一話
五王。それは魔王の配下達の中でも、群を抜いた実力を持ち、無数の配下を従える、魔王の元統治されていた五匹の魔族の事を示す名前だ。一匹だけでも魔性の王といって過言では無い軍事力を持つその魔族達が、魔王が勇者ヘリオスに倒された後から、活発に動き出し、人間の国を、村を、街を、無差別に滅ぼしている事が、世界中の人間にとって恐ろしい事実だった。
獣王バンドラ
蟲王エレドラ
禽王ガラドラ
霊王メルドラ
竜王ソニドラ
この五匹の魔族の元、魔性達は暴れ回り、世界各国を恐怖に陥れているのだ。
当然人間側も何もしないわけではない。元々魔性達と争っていた精霊族達とも手を組み、五王の軍勢に対して抵抗しているが、何しろ魔性の数は膨大であり、魔王の統治下にあった頃は人間の生活圏に侵入してこなかった化け物どもが、その制限など無くなったと言わんばかりに、予測不能な暴れ方をするため、人間や精霊族側は疲弊する一方だった。
頼みの綱とも言える、聖剣を持つ勇者と聖剣の鞘と、その仲間達の数は極めて少なく、勇者はたったの七人しか現在は存在していないのだ。
聖剣の鞘もほぼ同じであり、いくら勇者の仲間が居たとしても、千の軍勢と同じだけの仲間が居るわけではない。
魔性と戦うために、魔法の力を借り受けた武器や防具を持った人間が、いくら集まって力を尽くしても、圧倒的に魔性の数の方が多いのだ。
魔性は生まれながらにして凶悪であり、幼体であってもそれなりに戦闘能力を持っている。
対して人間は、ある程度の年齢になるまでは極めて無力で、それだけでもう、不利としか言いようのない状況に陥っていたのであった。
「勇者ヘラスが墜とされたらしい」
「なんてことだ。何年も帝国を守り続けていた、あのヘラスが」
「聖剣の鞘であるユーノ姫も殺され、勇者の加護を受けていた二十人の軍勢も、ユーノ姫が死んだその瞬間に大きく力を削られ、なぶり殺しに」
人々は噂をする。恐ろしい事だと身を震わせて、歴戦錬磨の勇者達が、次々討ち取られて行く情報を共有する。
「あと生存しているのは……?」
「勇者アレシスとその聖剣の鞘マルサ姫。勇者ゼウズとその聖剣の鞘ユピア姫。勇者アテニアとその聖剣の鞘ミネルア姫」
「こちらが聞いた話だと、勇者デメテオと聖剣の鞘セレス姫が殺されたらしい」
「なんてことだ、七人のうちの二人がもう、殺されるなんて」
「こんなにも一度に、勇者と聖剣の鞘が殺されるなんて話、歴史的に見て前代未聞だ! ……そして勇者ヘパイオンは老齢すぎて、その聖剣の鞘であるヴァルカナ姫もご老体。とても戦える状況に無いとか」
「では、魔王を倒した勇者ヘリオスは今どこに?」
「わからない。ダズエルで勇者の奇跡を操った後の彼の消息は、誰も知らないんだ」
「彼は奇跡を起こす事が出来るはずだ! 彼と、彼の亡くなった聖剣の鞘、ジーナの神剣なら!」
人々の情報は入り乱れて、正確な事が完全にはわからない。
だが。
「聞くところによると、大きなギルドの中でもその実力が素晴らしいという、豪腕のベガという男性が、このたび五王が一角、蟲王エレドラ討伐を王国の王より任命されたとか」
「それが成功した暁には、歴史上初めてになる、聖剣を持たない勇者として称号を戴くのだとか」
「ああ! 霊王メルドラとその軍勢を倒したと言う、八十名からなるチーム、鮮烈なる雷のリーダー、豪腕のベガだな!」
「勇者と聖剣の鞘だけでは心細くなっているこの状況で、それだけの力を持つチームがあるのは心強い」
「是非とも彼等が成功する事を、神殿で祈ろうじゃ無いか」
戦う力を持たない人々はそう言って、希望と言う重圧を、名前しか知らない人間に託す。
その人間の、人間性などどうでも良く、自分達の平和があれば、それでいいのだ。
