二部後編 全文掲載
「あんたら大変だったんだな」
「まあ、そうですよね……」
ここは東の大街道。そのもっと詳しい位置を言うと、ダズエルを南下していき、数えて二つ目の町、イニシエルを目指す街道だ。
私はうつむいたまま何もしゃべろうとしない、アフ・アリスを横目で見ながら、話しかけて来てくれている、いま私たちを一緒に乗せてくれている幌馬車の商人に答える。
「私もあんたらが、あんまりにも装備が乏しい状態で現れるもんだから、魔性が化けたんじゃないかって疑ったが、そんなの聖水を頭からかければ、一発でそうじゃないって分かるのに。あんたら魔性と勘違いされて、苦労したな」
「それは事実ですね……聖水をかければ、だいたいの魔性は激痛にのたうち回ると聞きますし、聖水の中でも、特に貴重な王都の聖水を使えば、魔王の結界を剥せるとまで言われているくらいですから」
頭からそれらをかければ、間違いなく、私達……アフ・アリスはどうだかわからないけれど、私がただの人間である事は証明できただろう。
それをしなかったリリーシャさん達は、間違いなく私を殺すつもりでいたという事実を、また明白にしてしまい、そんなに嫌われる事を、果たして私はしたのだろうかと考える時もある。
それだけの殺意を抱くほど、ヘリオスの婚約者の肩書は、彼女たちにとって憎悪の対象だったのだという現実も、また実感してしまう。
……でも、話し合えれば、私がヘリオスの婚約者という立ち位置を、もう喜んで受け入れてはいないと、直ぐに分かっただろうし、立場を交換して、と言えただろう。
勇者とその聖剣の鞘は、深く断ち切りがたいつながりがあると皆言うけれど、私とヘリオスの間にそんな重たくて強くて綺麗な物は存在していなかったと思う。
私は、ヘリオスが倒れれば、私も死ぬし、皆死ぬから、絶対にヘリオスが死なないようにしなくちゃいけなくって、そのために自分にできる事は何だってやった。
でもそれだけで、他の仲間たちの方が、献身的だったし、ヘリオスを愛していたし、思っていたはずである。
聖剣の鞘の方が思いだけ負けない、なんて言う物語もあるけれど、私の抱えていた思いと、彼女たちの思いを比べたら、圧倒的に彼女たちの思いの方が大きかったと思うし。
「王都の聖水は、古の……そうだ、古代の帝国、ウロボロスが栄えていた事から湧き出ていた、王都に魔性を一切合切近寄せない、強力なものだと聞くしなあ、それを使ってやれば、間違いなくあんたらが、悪しきものじゃないって、皆わかっただろうに。まあダズエルは聖水が湧かない都市だし、用意も出来なかったんだろうなあ」
商人さんはそう言いつつ、ちらちらとアフ・アリスを見ている。
彼の好奇心は間違いなく、古代ウロボロス帝国の純血を示す、アフ・アリスの持つ色彩に向っている。
アフ・アリスは黙ったまま、首を傾けて、足元をじっと見ている。ちなみに、まだ皮の腰巻だけだし、上半身はむき出しだし、見るだけで寒そう、と思う人も一定数いそうな身なりだ。
「お嬢ちゃんは話してくれるのに、連れの色男はだんまりだな。よっぽど喋るのが嫌いなのかい」
「……発音が、へたくそだから、あまりしゃべりたくないそうです」
「そっか。発音がへたくそなのは……極北の人かい。あっちは寒さで口が動かなくなるから、こっちと発音がえらく変わっているっていうし、実際極北の人と商売する時、通訳が欲しくなるもんな」
幌馬車はそんな会話をしつつ、軽快に進んでいく。さっさとダズエルじゃない町に入って、アフ・アリスの人目を集めてしまう半裸状態をどうにかしたかった私は、幌馬車が通りがかる時に手を振って、乗せてほしいとお願いしたのだ。
ちなみに、追剥に遭遇して、命からがら逃げてきたから、色々持っていないのだ、という適当だけれどありふれた言い訳を使用している。
「でも、お嬢ちゃんたちが乗ってから、いっぺんも低級魔性すら近寄らないから、あんたら魔除けとしては効果抜群なんだね」
「私よりも、連れが強すぎるから、魔性は近寄らないんですよ。魔性は自分より強い相手を、鋭敏な感覚で察知しますから、明らかに自分達が死ぬとわかっている相手の前には表れないんです」
「確かに、そのがっしりした筋肉の乗った体を見るに、相当強いだろうってのは理解できるけれど、霊魂系の魔性は、そんなの関係なく普通襲ってくるだろう?」
「うーん……」
商人のいう事も事実で、私が言っている事も事実だ。私は今までの旅の経験から、魔性は自分よりも強い相手に近寄ってこないし、襲ってこないと知っている。
だから、アフ・アリス程の強さの……元最強の魔王のしもべ……の相手には、命が惜しくて近寄ってこないと思う。
でも、霊魂系と言われている、一度死んでから蘇った魔性たちは、一度死んでいるから、そういうのが関係なくなるのか、ふらふらと寄ってくるし、襲い掛かって来る。
そんな霊魂系も、アフ・アリスと一緒に幌馬車に乗っている間に、一度も近付いてこない。
それってどういう事なんだろう、と思いつつ、アフ・アリスを横で見ていると、彼は視線を返してくる。重なった荒んだ歳月を感じさせるのに、穏やかに落ち着いた瞳を。
「どういう仕組みなのかは……私も連れも、わからないですね」
「だよなあ、魔性のすべてを、人間が分かっているわけないもんな! でもおかげで、襲われる心配が少なく移動できるから、私は助かっているよ」
商人はそう言い、幌馬車を進めていく。地図で見た時や、旅で歩いた時の計算で行くなら、そろそろイニシエルに到着する。
イニシエルは、魔性の侵略におびえていないだろうか。
……イニシエルは古い町だ。確か湧き出る聖水を吸い込んだ、聖樹がいくつも町に生えていて、それが魔性の進軍を阻んでいると、前は聞いた気がする。
その聖樹の力で、今も穏やかにあるのだろうか……
実際に見ていないから何とも言えないけれども。
アフ・アリスは商人が前を見て、馬を動かしているから、視線を持ち上げている。
私は彼の、伸ばされ放題の髪の毛をどこかで整えたいし、衣類を上げたい。
一緒に逃げている相手が、半裸でぼさぼさの頭だと、間違いなく人々の記憶に残りすぎて、足がついてしまう。
そんなのはごめんだし、死にたくないし、私は落ち着いて暮らしたいのだ。
魔王が倒されて、結果的に魔性の軍勢が町という町を襲い始めて、世界は一層恐ろしい状況に進んでいるけれど、私はもう、ヘリオスの聖剣じゃないし……神剣になったならきっと私との接続切れてそうだし……戦うのも戦いに付き合うのも、命がけのやり取りをするのもごめんだ。
ダズエルで、命を懸けてヘリオスを庇ったのに、魔性扱いでひどい目にあったせいか、私の考え方はちょっと変わってきている。
前までだったら、ヘリオスと一緒に、終わらない戦いに身を投じて、それに終焉を迎えさせたいと思っていたはずなのに、仲間と思っていた相手達に、面と向かって裏切られると、それ位考えも変わっちゃうものなんだろう。
前を見ていると、視界に入ってくるくらい、イニシエルの外壁が見えてきた。
イニシエルの外壁は、何段にもなっていて、奥の方に行くに従い、上流階級が生活する場所になっている。
そして、とある特別な物がイニシエルにはあるのだ。
それはとても有名で、知らないで街道を進む人なんていないんじゃないかって位の貴重な物でもある。
その貴重な物が分布する地図が売られているくらいだし、名物になっているそれを一目見て、触ってみようと、数多のもの好きがイニシエルも目指すくらいなのだ。
「……ウロボロスの宝箱」
私はぼそりと、前の旅では一切触れられなかったし、見る事も出来なかった、その珍しい物の名前を口にした。
それを聞き、アフ・アリスの耳がぴくりと動き、視線がこっちを向く。
「ああ、アフ・アリスはよく知らない? イニシエルには、古代帝国ウロボロスの、空かない宝箱があるんだよ。誰も開け方を知らなくて、開けようとしても開かないっていうもの。ウロボロスの関係者じゃなかったら、開けられないだろうって言われているんだ」
「……そうカ」
