七話
その時を誰もが明確に理解したのだ。その時、と言う物が起きた事を、この日文字を書き日記をつけるあらゆる人々が記録した。
その記録のほとんどに、同じような文言が記されている。
青空に突如、薄い膜が広がり、一見すると何も変わったようには見えなかった。だが肌が感じる異常を、全ての生き物が感じ取っていたに違いなかった。
と。
「とんでもねえ話だな」
そう言ったのはセトさんだった。蘇った魔王……アフ・アリスの体を奪い取った、人間が簡単にどうこうして勝てる相手ではない何者かが去った後、その何者かがあらゆる人々の傷を癒やして消えた後、全ての元凶はこの馬鹿だと言わんばかりに、縄でぐるぐる巻きにしたベガを木の枝につるして、彼の持っていた剣の詳細を聞いた後に言った言葉でもある。
「全て本当だ! 私は悪くない、私はただ、旅の商人からとてつもなく切れ味の良い、黄金に輝く剣を購入しただけだ! 何が悪いと言うのだ!」
「怪しいだろそんなもん」
「お前とて、実演であれだけの切れ味を見せられていれば、すぐに欲しがったはずだ! 竜の鱗も、鋼鉄も、何もかもがどんな分厚さであろうとも、すっぱりと切断されたんだぞ!」
「その時点でやべえ武器の匂いしかしねえ。ベガ、てめえ嗅覚ほんっとうに悪いな」
「うるさい!」
「だまれ三下。結局おれに命を助けられたヤツが、おれをうるさいとか言うんじゃねえ」
「ぐっ……!」
セトさんは容赦の欠片も無い調子だ。ベガの率いる、蟲王エレドラ討伐隊の人々の態度の悪さを、セトさんはとても怒っているのだから、その頭であるベガに対して容赦が無いのは仕方が無いように思える。
「あなた方には本当に迷惑をかけてしまった、申し訳ない……」
同じように小さく縮んでいるのはヘリオスで、セトさんはちらっと彼を見てから言う。
「同情の余地あるだろ。街一つ救うために、知らない間に魔剣なんか握っちまって、それから記憶が定かじゃ無かったんだろ」
「本当に申し訳ありません……」
「セト、お前差別だ!」
「うるせえ、おれの大事な仲間のジルダの事、とんでもない勘違いで商売女だって思い込んだだけであきたらず、乱暴しようとした奴らの親玉が、おれに指図するな」
「話を聞いただけだが……おそらく、魔剣の方がかなり、ヘリオスさんの行動に干渉していたと推測できるな」
「フィロ、あなたのちょっと熱意の入りすぎた、魔剣大辞典みたいな偏った知識の中に、答えがありそうなの?」
「ああ」
セトさんの冷たい声の後に、フィロさんが静かに言って、ギザさんが問い返す。フィロさんがそれを肯定した。
「相当に上位の存在の力を宿した魔剣は……その存在の目的のために独自に動くとも言われているんだ。……つまり、ダズエルで勇者ヘリオスが、魔王の一部であった魔剣を握って戦うという行動も、仕組まれていただろうと言う事が推測できる。その後、聖剣を探し各地をさまようという行動も、行方のわからないアフ・アリス探しの一環だったと考えれば納得だ」
「え……」
まさかそんな前から、魔王の手がヘリオスに伸びていたなんて。私が絶句してしまうと、ヘリオスが自分の手のひらをじっと見つめ出す。人間が手に持っていていい物ではなかったあの魔剣のために、皮膚が何度も焼けただれて、それを繰り返し治したのだろう利き手を。
「つまり……魔剣はそもそも、僕の手に渡る事を狙って、ダズエルに攻め入った魔物の一匹に、所持されていたと言いたいんだろうか」
「その可能性は大いにあると言う話だ。それの真実は闇の中、もう誰もわからないが……少なくとも、魔王の狙いがアフ・アリスの体を手に入れる事であったならば、ある程度はあり得るだろう。勇者ならば、人間側への目くらましに都合が良く、聖剣を探すのも聖剣の鞘が運命の相手だから道理、人間側が放浪する勇者ヘリオスに異常性を感じない様に、うまく立ち回っている」
私から、ダズエルでの魔王のしもべの処刑失敗の話まで、あらかた聞いた後だからか、フィロさんはそう指摘した。
「そもそもアフ・アリスが、人間を守るために魔王のしもべであった事。そのアフ・アリスがジルダやヘリオスを庇って魔族を退けた事。そこから、魔王があなたを利用できると考えてもおかしな話ではない」
「そうか……」
「おいフィロ、そんな終わっちまった事への解説で一日費やそうとするな。おれらに必要なのはこれからどうするかだ」
「まあそうだが……王様達は魔王復活をどう受け止めるだろうな」
「しーらね。おれ達はアテン村を守りゃ良いだけだろ」
「そんなうまい具合にならないわよ」
「何でだよ。魔王復活で、蟲王エレドラも多分魔王の根城の方にいったん引き返すだろうし、こいつとそのお仲間連中はもうアテン村から引き上げるだろ」
こいつ、とぐるぐる巻きのベガを短剣の鞘でつつくセトさん。
ため息をついたのはギザさんだ。
「この人達は目撃者よ。彼等が王様の元に戻ったら、いろんな事が知られちゃうじゃない。それってとっても面倒よ。私達の事まで知られちゃって」
「え、じゃあ沼地にこいつら全員沈めるか? 都合の良い底なし沼あるだろ」
「セト!」
