六話
息を切らして、私達は村に戻った。たとえ村から出て行くと決めていたとしても、そうであっても、今まで親切にしてもらった恩は忘れてはいけない。
その人達を裏切ると言う行為は、私も、アフ・アリスもしてはいけない事だったのだ。
「……まだ村の周囲までは五王の軍勢が来ていない……?」
道中、アフ・アリスが周りの気配を探りながら呟いていた。その通りと言わんばかりに、辺りは異様な静けさをまとっている。
軍勢が迫る物々しさも、生き物がたくさん居る気配も何も無い。
五王が本当に来ているのか、と思うほどの静かさは、かえって不気味なほどだった。
「どういう事だ、私が衰えたのか」
アフ・アリスが解せぬという調子で言った。その若々しい見た目で、衰えたと言われても、あまり信憑性は無い。
そして、アフ・アリスはそういう物の察知能力だって、無いわけじゃないだろう。
「とにかく急ごう、間に合わなきゃ」
私の言葉に彼が頷く。そして、彼が村から走ってきた方角なのだという方角に、とにかく進んで、村の畑が見えてきたところで、足が止まってしまったのだ。
「……なに、この気配」
足が止まってしまったのだ。それは、身の毛もよだつ気配が村の方から感じ取れたから。
人間の気配を読む程度の感覚の、私ですら足が止まる、異様なおぞましい気配が。
「……これは、五王にとてもよく似た気配だ」
アフ・アリスがぼそりと言う。そして私の視力では見えない遠く、村の方をじっと見る。
「ジルダ、進めないならこのまま逃げるか?」
彼がかたかたと小刻みに震えだした私に言う。私は首を横に振った。
「大丈夫、行かなくちゃ。……あなたも一緒に来て」
「ああ」
この気配を感じていても、アフ・アリスは畏れた調子が無い。五王すら、この男の前には弱い物になるという事なのだろうか。
それとも、彼が魔王の圧力になれた結果、五王すら大した気配と感じないのか。
それはわからなかったけれども、私達は顔を見合わせて、村の方に走っていった。
村の方、そして方向としては私やセトさん達が住居を借りている開けたところの方が、気配が濃い。
村の柵の中に入ると、こっちを見て村の人が走り寄ってきた。
「あんた達も無事だったか! なんかおっかない人間が、村の中に入ってきて、一直線にあんた達の住居の方に走っていって……」
「今、面倒くさい奴らがそこに陣を作っているって教えても、聞く耳なんて持たないで」
「止めたんだ、でもそっちに行って……それから、おっそろしい空気が、あっちから漂ってんだよ!」
「あんた達が巻き込まれたんじゃないかって、心配してて」
「セト達が様子を見に行ったんだ。で、まだ戻ってこない」
「あんた達、命が惜しかったらセト達が戻ってくるまで私達と一緒に居よう」
「……だめだ」
村人達の言葉はうれしかった。村になじんでいた証拠になるからだ。村の人に親身に接してもらっているという証明。
でも、アフ・アリスが首を横に振った。
「あれに、生中な人は、対処できない」
「アフ・アリス、何か知っているの?」
「知っている、そうか、私は知っている者に該当するのか」
アフ・アリスはぼそりとそう言って、私を見下ろした。
「ジルダ、君は近付いてはならない」
「セトさん達の様子だって見に行かないと」
「あれはもう、手遅れに等しい」
人間を殺してしまったんだろう、と彼は小さく言った。それが何を意味するのだろう。わからない。
「……お願い、連れて行って、アフ・アリス。私を部外者にしないで」
私が、何かを知ってはいけないという調子で、アフ・アリスは言う。でも、だからこそ、私は知らなくてはいけない事の様な気がした。
私は、それを知らなければならない。そういう直感に似たものが働いたのだ。
彼は私を見下ろした。そして村人達を見て、彼等にこう言った。