それが、人間という生き物の性質なのであった。
「英雄ベガと一緒に戦えるのはありがたいんだが……この先って五王の一角、蟲王エレドラとの最前線なんだろ?」
ベガが王国の王から、蟲王エレドラ討伐を任命され、最前線の村に向かうさなか。従軍していた兵士が、身を震わせて兵士仲間にこう言った。
「いくらベガが強くても、俺達だって死ぬ可能性は高いだろう? 何でおれ、魔王が滅んだからもう大丈夫って思って、軍隊に志願しちゃったんだろう」
「王国の軍の規律で、一度入隊したら以降三年はやめられないからな。私も似たような話さ。ヘリオスが魔王を討伐してしばらくは、魔性達も数を減らしたように見えたし、力も弱体していると調査結果が出ていて……もう魔性達に殺される恐怖だけは去ったのだと思ったんだが」
「運が無いよな。ここに居る半数は似たような状況だって聞いてる」
兵士達はこそこそと話していく。彼等はここに来るまでの間にも、数多の仲間達が魔性に倒されて死んでいくのを見た兵士達だ。
どこか投げやりな気持ちになるのも、仕方が無いだろう。
平和な未来だと思っていたというのに、それが一気に逆転し、魔王が空を奪っていた頃よりも、命の危機が日常的になった事こそ、彼等がそうなる理由の大きな部分だ。
「いついかなる時でも、魔性の襲撃があるかわからないから、村や町でもおちおち寝てられないだろ」
「違いない。いまや、人の生活圏には言ったらもう安心……という魔王の居た頃の常識すら通用しなくなっている」
「本当に、一体何なんだ。魔王は滅ぼされて、もう、平和だって……」
誰もが同じような思いを抱く中身だった。
ベガはそんな兵士達とは違い、意気揚々と騎獣にまたがり、王から渡された秘宝の様な防具に身を包んでいる。
その彼と同じように、意気揚々としているのは、彼のチームの八十名近い仲間達ばかりだ。
「ベガさん、蟲王エレドラを倒したら、いよいよ勇者様になれますね!」
「違いない。何が聖剣の勇者だ。聖剣が無くとも、勇者になれる力を持つ人間は存在すると、私は実力で示してみせるのだ」
彼等は、元々勇者に憧れながらも、その条件を持たなかった人間達だ。
どれだけ技を磨いても、聖剣の鞘という相手がいないから、ただの冒険者扱いになっていた人間達だ。
勇者よりも自分の方が……と言う思いが多少なりともある彼等は、このたびの討伐命令を契機と捉えていた。
聖剣無くとも、勇者になる。
それは歴史上初の事になるといってよく、歴史で最も名を残す勇者になるとも言える事だったのだ。
「待っていろ、蟲王エレドラ! 必ずやこのベガと仲間達が、貴様を討ち取り、リリーシャ姫を我が手に!」
「さすがベガさん! 世界一の美女であるリリーシャ姫なら、勇者になるベガさんにふさわしい女性だ!」
彼等は盛り上がっている。従軍する兵士達は冷め切っている。兵士を統括する隊長達も、ベガ達よりは疲れている。
……士気でいうなら、あまりにも温度差のある集団が、湿地帯の近くに構えている小さな村、アテン村の付近まで、来ていたのだった。
「……おかしくないか、この村の周辺」
誰かが言った。その違和感は瞬く間に伝播していく。それはそうだろう。
「なんで、このあたりだけ……魔性に荒らされた形跡がまるで無いんだ?」
魔性はどんな村も町も、等しく蹂躙していく。歴史があろうと無かろうと。大きかろうと小さかろうと。人間が多かろうと少なかろうと。
聖なる守りを持っていようとも、持っていなかろうとも。
これまで、魔を遠ざけてきたと言われてきた神殿も、寺院も、敷地内より外は魔性の蹂躙を受け、神殿の権威も寺院の権威も地に落ちた。
神殿の関係者が、祈りを捧げれば、街は守られる。寺院の関係者が聖なる儀式をすれば、魔除けの聖印の力もあって、村は守られる。
