十四話
「おきてくれ。……周りがやけに静かすぎる」
私はそんな声とともに、足を引っ張られて目を覚ました。
引っ張られた足を引き戻して身を起こす。狭い簡易宿泊施設の中だから、頭を天井にぶつけかけた。
「ってえ……」
「ちゃんと目が覚めたンだな。よかった」
そう言ってほっとしたように息を吐きだしたのは、アフ・アリスだった。
「静かって……?」
彼は油断なく周りに視線を向けている。その視線の鋭さは、魔王のしもべだった時に、ヘリオスたちを見て、実力を測っていた時のそれに、よく似ている。
「音が何モしない」
「……は?」
彼はしいっと私に仕草する。それに合わせて口を閉じて、周りの音に耳を澄ませると、確かにそうで、簡易宿泊施設の中で聞こえてくるはずの、色んな人の呼吸の音とか、寝息とか、いびきとか寝言とか、寝がえりをして壁にぶつかる音とか、そんなありきたりな音が一切合切聞こえてこないのだ。
……怖いんだけれど……
私はアフ・アリスはちゃんと呼吸しているか不安になって、彼の口元に手を伸ばした。
だしぬけに伸ばされたような物だったからか、それとも私の不安を感じ取ったのか、彼は私の好きにさせてくれた。
彼の口元からは、あたたかな息が感じられた。……生きてる……すごくほっとした……。
「……音どころカ、生き物の気配さえ消え失せテいる」
だがしかし、私の安心を吹っ飛ばすような怖い事を、アフ・アリスは言い出した。
そんな事言わないでよ、と心底言いたい。しかし、アフ・アリスの視線は冗談とかそんなものが一切ない。
油断なく周りを警戒して、もしもの時に一気に行動に移せるようにと隙の無いようにふるまっているのだ。
それは仲間が一人もいなかった猛者の立ち振る舞いだろう。魔王のしもべだった頃、アフ・アリスは背中を預けられる相手など一人もおらず、単身、魔王に至る最後の門を守っていたのだから。
「町一つ分の生き物の気配が消えるなんて事、あるの……?」
「まだ外ニ出ていないから、調べてハいないけれど。そう言った気配ガ、ない」
感じ取れるだけでも十分異様だ、という口ぶりで言う彼はいつでも外に出られるんだろう。
私もすぐさま支度をして……と言っても靴を履いて髪の毛を一つにくくるだけだけど……彼の後ろを歩きだした。
「……月が、ない……」
簡易宿泊施設の窓を見ると、普通は 見えるであろう、魔王からヘリオスが取り戻した月の光が、ほとんどなかった。
そんな事ってあるわけ……?
「……」
アフ・アリスは私の視線の先に目をやった後、手袋で覆われた両手を少し動かした。
まるでこれから、彼の拳に物を言わせるような事が起きるかの様で、それは怖い事が起きる前触れにも思えた。
そして簡易宿泊施設の、他の人が使用しているはずの部屋の出入り口は皆開け放たれていて、中は空っぽ、それもおかしい事だった。
だって私達が二つそこを借りた時、結構いっぱいいっぱいで、寝る前にはいろんな音が聞こえていたくらいだったのだから。
夜中に、何十人もの人が一気にいなくなるなんて事があり得るの?
怖くなってきた私は、血の気が少し引き始めている。魔性に襲われるとかは、慣れたくもないけれど慣れたから、こうも血の気が引いたりはしない。
でも、異常な現象っていうのは、慣れないから、こうして血の気が引いていく。
そしてそのまま、アフ・アリスは簡易宿泊施設の出入り口を開けようとして、扉に触れて、すぐさま手を離した。
そして、私の肩を掴んで、静かな声でこう言った。
「扉を開けてはならナい」
「……なんで? 外を調べるんじゃないの?」
「……油断シた。イニシエルは人喰い街だッたか」
「人喰い街……? なにそれ……?」
聞いた事のない名前だった。人喰いというのは人を食べるって事で、それが街ってどういう事を言いたいのだろう。
そんな私の困惑をよく分かったのか、アフ・アリスは窓を睨み、それから扉を睨み、緑の瞳を強く光らせて、何かを威圧するようなそぶりをした後、こう言った。
「結界ヲ張らなければ」
「結界って……聖女級の祈りが出来る人じゃないと、使えないでしょう」
「太陽が昇るまでダったら、耐えれるモノは、張れる」
そう言って彼は私の手を掴んだ。大真面目な声で続ける。
「私から、離れルな。一気に食われテ魂まデもなくすぞ」
「そんな大変な物なの」
「人喰い街は生中な魔性以上に質の悪い、いいや、下手をしたら魔王よりモ質の悪いモノだ」
おそろしく怖い顔で、アフ・アリスは言い切った。魔王よりも恐ろしいと、魔王のしもべに言われる人喰い街という事は、とてつもなく恐ろしい事が進んでいるって事に違いなかった。
そしてその街の中にいる私たちも、相当にまずい状況だという事が、はっきりわかる。
私は恐怖で叫びだしたくなったけど、なけなしの根性で問いかけた。
「外に逃げられないの」
「太陽が昇るマデはだめだ」
「なんで」
「満月は人喰いの力を強める」
「月なんてないじゃない!」
「街の中ニいるから見えないだけダ」
こんな状況でも、そう、人喰い街という相当な単語の存在の中にいる羽目になっているのに、アフ・アリスは恐ろしく落ち着いているように見える。何で落ち着けるのよ!