「村の皆さんは、逃げる準備を急いで済ませてほしい。そして、セト達が戻ってきて、私が戻ってこなかったら、すぐに村から遠ざかってくれ。村の星を、カンテラの中に入れて運ぶ方法は、子供達に教えてある。それで星と一緒に、逃げてくれ、隣の村まででも、もっと遠くでも。嫌な気配が遠のくまで」
「あんたが言うんだ、理由がありそうだね、わかった」
そこで、村長が力強く頷く。
「皆、三十年ぶりの脱走だよ! 張り切っていこう。あたしらには星がある。誰も魔性に殺されない」
その言葉を聞いて、村の人達が一斉に動き出した。聞いていた子供達が、真顔で神殿の方に走っていく。
それを見て、アフ・アリスが私を見て言った。
「行こう。……君には酷な光景を見せる事になるだろうが、君はそれを望むだろう」
「ありがとう」
そして私達は、セトさん達が様子を見に行った方向、つまり家を借りていた場所に走って行ったのだった。
「ひどい」
血の海だった。私が逃げ出すまで、天幕を張り、大勢の人で賑わっていたその場所は、血の臭いで埋め尽くされていて、おびただしい血が辺りに流れていた。
そして、兵士なのだろうか、それともベガの仲間だったのだろうか、人々が虫の息で倒れていたり、そうで無い人が必死に治療を施していたりしていた。
「……なんとか殺す手前で、踏みとどまっているのか。だがそれでも……」
アフ・アリスが倒れている人達を見て、何かを感じ取ったように言う。私達は、手伝ってくれという人達の声を無視して、セトさん達を探した。
そして。
「セトさん!! ギザさん! フィロさん!!」
見つけた彼等は、戦っていた。フィロさんという前衛職を前に出して、ギザさんが搦め手の術をいくつも使って、セトさんが二人の補助に回ったり、フィロさんに致命的な攻撃が来た時に、目くらましをして斬撃をそらしたりしていた。
でも、皆血みどろだった。
彼等の戦い方は、この場で言うのはあれだけれども、洗練された熟練のそれだった。戦い慣れした人達だ。
それでも、その相手を前にすると、力が足りないのだ。私は急いで、一番戦っている者から遠かったギザさんに走り寄った。
魔力が枯渇しそうなギザさんが、顔色悪くも、私を見て安堵した様に言う。
「ああ、あなたは巻き込まれていなかったのね! あなたの事が心配で、セトとフィロと様子を見に来たのよ、こっちまで。でもどこにも居ないから、もう殺されたとか、悪い想像ばっかりで」
「何があったんですか、あれはなんなんですか?」
「わからないわ、村に入ってきた時は、本当に普通の旅人のようだったの。ベガに会いたいと言うから、アヌビス君が案内して……」
「豹変したんだ! ベガを見た途端に、あの兄ちゃん、化け物みたいな雰囲気になって、返せって言って。それからベガが嫌だって言ったら、手当たり次第に切りまくりはじめて。ベガやその他の人達と戦いだして。だから急いで、兄ちゃん呼んだんだ! それからずっと、兄ちゃん戦ってる」
「……というわけなの」
私は、ギザさんの補助をし続けていたのだろう、アヌビス君が、教えてくれた事に頷いた。
「ありがとう、アヌビス君。でも君は危ないから、お父さんとお母さんと逃げる支度をして」
「兄ちゃんを置いていけないよ!」
「大丈夫だ。あれは私がなんとかする」
目に涙を浮かべたアヌビス君に、アフ・アリスがはっきりとそう言った。
「……どのみち、あれはもうきっと、こちら側に戻れない。私と同じ」
「何を言い出すの?」
私はわけがわからないから、彼を見上げた。彼は、紫の霧に包まれて、時折見えるのが人間の手足だという、わけのわからない存在と戦い続ける、本当ならもう戦ってはいけないほど、傷だらけのセトさん達を見ている。
その目には、腹をくくった人の光が宿っていた。