その、魔王が居た頃の常識は無くなった。
魔性達は、聖水の流れる水路の有る、神殿の敷地内や、寺院の敷地内には入らない。
だがその外では、むごたらしく殺戮を繰り返す。
聖水の流れる水路を、人の血で穢し、その力を無効化するやいなや、敷地内にすら入ってきて、必死に時が過ぎるのを待っている弱者を、祈っている人々を殺し回る。
それが、今の常識になっているのに。
その村の畑は、のどかと言って良い状態で、村の住人達がせっせと野良作業にいそしんでいる光景。
かかしが立ち並び、鳥よけをして、風見鶏が回っている。
畑に出る事すら、農業を営む人間にとって命がけになった今、その光景はおかしすぎるものだったのだ。
「どういう事だ」
「ここは……蟲王エレドラとの戦いの最前線で」
「首の皮一枚、ギリギリつながっている村で、自分達の助けを待っている村では」
彼等の考えていた、五王との最前線の村の想像ががらがらと崩壊していく。
驚くべき事に、子供がきゃらきゃらと笑いながら、畑の間の通路で追いかけっこをしているのだ!
今の情勢で、そんな事をしていたら、瞬間で魔性にはらわたを食いちぎられると言うのに。兵士達は立ち止まった。
兵士達を統括する隊長達すら立ち止まった。
当然、同じ道を行くベガ達も、立ち止まった。
「なんの悪い冗談だ……」
「ここを守っている人々は何者だ? よほどの結界を張る力の強い魔術師達か?」
見ている光景に頭がおかしくなりそうな兵士達。必死に可能性を探る隊長達は、情報を持っているかもしれない補佐に問いかける。
「ここは……あの、申し上げにくいのですが……」
補佐がおそるおそる言った言葉に、彼等は愕然とした。
「貧乏すぎて、護衛の冒険者の数を増やせなかった、唯一の村です……他のどんな小さな村も、最初の護衛を送った後は、守る人数が足りないと増員を願い出ていたのですが……この村は、その……」
「その、なんだ」
「増員を望んだのですが……増員に当たっての支払金を捻出できず、村の護衛の数が、初期のまま変わらない村です!!」
隊長達は意識を失いたくなった。だが精神力で踏みとどまった。
「では、ここの冒険者達はどれほどの腕利きだ? 当然、白金の階級を持つような人々だろう? 白金の階級を持つほどの凄腕達が、こんな小さくへんぴな村を守ると志願するのは、かなりおかしな話だが」
「チーム階級、銀」
「は?」
「ここの護衛をしているのはこの村出身のリーダーを持つ、チーム階級は銀の、盗狼の風! そう記載されていたんです!!」
だから、この村も滅ぼされる寸前だと思ってました、と補佐が力の無い声で言う。
そんな時だった。
「あれえあんたら何しに来たの? 兵士さんがいっぱい!」
「セト兄ちゃん達に知らせる? 兄ちゃん今日、昼寝日よりだっていってその辺の草っ原で昼寝してるって言ってた」
「兄ちゃんもそうだけど、まずは村長だろ、神殿のおじいちゃんだろ」
「村長さん、最近頭が痛くて仕方ないって言ってた!」
「なんでー? アフ・アリスが癖にならない痛み止め調合してたから、季節的なのすごく楽になったって喜んでたのに」
「なんかさあ、ぜんせんがうんたらかんたらだって」
「よくわかんねー話! 皆行こう!」
複数の子供達がわらわらと彼等に近付いてきて、ぶしつけな視線を向けたと思うと、おのおの話し始めて、わっと散っていったのだ。
そして残ったのは、丸顔の少年だ。
「ええっと、ようこそ、アテン村に! でも、村の中に入るのはちょっと待ってね、村長さんに確認とらなくちゃ、村に入っても何もしてあげられないから」
「……君は?」
ベガが騎獣の上から声をかける。見事な武装の彼を見上げた少年は、眼を瞬かせてからこう言った。
