「星に浸った者とあのされこうべは言っていたが、星とはアテン村に降りた星の事だろうな」
「他におれ達全員が、光を浴びた事のある星ってないだろ、それこそお空のキラキラ星くらいだ」
「違いない」
私の戸惑いや疑問やその他の事を置いて、二人は二人の調子で会話をした後に、はっとして私の方を見た。
「悪い、仲間はずれにしたい訳じゃねえんだ」
「いつもこの調子だったせいだな、申し訳ない」
「いえ、いいんです。……今後の事ですよね。皆で話して方向性を決めないと、かなり難しい問題だと、私でも思いますよ。予言が成就しないと、誰も解放されないって言うのはとても難解な問題だと思います」
「まず予言って奴の要の、ほしくずのつるぎってのが所在不明だろ。誰も知らない、たぶん剣ってだけのやつ。どうやって探せば良いんだか」
「剣にまつわる伝説は一通り知っているつもりだったが……本当に聞き慣れない響きの物だ。伝説の勇者の剣以上に探しにくい物に違いない」
「まあ、うちの一番の切れ者のギザがいねえと話にならねえわ」
セトさんが肩をすくめて、そしてもうすぐ光の中に戻れると思った矢先だった。
「こっちに来ちゃだめ! だめよ、皆!!」
光の方から鋭い叫び声が響き、そしてそれはギザさんの物だったのだ。
反射的に私達は光に走り寄り、そして、ギザさんの警告があったけれども、光の中に飛び込んで、霧の向こうの、元いた世界に戻ったのだった。
「ギザ!!」
「ギザさん!」
私達が元いた世界で見た物、それは……
「リリーシャ姫!? シンディさん、ウテナさん! あなた達一体何をしているんですか!!」
血塗れで倒れ伏すギザさんと、……彼女を足で踏みつけている、三人の、ヘリオスの仲間だった女性達だった。
彼女達は異質な緊張感などを放っており、そして目が危険な色にギラついていた。
「困るのですわ、ベガが戻ってきてしまったら、ベガと結婚しなくてはならなくなりますもの」
「私達が結婚する相手は、運命の相手は、ヘリオスって決まってるの、それ以外の男なんてあり得ない」
「私達が認めたのは、あの強く正しく美しい人だけ。ヘリオスだけ。私達の勇者はヘリオス以外にいない」
「……うう……だから、それとこれとは……」
「うるさいわね、低級な魔道士風情が、あたし達に口答えしないで。私達は勇者の仲間で婚約者よ」
ギザさんが何か言いかけたのに、彼女の胸をウテナさんが踏みつけて黙らせる。
「止めてください! ギザさんはあなた達に何もしていないでしょう!」
「していらっしゃるわ。だって、居なくなったベガ達を探して、救出しようとしているのだから、私達の害悪ですわ」
にこりとリリーシャ姫が笑う。どろりとした、ぞっとする笑顔だ。こんなに気持ちの悪い笑顔なんてそうそう見ないだろうって位の。
「またどろどろの世界かよ……ヘリオスって罪深い男だったんだな」
「あの見た目だろう。そして性格その他も、歌われる中で聞く限りは相当に優良物件だ。近くに居たが故に、執着するのはありふれている」
「一番執着しそうなジルダは、そうじゃねえのになあ」
そんな軽口を叩く調子のセトさんとフィロさんは、しかしギザさんを助けるために視線をあちこちに巡らせている。
ギザ産を踏みつける女性三人は、腕だけなら相当に立つのだ。勇者の仲間だった三人が、それなりの腕前としか評されないセトさんやフィロさん、そして何もかもが低級な私に、そう簡単に遅れなどとらない。
「なあ、どうしたらギザを離してくれるんだ? まずはお話し合いってのをしようぜ」
セトさんが油断なくあたりを見ながら、隙を探してそう持ちかける。冷静でいられるのはセトさんの美点……なのだろう。
こういう局面になれているのかもわからないけれども。
「簡単よ、ベガ達の捜索を取りやめてくれればそれでいいの」
「ついでに、ジーナを殺していただければ完璧ですわね」
「どっちも本当に、私達の真実の愛の邪魔をするのだもの」
「おいおい、おれ達に仲間殺しを命じて、何にも報酬ってのがないわけか?」
「まあ、がめつい盗賊だわ」
「だってそーだろ。おれ達、ベガ達を見つけて救出すれば、破格の報酬が手に入るっていう条件で四将軍から依頼を受けてるんだぜ? それに近い物を提示された訳でも無いってのに、やれ依頼を辞めろだの、仲間殺しをしろだのって、ちょっとケチすぎねえ?」
「……」
「……」
とても変な空気が流れたような気がする。
だがフィロさんは平気な顔をしている。あ、これセトさんの通常運転の会話なんだ、と私もさすがにわかった。