「……彼は、ほかに何か言わなかったか?」
アフ・アリスがアヌビス君に問いかける。彼とは、あの紫の霧の中の人っぽい相手だろう。
アヌビス君は、アフ・アリスを見上げて、聞き間違えたりなんかしないと言う様に、こう言った。
「かえせ、かえせ、ジーナの心臓。……で、ベガと最初戦ってて……ベガの剣、いきなり砕けちゃったんだ。そうしたら、ああああああああ!! 殺す、殺す、殺す!! って」
「!!」
私は聞き間違いで無い事を呪いたくなった。ジーナの心臓を、返せというのは一人しか居ない。
声が震えそうになった。あの紫の霧の中で、セトさん達と戦っているのは。
「へりおす……?」
私の手持ちの情報をそろえると、それはヘリオス……聖剣の勇者だった。
どうして、何があって、どういう事で。
行方不明の聖剣の勇者。魔王を倒した随一の勇者。美女達を袖にして、どこかにいなくなった人。
彼がどうして、あんな、魔性の様な霧をまとい、人々を切り捨てているのだ。
頭が混乱しそうだった。もう混乱しているかもしれない。
そんな私を見やってから、アフ・アリスが言う。
「ベガはどこに居る?」
「そこで伸びてるわよ。とどめを刺されそうになった時に、セトが割って入ったの。ほんとお人好し。あんな目に遭わされたのに、助けちゃう辺りがセトの馬鹿さで私の気に入ってるところね」
何度も何度も、攻撃の減退呪文を唱えて、即死の傷をそらし続けるギザさんが言う。
もう、彼女も魔法を使ってはいけないくらいに、疲弊している。魔力が枯渇しても魔法を使うならば、支払われるのは命なのだ。でも、彼女は魔法を行使し続けている。
私は、そこで、事実倒れているベガを見つけた。仲間達はとっくに逃げたのか、彼の手当をする人は誰も居ないが、見た感じ、ここに来るまでに見た人達の誰よりも軽傷だ。血が出ていない。
……頭を打っていたらわからないけれども。そう言うのは治癒呪文に長けた人の世界だ。
「……ああ、だから」
アフ・アリスがベガに近付いて、その手が握りしめていた何かを調べて、納得した調子で言う。
彼は何に納得したのだろうか。わからない。でも。
「……ジルダ。アヌビスを連れて、下がって欲しい」
「どうして?」
「……見られたくないんだ」
「だめよ、あれがヘリオスなら……私は見届けなくちゃいけない」
「ジルダ、何を言い出すの? ……まさか、あなたの聖剣の勇者って……、って事は……!?」
ギザさんが私の正体を導き出して、目を見開く。私は、戦うセトさん達を見た。
「これに至った理由が、私が逃げた事だとしたら」
私は、その結末を、見届ける責務がある。
勇者の、ヘリオスの聖剣の鞘だった身の上として。
紫の霧の中の人は、疲れなど覚えない様子で、そして人間として疲弊を感じるセトさんや、フィロさんには不利な戦いが続いていた。
彼等は、村の人達に危害が加えられないように、彼の意識を自分達に向ける事をしているのだ。
本当に、限界まで、村の人を守るために、動いている。
でも、私は、一層、その紫の霧の中の人の意識をそらす事が出来るかもしれなかった。
「……手伝って、わたしのともだち。さすがに意識を奪えば、戦わなくなる気がする」
「君のためなら。セト達もこのまま行くと、斬り殺されてしまう」
「ギザさん、いったん下がる合図ってあったりします?」
「あるわ、指笛よ」
「では、私が怒鳴ったら、二人に下がるように合図してください」
「……注意をそらせるの?」
「そらせる可能性がある事を、知っています」
「わかった。あなたを信じるわ。でも、あなたも無理をしないでね」
ギザさんが、後ろにアヌビス君を庇いながら、指笛の構えに入る。
そして、私は紫の霧に向かって、怒鳴った。
「だめ、よして……ヘリオス!!」