もう理解できない事が山みたいに詰みあがってきた気がして、私は泣きたいのに、哀しいかな泣けない。
「この建物の中に。花が三本、見つかればいいんだガ」
「花が三本で何ができるっていうの」
「一晩なら持ちこたえられる、結界が張れる」
そう言って、アフ・アリスは私を引っ張りながら歩きだす。私は彼が歩くままに歩く。
簡易宿泊施設の建物は三階建てで、一階は宿泊設備、それ以上の階は備品とか物置だったみたいだ。
そして、寺院の手入れが行き届いているから、窓際に花が活けてある場所もそれなりで、三本の花は割とすぐに見つかった。
その中でも、アフ・アリスは匂いの強い物を三本選んで、それをばらばらに分解した。
分解して、三角形が出来るように置いて、その中に座り込んだのだ。
私も当たり前のようにその中に入れられた。
「活けられたばかりの花の中デも、強い匂いのする花ハ力が強い。それを聖なる数字の三を利用して結界を張れば、人喰い街が、手を出せない程度の結界になりうる」
ただし、とアフ・アリスは続ける。
「絶対に、いいと言うまで、この結界から出てハいけないけれども」
「そうなの」
「建物が寺院の物ダから、まだ人喰い街も食べ残しがいるトは気付いていない。だが気付けば飲もうとしてくる」
用心に越した事はない。と彼は言い切ってから、私を覗き込んだ。
「ジルダ、信じて、ほしイ」
私はそれにこくりと頷いた。この建物の中に、誰一人いなくて、物音も気配も何もなくなっていて、窓の向こうの街並みの中に、生き物が一切いない事から、彼のいう事は信じられたからだ。
そして私たちは、まんじりともせずに夜を明かした。
こんなに朝が来るのが安心するとは思わなかった。私は日差しの明るさに心底ほっとして、それからこんなに明るいのに、人ひとりいない街の不気味さにぞっとして、がっちりとアフ・アリスの腕を掴んでいた。
「太陽があるうちは、たいした悪さが出来ないから、大丈夫だ」
彼はそういうけれども、夜の事を忘れられるわけがない。
結界の中にいた私が体験したのは、結界を叩き壊そうと、色々な物が結界にぶつかり、壊れていくという悪魔憑きかよ、と言いたくなる現象で。
そんな中でも、結界の中に寝転がって、平気そうに体を休めていたアフ・アリスの神経の太さというかなんというかは、結構すごいというか理解できなかった。
朝日が差し込んでいくにつれて、物理的に結界にぶつかってくるものはほとんどなくなって……一つもぶつかって来なくなってからようやく、彼が起き上がって、周りを見回して、大丈夫、と言ったのだ。
「ちょっとうるさかったな。大丈夫かイ?」
そんな風に笑ってくれたアフ・アリスの顔はものすごく安心できた。そのせいでうっかりぼろぼろ涙が出てきて、彼がびっくりした顔になったけれども。
「街を出たらすぐにしなくちゃいけない縁切りがある」
そう言ってアフ・アリスは町の中にあった薪を数本抱えて、今歩いている。
そしてやっと街の入り口までたどり着いて、私達は少し駆け足になりながら、イニシエルだった街を出たのだ。
出た途端に、私は恐ろしい光景を見る事になった。
街の出入り口の門が、大きくゆがんでたわんで、出て行った私とアフ・アリスを飲み込もうというように、襲い掛かってきたのだから。
「ひっ!!」
目を見開いて動けなくなった私だったけど、アフ・アリスは対照的に冷静で、自分の髪の毛を数本と、私の髪の毛数本を指先にともした炎で一気に灰に変えて、薪にこすりつけて、その薪も盛大に燃やして、町の中……門の中に放り込んだのだ。
放り込んで、その時。
彼の唇からごうごうと、何か普通じゃない光が漏れて、それに呼応するように、薪が音を立てて爆ぜて、その爆ぜたのが痛かったかのように、門はびくりと固まって、一気に後ずさったのだ。
後ずさって、そのまま、街は幻のように揺れて……そこから消え失せたのだった。
「……き、消えた……」
「人喰い街は移動するからナ。次の隠れ先を探すノだろう」
「聖樹もあったイニシエルが、どうして人喰い街だったの」
「聖なる力があっても、あの類の怪異は憑りつく時は憑りツく。アレは魔でも聖でも、ナイ」
「人喰いなのに!? 魔性じゃないの……?」
「アレは古くは聖なる都市だッたと言われている。聖なる力も動きを間違えれば、やがてハああなるという典型的な見本ダッタ」
「食べられた人たちはどうなっているの」
「さア。食べられた事ガナいからなんとも」
アフ・アリスはじっと、イニシエルがあった場所を見つめた後、静かに言った。
「昔はアレの見分ケ方も皆知っていたのに。今は誰も知らなくて、こんな事になるのか」
それを聞いて、私は顔を上げた。やらなくちゃいけない事を、見つけた気がしたのだ。
「アフ・アリス、嫌じゃなかったら、王都に行こう!! 人喰い街の事を王様に、言わなくちゃ、今の人は誰もあれからの逃げ方とかを知らないんだよ、王様に伝えられる人に伝えて、被害を減らさなくちゃ、たくさんの人が食べられちゃう!!」
「王都に?」
アフ・アリスは目を丸くした後、腕を組んだ。
そしてやや感が多様に沈黙した後、頷いた。
「今の世界には、それも必要かもしれないナ」




