十三話
周りの静まり返った感じは、はっきり言わなくても時が止まったとか、空気が凍り付いたとか、そんな雰囲気だった。
色々アフ・アリスは規格外みたいだし、魔王のしもべだった時代が長いから、古い時代の事とか過去の事とか詳しくても、そんな驚くべき事じゃないんだろうけれど、こうもごくごく当たり前の事を、当たり前に言うように、時の流れに消えてしまった事実らしきものを言われると、どうにも……え? って感じがするわけだ。
私はアフ・アリスと友達になったけれど、彼の事を全部知っているわけじゃないし、それは向こうも同じ事で、ぶっちゃけた話、知らない事の方が八割以上だと思う。
そのためか、こうして予測しなかった事を放り投げられると、周りの人たちと同じくらい固まってしまうのだ。
そんな中、それを聞いた商人さんが、彼をじっと見つめた後、本当に解せない、という声でこう言って来た。
「どうしてそんな事を知っているんだ」
「知ってイたらなんだというんだ?」
商人さんの問いかけに、彼は知っていても知らなくても大した事じゃない、という調子でそう言った。
それにいろんな人たちがざわめいている。
誰も知らない事を当たり前のように喋る彼は、異様に映ったのだろう。
「おかしいだろう、そんな事を……ほろんだウロボロスの国の、彫金都市の印がすずらんだという事を当たり前のように知っているなんて」
「おかしナ事を言っているつもりは、ないんダ。……第一、本当ニ、完全に誰も知らないと言える事ハ、一体どれくらいの確率だロうか?」
「……? 何が言いたいの?」
私も言っている意味が分からなくなって、思わず問いかけると、アフ・アリスは私を優しい目で見ながら、続けた。
「誰も知らナい、はつまり、誰かガ知っている、と同じ事だという事なンだ。本当に全ての人の記憶かラ消え失せル事は、滅多にない事という話で」
喋るのが大変だ、という調子で、若干発音を怪しくしながらも、アフ・アリスは続けてくれた。
「大多数が知ラないから、誰も知らない、という事になるだけデ、実は誰かが知ッている。……私の知識は、その程度の物ばかりダ」
「……あなた以外にも、ウロボロスの宝箱の事に詳しい何者かが、存在しているとあなたは言いたいのだろうか」
商人さんが、やっと言いたい事が飲み込めた、という声で確認すると、彼はこっくりと頷いた。
「古の知識を継承スる、大賢者と言われている存在達は、知っているだろう」
「……あなたはこの世に三人しかいないと言われている、大賢者だったのか!?」
大賢者は知っている。そして大賢者と同じ知識を知っているアフ・アリスは大賢者では、と商人さんは推測して大声を出した。びっくりしたんだろう。
でも、アフ・アリスはそれをあっさりと否定した。
「まったく違う」
「違うならどうしてそんな事を知っているんだ……? それとも嘘八百で、私達を騙しているのか?」
「まさか。……私は、ただ、知っているだけダ。普通の旅人よりも、ウロボロスの永遠の蛇を」
それだけを言って、アフ・アリスはもう興味がないし、会話をするつもりもなくなったみたいで、その場を後にしようとする。
でも、儲け話の匂いと嗅ぎ付けたのか、商人さんが大声で言ったのだ。
「待ってくれ!! あなたの話をもっと詳しく聞きたいのだ、あなたの語るウロボロス帝国は実に興味深い」
一呼吸おいて、商人さんがこう申し出てきた。
「ぜひ、今夜はうちに泊って行ってほしい。あなたの話すウロボロスの知識に、興味が湧いてしまうのだ」
そりゃあ、誰も知らないウロボロス帝国の事を、つるつると喋る人間なんて、普通お目にかかれないから、興味もわくよね、と私は考えた。
それに興味深い話を知っている旅人を招く商人、というのはごくごく普通の事でもある。
