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セトさん達は外からの依頼をこなして、私は女の人達と糸繰りとか、布を織る為の作業とか、染めのための染料を作る事とか。
そしてアフ・アリスは、神殿の菜園で働いて、もう、数ヶ月が経過した。
私は、実は結構な覚悟を決めてこの村に来ていた。
きっとそれはセトさん達も同じだろう。
ある日、今日は休みだ、安息日だ! とセトさんが言った事で、外に行かなかった彼が、染め物のための材料の皮むきをしている私に、話しかけてきたのだ。
「なあ、この村に、俺達がいない間、魔性が入ってきたりしたか?」
「……えっ、そう言われてみれば」
「だよな? 俺の勘違いとかじゃねえよな? 村の奴の誰に聞いても、この村に、小型の低級魔性すら、入り込んできてねえみたいだからさ」
セトさんは私の隣に乱暴に腰掛けて、私がせっせと皮むきする木の根っこを、一緒にむき始めた。
この根っこは、いい感じの紫に染められる材料らしく、湿原の多いこの地域でしか栽培されない物だとか。天然物の方が色鮮やかで、格が高い織物に使われるそうだけれど、天然物は魔性うごめく外で、見つけにくい細い茎を探し回らなければいけないから、こうして村の近くで栽培するのだとか。
外の商人達が、これを立派な値段で買い求めたり、この村では手に入らない香辛料とかと物々交換するのだそうだ。
それでも、この村でも、年に一度のこのあたりの村の住人が一堂に会するほどの、大きな収穫祭の時の衣装のために、こうして使うから、あんまりたくさんは商売できないんだって村長さんが言っていた。
「……おかしいんだ」
セトさんはなれた手つきで皮をむく。幸い小さな刃物の使い方ならそれなりなので、私もそれなりに皮むきが出来る。
「ほかの村や、この辺で一番でかい町には、魔性が階級はともかく侵入してんだ。でも、この村に、いっぺんもそういうのが、入ってきた形跡も、近づいた形跡すらない」
俺は盗賊だからな、痕跡探しはお手の物なんだ、とセトさんが言う。
「俺もフィロもギザも、そういった特殊技能は持ってない。魔性を軒並み遠ざける術なんて物が、あったらそりゃあ、国の王様達が泣いてほしがるものだろ。いっちゃ悪いがこんなところで小銭稼ぐ仕事しねえ」
「……」
「でも、事実この村にだけ、どころか、この村の周辺の畑のある場所にすら、魔性が近づいてない。そうなると、あんたかアフ・アリスが何かしてるとしか思えないだろ。あんた、何か知ってないか」
私は手を止めないようにしながら、考えてみた。
残念ながら、セトさんが思うように、私が何かしたわけではない。私にそんな能力も才能もない。ましてや、聖なる人々が神から与えられるという加護なんて物は、もっとない。
私ではあり得ない。そうなると……あり得るのは。
こちらの表情から、セトさんもだいたい察した様子だった。
「やっぱり、アフ・アリスが何かからくりを知ってるってわけか?」
「……何とも言えないけれど。そういえば……」
私はある事を思い出した。
それは、喰われた街であるイニシエルに向かう際の出来事だ。
あの時も、私とアフ・アリスの乗った馬車には、霊魂系の魔性すら一匹も近寄らなかった。
あれもこれと同じ仕組みかもしれないと、セトさんは信頼できるので話したのだ。
セトさんはしばらくうなっていた。うなって……言った。
「じゃ、誰か第三者につっこまれるまで黙っておくか」
「解明しようとは思わないんですか?」
「アフ・アリスが秘密にしておきたい事に首突っ込むと、物理的に首が飛ぶ気配がする時があんだよ。そういう時めっちゃ危険な気配がすっからな。俺はそういう野生の勘は大事にしてんだ」
そういい終わった時、りんごん、とこの村にやってきた時よりもはりがあって、透明感のある、良い音で鐘が鳴った。
「……アフ・アリス、たしか神殿の雑用してんだよな」
「神官様が体の調子が悪くて出来ない、あらゆる事を代わりに」
「……神殿の鐘がぴかぴかの銀色とか、俺のガキの頃にも見た事のない光景だぜ。あいつ鐘まで磨いたのか」
「手伝いの最初の頃に、神官様が、埃がすごくて掃除したいけど出来ないからって、アフ・アリスに頼んでたみたいです。アフ・アリスは一日かけて、ぴかぴかにしてました」
「あいつ馴染んだな。めっちゃ馴染んでる。神官のじいちゃん、この村一番の発言力あるからな。じいちゃん敵に回したら村追い出される位だし。じいちゃんに気に入られたんだな。菜園もあいつだろ」