紫の霧の中の人の、剣の動きが止まる。ギザさんの甲高い指笛の音で、セトさんとフィロさんが下がると同時に、アフ・アリスが飛び出し、紫の霧の人に、強烈な足蹴を喰らわせた。
その人はその勢いで見事に吹っ飛ばされて、二転三転転がって、倒れた。
「おい、ヘリオスって、聖剣の勇者だろ! なんで勇者があんな怪物になってんだよ!」
セトさんが吼える。フィロさんが油断するまいと言う調子で辺りを見回している。
二人とも、血まみれの本当にひどい姿だ。
「セト、疑問は後回しだ。……あんなのに目をつけられたベガは置いていくぞ。俺達は村の人とこの場から逃げる事を選んだ方がいい」
「ちっ、そりゃそうだ。アヌ! 逃げる支度だ、母ちゃん達の所に飛んでけ!」
「うん!」
彼等の会話を聞いた後、私はアフ・アリスと一緒に、倒れて動かない紫の霧の人……ヘリオスだろう彼に近付いた。
そして、彼を見下ろした。
名前を、呼ぶ。
「ヘリオス」
聖剣の勇者。誰よりも勇者らしかった人。女性のあれこれには、鈍すぎて気付かなかった人。
あなたがどうして、こんな風になったのか、まるでわからない。
その人の名前を私が呼ぶと、紫の霧が、徐々に収束していき、彼の握る剣の中に吸い込まれていく。
その剣は毒々しい色をしていて、血が滴るような赤色をまとわせていて、いかにも魔性の物だった。
それをどうして、彼が握っているのかわからない。
「ヘリオス、どうして?」
私は彼の脇にしゃがみ込んだ。それをアフ・アリスは止めない。私は、彼の長く伸びた前髪をそっとわけて、顔をあらわにした。知らない火傷の跡のような傷跡がある。
「ヘリオス、私の声が聞こえる?」
「……じーな?」
足蹴の衝撃は強くても、数多の激戦をかいくぐったヘリオスの意識が戻る程度の物に、加減されていたのだろう。
彼の目が開いて、ぼうっとした調子で、私を両目で見る。
片方は見慣れた金色。もう片方は……魔に属する者の所持する、赤色に縦長の瞳孔。
「じーな、きみなのか。……いきていた……」
倒れたヘリオスがうわごとのように言う。
「きみのしんぞうはくだけた……きみがしんだと……きみはいきていた……」
「うん。そうだったんだ。でも生きてるよ」
「きみにあやまりたくて……あのさんにんの……思惑を知らされて……きみをころすつもりだったと、知って……」
「もう関係ないから。あなたの鈍さは今更だったじゃない」
「……じーな、おねがいがある」
「なあに?」
私がヘリオスに優しい声で話すのは、聖剣の鞘だったからではない。……ただ、ほんの少しばかり、ヘリオスと過ごした思い出の中に、優しいものがあったから。
最初に出会って、他の三人と行動をする前のヘリオスは、ぎこちない優しさを、私に向けていた事を思い出したのだ。
それは、三人の女性達がヘリオスにまといつくようになって、向ける時間を奪われて、無くしてしまった物だけれども。
私は、優しくしてくれた人に、優しくしたい、その程度の人間だったのだ。
「……ぼくを、ころして」
「え?」
「ぼくは、もう……にんげんとして、保たない。握った剣は、魔王の魂の一部だった。ぼくのめまで、魔王は浸食している……このままだと、ぼくをのっとって魔王は復活する」
魔王の魂の一部。私はヘリオスの握る剣の異様さの理由が、わかった気がした。
ならば早く、手を離させなければ。
「すぐに手から離してあげる」
「……もう、おそい……ぼくは、……ぼくは、きみをうしなうと、おもって、……ひとをきってしまった……聖剣の勇者は、人を切ってはならない……たのむ、じーな、ぼくをにんげんのままおわらせてくれ」
聖剣の勇者は、人を切ったその時、勇者の資格をうしない、代償を与えられる。それは神殿でも聞かされ続けた言葉だった。
