四話
四話を大幅に書き換えました。ご注意ください。
死に物狂いで走っていた。息は切れていたし、胸は苦しくて、でもそれ以上の恐怖が勝ったから、走り続けてしまっていたのだ。
そして、気がついたら私は、村から出ていたようで、周りは見知らぬ森の中だった。
必死に走りすぎていて、そこでやっと呼吸が苦しくなって、へなへなとそこに座り込んでしまう。
私は生ぬるい人生を送ってきたのだ。ああいった視線やああいった言葉を投げられた経験の無い人生。それはぬるいという物なのだろう。
「っ……」
そう思わざるを得なかった、それでも私は怖かったし気持ちが悪かったし、背筋がぞっとしたし、嫌悪感という物は半端な物ではなかった。
女性ならまざまざとわかる恐怖という物だろう。
ここは森の中で、魔性がどこからやってくるか全くわからない状況で、それでも先ほどの男達のあれこれからは遠ざかったと思うと、安心したのか緊張の糸が切れたのか、気付いたらぼろぼろと涙がこぼれだしていた。
「ううっ、ひっく、うええっ、ずびっ」
泣き始めてしまったら止まる気配を見せなくなって、私はそこでひたすらに泣いた。泣いたから状況が好転するわけではない。でも恐怖から来る涙さえ抑えこみ続けたら、人間としておかしくなってしまう。
今まで泣けない状況の方が多かったし、訓練時代も、勇者一行との旅の間も、泣こうとすると咎められたから、まともに泣いた事なんて、子供の頃の記憶だ。
そうしてどれだけ泣いていただろう。声がかれてきて、涙も止まってきて、心がめちゃくちゃになったような感覚が収まってきた頃に、私はようやく深呼吸をした。
「……ここどこだろう」
それしか言いようがなかった。どこをどう走り続けたかわからないので、目印なんて何も見ていないし、覚えてもいない。どれだけ私が混乱した状態で走っていたかが、我ながらよくわかる。
「……野営の準備をしなくちゃ」
空の色から勝手に判断してしまう。染みついた夜を明かすための準備という行動は、たしかに私の感情を落ち着かせる選択肢だった。
魔性がどこから襲いかかってくるかわからない。
魔除けも何も無い、寝起きを叩き起こされた状況というとんでもなく不利な状況の中でも、私は村に戻る道ではなくて、ここで夜を明かすと言う道を選んだ。
下手に動き回って、余計に村から遠ざかる可能性もある以上、これから夜になるのに、うかつな行動はとれないからだ。
私は周辺の薪を拾って集めて、初歩の初歩しか使えない発火魔法を使って火をおこし、ただぼんやりと火を眺めていた。空腹を感じていたけれども、今から食べるものを探すのは得策では無かった。じっとしている事も、夜を明かすには必要な選択肢だった。
そうやって燃える火を眺めていると、色々な過去の事を思い出してしまった。父親のわからないと言う事実から、差別を受けていた子供時代。胸に痣が浮かんだ事により、過酷な修行を行う事になった数年間。ヘリオスと出会って、魔王を倒すために続けた旅の数年間は、女性陣から毛嫌いされた数年間で、一番存在を否定された数年間とも言えるだろう。
あんまり、幸せだった記憶が無いと言うのがなんとも言えない人生だ。
……空腹で頭の中が悲嘆に暮れているのだと、わかっていても後ろ向きな感情が走ったまま止まらない。
なんで、こんなに、苦しい思いばかりをしなくちゃいけなかったんだろう。聖剣の鞘だから? 魔王を倒すための手段が、聖剣を持った勇者様じゃなきゃだめだったから?
勇者を愛する女性達に、排除される未来があるのが、私じゃなきゃだめだったの?
考えれば考えるほど、ろくでもない思考にはまっていく自覚がある。それでもそれを止められないのは、そうやって思いを巡らせる時間が、今まであまりなかったからだろう。
そう思った矢先だった。
「るだ、……ジルダ!!」
背後の藪ががさがさと音を立てて、振り返ってそちらを向くと、焦った表情をとっている、アフ・アリスが立っていた。
そして、私の顔を見て、心底ほっとしたと言う顔になって、近付いてきたのだ。
「ああ、よかった。家に戻ったら、知らない女性達が我が物顔で暮らしていて、ジルダを役立たずだから、追い出したというものだから」
「探しに来たの」
「当たり前だろう。とても心配した。君は単身では、魔性の弱いのにだってまけるから」
彼はそう言って、ふうっと安堵の息をこぼした。そして、私の隣に膝をつくと、私の手を取って頭を下げた。
「守れなくてすまない。あんな事になるなんて、思いもしなかった。私の考えが甘かった」
「……誰だって、いきなり、用意されていた家から放り出されたあげくに、商売女だって勘違いされて、そういう事を強要されるなんて思わないよ」
「そんな目に?」
アフ・アリスは、追い出されたところしか知らなかった様子だった。それでも、私の受けた事を知るやいなや、目を見開いてから、慎重に口を開いた。
「……君は大丈夫か?」
「うん。抵抗しまくったから」
「それでは、男の私が触れるのも、怖いだろう」
そう言って、彼は手を離そうとした。でも私は、その温かい手をもう少しつかんでいたかったから、力を込めてそれを止めた。
「ん?」
不思議そうな彼に、私は言った。
「あなたは私の友達で、だから、大丈夫。……これからどうする? 村に戻ったらまたもめるでしょう」
「ああ、それなら。君が戻りたくないなら、このままどこかに流れていこう」
「セトさん達にも、村のお世話になった人達にも、何も言わないで?」
「私は君が安心できる環境で、平和に生きる方が優先される男だ」
「お人好しで贔屓過ぎる……」
「何とでも。君は私のともだちなのだから」
アフ・アリスはそう言って、安心させるように微笑んだ。その時だ。
どくん、体が大きく脈打って、体に、今までのあれこれなんて比では無い程の、意識を失えない程の激痛が走って、心臓がある場所があり得ない痛みを訴えてきて、私はその場に倒れ込んだ。
「ジルダ? ……!!」
アフ・アリスはいきなり顔を真っ青にさせたか何かで、倒れ込んだ私を一瞬だけ理解できなかったらしいけれども、うずくまる私に、異常が起きたのだとすぐに察した様子だった。
でも、私にはそれ以上彼の様子を観察する余裕は無い。
痛い、いたい、いたい、苦しい、くるしい、つらい、なんで、いたい!!
外に飛び出したきりの、私の心臓に何があったのだ。今まで何度も激痛を訴えてきた、私の外に出っぱなしの、剣の形の心臓に何が起きたのだ。
息が出来ないほど苦しくて、呼吸もままならなくて、意識が明滅するのに、痛みが酷すぎて気絶すら出来ない。
頭の中がめちゃくちゃで、私はわけがわからないまま、こう言った。
「たすけて、わたしの
ともだち。
「ああ。君だけは失えない」
アフ・アリスの腹をくくったような声がしたと思うと、彼が私を抱きかかえ、小さく
「ゆるせ」
と言って、唇に何かが触れて、そこから息と、不思議な感覚が体の中に入り込んできたのだった。