答えはそれで十分だったんだろう。アフ・アリスはそう言い、小さな声で続けた。
「すこシ見てミタイ」
「じゃあ、町に着いたら、広場に行こう。広場で屋根付きの場所があって、そこに置かれているんだよ。開けた人と、宝箱の持ち主で、中身を半分に分けるっていうおまけつきで」
古代帝国ウロボロスは、時代の流れで滅んでしまったけれど、その住人達が、貴重なものを宝箱に詰めて、数多の国の数多の町に逃げて行ったと言われている。
そして住人たちが死んだ後、開けられる人は誰もいなくなり、宝箱の中に何が入っているのかは、誰も知らないで、時だけが流れている、伝説の物だ。
開けて中身を見て見たいと思う好奇心は、私にだってもちろんあるけれど、開けられるとは思わない。
誰も開けられなかった物を、開けられる気がしないからだ。
「そろそろ門につくから、あんたらも手続きをしてくれ」
「分かった。アフ・アリス、降りよう。商人さん、どうもありがとう、おかげでとっても助かった!」
「私の方が助けてもらっていたかもしれないよ。なにせあの街道を進んで、あんたたちを乗せた後、一度も魔性に出くわさなかったんだからな! もしもさらに南下していくんだったら、乗ってくれないかい?」
「うーん、そこまでの予定はまだ立ててないの。とりあえず、まともな見た目になりたいし」
「はっはっは、違いない!」
半裸の男に、汚れ切った訳ありの衣類の女が言うのはもっともな台詞で、商人さんは先に進んで、門番に手続きをして、入って行った。
私も旅人たちの後ろに並んで、彼等を不思議そうに見回しているアフ・アリスが、どっかに引っ張られていかないように手を掴み、門番の前に立つ。
「あんたら凄い格好だな、追剥の被害にあったのかい」
私達の見た目があまりにもあんまりだから、門番の人が先にそう言ってくれた。
おかげで話が通しやすい。
「そうなの、追剥に会って、なんとか逃げて、商人の人に途中まで乗せてもらっていたの。入る事は出来るよね?」
「ああ、もちろ……」
門番の人が頷き、私から、アフ・アリスへ視線をやり……ものの見事に固まった。
アフ・アリスが常識的に考えて、整い過ぎた男だからだろう。あまりにも美しい顔立ちと、明らかに戦い慣れした肉体と。
それから、敵意のない穏やかな翠の瞳。
こう言った外見から判断して、アフ・アリスは男女関係なく、目を奪う男なのだ。
「……あんちゃん、よく追剥につかまって、売り飛ばされなくて済んだな」
「……」
自分でもそう思う、と言いたそうな顔をして、アフ・アリスは頷いた。門番の人はそれから、私達に、聖水の入ったたらいに手を浸すように促し、それに従って、魔性じゃないと示して、私達は無事にイニシエルの町中に入る事が出来たのだった。
……そこで、私は、今更ながら、ある事実に思い至った。
「ダズエルの聖水じゃなくても、アフ・アリスは平気なんだね」
「聖水ハ、どこでも同ジだけ力がある」
「まあそっか……ダズエルで平気だったんだから、他の場所でも平気か」
つまりそれは、アフ・アリスが魔性ではないという事実を示している。
でも……数百年も魔王のしもべをやっていたのに、全く魔性じゃないって、それってあり得るんだろうか。
それとも、魔王が死んだから、魔性の呪縛から解き放たれているんだろうか。
ちょっと考えたけれど、まあ、どれにしても問題はないから、私は気にしない事にした。
「さて、どうするかな。イニシエルの寺院は……」
「寺院で何をスルんだ」
「身なりを整える。寺院だったら、寄付された衣類とかもあるし、追剥にあった可哀想な旅人が、身を清める場所も提供してくれるから」
それも寺院の一般的な役割だから、胸を張って言うと、アフ・アリスが感心したように言う。
「寺院モ仕事が増えタな」
「働く人間が増えているから、そうかもね」
「まあまあまあ! そんなひどい身なりで!! 苦労なさったんですねぇ……ここはイニシエルの寺院です。あなた方のような人が、安心して身なりを整えられる場所ですよ! なにせ身なりが悪いと、話を聞いてくれる人が減り、機会が失われますからね!」
イニシエルの寺院は、町の中心部からやや南にある、それなりに立派な場所だ。
そこについたとたん、寺院の入り口を掃除していた尼僧さんが駆け寄ってきて、見るからにぼろぼろな私達を、直ぐ公共の風呂がある場所に案内してくれた。
「服はどうします? こちらで適当なものを用意しましょか?」
心底気遣われているから、私は何だかほっとして、こっくりと頷いた。
「お願いします……なにせ金品関係はごっそり奪われてしまって……」
「まあ、でしたら、少々くたびれていますけれど、お金をいただかない衣装を用意しますね」
尼僧さんはそう言って、アフ・アリスを見て顔を赤くしつつ、去っていく。
彼女を見送ってから、私達は男女別れている風呂に入り、衣類を提供してもらう事になったのだった。
泥まみれよれよれくたっくた、そんな状態から、体を綺麗にすると、途端に人間らしい気持ちになって来る。誰だってそういうところはあるはずだ。
私は誰が見ても普通の女の子に見えるように身を清めて、尼僧さんが用意してくれた、ふた昔前の流行の衣装に身を包み、アフ・アリスを待っていた。
アフ・アリスはのそのそと風呂場から出てきて、それを見た私は呆れた。
「明らかに胸の筋肉がぱっつぱつ」
「服ガ破れないかとても、心配ダ……」
アフ・アリスの着ている衣類は、大きさが合わなかったのだろう。彼の見事な体躯のせいか、胸のあたりは伸びきっているし、結構窮屈そうだった。
もしかして魔王のしもべって、筋肉量の問題で、腰巻一丁だったんだろうかと邪推したくなる物がそこにある。
そして長く、伸ばしっぱなしの放置されていた髪の毛が、うっとうしそうだ。
「髪の毛、切ろうか」
長い髪の毛をかきあげるたびに、人々の、特に若い女性の視線を集めている彼に聞くと、彼は真面目に頷いた。
「これだけ長いカラ、売れるゾ」
「たしかに質のいい髪の毛だこれ……」
私はアフ・アリスの髪の毛を引っ張って、しっかりとしていて艶があって、かもじとして上等間違いなしの質だから、これはそういうところに持って行ったら間違いなく売れると同感した。
風呂場には、一応の事を考えて、はさみとか剃刀はないので、寺院の関係者に声をかけるほかない。風呂場から一本の通路を進んで、通りかかった尼僧さんに、私は声をかけた。
「すみません、連れの髪の毛が伸びすぎていたんで、切りたいんです。はさみと場所を借りられませんか」
「あら、それでしたら、理髪師見習いのジョン君が、今日、無料で切ってますよ」
「へえ……ジョン君はどちらに?」
「寺院の中庭にいますよ。定期的に練習のために、来ているんです」
「ありがとうございます」
いい情報を聞いた、と頷き、アフ・アリスがどっちが中庭だろうという顔であたりを見回しているから、私は寺院のお決まりの構造を知っているから、その手を掴んで歩きだした。
「……素手だと、えらく手の皮が厚いのがわかるね」
掴んだ拍子に気が付いた事を言うと、アフ・アリスがそうか、と静かに答える。
剣を扱う人達は、訓練の結果、手の皮が厚くなるという。実際にヘリオスの手も、手のひらの皮が厚めだった気がする。
魔王のしもべとして長らく、戦い続けていた結果が、アフ・アリスの手のひらに現れているような気がして、それ以上何か言えなくなってしまった。
でも、アフ・アリスは気にならなかったみたいだ。
「ジルダの手は、骨が細い」
「いや……アフ・アリスと比べたら、ほとんどの人の骨は細いんじゃないかな……?」
私は華奢なお嬢さんじゃない自覚がある。結構骨も太いし、折れそうな美しくか弱い女性とは全く持って系統が違う自信がある。
そのため、アフ・アリスの言っている事はなんだか、聞きなれない評価過ぎて、受け止められる物じゃなかった。
そりゃあ、あなたと比べたらほとんどの女性の骨は細いだろうよ……といった感じである。
「……にしても、アフ・アリスの見た目は破壊力抜群だと思う」
