十一話
セトさんのお見舞いに行くと、治癒魔法使いの人達は皆、難しい顔をした後に、言い出しにくそうにこう言った。
「あなた方の仲間の、セトさんは……もう二度と目を覚まさないかもしれないんです」
「どうして!?」
「昨日までは、回復の兆候が見られただろう」
ギザさんがまさかの言葉に少し取り乱し、解せない、あり得ない、とフィロさんが続けて言う。
治癒魔法使いの人達は顔を見合せた後に、私達が知らなかった事実を教えてくれたのだ。
「確かに回復の兆候はあったのですが……回復を少し早めるために施した治療が、セトさんの体質とあわなかったためなのか、拒絶反応を起こし、やっと最低限の所まで持ち直したところなのです」
「そんな。セトはどんな治療も相性がいいんだって、あいつ笑ってたのに」
ギザさんが真っ青な顔で言う。仲間が二度と目を覚まさないって事は、やっぱり付き合いが長いだけあって衝撃が激しいのだろう。
フィロさんはもっと顔色が悪くて、ややあって……こう言った。
「二度と目を覚まさない……その場合、どうなるのでしょう」
治癒魔法使いの人が、厳しい顔で言う。
「……あちこちの国の街道が、魔性によって危険なものになった今、延命治療用の魔法薬を作るよりも、優先して回復薬などを作らなければならないため……延命治療用の薬の金額が、現在の八倍から十倍になると推測されています。それを、あなた方が支払えるかどうかという問題になってきます。……勘違いしてほしくないのですが、我々も見放したくないんです、でも、薬の原材料の値段が、日に日に尋常でないほど高騰しているため……」
「……一つお伺いしたいのだが」
そこまで聞いた時、アフ・アリスが口を開いた。周囲を気にした調子で、声を落して、治癒魔法使いの人に問いかけたのだ。
「セトはどこで眠っているのだろうか。最後になるかもしれないのならば、顔を見たいのだ」
「……見ない方がいいかもしれませんよ」
「どうしてだろうか」
「持ち直したばかりなので、死人のような見た目になっているからです。これを知らずに初めて見た人は大体、衝撃を受けます」
「それに関しては、なんとも。死人は腐るほど見てきた」
顔を見たいのだ、会いたいのだという姿勢を一切崩さなかったアフ・アリスを見て、治癒魔法使いの人は後悔なさらないでくださいね、と言って、案内のために歩き出す。
その人についていった先は、いかにももう、手の施しようのない、回復の見込みのない人がいれられる病室の一角で……そこにはまともな言葉を話せない人や、昏々と眠り続ける人、目の焦点が合わない人、おかしな言葉を並べ立てる人、といった、お見舞いに来る人も少なく、治療の代金もあまり支払われていない人があまた、寝台に括り付けられていた。
「括り付けるのは……」
流石に見ていられなくて言うと、治癒魔法使いの人は静かに言う。
「ここに常駐できる人間がいればそうでしょうが、ここの人達は何をするかわからないんです。中には元々はすばらしい才能を持っていた人もいるため、魔力が暴発したり、うっかりでおかしな魔方陣を描かれたりしたら、この治癒院が吹っ飛びます。実際にそんな事件が多発した結果、この対応をしているんです」
……ここは、危ない人をまとめた場所なのだろう。……もしもの時はここだけが犠牲になるように、条件付きで発動する結界が張られているかもしれなかった。
私はちらりとアフ・アリスの方を見やった。彼は周囲を見回した後、セトさんが寝ているのだろう、カーテンで区切られた寝台に近付く。
その後を、真っ青な顔のギザさんとフィロさんが続く。
カーテンの中で眠るセトさんは、穏やかな寝顔で、呼吸もちゃんとしていたけれど、目は落ちくぼみ、顔はこけて、体の筋肉という筋肉が削り取られたような、骨と皮ばかりの腕をさらしていた。
やせ細った死人、というよく似た見た目になっていたのだ。
「こんな……」
「まさか……」
昨日、治療法が合わなかっただけで、ここまで悪化し、そしてなんとか持ち直した、何て言われても、到底信じられない見た目だけれども、ここは病室で、治癒魔法使いの人にたてついたら、この後セトさんが何をされるかわかったものじゃない。
だから、私はぐっと言いたい事をこらえた。
そんな時だ。
「……セトはいい寝顔で寝ているな」
そう言って、何を思ったのか、アフ・アリスがセトさんを括り付けているベルトを軒並み外して、赤ちゃんのようにシーツでセトさんをくるんで、軽々と抱き上げたのだ。
「動かしてはいけません! やっと持ち直したところなのですよ!!」
治癒魔法使いの人が鋭く止めようとしても、アフ・アリスはやめようとしない。
そして、セトを大事そうに両手で抱きかかえて、ゆっくり歩きだしたのだ。
「どこに連れて行くんです!! 治療を邪魔するのでしたら、ただじゃ済ませませんよ!!」
治癒魔法使いの人だって腐っても魔法使いだ。攻撃魔法もある程度可能だろう。
それゆえの警告だったのに、アフ・アリスは無視している。
無視してどこに向かったのかというと、それは青空がよく見える中庭だった。
「彼は何を?」
私なら何か知っているって思ったらしい、ギザさんが小さな声で言う。私もわからないから答えた。
