五話
「それにしても、こんな小さな瓶の中身で、効果が出るの? 気を悪くしたら申し訳ないけれど、私達の知っている薬とはあまりにも、大きさが違い過ぎるから」
「これは揮発性ノ高い薬ダ。瓶の口を開けて匂いを嗅ぐくらいで、効果がある。目くらましの方は瓶の中身を、地面に一滴垂らすト、広がって逃げ切れるようになる」
アフ・アリスはギザさんの言葉に対しても、ちっとも不愉快になった様子もなくそう言った。
ただ少しだけ、瞳が懐かしそうに瓶を見ている。
「私ガまともに歳を重ねていた頃ハ、一般的な調合だった。時の流れは速い」
「あんた、なんで墓守なんて言う、うま味のない仕事続けたんだ? なんでもできるなら、その当時だって引く手あまただったんじゃねえの?」
彼に対して、セトさんが理解できないと言いたげに言う。そりゃあ、お金に命を懸けているらしい盗賊からすると、アフ・アリスの言っている過去は、理解できないだろう。
実際には、魔王のしもべとか言う、とんでもない過去を隠すための嘘なんだけど。
「セト、人の過去にあまり首を突っ込むな。不快に思われがちなおまえの悪い癖だ」
フィロさんが止めるものの、アフ・アリスは大した事じゃないという調子で続けた。
「それで、守れるならば。うま味など、いらないと思って生きてきタ」
「……あんた自己犠牲精神爆発してねえ? そんなので、人生楽しい事あるのかよ」
理解の外側にいる、と言いたそうなセトさんの口調と言い方だった。
実際に、アフ・アリスのしていた事がどれだけの物だったのか、知らなければ理解できないだろうし、そんな事を誰だって思うに違いない。
魔王がいる方が、魔性たちの暴走を抑えられるという理由で、魔王の軍門に下っていたなんてとんでもない、事実は。
「……自己犠牲、カ。言われるとそうかもしれないガ、当時はそれが最善だト信じていたし、ジルダに会うまで、それを疑った事はなかった」
「ジルダが運命の女だったってわけか」
セトさんが言うけれど、大した事なんて私はしていない。あの時は、援軍勇者たちを守るために、死に物狂いで、胸の痛みに思考回路があっちこっちおかしくなった状態でも頭を回して、どうにかしただけの事だから。
それにしても、運命の女ってどういう意味だろう。聞いた事のない言い回しだ。
「それってどういう意味なの? 別に私は、運命に導かれちゃってる女の子じゃないけど」
「ああ、俺の故郷の言い回しなんだ。……出会う事で、運命ってのが大きく変わる相手の事を、運命の女、運命の男っていう。男が男に対しても言うし、女が女に対してもそう表現するのさ」
へえ……といった感じだった。そしてアフ・アリスは納得した調子で頷く。
「その意味ならば、ジルダはまさに、運命の女ダろう」
言いながら、最後の調合を終わらせたアフ・アリスは調剤の机から立ち上がる。
うん、こうして至近距離にいると、余計に彼の背丈の大きさとかがっちりした筋肉の具合とかがわかる。
深くフードを被って、緩いシルエットのウロボロスの衣類を着ているから、それらを強調しているわけじゃないけれど、近くだとオーラみたいなものが、半端じゃないほど伝わってきた。
「調剤これで全部か? じゃあ今から帰るぞ! 今日はお前たちの仲間入りを記念して、宴だ!」
「セト。宴の前にお前に必要なものが、色々あるだろう。お前のその、何度も打ち直して、もう限界の胸当てだの、手甲だのを新調しろ」
フィロさんがこれだからこの馬鹿は、何て言いたそうな視線を、セトさんに向けている。
確かに言われてみれば、彼の胸当ても手甲も、大事な装備だろうに、ぼろぼろだった。
仲間からの指摘に、盗賊は唇を尖らせた。
「まだまだ使えるだろ」
「いや、限界よ。劣化に劣化が重なっているのを何とか、強化魔法で誤魔化しているだけじゃない。その強化魔法も、そろそろ寿命よ。あんたどうして、前衛職にまるで向いていないのに、フィロや私の前に出て、盾になりたがるわけ」
「そんなうま味のない事を、俺がしているわけないだろ」
何言っているんだと言いたげなセトさんに対して、フィロさんもギザさんもあきれ顔になる。
「……」