「……そうダろうか」
「整えたら、誰もが振り返る見た目のいい男になりそう」
「……道理で、昔と違って、皆ガ見るわけか」
覆面腰巻野郎の時は、皆見ないふりをしそうだものな、魔性の間でもそんな対応だったんだろうな、と思いつつ、中庭を目指すと、ジョン君っぽい男の人が、立て看板を立てて、
「整髪の練習してます、髪を切りたい人募集!!」
という立札を振り回していた。振り回したら当たるんじゃないかな、と思いつつ、私達は近寄った。
「すみません、髪の毛を無料で切ってくれるって聞いたんですけど」
振り回していた男の人に声をかけると、ジョン君はぱっと、そばかすだらけの顔を明るくさせて、頷いた。
「そうです!! 親方に、今日は八人の髪の毛を整えて来いって言われて! まだ七人で、最後の一人を探してたんです!! お嬢さんですかそれとも……」
ジョン君はそう言いながら、私の後ろの男を見て、目を丸くした後、口をあんぐりと開き、まじまじと眺めて、問いかけてきた。
「そちらの、すごい髪の毛が伸びている男性でしょうか……」
「こっちの男性の方をお願いします。あ、髪の毛買い取ってくれるともっとありがたいんですけど」
「喜んで!! こっちに座ってください!!」
ジョン君はそう言いながら、いそいそとアフ・アリスを椅子に座らせて、布で覆って、髪の毛を触った。
「こりゃあすごい質のいい髪の毛だ!! 親方が、こういう髪の毛で鬘を作りたいって言ってたんですよ!! お兄さん、どれくらい切ります?」
「……」
どれくらい、と聞かれても、分からないのだろう。アフ・アリスは戸惑っている。
彼がこういう理髪師に関わった事がないと、ジョン君もすぐに気付いたみたいだった。
そのため、質問の仕方を変えた。
「どれくらい短くしますか? 三つの中から選んでください」
言いつつ、三つの絵姿が書かれている板を出す。アフ・アリスはそれで理解したらしく、一番短くした物を指さした。
「コれでいい」
「わかりました! ではこれに添って、お兄さんが一番格好良くなるように整えますね!!」
ジョン君はそう言って、鼻歌を歌いながら、丁寧に髪の毛を切り始めた。
結果、物凄い量の髪の毛が切られていき、最後それをかき集めて、ジョン君はほくほく顔だった。
「親方が喜びそうです! お兄さん、出来はどうです? なかなかでしょう?」
「……短くナッタのはわかるが、出来はわからなイ。……すまない、詳しクナいんだ」
髪の毛を、短くさっぱりと整えられたアフ・アリスは、顔の造作があらわになったからか、光り輝きそうな位の色男になっていた。その辺の舞台俳優とかが、おもちゃみたいに見えるくらいにすごい。
髪の毛を切っても切らなくても、彼の美貌は隠せなかったらしい。そんな事実に気付くよううすもなく、アフ・アリスは頭を下げる。
「ありがトウ」
「いいんですよ!! あ、これ、髪の毛のお代金!! 今年一番の掘り出し物でしたね!!」
髪の毛が掘り出し物、という感覚が分からなかったんだろう。アフ・アリスは変な顔をしたけれど、ジョン君が喜んでいるから、気にしない事にした様子だった。
「ジルダ、行こウ。ウロボロスの宝箱ヲ、見たい」
「わかった。じゃあありがとうございました!」
「またのお越しをお待ちしております!!」
ジョン君がぶんぶんと手を振って、八人のお客さんを相手にした後だから、片付けを始めている。
それを後ろに、私とアフ・アリスは、ウロボロスの宝箱がある広場に、歩いて行った。
その間の道を進んでいくと、やっぱり、イニシエルには魔性の侵入がないみたいで、聖水で成長する聖樹の力が半端なものじゃないんだな、と思ってしまう。
でも、聖水で成長する魔王の指先と、違いはどうなんだろう……確かに、聖樹はきらきらした光を放つ緑の葉っぱの、どっしりした樹だけれど。
私が知らない物がいっぱいありそうだ。
「聖樹は本当に、魔性を遠ざけていると思う?」
歩きつつ、隣の男に問いかけると、元魔王のしもべは迷いなく答えた。
「聖樹ハ、葉から聖水の聖性を放出する。魔性は、これが大嫌いダ」
「聖性……?」
「聖水ノ聖なる力ダ」
葉っぱから聖なる力が放出されているのか、なるほど。
それは魔性が嫌いそうな感じがする。
私はそれ以上言う事もなく、前にウロボロスの宝箱を見た場所に進んでいき、やっぱりそこは大行列になっていた。
ウロボロスの宝箱に触って、開ける挑戦をしたい人は多いのだ。
それだけ、ウロボロスの宝箱には、特別なお宝が入っていると、皆思っているから。
実際に、思いっきり力業で壊された宝箱の中には、一生かかってもお目にかかれないくらいの貴重な宝物が入っていたという記録もある位だというし。
お宝を、宝箱の所有者と半分こしたい人は、多いだろう。
そんな人たちに交じって、行列に並んで、しばらく待っていると、私達の番になった。
そこで私は、ウロボロスの宝箱を、まじまじと近くで見る事になったのだ。実はこんな近くで見るのは初めてである。
その宝箱は、精緻な鉄の飾りがついていて、防腐剤なのか、赤色で塗られていた。
そっと触れてみると、中に入っている物は軽いんだろうか、そんな動き方をする。
「中身は何だろう……」
「服」
「……え?」
私の独り言に、隣の男が当たり前の事を言うな、という声で言い切った。
あんまりにも当たり前の事を言う声だったから、驚いてそっちを見ると、アフ・アリスは鍵の金具に触った後に、宝箱を見張っている人に問いかけた。
「動かシても問題は?」
「ああ、ひっくり返しても大丈夫だ。……あんた、開ける挑戦をする気か?」
「これクラいは開けラれる」
「……はい?」
見張っている人も意味が分からない、という顔をしている。
そんな中、アフ・アリスは一抱えもあるその宝箱を動かして、底をあらわにした。
それでわかったのだけれど、宝箱の底には、円と数字が書かれた板がはまっていた。
アフ・アリスは慣れた調子で、宝箱に耳を当てて、その円と数字の板をくるくると回し始める。
「……おい、あの男何してんだ?」
「あんな事してあくのかよ」
「誰かあんな開け方知ってるか?」
他の、私達の後ろに並んでいる人たちが、口々に言う。
そんなのを気にする様子もなく、数回板を回したアフ・アリスが、箱を元に戻して、金具の所をちょっと指でいじった。
ぱちん、という音がして、何かが開くようなそんな音も続いて……アフ・アリスは当たり前に開くものを開けた顔で、誰も開けられなかったウロボロスの宝箱の、蓋を呆気なく開けてしまったのだった。
余りにも簡単そうに開けるものだから、人々は早業に絶句し、自分達が見ている物が信じられないという目をしている。
そんな中、アフ・アリスは私を引っ張り寄せて、ちょっと笑った。
「ほら、開イた」
「……開くものなんだ……」
なんか、もともとアフ・アリスは普通じゃないって分かっていたけれど、ウロボロスの宝箱をあっさり開けるものだから、なんかこう、……すごい……としか言いようがないような……
「だ、旦那様を呼んで来い!! 今すぐにだ!!」
宝箱を見張っていた人が、我に返って仲間に叫ぶ。仲間もはっと我に返り火が付いた勢いで走っていく。
そして、宝箱を見張っていた人が、私達にこう言った。
「旦那様が来るまで、取り分は待ってもらえないか」
「あ、はい」
そう言えば。私はある事実に気が付いてしまっていた。
それは、今まで誰も、アフ・アリスの眼の色とか髪の色とかで彼が、ウロボロスとの関係性を口に出さないっていう事実だった。
どうしてこんなにもあからさまなくらいに、はっきりとした色たちなのに、皆それを口に出さないんだろうか。
普通に考えて、彼がウロボロスの血をひいているって分かるだろうし、それがわかれば、彼がこのウロボロスの宝箱を開けられるって、納得できるはずだ。
こんなざわざわとどよめいて、あり得ない、なんて顔をして、まるで怪物でも見ているみたいな、理解しがたいものをみている目で見てこないだろう。
……まさか、皆、目の色とか髪の色とか、わからないって事なの?