その代償がどういう物かはわからないけれども、すさまじい物だと聞いていた。
ヘリオスに残された、人間としての時間は、もうわずかだと言いたいのだろうか。
私はどうしたら、ヘリオスを救えるのかわからなかった。この人を殺して、この人は救われた事になるのだろうか。
わからない。
「……勇者ヘリオス」
その時、だった。
アフ・アリスがそれまで、私とヘリオスの会話のために、少し距離を置いていたのに、近付いてきて、ヘリオスの脇に膝をついたのだ。
「聞こえているか。今のお前なら、私の気配から、私が何か、この今ならばわかるだろう」
「……ああ、わかる」
「お前の前に、その道をたどった運命として問おう。……ジルダを守れるか」
「アフ・アリス、何を言って……?」
私の問いに答えずに、アフ・アリスが言う。
「ジルダは聖剣の鞘の運命から外れた。もうお前の運命の人間では無い。その心臓は彼女だけの物であり、聖剣には二度とならない。それでもお前はジルダを、守れるか」
「だから、ベガの持った剣が崩れたのか……」
何かに納得した様子のヘリオスに、アフ・アリスが問い続ける。
「ゆえに問おう。私の夜明けを守れるか。私の明けぬ空を明けさせた、ジルダを守れるか」
「僕に、守る資格があるのなら、今度こそは」
「資格だのなんだのと言う御託はいい。私は守れるかと聞いている」
「……守りたい。ずっと僕は、ジーナだけを守れればいいと思ってきた」
「よし」
アフ・アリスがそこで、笑った。満足のいく返事を聞いたという調子で。
そして、息を一つ吸って、言葉を連ね始めたのだ。
「さだめあるもの みちたどりつかぬもの 私の名前はアフ・アリス。はるかな勇者 魔王の心臓になりはてたもの。そのはずれたうんめいにおいて おまえのそれすらつれていき ちなまぐしのはてに」
「逝く」
そう言って、アフ・アリスは。
ヘリオスの握っていた、魔王の魂の一部だという剣で、自分を貫いた。
何かが、封印から解き放たれたように、爆発的な力が広がる。どんな生き物もこの存在の前には敵わない。そう直感的にわかる力が。
私はヘリオスの脇で、それを見ていた。
倒れるヘリオスは、目を見開いて、私と一緒にそれを見ている。
アフ・アリスが高笑いをした。
「ぐ、ぐはははははは!! とうとう目的が果たされたわ! おろかだな、アフ・アリス! 愛故に理屈を越えたか、実に人間くさい!!」
これは誰だ。自身を貫いたはずのアフ・アリスは、胸に魔王の魂を突き刺したまま、げたげたと大笑いをしている。
心底愉快だという調子で笑う彼は、アフ・アリスとは大違いの生き物にしか見えない。
彼は、誰だ。
頭がうまく働かない。彼は誰なのだ、アフ・アリスとは大違いの声で笑う、この人は誰だ。
「まったく、この身体を手に入れるために、千年に近い時を待つ事になろうとは。ふはははは! だがこの身体があれば、吾はどの魔王よりも永遠に近しくなる!」
アフ・アリスの姿はほとんど変わらない。ただ、彼の鮮やかな緑の瞳が、赤色で、縦長の瞳孔になっただけで、姿は美しい彼のままだった。
なのに、発する気配だけが、違う。
人間の気配でも、優しい気配でも無い。
そして彼が、私を見やった。
「アフ・アリスの最愛、教えてやろう。吾の名を他の者どもは魔王と呼ぶ。そして……アフ・アリスはたった千年ほど前に、吾をあと一歩の所まで追い詰めた孤高の勇者だった。聖剣など存在しない世界でな」
私は言葉も出ないまま、魔王を自称するそれの言う事を聞いていた。
「だが、吾はやつに囁いた。吾を殺せば、跡目争いで五王が人間達を虐殺して回るとな! アフ・アリスは慈愛に満ちた勇者だった。故に魔王を倒す己の名誉よりも、関係などない大勢の人間の命を優先した! それ以来、アフ・アリスは魔王のしもべに成り下がり、吾を倒そうと来る、あまたの聖剣の勇者を屠る大罪を犯し続けた。運命により勇者が人間を殺すのは禁忌、殺せば殺すほど、人間としての情を失っていく」