セトさんが不意にぞっとする事を言い出したので、フィロさんが鋭い声をあげる。私は真顔で言いきった彼が、多分本気だと気付いてしまったから、言葉も出なかった。
「人殺しが嫌いなのに、悪者の考え方であれこれ言うな」
「はいはい」
「あなた時々、頭の回路がおかしいのよ」
「それが一番早いと思ったんだけどな」
「早いかどうかの問題じゃ無いだろう」
彼等三人は顔を見合わせている。これからの行動をどうするかと言う相談だ。
「あんたはどうするんだ、ヘリオス。アフ・アリスに救ってもらった命を、どう扱うかはあんた次第だけどな」
「……」
セトさんの言葉に、ヘリオスがうつむく。思案する様な間の後に、彼はこう言った。
「王都の神殿は馬鹿では無い。魔王復活はすぐに知られると思う。だから……もう僕は聖剣の勇者ではない事を、彼等に示さなければならない」
「示さないとどうなるの」
「魔王討伐の頭数にまたなるだろう。……前は倒せたのだから今回も、と考える人はきっと多い。でももう、僕の聖剣は存在しない。僕はそういう頭数にはなれない」
「ジルダの心臓じゃなくなったってか」
「それ以前の話だ。聖剣の勇者は人間を切ってはならない。伝説のような話に聞こえるだろうけれども、それは真実なんだ。過去の勇者の中にも、襲いかかってきた盗賊を切ってしまったが故に資格を失い、失格勇者の汚名を被って自死した記録がある」
「聖剣の勇者って面倒なんだな」
「禁止事項は色々あるんだが、一番大きな禁忌が、人間を切る事とされているんだ。その禁忌を犯した事で、勇者としての何かが失われると言われている。実際にそうなった人々の詳しい記録を読ませてもらった事がないから、詳細まではわからないけれども」
「ジルダの方は知ってる事あるのか?」
「……そもそも、聖剣の鞘がそう出なくなる条件なんて、聞いた事がないんです。ただ、貞淑で無ければならないというのは……とても厳しく言われていましたが、それ以上は」
「あーやだやだ、これだから神殿の隠し事っていうのは多すぎるのよ。馬鹿みたいに色々かくして、問題になったら被害者面で広めるんだから」
ギザさんが本当にいやね、と言う調子で言った時である。
「あの、本当に先ほどからの無礼をお詫びしますので……ベガさんを回収させていただけないでしょうか……」
私達の方に現れたのは、エレドラ討伐のためにやってきた、べがの仲間じゃ無い、王国の兵士の中でも、階級の高そうな人達だった。
「あ、いいぜ、こいつらもう要らねえからさっさといなくなってくれないか?」
「今日一晩はここで野営させていただけないだろうか……撤退の準備をこれからしても、移動が夜中になってしまうから……」
「じゃあ、食料だの女だのをよこせとか言わねえな? 言ったら即刻村から放り出すぜ」
「その旨を村長さんにもきちんと通してちょうだい」
「はい……」
異常な精神状態だったヘリオスから、自分達を守ったのがセトさん達だとよくよくわかっているのだろう彼等は、縮こまった顔で同意して、セトさんが吊したベガを回収していった。
そして翌日、エレドラ討伐隊は意気消沈した状態で、アテン村を去って行った。状況が大きく変わったからだ。エレドラよりも、もっととんでもない物の復活を目撃した彼等は、暗い顔で去って行った。
それから。
「ヘリオス、迎えに来ましたわ!」
「こんな所に隠れてて、かくれんぼうが相変わらず上手ね!」
「王様の元に戻りましょ、あなたに王様からお話があるんですって」
私にとっての因縁の三人が、転移の術を極めた賢者をつれて、アテン村にやってきたのだった。
私はそれを、物陰に隠れて見ていて……三人を連れてきた賢者が、不意に私の隠れている方を指さしてこう言った。
「そちらにいるお方も、王の所に連れて行かなければならない。彼女は色々な事を知っているご様子だ。隠れていらっしゃるのはわかるが、自分から来ていただけ無いならば、強引に引っ張っていく事を王に命じられるだろう」
強引に連れて行かれるのは面倒なので、しぶしぶ物陰から出てきた私を見た、元仲間三人の顔は見事なくらいにゆがんで……
「信じられない、まだ生きていたのですね」
「恥ずかしさって物が無いんだね」
「勇者一行の汚点としか言いようが無いわ」
などとヘリオスの前でも隠さない暴言を吐き、それからはっとしてヘリオスの方を見た。
口が滑ったという感じなのだろう。だが。
「賢者殿、あなたは王にどのような命令をされているのだろうか」
ヘリオスは彼女達を綺麗に無視して問いかけた。
「勇者ヘリオスと、その関係者を王の前に連れてくるようにと頼まれているだけだ。そちらの女性が勇者ヘリオスと関わりが深いのは、見ればわかる。彼女を守ろうと構えている三人の名のある者達の事も」
「じゃ、おれらも王様のところにお呼び出しってわけか。まージルダ助けるにゃちょうど良いだろ」
「お前はすぐにそういう」
「でも、星があるこの村はきっと大丈夫だし……皆で一度王様のところに行くのも必要かもしれないわね」
こういう会話の結果、私達は王国の首都に行く事になったのであった。