いいや、逆なのかも。私だけ、彼の髪が黒くて、瞳が緑色に見えるっていう、変な状態なのかもしれない。
私の心臓一度壊れているし……魔王討伐の時に頭がおかしくなるくらいの激痛っていうのを何度も体感しているし、疑うべきは皆の頭の中じゃなくて、私の頭の中の方かもしれなかった。
そんな事をぐるぐると考える間に、このウロボロスの宝箱を所有している大金持ちの商人さんが、すごい勢いで馬車を走らせて、馬車の扉を騒々しく開けて駆けてきた。
「開いたのか!! 今まで誰がどうやっても開かなった幻の宝箱が!!」
商人の男の人は、恰幅のいい、いかにも贅沢な食べ物をたくさん食べていそうな、顔の色つやのいい人だった。
彼は目を輝かせて、興奮で汗をかきながら、私達を少し押しのけて、宝箱の中身を持ち上げた。
「おお、これがウロボロスの宝……は?」
中身を広げて、それが何なのかを認識したとたん、商人さんは怪訝な声を上げた。
私も、彼が広げたものを見て、拍子抜けしたのは否めなかった。
だって。
「……服?」
宝箱の中に入っていたのは、白地に黒に近い藍色の刺繍がされている事が特徴的な、はっきり言ってそれ位しか特徴のない、平凡な形の服だったのだ。
刺繍は複雑かもしれないけれど、ううん……これ位の刺繍だったら、刺繍の得意な地域の農村で、見ることもありそうな、超絶技巧とかそんなのは全くない感じの物だったのだ。
何というか……これは、衣装をより丈夫にするための刺繍では? と言いたくなる雰囲気の刺繍である。
こんなのだけ? と周りで見ていた人たちもざわめいているし、商人の人はそれを広げて、やっぱり目利きだろうに、特筆するべき価値もない、と判断したのか、その服を投げ捨てて、次の物を手に取って……こっちも布地……衣装だった。
この衣装は、色が赤かった。桃色系の赤さで、それに黒とか緑とか黄色とかの刺繍が入っている物で、なんかそんな服どこかの村で見たかもしれない、と長旅を続けた経験のある私でも思う感じだった。
商人さんの眼は見開かれ、また中身を取り出す。それはやっぱりそこまで貴重品に見えないサンダルで……最後に出てきたのは、長剣だった。
やっと値打ちものが出てきたって思ったのに、商人はその長剣の鍔にはまっている宝石を睨んで、大声で怒鳴ったのだ。
「宝石の屑石どころか、これはガラスじゃないか!! 何なんだこの宝箱は!! 素晴らしい宝物など何一つ入っていないじゃないか!!」
かんかんに怒っている。確かにこんな変哲もない物ばっかり入っていると思うと、それを何年も開けたかった彼からすれば、怒り狂う物ばっかりだったんだろう。
「お前たち!! こっちの開けた奴らが貴重品を盗んだとかはないか!!」
「ちょ!! そんな疑わないでくださいよ!? 皆私達が宝箱の中身を触ってないって見てます!!」
商人さんは現実を認めたくなくて、そんな事を怒鳴った。
それを慌ててすぐに否定すると、見張りの人たちも頷いた。
「彼等は開けただけです、旦那様……」
「そんなわけがあるか!! これはウロボロスの宝箱だったんだぞ!! 他の宝箱の中には、宝石で飾られた宝石箱や、素晴らしい首飾り、超絶技巧の花嫁のヴェールなどが入っていたと聞いているのに!!」
「……おどろイた。何も知ラないのか」
怒りのあまり頭から湯気が出てきそうな商人さんを見て、アフ・アリスが不思議そうにそう言った。
そのため、商人さんは怒りの矛先がアフ・アリスに向いたらしい。
「何も知らないとはどういう事を言っているんだ!! これのどこがウロボロスの宝箱なんだ!! 偽物を掴まされただけじゃないか!! 祖父が大金をはたいて手に入れたというのに!!」
怒鳴り散らす商人さんの迫力はなかなかだったけれど、アフ・アリスは平気そうで、頬を指でこすった後、宝箱を指さした。
「それハ、嫁入リ道具だ」
「……は?」
「赤イのは嫁に行った後ノ普段着で、白いのハ旦那の普段着として、花嫁が婚約が決まってから一番に仕立てるモノ。そのサンダルは旦那を喜ブ嫁親族が送る縁起物。中規模の村ナら値打ちモノだ。……いらないなら、白い服をもらいたい。それは丈夫で知られた地域の布地とかなんだ」
「……」
「……」
「…………」
アフ・アリスが慎重に発音して、何とか普通に聞こえそうな声で喋った中身に、皆黙っている。
私も呆気にとられていた。まさかそんな解説がやってくるとは思わなかった。
さらにアフ・アリスが放り投げられていた長剣を拾い上げる。
そしてそれを軽く振った。
途端だ。
長剣の鍔に幾つもつけられていたガラス玉が次々瞬いて、長剣の刃に、ばりばりばり、と電が走ったのだ。
「いい剣だ。状態ガいい」
「は……? 魔法剣は……貴重な鉱物を使わなければ……作れない……はず……」
商人さんはそういうのには詳しいんだろう。魔法剣は超が付く高級な剣で、その最上位になればぎりぎり、聖剣じゃなくても魔性を切り飛ばせると言われている品だ。
「第一……電を宿す魔法剣は……現在では採掘不可能な貴重過ぎる鉱物を使わなければ……電の力を宿せないと……だからウロボロスの消失とともに消えたと……」
口をぱくぱくと開いたり閉じたりした後、商人さんはあえぐようにそう言って、アフ・アリスを見た。
「どういう事なんだ!? ガラス玉が付いているだけの長剣がどうして、電を宿せる!?」
「そもソモ論だが……ウロボロスの国は、ガラスを重んじた国だぞ。永遠の蛇を祭ったあの国ハ、砕けてもとかせば再生するガラスを、神のあたえたもうた素材とした。ダカラ特別な剣や盾、道具には惜しみなくガラスを使ッた。宝石にはアマリ価値を見出さない国だった。だから一番特別な力ハ、ガラスに宿した」
「だからガラスに電の力が宿るのか……?」
「手順はシラナい。だがそういう工房は幾つもあったとキク」
ぶんぶんと機嫌よさそうに、長剣を振るアフ・アリス。そのたびにばりばりと電が剣を取り巻いている。
「コレは、祭祀に使われた儀式剣でもアリ、有事の時ニは家族と村を守る戦士ノ剣だったのダロウ」
だから仕舞われるまでも大事に扱われていたから、今までこんな状態のいいままだったんだろう、とあっけらかんと語るアフ・アリスに、皆呆然としている。
だって……そんな話、今まで誰も、聞いた事がないのだ。
数多の町を旅した私も、そんなすごい話は聞かなかった。
商人さんだって聞いた事がないんだろう。
血の気が引いた顔で、アフ・アリスが何者なのかと見つめている。
「剣はいらナい。宝箱の中ミで一番いい物ハ、持ち主に」
そう言って、執着も何もない、という調子でアフ・アリスが商人さんに、電を宿す長剣を差し出した。
「こっちの服ガいい。さっきカラ胸が窮屈だ」
アフ・アリスはそう言って、商人さんが放り投げた白い衣装を広げて、ばさっと頭からかぶった。
きつくないのかな、と思っていると、服は主の体の大きさに合わせるように伸びて……違和感なく、着られたのだ。