そんな態度のセトさんを見て、アフ・アリスは何かを言おうと思ったみたいだけれど、言う言葉が見つからなかったのか、口を閉ざした。
「さて、とりあえずはあの報酬が高額な依頼を受けるぞ。お前たちが、俺一人ではだめだって言ったんだからな! ああいった 高額報酬の依頼は早い者勝ち! もしかしたらもう、受注できないかもしれないけどな」
セトさんはスキップを踏む勢いで、踊りだしそうな足取りで受付に向って、ちょうど人の切れ目って奴だったのか、あっさりと受付の人の前まで行って、依頼を受注してきた。
「お前ら、意外だぜ、まだまだ空きがあった。集合の日にちは明後日ってわけで、それまでの間に装備とか整えようぜ。まずは飯と寝る事だ!」
「セト、風呂を忘れているわよ」
「諦めろ、セトにとって風呂は極寒の中でも水って決まっているからな」
この人たちは、私が一緒だった勇者一行よりもずっと、お互いの事を容赦なく言い合える信頼関係を築いているんだろう。
……私もそれ位出来ていれば、少しは違っていて、死んだ事にされる事もなかったのかな。
考えてもどうしようもない事だけれども。
三人が歩き出す後を追いかけて、町中を歩く。この町は至る事路に細い水路が張り巡らされていて、ここに聖水が流れているのが、煌く水の色から推測できた。
「ここは、夜になると水が光るんですか」
「そうよ。聖水が流れているから、夜はうっすら輝くの、おかげでセトとフィロがどんなに酔っぱらっても、家に帰れるのよね」
ギザさんは、ちょっと呆れた声で言っている。しかし、セトさんがフィロさんにじゃれついて、おんぶしろ! とかやっているのは、町中だからできる、じゃれ合い方なのだろうと想像がついた。
「あの二人は、お酒の好みが一緒なの。だから一緒に飲みに行く回数が多いのよ。私はあんなざると枠相手に、お酒なんて飲めないから、家でゆっくり、お茶をするのが好きなんだけれどね」
くすっと笑ったギザさんは、笑い方がとても綺麗だ。
「男の友情って、女にはついていけないわ。特にあんな二人だと余計にね」
そんな会話をしつつ、道を教えてもらいながら進んでいくと、皆同じ形の、四角い背の低い建物がいくつも並んだ地区につく。
「ここが、冒険者ギルドに所属する人達が使う事が多い、賃貸物件よ。大体一つのパーティで一件借りるわ」
「建物の割に、扉が三つもあるのはどうしてですか?」
「私的な事もあるから、出入り口からして別なのよ。でも、共有部分につながっている扉が室内にあるから、ほどほどの距離感で暮らせるわ。セトとフィロは面倒くさがって同じ扉を使うし、大きい部屋にカーテンだけ使って仕切って、暮らしているから、この扉の向こうの部屋は、空いているのよ」
まずは案内しなくちゃね、と言って、ギザさんが扉を開ける。セトさんとフィロさんは、アフ・アリスの肩を叩き、男同士はこっちだって言って、連れて行く。
「……見た目に反して広いですね」
「ええ、拡張魔法が使われているから、中は割合広いの。でも外側の建物の大きさで、拡張にも制限がかかるから、とっても大きな家という風にはならないけれどね」
扉を開けたら少し通路があって、更に扉が一つある。
その奥が私室だと、ギザさんは説明した。
「この間取りは、この家は皆同じだから、これで迷わないでしょう? それで、共有部分に入る扉は、この赤色の扉なの。目立つから間違えないでしょう」
ギザさんはそう言って、赤い扉を開けた。
赤い扉の向こうは、それなりにわかりやすい台所と、皆で使うのか、大きな卓が置かれていた。
壁際にはギザさんの趣味なのか、茶缶が並んでいる。お酒の瓶もそこそこ。魔除けの干した香草が数本壁にかけられている。
そこは、一見すると普通の家の中だけれども、実際には魔法であれこれしているのだろう、と何となく察した。
それから、家の設備も説明を受けて、私達は夕飯のために夜の市場に繰り出した。
「好きなものを食え!」
とありがたい事をセトさんがいう。ケチじゃなかったのって思って聞くと
「あいつは食事に制限をかけると、自分が腹いっぱい食べられないから、そこはケチらない」
という、食いしん坊な一面を教えてもらった。