「本人は、こう言うのがやりたかったって、楽しそうですよ」
これは事実だ。アフ・アリスは泥まみれになりながらも、毎日満足している顔で草をむしったり虫を追い払ったり、間引きをしたり、肥料を工夫したりしている。
「満喫してんだな。いよいよあいつの素性の謎が深まるぜ」
「深く聞かない方がいい事ですよ」
私は、彼が元は魔王のしもべという、どう修正したとしても悪といわれる物だったと知っているけれども、それはセトさん達頭なくていい事のように思えたので、一度も口にした事がない。
「ガキどもがよ、菜園に養蜂場が出来て、時期になったら蜂蜜が村でも食べられるって大はしゃぎしてたの知ってるか」
「ああ、知ってますよ。アフ・アリスが、倉庫で使われなくなっていた巣箱とかを直して始めたみたいです。神官様の前の代までは、この村でもやっていたという話でした」
「あいつどこに向かって進んでんだ」
「ひっそり穏やかに暮らしたいという話でしたし、ここでひっそり村の人と仲良く組らすのは、目的にかなってるんじゃないですか」
「善良すぎるぜ……」
セトさんと二人がかりで行った皮むきのおかげで、今日中に作りたい染料の分の皮むきは終わった。そのため、皮をむいた中身を布で包んで、私はきっと待っているだろう、染料づくりのために、昨日から交代しているけれども、ほぼ徹夜で鍋をかき回している人達の所に、戻ったのだった。
戻ると、すぐに私は鍋をかき回している人に、指示を出された。
「神殿の菜園で、この草を三本もらってきて!」
「はい!」
この場合、手を離せない彼女達ではなく、すぐ動ける私が動くのは道理である。
そんな理由で、私は神殿のある丘に走っていき、神官様に挨拶をして菜園に入る事を伝えて、菜園のある方に向かった。
……菜園は、見事なくらい生い茂っていた。
生い茂っているというと、雑草もぼうぼうみたいな言い方だけれど、季節の野菜とか、これから育つ野菜とか、香草とか、果樹とか、あらゆる物が丁寧にお世話された状態で、すくすくと育っているのだ。
一番はじめに、この菜園に足を踏み入れた時は、神官様では手が届かなくて、雑草ばかり生えていて、菜園というよりも、荒れ果てた庭、といった感じだったのだ。
それが、アフ・アリスが数ヶ月ここで作業しているだけで、見違えるほど、立派に菜園になっている。
この菜園は、村の人ならわりと誰でも入れる場所の一つで、菜園でしか育てられない特別な果樹とか、野菜とか、外の畑では育てられない香草とかを、もらいに来る場所でもある。
……アフ・アリスが村の人達から、気に入られているのは、こういった功績の結果かもしれない。皆の食生活が、とても豊かになった事は間違いないのだ。
お墓とかも、毎日掃除して、墓標を磨いたりもしているらしいから。
なんか、神殿の下男みたいな働きっぷりにも思えるけれど、本人は大満足で暮らしている。
間引きした野菜とか果樹とかで、ご飯を作ったり、保存食を仕込んだりしている顔は、うれしそうだったし。
「アフ・アリス、この草どこに生えてるの?」
私が菜園に入って、声を出した時だった。
むくっと、畑の中から彼が起きあがって、あくびをしたのだ。
「……ああ、こっちだ」
この草、といってから、通り名を伝えると、それだけで通じるらしく、アフ・アリスは私を案内してくれた。
こっここっこと、あちこちで鶏がうろうろしている。ここで……鶏まで飼っていたのか。卵がどこにあるのか、毎度探さなくちゃいけなさそうだ……。
「これでいいだろう?」
アフ・アリスがそういって、私に目的の草を見せてくる。その草も菜園の一角を使って育てているのだ。
「外で育てられないのかな」
「この草は、風に弱い。菜園は……周りが囲われているから、突風や強風はあまり来ないから、ここで育てるのが理にかなっている」
「ふうん。……ねえ、あなたは今、幸せ?」
私が、優しい顔でいる彼に、思わずそう聞くと、彼は目を瞬かせた。
それから、優しい瞳になって、こう答えた。
「とても、穏やかで、素敵だ」
「……そっか」
なら、あえて、この村に魔物が来ない理由を、根ほり葉ほり聞かなくても、いいような気がした。彼が、それで、いいなら。
知らなくてもいい事実は、この世にたくさんあるのだから。
……そういえば、人喰い街の話は、どうやったら、色んな人に伝えられるだろう。こんな風に、流れに任せてここまで来たけれど、誰かに伝えられるなら、出来るだけ多くの人にその情報は伝えたいと思うのに。
ふと、そんな事を思いつつも、私は草をもらって、丘を下ったのだった。