「この刺繍の作り手は腕がイイ」
機嫌よさそうに、いい物をもらった、みたいな言い方で言うアフ・アリスを見て、商人さんが赤い衣装の方を指さす。
「これには何か特殊な力は?」
「着る相手にちょうどよく伸びる。それと……ソレは冬デモ暖かく、着る相手を凍えさせない祈りが入っているハズだ」
「珍品じゃないか!!」
商人さんはそう叫び、赤い衣装の方を慌てて抱き込んだ。
確かに聞くだけでもかなりの珍品にしか思えなかった。着る相手にあわせて伸びる衣装ってだけでも相当なのに、さらに冬に着る相手を凍えさせない祈りとか……ここ数百年の中で、そんな高性能な衣装は発表された事がないはずである。
「ああ、ソウダ」
おまけのように、アフ・アリスは付け加えた。
「貴金属がイイなラ、白く塗られた宝箱デ、スズラン模様の鉄の飾りを探すトいい」
「なんで?」
私が突っ込むと、当然の常識を語る声で、アフ・アリスは告げた。
「ウロボロスの都市の中で最高の彫金都市ノ旗ハすずらんだ」
周りの静まり返った感じは、はっきり言わなくても時が止まったとか、空気が凍り付いたとか、そんな雰囲気だった。
色々アフ・アリスは規格外みたいだし、魔王のしもべだった時代が長いから、古い時代の事とか過去の事とか詳しくても、そんな驚くべき事じゃないんだろうけれど、こうもごくごく当たり前の事を、当たり前に言うように、時の流れに消えてしまった事実らしきものを言われると、どうにも……え? って感じがするわけだ。
私はアフ・アリスと友達になったけれど、彼の事を全部知っているわけじゃないし、それは向こうも同じ事で、ぶっちゃけた話、知らない事の方が八割以上だと思う。
そのためか、こうして予測しなかった事を放り投げられると、周りの人たちと同じくらい固まってしまうのだ。
そんな中、それを聞いた商人さんが、彼をじっと見つめた後、本当に解せない、という声でこう言って来た。
「どうしてそんな事を知っているんだ」
「知ってイたらなんだというんだ?」
商人さんの問いかけに、彼は知っていても知らなくても大した事じゃない、という調子でそう言った。
それにいろんな人たちがざわめいている。
誰も知らない事を当たり前のように喋る彼は、異様に映ったのだろう。
「おかしいだろう、そんな事を……ほろんだウロボロスの国の、彫金都市の印がすずらんだという事を当たり前のように知っているなんて」
「おかしナ事を言っているつもりは、ないんダ。……第一、本当ニ、完全に誰も知らないと言える事ハ、一体どれくらいの確率だロうか?」
「……? 何が言いたいの?」
私も言っている意味が分からなくなって、思わず問いかけると、アフ・アリスは私を優しい目で見ながら、続けた。
「誰も知らナい、はつまり、誰かガ知っている、と同じ事だという事なンだ。本当に全ての人の記憶かラ消え失せル事は、滅多にない事という話で」
喋るのが大変だ、という調子で、若干発音を怪しくしながらも、アフ・アリスは続けてくれた。
「大多数が知ラないから、誰も知らない、という事になるだけデ、実は誰かが知ッている。……私の知識は、その程度の物ばかりダ」
「……あなた以外にも、ウロボロスの宝箱の事に詳しい何者かが、存在しているとあなたは言いたいのだろうか」
商人さんが、やっと言いたい事が飲み込めた、という声で確認すると、彼はこっくりと頷いた。
「古の知識を継承スる、大賢者と言われている存在達は、知っているだろう」
「……あなたはこの世に三人しかいないと言われている、大賢者だったのか!?」
大賢者は知っている。そして大賢者と同じ知識を知っているアフ・アリスは大賢者では、と商人さんは推測して大声を出した。びっくりしたんだろう。
でも、アフ・アリスはそれをあっさりと否定した。
「まったく違う」
「違うならどうしてそんな事を知っているんだ……? それとも嘘八百で、私達を騙しているのか?」
「まさか。……私は、ただ、知っているだけダ。普通の旅人よりも、ウロボロスの永遠の蛇を」
それだけを言って、アフ・アリスはもう興味がないし、会話をするつもりもなくなったみたいで、その場を後にしようとする。
でも、儲け話の匂いと嗅ぎ付けたのか、商人さんが大声で言ったのだ。
「待ってくれ!! あなたの話をもっと詳しく聞きたいのだ、あなたの語るウロボロス帝国は実に興味深い」
一呼吸おいて、商人さんがこう申し出てきた。
「ぜひ、今夜はうちに泊って行ってほしい。あなたの話すウロボロスの知識に、興味が湧いてしまうのだ」
そりゃあ、誰も知らないウロボロス帝国の事を、つるつると喋る人間なんて、普通お目にかかれないから、興味もわくよね、と私は考えた。
それに興味深い話を知っている旅人を招く商人、というのはごくごく普通の事でもある。
私も、ヘリオスたちと旅をしていた時、数回はそんな歓待を受けた事だってあった。
でも。
アフ・アリスは目をゆっくりと瞬かせて、問いかけてきた。
「商人の御仁。あなたには年頃の娘がいるだろうか」
「いるが……それが何か?」
「そうカ。ならあなたの申し出は受けられなイ」
「何故だ!?」
商人さんじゃなくても、年頃の娘がいるとどうして泊まれないのだと言いたいだろう。
事実周りからも
「あの人何を言い出してるんだ?」
「逆ならわかるぞ、年頃の娘がいるから、泊まらせてほしいという旅人は多い」
「どうして彼は、拒否するのだろう」
そんな声が聞こえてきたくらいだった。
その声に答えるわけでもなく、彼は事実を事実であるというだけの声でこう言った。
「だいたい、年頃の女性がいる家に世話になると、その恋人や婚約者が刃物を振り回してくるのが多くて」
何もないのに疑われるのは楽しくない、とそれだけを言って、アフ・アリスは宝箱と商人さんに背中を向けて歩き出す。
ウロボロスの裾の長い白い衣装をひるがえして、軽やかに歩くそれを見ていると、それは正体を知っていた私でも、彼が厭世的な賢者だったのではないか、と思ってしまうくらいだったから、他の何も知らない人たちからすると、アフ・アリスは賢者めいているんだろう。
「賢者だろ……?」
「あんな整った賢者がいるんだな……」
「すごい事だ……たとえ賢者の称号を与えられていなくても、彼は賢者に違いない……」
何て声が耳に入ってきたから、なんだかこれから面倒くさいかもしれないな、と思っちゃう私だった。
そこで私ははっとして、アフ・アリスの腕をひいて動きを止めて、それから急いで商人さんに近付いた。
「すみません! この宝箱を開けたら、報酬が貰えたんですよね!? それをいただきたいです!」
「……彼が衣類を手に入れただけではいけないのか」
「ケチな事言わないでくださいよ! 先立つ物はどんな人間にだって必要なものなんですから!」
元魔王のしもべのびっくりする発言が続いて、すっぽ抜けた大事な事実。