「僕? 僕はねえ、ここの護衛しているセト兄ちゃんの二番目の弟の、アヌビス! 兄ちゃん達はね、すごいんだよ! 本当の本当にすごいんだよ!」
悪意無くにこにこ笑う子供が、あの憎きセトの弟と聞き、ベガ達は穏やかでは居られない。
だがそんな過去を知らない兵士達の隊長は、周囲を見回してから、ちょっと屈んで問いかけた。
「ありがとう、アヌビス君。ここはとっても平和だな」
「うん。星をおろしたからだよ! 僕達皆で降ろしたの! あとねえ、お花のお世話もしてるんだ。アフ・アリスは、手間が一杯かかるけど、秘密の方法じゃないから、お話ししていいって言うんだ。でも、皆で教えても、ほかの村の人も、町の人も、だーれも信じてくれないの! 星だけよこせって怒鳴ってばっかり」
「星? お空のお星様があるのかい?」
「そうだよ! 星の力と花の力で、この村の近くは、魔性のほとんどが来ないの。来る奴は、セト兄ちゃんと、フィロさんと、ギザさんでぶっ飛ばすから、大丈夫」
子供の言う事だ、と隊長達は馬鹿に出来ない。見ている現実が、それを否定させてくれないのだから。
「その、お星様を見せてもらう事はできるのかい?」
「村長のおばちゃんが、いいよって言ったら! 最初は誰でも見せてたんだけど、もって行こうとする人がすごく多くなったから、おばちゃん怒って、自分と神官のじいちゃんが許可しなきゃ見せないって事になったんだ。許可無く入ったら、村の大人にぼっこぼこにされるし、セト兄ちゃんが裸にして逆さに吊り上げる」
「……そうなんだ。教えてくれてありがとう。……でもここに立って待っていても、魔性は来ないのかい?」
「あの木の柵が目印だよ! あれより遠くは襲われるかもしれないけど、あれより村に近かったら、星の光も花の力も、十分頼れるんだ」
アヌビスが笑顔で自慢した時である。
「……来ても歓迎できないって、私らは王様のお代官様に、ちゃんとお伝えしたんですけどねえ」
村の入り口の木の柵からやってきた女性、村長の印なのだろうたすきを掛けた彼女は、兵士達を一瞥し、困ったようにそう言った。
「兵士さん達。五王のおっかないのの一つの討伐をしに来るとは聞きましたけどね、うちは兵士さん達に食べさせる蓄えも、寝泊まりさせられる物資も、何にも無いから何も出来ないって、お伝えしてあるんですよ。まさかこの村で歓迎されて、食事も寝床も与えてもらえるとお考えでしたか?」
「恐ろしい五王の討伐に挑む戦士達に、何もしてくれないと? さすがろくでもないセトの育った村だな!」
村長の言葉を聞き、ベガが見下したように笑った。だが村長は騎獣から降りての挨拶すらしないベガをちらっと見て鼻で笑ってから、周囲を見回すように手を動かした。
「この村は、見ての通りとても小さく狭い村です。育てている作物も限りが有る。物資をここまで運んでもらうお金も無い。何せ護衛の数すら、村中かき集めても支払金を出せなかったから、増やせなかった村なんで」
「……」
「それに、ここは最前線とかお代官様も言ってましたけど、本当の本当に、あなた方を養う様な余剰の無い村なんです。食べるものも、寝るところも、皆様で自力で用意していただくほか無いんです」
見回す限りの事実であり、書類上も記載されている現実を、村長はただ語った。
だが。
「ここが、蟲王エレドラの軍勢に最も近い人の集落なのだ! ここに滞在させてもらわなければ困る!」
ベガが傲慢な声で言う。村長は困ったねえ、と言う顔をして、やれやれとつぶやき、こう言った。
「自分で全部まかなうんでしたらね、居るだけならまあ、いいですよ。……この村の人間に傷一つでもつけてみろ。この村は皆さんの一人も許さない」
その声にはすごみがあり村長がただ者では無いという事も、示していたのであった。