私も、ヘリオスたちと旅をしていた時、数回はそんな歓待を受けた事だってあった。
でも。
アフ・アリスは目をゆっくりと瞬かせて、問いかけてきた。
「商人の御仁。あなたには年頃の娘がいるだろうか」
「いるが……それが何か?」
「そうカ。ならあなたの申し出は受けられなイ」
「何故だ!?」
商人さんじゃなくても、年頃の娘がいるとどうして泊まれないのだと言いたいだろう。
事実周りからも
「あの人何を言い出してるんだ?」
「逆ならわかるぞ、年頃の娘がいるから、泊まらせてほしいという旅人は多い」
「どうして彼は、拒否するのだろう」
そんな声が聞こえてきたくらいだった。
その声に答えるわけでもなく、彼は事実を事実であるというだけの声でこう言った。
「だいたい、年頃の女性がいる家に世話になると、その恋人や婚約者が刃物を振り回してくるのが多くて」
何もないのに疑われるのは楽しくない、とそれだけを言って、アフ・アリスは宝箱と商人さんに背中を向けて歩き出す。
ウロボロスの裾の長い白い衣装をひるがえして、軽やかに歩くそれを見ていると、それは正体を知っていた私でも、彼が厭世的な賢者だったのではないか、と思ってしまうくらいだったから、他の何も知らない人たちからすると、アフ・アリスは賢者めいているんだろう。
「賢者だろ……?」
「あんな整った賢者がいるんだな……」
「すごい事だ……たとえ賢者の称号を与えられていなくても、彼は賢者に違いない……」
何て声が耳に入ってきたから、なんだかこれから面倒くさいかもしれないな、と思っちゃう私だった。
そこで私ははっとして、アフ・アリスの腕をひいて動きを止めて、それから急いで商人さんに近付いた。
「すみません! この宝箱を開けたら、報酬が貰えたんですよね!? それをいただきたいです!」
「……彼が衣類を手に入れただけではいけないのか」
「ケチな事言わないでくださいよ! 先立つ物はどんな人間にだって必要なものなんですから!」
元魔王のしもべのびっくりする発言が続いて、すっぽ抜けた大事な事実。
それは、ウロボロスの宝箱を開けると、持ち主の商人さんが報酬をくれるという事実だった。
私はもらえるものはもらっておきたいし、もらえないから起きるであろう苦労はしたくない。
さあちょうだい、という勢いでいると、商人さんの脇に立っていた従者らしき人が、止められている高級な馬車に戻って、何か袋を持って戻ってきた。
「旦那様、こちらが謝礼のダガー通貨四百枚です」
「……まあ、貴重過ぎるほどの魔法剣が手に入ったと思えば……ダガー通貨四百枚くらいは払っても……惜しくはないか……」
商人さんはさすが商人というだけあってちょっとケチだったみたいだ。
でも、電の魔法剣というとびっきりの貴重品を手に入れたという事実から、私にダガー通貨四百枚を、袋に入れて渡してくれたのだった。
結構な驚きの連続だった本日もやっと日が落ちたので、私とアフ・アリスは寺院にある簡易宿泊設備を利用して、一晩過ごす事にした。
寺院とかの簡易宿泊施設だったら、ダガー通貨三枚半でおつりがぎりぎり出る値段だから、それなりって奴だろう。
狭くて隣の音が筒抜けな場所でも、体を横にできる雨風をしのげる場所っていうのは偉大で、私は疲れ果てていたから、そのままぐっすりと眠りについた。
……眠りについていたはずだったのに、私の意識は何処か起きているみたいな感じがする。
不思議な、柔らかな共鳴音に似た物が、私の消えた胸の痣があったところで鳴っているのだ。
よく分からない物だけれど、それは震えていて、何かを呼ぼうとしているみたいで、でも一体何を呼ぼうとしているのか見当もつかなくって、眠くて、まあ大丈夫という楽観的考えも頭の中に回ってきて、世界が暗くなっていった。