「そして、アフ・アリスが人間の情を全て失った時。吾は奴に心臓を植え付け、魂の一部を手下に下賜した。それは見事に当たったな! 吾が倒れても、吾は滅びる事がなかった」
「本来ならば、吾が聖剣の勇者に倒された時、アフ・アリスの肉体に乗り移る予定だったが……アフ・アリスの夜明けよ、貴様がアフ・アリスに霊薬を渡した」
「!!」
あの時の事を言っているのだ。私がアフ・アリスと出会ったあの時。勇者援軍に、アフ・アリスを近付けたくなかったから、私は霊薬を引き換えに、援軍の方に向かうなと言った。
そしてアフ・アリスはそれを守った。
あの時の事が、どうしたというのだろう。
「あの霊薬は浄化の霊薬、魔に浸されたアフ・アリスに、砂粒程度の情を蘇らせた」
すごい薬だと聞いていたが、そこまでだったのか。
「よって吾の計画は崩れるかと思われたが……吾にとっての誤算は、心臓がこの身体の中にあったとしても、アフ・アリスほどの鋼の魂に爪を立てる事が、魔王ですら叶わないという真実だった。吾がこの身体を乗っ取るためには」
そういって、魔王はにやりと、自分の身体に刺さる魔王の魂だという剣をなでた。
「配下に下賜した魂の一部の中でももっとも、破壊的な部分であるこの剣を、この身体に突き刺さなければならなかった」
計略が成功したという顔をして、魔王が笑う。
「ヘリオスよ、貴様は実に計画にとって都合良く動いたな! ジーナへの執着、それを手にアフ・アリスの所まで、吾が魂を運んでくれた。実に上等な働きだ」
ヘリオスが言葉を失っている。倒したはずの魔王は倒されていなくて、それどころか魔王復活の足がかりを自分が行っていたのだから。
「アフ・アリスが罪の意識から、この道を選ぶかどうかは賭けの部分もあったが……さすが英雄よ。実に英雄らしく、全てを救うために、その魂をなげうった」
突き刺された剣がずぶずぶと身体の中に潜っていく。そして全てが身体の中に納められた時、魔王の力が膨張した。
「っ……!」
息すら辛いほどの圧が放たれる。周りを見る余裕などない。そんな中で魔王は言う。
「アフ・アリスは哀れな男だ。……もう人間に戻りきれぬ己である故に、手遅れになる前のヘリオス、貴様だけは救おうとしたのだ。事実、貴様は人間に戻った。もう吾の手駒にはなれぬわ」
私はそこではっとして、ヘリオスの赤かった目の方を見る。赤かった目は、見慣れた金色に戻っていた。
人間に、……戻ったのだ。
「さて。……吾は配下どもに吾の復活を知らせねばならぬ。……ああそうだ」
魔王はそう言い、手を広げた。
「ヘリオスよ。貴様の働きを評価し……貴様の罪の一つくらいは、無かった事にしてやろう」
広がった手から、魔力が周囲にぶわりと広がる。
そこで、私の耳にも、ヘリオスが切り捨てた人達のざわめきが耳に入った。
「傷が塞がった……」
「目が開いた! 大丈夫か!」
「生きてくれて良かった!」
魔王が、人間の命を助けた……?
私は魔王の思惑がわからず、アフ・アリスだったその姿をまじまじと見た。
魔王と目が合う。
「吾は元々、あまり血なまぐさいのは好かぬ。ああ、そうだ。人間の王に伝えておけ。魔性との争いの発端である、”偉大なるほしくずのつるぎ”を壊せば、吾らが人間を殺したいとかき立てられる衝動は失われる。双方ましな平和になるとな」
「それってどういう」
「これ以上のおしゃべりは飽いた。……さらばだ、アフ・アリスの夜明けよ。貴様だけは吾も気に入ったな」
ごう、と風が吹く。魔の匂いのこもった風がやむと、アフ・アリスだった姿はどこに見当たらなくなっていた。