それは、ウロボロスの宝箱を開けると、持ち主の商人さんが報酬をくれるという事実だった。
私はもらえるものはもらっておきたいし、もらえないから起きるであろう苦労はしたくない。
さあちょうだい、という勢いでいると、商人さんの脇に立っていた従者らしき人が、止められている高級な馬車に戻って、何か袋を持って戻ってきた。
「旦那様、こちらが謝礼のダガー通貨四百枚です」
「……まあ、貴重過ぎるほどの魔法剣が手に入ったと思えば……ダガー通貨四百枚くらいは払っても……惜しくはないか……」
商人さんはさすが商人というだけあってちょっとケチだったみたいだ。
でも、電の魔法剣というとびっきりの貴重品を手に入れたという事実から、私にダガー通貨四百枚を、袋に入れて渡してくれたのだった。
結構な驚きの連続だった本日もやっと日が落ちたので、私とアフ・アリスは寺院にある簡易宿泊設備を利用して、一晩過ごす事にした。
寺院とかの簡易宿泊施設だったら、ダガー通貨三枚半でおつりがぎりぎり出る値段だから、それなりって奴だろう。
狭くて隣の音が筒抜けな場所でも、体を横にできる雨風をしのげる場所っていうのは偉大で、私は疲れ果てていたから、そのままぐっすりと眠りについた。
……眠りについていたはずだったのに、私の意識は何処か起きているみたいな感じがする。
不思議な、柔らかな共鳴音に似た物が、私の消えた胸の痣があったところで鳴っているのだ。
よく分からない物だけれど、それは震えていて、何かを呼ぼうとしているみたいで、でも一体何を呼ぼうとしているのか見当もつかなくって、眠くて、まあ大丈夫という楽観的考えも頭の中に回ってきて、世界が暗くなっていった。
「おきてくれ。……周りがやけに静かすぎる」
私はそんな声とともに、足を引っ張られて目を覚ました。
引っ張られた足を引き戻して身を起こす。狭い簡易宿泊施設の中だから、頭を天井にぶつけかけた。
「ってえ……」
「ちゃんと目が覚めたンだな。よかった」
そう言ってほっとしたように息を吐きだしたのは、アフ・アリスだった。
「静かって……?」
彼は油断なく周りに視線を向けている。その視線の鋭さは、魔王のしもべだった時に、ヘリオスたちを見て、実力を測っていた時のそれに、よく似ている。
「音が何モしない」
「……は?」
彼はしいっと私に仕草する。それに合わせて口を閉じて、周りの音に耳を澄ませると、確かにそうで、簡易宿泊施設の中で聞こえてくるはずの、色んな人の呼吸の音とか、寝息とか、いびきとか寝言とか、寝がえりをして壁にぶつかる音とか、そんなありきたりな音が一切合切聞こえてこないのだ。
……怖いんだけれど……
私はアフ・アリスはちゃんと呼吸しているか不安になって、彼の口元に手を伸ばした。
だしぬけに伸ばされたような物だったからか、それとも私の不安を感じ取ったのか、彼は私の好きにさせてくれた。
彼の口元からは、あたたかな息が感じられた。……生きてる……すごくほっとした……。
「……音どころカ、生き物の気配さえ消え失せテいる」
だがしかし、私の安心を吹っ飛ばすような怖い事を、アフ・アリスは言い出した。
そんな事言わないでよ、と心底言いたい。しかし、アフ・アリスの視線は冗談とかそんなものが一切ない。
油断なく周りを警戒して、もしもの時に一気に行動に移せるようにと隙の無いようにふるまっているのだ。
それは仲間が一人もいなかった猛者の立ち振る舞いだろう。魔王のしもべだった頃、アフ・アリスは背中を預けられる相手など一人もおらず、単身、魔王に至る最後の門を守っていたのだから。
「町一つ分の生き物の気配が消えるなんて事、あるの……?」
「まだ外ニ出ていないから、調べてハいないけれど。そう言った気配ガ、ない」
感じ取れるだけでも十分異様だ、という口ぶりで言う彼はいつでも外に出られるんだろう。
私もすぐさま支度をして……と言っても靴を履いて髪の毛を一つにくくるだけだけど……彼の後ろを歩きだした。
「……月が、ない……」
簡易宿泊施設の窓を見ると、普通は 見えるであろう、魔王からヘリオスが取り戻した月の光が、ほとんどなかった。
そんな事ってあるわけ……?
「……」
アフ・アリスは私の視線の先に目をやった後、手袋で覆われた両手を少し動かした。
まるでこれから、彼の拳に物を言わせるような事が起きるかの様で、それは怖い事が起きる前触れにも思えた。
そして簡易宿泊施設の、他の人が使用しているはずの部屋の出入り口は皆開け放たれていて、中は空っぽ、それもおかしい事だった。
だって私達が二つそこを借りた時、結構いっぱいいっぱいで、寝る前にはいろんな音が聞こえていたくらいだったのだから。
夜中に、何十人もの人が一気にいなくなるなんて事があり得るの?
怖くなってきた私は、血の気が少し引き始めている。魔性に襲われるとかは、慣れたくもないけれど慣れたから、こうも血の気が引いたりはしない。
でも、異常な現象っていうのは、慣れないから、こうして血の気が引いていく。
そしてそのまま、アフ・アリスは簡易宿泊施設の出入り口を開けようとして、扉に触れて、すぐさま手を離した。
そして、私の肩を掴んで、静かな声でこう言った。
「扉を開けてはならナい」
「……なんで? 外を調べるんじゃないの?」
「……油断シた。イニシエルは人喰い街だッたか」
「人喰い街……? なにそれ……?」
聞いた事のない名前だった。人喰いというのは人を食べるって事で、それが街ってどういう事を言いたいのだろう。
そんな私の困惑をよく分かったのか、アフ・アリスは窓を睨み、それから扉を睨み、緑の瞳を強く光らせて、何かを威圧するようなそぶりをした後、こう言った。
「結界ヲ張らなければ」
「結界って……聖女級の祈りが出来る人じゃないと、使えないでしょう」
「太陽が昇るまでダったら、耐えれるモノは、張れる」
そう言って彼は私の手を掴んだ。大真面目な声で続ける。
「私から、離れルな。一気に食われテ魂まデもなくすぞ」
「そんな大変な物なの」
「人喰い街は生中な魔性以上に質の悪い、いいや、下手をしたら魔王よりモ質の悪いモノだ」
おそろしく怖い顔で、アフ・アリスは言い切った。魔王よりも恐ろしいと、魔王のしもべに言われる人喰い街という事は、とてつもなく恐ろしい事が進んでいるって事に違いなかった。
そしてその街の中にいる私たちも、相当にまずい状況だという事が、はっきりわかる。
私は恐怖で叫びだしたくなったけど、なけなしの根性で問いかけた。
「外に逃げられないの」
「太陽が昇るマデはだめだ」
「なんで」
「満月は人喰いの力を強める」
「月なんてないじゃない!」
「街の中ニいるから見えないだけダ」
こんな状況でも、そう、人喰い街という相当な単語の存在の中にいる羽目になっているのに、アフ・アリスは恐ろしく落ち着いているように見える。何で落ち着けるのよ!