この状況で、ケチだのなんだのという物差しで物事を測る姿勢になれるセトさんって、本当にケチだったんだ……ケチなんだろうなとは思った事も多かったけれども。
「あんたの仲間の命がかかってるのに、ケチとかいうんだ、すごい性格ね」
「だあってよお、”ギザがその程度で死ぬ訳ねえじゃん”?」
「低級魔道士風情だもの、魔力の流れを断ち切って出血多量にすれば、もう身動きなんて取れないのに?」
「”ギザはそれしきの事で簡単にくたばる体じゃねえし”?」
「仲間を過信しているのね。可哀想な脳みそだわ」
「馬鹿はあんたらだ。”ギザはこれくらいの状況でおだぶつする性格じゃねえだろ”?」
「……三回唱えたな」
セトさんが、同じような言葉を、三回、はっきりと明確に口にした。そしてフィロさんが、三回唱えたとはっきり明言した、その時だ。
「まったく……あんたら、遅すぎよ」
踏みつけにされているぼろぼろのギザさんが、不敵な調子で笑って、そして。
「”死ぬ訳無いわ、私はギザよ”」
どぶん、と。ギザさんが自分の流した血だまりに、いきなり沈み込んだのだ。
そして。
「よいしょっ……と」
「相変わらず不便な術だよな、これ」
「ギザ、傷は大丈夫か」
「痛いし苦しいし頭がふらふらするわよ。明日は寝込むわね」
セトさんの影から、ギザさんがずるりと這い上がってきたのだ。
「……え?」
想定外の物を見せられた私は言葉を失ったし、それに。
「”やられたことは三倍返しが作法なの”」
立ち上がって、セトさんに支えられたギザさんが、杖を、呆気にとられた調子の三人に向けて、優雅に言い放ったその時。
ばしゃん、と血が飛び散ったのだ。
「いやあああああ!」
「あああああ!!」
「きゃああああ!」
誰の血が飛び散ったのか。それは……それまでギザさんを痛めつけていたのだろう三人の血だった。
彼女達におびただしい傷が浮かび上がり、それは相当に痛いのだろう。彼女達がのたうち回る。
「私の名前を少しでも聞いていたら、こんな馬鹿な真似をする事も無かったでしょうに。情報収集がお粗末だわ。こんにちは。元勇者のお仲間様方。私の呼び名は”反転のギザ”と申しますの」
顔色が少しましになったギザさんがそう言った時だ。
「……っ、うう……それでも、これは反転できませんわ! 呪われて呪われて呪われよ! 貴様は人の世界には戻れませんわ!」
聖なる姫と言う生き方をしているリリーシャ姫が、手を伸ばして私達の誰かを指さして怒鳴る。
「だめよリリーシャ姫! そんな呪いをかけたら、あなたの聖なる力が穢れて!」
近くで同じように倒れていたからこそ、リリーシャ姫が行ってはならない事をしようとしていると、気付いたウテナさんが叫ぶ。
でも、もう盲目なまでに敵意しか見えていないリリーシャ姫の呪いの言葉は止まらない。
「呪われて呪われて呪われよ! 醜い姿におぞましい声に鼻がもがれるような悪臭! 永劫に人の世界に戻れぬ物になり果てよ! 貴様だけは見逃す物か!」
「リリーシャ姫、だめ! 呪いはあなたにとって劇薬よ!」
シンディさんが苦痛の状況でも止めようとしても、もう遅かったのだ。
呪いが形をなす。剣の形をした呪いが、私達の方に飛びかかってくる。
「セト!」
フィロさんがセトさんを庇おうとする。そう、剣の向き先は……あんなに嫌っていたはずの私でなくて、セトさんだったのだ。
ためらいは一瞬で霧散した。
この場で、呪いを完全に減退できるような力を持った人は、呪いの生みの親であるリリーシャ姫以外には誰も居ないけれども、微弱であっっても呪いの力を弱める事の出来る人間はいる。
「”いいえ、呪いは完全では無い! 姿と声を奪われても、それ以上は奪われない! 清らかな祈りよ 今ここに!”」
私はそう吼えて、ずいぶんと前に神殿で叩き込まれた術の作法……己に全ての攻撃を向けさせる印を手で組んで、足でそのための動きをとり、それから両手を広げた。
「さあ、来い!!」
私の考えたとおりに。剣の形の、リリーシャ姫の呪いは急に方向を変え……私の胸に、確かに突き立ったのだった。
「ジルダ!」
「ジルダ!!」
「なんて真似を、ジルダ!!!」
三人の仲間の声を聞きつつ、私は自分の手があっという間に変わっていくのを確かに見届ける事になっていた。
私の手は瞬く間に色を変えていき……爪も黒く染まっていき、背中がバキバキと音を立てて何かを生み出し……私はそこまでで意識が真っ赤に染まって、後は何もわからなくなった。