「何をするのかはわかりません、でも彼が、セトさんにひどい事するのはありえないでしょう」
「……まさか、花の術という物に、セトを助ける術があるのだろうか?」
思いついたらしいフィロさんが言うけれど、中庭には花がほとんどない。花を使うから、花の術というのだろうから、違う気がする。
でも。
アフ・アリスはセトさんを抱きかかえたまま、フードに覆われた顔を空に向けて、ゆっくりと落ち着いた声で、何かを唱え始めた。
「空は蒼く 星は見えず 太陽は満ちる 手の中に命 死神は鎌を放る この手に溢れよ 魂の注がれる器へ」
やっぱり聞いた事のない言葉と語り口だった。でも。
私達は、奇跡が起きるのを目の前で見る事になったと言ってよかった。
彼が見ているように、空を見上げたら。そこには青空があるばかりのはずだったのに。
青空に、不思議な紋章が浮かび上がり、そこからきらきらとして、さらさらとした青い光が、私達がいる中庭と、中庭に面していた、回復の見込みのない人達が入っている建物に降り注いだのだ。
その中でも特に、アフ・アリスが抱えているセトさんに、光は降りまくっていて、そして。
呆気にとられたまま、紋章が消えるまでそれを見ていると、アフ・アリスの腕の中で、もぞもぞと、セトさんが動いたのだ。
「……ねみい……」
はっとして駆け寄ったのとほぼ同時に、セトさんの目が開き、あくびをして、とても眠たそうに彼がそう言って、続けてフィロさんに手を伸ばした。
「こいつ抱きかたへたくそ……フィロ抱っこしろ……」
枯れ枝のような腕がフィロさんに伸びて、フィロさんが泣き出しそうな顔になった後に、セトさんを慎重に抱っこして、アフ・アリスの方を見た。
「今のは」
「伝え聞いたところだと、星の術、と習ったものだ。詳しい事は……そこの生まれでないから、わからない」
そこまで言って、アフ・アリスは、血の気が引いて真っ白な状態になった治癒魔法使いの人を無視して、言った。
「帰ろう。セトも連れて」
自分が使った術に対しての気負いや誇りと言ったものは何もなく、ただ使えるモノを、当たり前に使った態度で、彼はそう言って、困ったように続ける。
「空を探して歩いたから、帰り路が分からない。フィロ、ギザ、案内してくれ」
「ああ」
「本当に、セトの見る目はめちゃくちゃ確かだったってわけね……」
フィロさんが大事そうにセトさんを抱っこしたまま歩きだし、ギザさんはぐしゃぐしゃに泣きそうな顔で、涙を拭きながら歩きだす。
私はそれを追うアフ・アリスの隣に歩いて、小さな声で言った。
「使ってよかったの?」
「花の術はあまたに見られた。今更星の術を隠してどうする。それでセトは救われないだろう」
秘密で、隠し通しておきたい術でもなかったって事だったのだろう。
アフ・アリスの生きていた時代には、ごくごく普通に使われていた術だったのかもしれなかった。
「腹が減ってしょうがねえんだよ!! おかわり!!」
「お粥とは言え、十杯近く平らげているぞ」
「胃に負担がかかるわよ。いくらお粥でも」
「んな事言ったって馬鹿みたいに減るんだよ!! アフ・アリスのお粥めちゃくちゃうめえ」
「星の術で回復した人は大体こうなる。体が一気に戻ろうとするから、食べても食べても追いつかない」
セトさんを連れて帰って、そして一晩みんな安心してぐっすり寝た後に、ギザさんと一緒に食卓に行くと、大鍋にたっぷり、妙な色のお粥が煮込まれていて、それをがっつがっつとセトさんが平らげている現場を見る事になった。
セトさんの、やせこけた頬が、食べていくにつれて肉を取り戻してく。
……お粥に一体どんな薬効があるんだと疑いたくなる速さの回復だ。
「しかし、確かにアフ・アリスのお粥は体に染みわたるし、元気になる気がする」
「私は」
お粥を彼等に渡して、私やギザさんの分まで取り分けたアフ・アリスが、大した事じゃないって調子で言う。
「一人で素早く回復しなければならない局面が、とても多かった。だからこう言うお粥をそれなりの数知っている。大量の穀物を持ち運びは出来ない事が多かったから。薬草粥ばかり極める事になった」
「うめえ……おかわり」
そう言って、フィロさん曰く十二杯目のお粥を平らげたセトさんは、ふああと欠伸をした。
「食ったらねみい」
「子供か。いや、お前は子供と同列の部分が多かったな」
「あんた、アフ・アリスに死ぬほど恩があるんだからね、心しておきなさいよ」
「感謝はしてる。めちゃしてる。こいついなかったら俺たぶん、死神に連れてかれてたわ」
死神に手を引っ張られる夢を見てた、とセトさんは食卓に頬杖をつきながら、眠たそうに言う。
「結構長い事手を引っ張られて歩かされてたんだけどよ、急に空からきらきらした雪みたいなのが降ってきて、死神っぽいのが、こっち見て、運がイイな、っていって手を放して、そしたらアフ・アリスにへたくそに抱っこされてた」
「それって本当に危なかったって事じゃない……間に合ってよかった」
ギザさんが心底安心したって調子で言う。フィロさんも無言でうなずいた時だ。
「この町でもう、仕事できねえだろうから、どっか別の町拠点にするぞ」
セトさんは、思いもしなかった事をさらりと言ったのだった。