もう理解できない事が山みたいに詰みあがってきた気がして、私は泣きたいのに、哀しいかな泣けない。
「この建物の中に。花が三本、見つかればいいんだガ」
「花が三本で何ができるっていうの」
「一晩なら持ちこたえられる、結界が張れる」
そう言って、アフ・アリスは私を引っ張りながら歩きだす。私は彼が歩くままに歩く。
簡易宿泊施設の建物は三階建てで、一階は宿泊設備、それ以上の階は備品とか物置だったみたいだ。
そして、寺院の手入れが行き届いているから、窓際に花が活けてある場所もそれなりで、三本の花は割とすぐに見つかった。
その中でも、アフ・アリスは匂いの強い物を三本選んで、それをばらばらに分解した。
分解して、三角形が出来るように置いて、その中に座り込んだのだ。
私も当たり前のようにその中に入れられた。
「活けられたばかりの花の中デも、強い匂いのする花ハ力が強い。それを聖なる数字の三を利用して結界を張れば、人喰い街が、手を出せない程度の結界になりうる」
ただし、とアフ・アリスは続ける。
「絶対に、いいと言うまで、この結界から出てハいけないけれども」
「そうなの」
「建物が寺院の物ダから、まだ人喰い街も食べ残しがいるトは気付いていない。だが気付けば飲もうとしてくる」
用心に越した事はない。と彼は言い切ってから、私を覗き込んだ。
「ジルダ、信じて、ほしイ」
私はそれにこくりと頷いた。この建物の中に、誰一人いなくて、物音も気配も何もなくなっていて、窓の向こうの街並みの中に、生き物が一切いない事から、彼のいう事は信じられたからだ。
そして私たちは、まんじりともせずに夜を明かした。
こんなに朝が来るのが安心するとは思わなかった。私は日差しの明るさに心底ほっとして、それからこんなに明るいのに、人ひとりいない街の不気味さにぞっとして、がっちりとアフ・アリスの腕を掴んでいた。
「太陽があるうちは、たいした悪さが出来ないから、大丈夫だ」
彼はそういうけれども、夜の事を忘れられるわけがない。
結界の中にいた私が体験したのは、結界を叩き壊そうと、色々な物が結界にぶつかり、壊れていくという悪魔憑きかよ、と言いたくなる現象で。
そんな中でも、結界の中に寝転がって、平気そうに体を休めていたアフ・アリスの神経の太さというかなんというかは、結構すごいというか理解できなかった。
朝日が差し込んでいくにつれて、物理的に結界にぶつかってくるものはほとんどなくなって……一つもぶつかって来なくなってからようやく、彼が起き上がって、周りを見回して、大丈夫、と言ったのだ。
「ちょっとうるさかったな。大丈夫かイ?」
そんな風に笑ってくれたアフ・アリスの顔はものすごく安心できた。そのせいでうっかりぼろぼろ涙が出てきて、彼がびっくりした顔になったけれども。
「街を出たらすぐにしなくちゃいけない縁切りがある」
そう言ってアフ・アリスは町の中にあった薪を数本抱えて、今歩いている。
そしてやっと街の入り口までたどり着いて、私達は少し駆け足になりながら、イニシエルだった街を出たのだ。
出た途端に、私は恐ろしい光景を見る事になった。
街の出入り口の門が、大きくゆがんでたわんで、出て行った私とアフ・アリスを飲み込もうというように、襲い掛かってきたのだから。
「ひっ!!」
目を見開いて動けなくなった私だったけど、アフ・アリスは対照的に冷静で、自分の髪の毛を数本と、私の髪の毛数本を指先にともした炎で一気に灰に変えて、薪にこすりつけて、その薪も盛大に燃やして、町の中……門の中に放り込んだのだ。
放り込んで、その時。
彼の唇からごうごうと、何か普通じゃない光が漏れて、それに呼応するように、薪が音を立てて爆ぜて、その爆ぜたのが痛かったかのように、門はびくりと固まって、一気に後ずさったのだ。
後ずさって、そのまま、街は幻のように揺れて……そこから消え失せたのだった。
「……き、消えた……」
「人喰い街は移動するからナ。次の隠れ先を探すノだろう」
「聖樹もあったイニシエルが、どうして人喰い街だったの」
「聖なる力があっても、あの類の怪異は憑りつく時は憑りツく。アレは魔でも聖でも、ナイ」
「人喰いなのに!? 魔性じゃないの……?」
「アレは古くは聖なる都市だッたと言われている。聖なる力も動きを間違えれば、やがてハああなるという典型的な見本ダッタ」
「食べられた人たちはどうなっているの」
「さア。食べられた事ガナいからなんとも」
アフ・アリスはじっと、イニシエルがあった場所を見つめた後、静かに言った。
「昔はアレの見分ケ方も皆知っていたのに。今は誰も知らなくて、こんな事になるのか」
それを聞いて、私は顔を上げた。やらなくちゃいけない事を、見つけた気がしたのだ。
「アフ・アリス、嫌じゃなかったら、王都に行こう!! 人喰い街の事を王様に、言わなくちゃ、今の人は誰もあれからの逃げ方とかを知らないんだよ、王様に伝えられる人に伝えて、被害を減らさなくちゃ、たくさんの人が食べられちゃう!!」
「王都に?」
アフ・アリスは目を丸くした後、腕を組んだ。
そしてやや感が多様に沈黙した後、頷いた。
「今の世界には、それも必要かもしれないナ」
「へえ、面白そうな話をしているじゃねえか」
アフ・アリスが私の提案に同意した時、背後からそんな声がかかったのだ。
私はぎょっとしてそちらを見たけれども、アフ・アリスは彼……いいや、彼等……に気付いていた様子だった。
「面白いとは言えない話ダと思うが」
アフ・アリスは淡々とした調子を崩さずに続ける。
動揺していないのは、最初から彼等の接近に気付いていたからか、それとも、彼等くらいだったらあしらえる技量を持っているからか。
はたまた、もっと別の思惑があるからか……
私には見当がつかなかった。
でも一つだけ言えるのは、アフ・アリスは悪い事を進んでは行わないって事である。
そのため私は、彼等とアフ・アリスを交互に見て、会話を見守る事にした。
現れたのは三人の男女で、屈強な戦士風の装備の男性に、盗賊風の見た目の男性、そして術者らしき身なりの女性である。
全員、結構顔立ちが整っているから、所属しているギルドがどのギルドかは知らないけれど、人気の在りそうな三人だった。
アフ・アリスの驚くべき美貌の前では、路傍の石くらいのものになってしまっているのが残念だ。
そんな事を思っている間に、彼等の会話は進んでいく。
「面白いだろ? あんたは世界中の脅威を回避する方法ってのを知っているんだから。いい儲け話の匂いがするぜ」
「そうだな。人喰い街なんてものの話は、古今東西耳にした事がないが、地図上ではそこにあったはずのイニシエルの町が、何の跡形もなく消え失せているのだから、信憑性の高い何かってわけだ」
盗賊風の人が喋り、戦士風の人が続ける。術者の女性は黙っているけれど、彼女が無言のまま、術を展開しているのは私でもわかった。
きっと何かしらの利益のために、術を作動させようとしているんだろう。
「あんたらが、イニシエルの町を滅ぼした……ってわけじゃなさそうだからな。そうなると、超常現象的な何か、避けられない物が起きて、イニシエルの町は消え失せたって事になる」
「それも、魔法の力が一切作動しないでという事だな。そしてあんたたち……いいや、この場合はあんたが、その異常事態に対しての情報や対抗手段を持っているというわけだ」
「……」
アフ・アリスはそれをじっと聞いている。言葉を探しているのか、それとも彼等と会話をする気がないのか。
私には見当がつかないけれども、彼等の目的っていうのがいまいちわからなかった。
だから、口を開いてみた。
「あなたたちの目的は何? いきなり出てきてびっくりしたけれど、あなたたちが私達に絡む理由がわからないの」
「おおっと、そっちのお嬢さんの方が話が早かったか? ……簡単だ。俺たちとチームを組んでもらいたいって話だ」
「……チーム?」
アフ・アリスは怪訝な表情に変わった。かくいう私も似たような顔になっているかもしれない。
だって、誰かとチームを組んで行動するって事を、私も、たぶんアフ・アリスも考えてなかったのだから。
「私ト組んでも、うま味はナイと思うんだが」
「いいや、大いにあるね」
盗賊風の彼が少し身を乗り出す。どうやら……彼等の中で彼等をまとめているのは、屈強な戦士ではなく、細身の盗賊風の男性の様だ。
「あんたはこの世界で誰も知らないであろう、貴重な情報を大量に持っている。それに……俺たちは見たんだぜ? イニシエルの町の、ウロボロスの宝の鍵を、簡単に開けた現場をな」
つまり彼等は、昨日の日中に、イニシエルの町にいたって事なのに、どうして人喰い街の脅威から脱せたんだろう。
そんな事を思った私の表情に、その疑問が出ていたんだろう。戦士風の男性が言った。
「俺たちはこの近くの、夜にしか採取できない薬草と、魔法薬の材料になる動物の採取を行っていたんだ。夜、それもここの所真夜中にしか採取できない状況が続いていたからな。夕方にイニシエルの町を出て、一晩延々と採取に費やしていたわけだ」
「でな? 朝方になってイニシエルの町で体を休めようと思ったら、あんたらが門から出てきて、何かをしたと思ったら、イニシエルの町が跡形もなく消え失せちまったじゃないか! 俺たちはあんたたちがそこを去ったあと、イニシエルの町の痕跡だのなんだのを探していたが、一っつも見つからなかったってわけ」
「それから、あんたらの後を追いかけて、色々聞いて、うま味があるって思ったらこうして声をかけているのが今って事だ」
盗賊風の男性はへらへら笑っているけれど、笑う余裕がある事がすごい。
私は今も、笑えないっていうのに。
私が、アフ・アリスをちらっと見ると、彼は彼等をじっと見た後、こう言った。
「つまり、あなたタちは、俺がウロボロスの秘宝の鍵の開け方を知っているから、仲間になってほしイと言っているのか?」
「それだけじゃないぜ? あんたは俺たちが知らない事をたーくさん知っているみたいだからな」
「冒険者が、情報をたくさん持っている相手と手を組みたいというのは、何らおかしな話ではないだろう? チームによっては、優秀な情報通と組んでいる所もあるのが一般的な話だ」
「……」
アフ・アリスはどう思ったんだろう。少し考えたそぶりを見せた後、彼は静かにこう言った。
「私は、静カに暮らしたい」
「余計にいいじゃねえか! あんた訳ありって感じだが、冒険者なら悪目立ちしないぜ? 冒険者に訳ありがいるのは一般常識くらい当たり前だ!」
「私は仲間ト組んでいた事が一度モない。足を引っ張るダロウ」
……魔王のしもべが徒党を組むって話は聞いた事がないから、事実だろう。
彼が長い間行い続けてきた事は、孤独な戦いだったはずだから。
「別に、あんたに前線に出ろって言っているわけじゃねえよ。戦えるならそれに越した事はないけどな! 俺たちはあんたの頭の中にたっぷり詰まってる、情報が欲しいってだけさ」
「ツマリ」
アフ・アリスはゆっくりと確認した。
「あなたたちは、私の情報ガ欲しい。私ガ冒険者としてあなたたちとチームヲ組めば、過去を探られる事なく生活できる……という事を言いたいのか」
「そうだよ。どうだ、悪い話じゃねえだろ」
「セト。乗り出し過ぎだ」
盗賊風の男性は、セトというらしい。前のめりぎみのリーダーなんだろう。
この調子だと、お宝とお金が大好きな人種だと思われる。
アフ・アリスが考え込んだ後、私の方をちらりと見た。それに目ざとく気付いたセトが、こう言った。
「そっちのお嬢さんの方が心配か? だったらお嬢さんはうちの家政婦役をしてもらえればいい。見たところ、お嬢さんは戦う方法はあんまり持ってない、普通の家のお嬢さんとみえる」
ううん……戦う方法はたくさん知っているけれど、どれも平凡よりやや上程度までしか上達しなかったんだよね、とはさすがに言わなかった。
でも、私にとっては、家政婦っていうのは魅力的なお誘いだった。
積極的に戦いたくないし、普通の家で寝たいし、ちょっと訳ありでも、目立つ事なく暮らせるのは、色んな人が暮らしている、ギルドがあるような大規模な街だし。
悪い話じゃないな、と思った。
「ジルダ。どうする」
私が少し乗り気なのが伝わったんだろうか。アフ・アリスが聞いてきたから、私は答えた。
「そこまで悪い話ではないと思う。ギルド所属の人たちが、新しい仲間を登録する形で、あなたや私を街に入れてくれたら、その場で身分証とか発行できるって言うし。落ち着いて暮らすっていうのが目的なら、そこそこの条件って感じがする」
「……そうなのか。すまない、一人ガ長すぎて、街のあれこれハ詳しくないんだ」
「あんた、どんだけ孤独に生活してたんだよ……というか街で生活してたんでもないのかよ」
「古い墓守ノような事ヲしていた」
「は、墓守ぃ!?」
流石に、魔王のしもべをやっていて、魔王への最後の関門として戦っていたなんて言えないから、ぎりっぎり近そうな事を言ったアフ・アリスだったが、彼等は思いっきり目をむいた。
何故か? 古い墓を守る墓守ほど、単独で強い職業ってのは、もはや勇者くらいしかないためだ。
墓守は、文字通りお墓を守る事を仕事としているけれども、だからお金をもらうわけでもないし、墓を荒らそうとする盗賊とかを、単身で追い払わなくちゃいけないし、墓を狙う魔物をこれまた、一人で対処しなくちゃいけない、超不人気職業なのだ。
そして、一人でなんでもできるだけの腕前があれば、他の事をした方が楽だから、あえて墓守になるっていう人は、よっぽどの変人くらいというのが、一般的認識なのだ。
「なんだよ……古い墓守って……だからあんた、色々変な知識に詳しいのか」
セトはなんだか納得したみたいだ。墓守と言うと、世間と外れた生活をしているから、知られざる知識っていうのを身に着けやすいという事が言われているからだろう。
古い墓を守っていたから、ウロボロスとかそういう古代の事も詳しいんだな、という認識をされたんだろう。ありがたい勘違いだ。
「強さもそれなりというわけだな。立ち振る舞いから、只者ではないとは思っていたが」
戦士風の人が言う。立ち振る舞いから、只者じゃないとわかるのは、それなりに腕が立ち、相手の技量を読み取れる人と限られているから、彼も腕利きで間違いはないんだろう。
そんな彼等を見て、アフ・アリスは彼等の誘いに、こう答えた。
「私でよければ、喜んデ。私よりモ、彼女を大事にしてクれればそれでいい。……そして、一つダケ、条件ガある」
彼女、と言って私を示すアフ・アリス。そんな彼が出した条件は、彼等にとって目をむく発言再びって感じのものだった。
「私ガあまり役にタタナイという風にしてほしい。功績などヲ、あなた方の物にしてほしい」
「……あんた、名誉とか尊敬とか、そういうの、全然いらないのかよ」
セトが呆気にとられた声で言う。そこで、術者の女性が口を開いた。
「……目立つのが大嫌いなの?」
「目立つと」
アフ・アリスは目を伏せて、静かにこう言った。
「私が目立つト、いい事は何一つ起きないのが、経験上ノ事だから」
「ふうん、あんたも色々あったんだな。まあ、それなら簡単だな! じゃあよろしく、ええっと」
「アフ・アリス」
「ジルダです」
「アフ・アリスと、ジルダ! んじゃあ、さっそく俺たちの拠点の町に帰ろうぜ!」
こうして、私達は、セト率いるチームに途中加入する事になったのだった。




