二話
壁が崩れていく。床が壊れていく。
……ヘリオスたちが、きっと、魔王を倒したんだ、と漠然とした直感が、私にそう知らせてきた。
それからもう一つ。
「……私、生き埋め確定か……」
ここには私を助けてくれそうな相手は誰もいない。私はもう、一歩も動けないくらいにあらゆる場所が痛くて、歩けそうもないほど辺りは揺れている。
勇者援軍と合流する事も出来そうにない。
魔王の居城が、まさかこのまま地上へ落下するのかと思うと、もう、生存できる確率は絶望的としか言いようがないだろう。
最後にした事が、敵に秘薬を渡す事だったなんて、皮肉でしかないだろう……
ぼろぼろと城の破片が落ちていくなか、私は、なんだかとても疲れて、目を閉じようとして……さっき秘薬を渡した相手が、私の脇に膝をついているから、馬鹿だなあ、と思いながらこう言った。
「逃げなよ、このお城はもう、壊れてしまうから」
秘薬を飲んでさっさと逃げなよ。それをどうにか言った私を、相手は緑の目でただ、じいっと見ていた。
綺麗な目玉だな、魔王のしもべだなんて思えないくらい綺麗な目だ。そんな事をぼんやりと考えながら、私は今度こそ、ゆっくりと目を閉じて、それから意識がなくなった。
「……すごい回復力だ」
「でも……胸の火傷は……」
「いったい魔王に、どれだけひどい目にあわされていたのだろう……」
……そんな声が聞こえてきて、私は目を開けた。
開いてから、ここ何処だろう、と本気で思った。だって見覚えなどなかったから。
私の知らないどこかの建物の中で、魔王が侵略してからどす黒い色になっていた空が、澄み渡る青空である事が、カーテンの向こうのガラス窓から見えていて、私の最後の記憶とあまりにも一致するものがない。
ここは一体……
目を開けて、頭の中を巡らせても、なかなか答えにたどり着かない。私はそこで、自分の手を動かして、手が包帯で覆われているから、手当が出来る場所なのだな、と判断した。
包帯は清潔な布を使っていて、戦場とかで仕方なく使うぼろきれとは違う処理がされているものだ。
いい包帯を使ってるな、と思った矢先の事だった。
「あ、あなた、目を覚ましたのですね!」
私の寝台の周りを覆う垂れ幕が持ち上がって、一人の尼僧が顔をのぞかせたと思ったら、その尼僧が喜んだ声を上げた。
「ああ、良かったです。もう何日も眠っていらして……医療神官の皆さまも、出来る限り治療してくださったのですが……目を覚まさないので」
尼僧はうれしそうな声を上げて、私の横たわる寝台の脇に来て、こう言った。
「あなたのお名前を、お聞かせ願えないですか?」
「……」
私は声を出そうとして、肺が痛くて、顔をしかめた。それが伝わったんだろう、尼僧が気が付いたように言う。
「まだ、どこかが痛むのですね? 無理をなさらないでください。あなたは、生きているだけでもとても運がよいのですよ」
どういう事だろうか。私は、崩壊する魔王の居城のあの最後の関門と言われている広間で、勇者援軍に救助されて、ここに来たとか、そういうのじゃないのだろうか。
そんな疑問がありありと顔に出ていたのか、尼僧が続けた。
「あなたは、魔王の居城の落下した場所の近くの泉で、倒れていらしたのですよ。着ているものなどもぼろぼろで……見つけた勇者援軍の方たちは、きっと魔王の居城の崩壊に巻き込まれた、とらえられていた人間の一人だろう、と推測していました。魔王は数多の美姫を攫っておりましたから、その美姫にお仕えしていた人の一人だろう、とも……ああ、無理をして起き上がらないで! あなたの胸の大火傷は、本当にひどいのですよ!」
何やらかなりの勘違いをされている様子だ。でも喋るのがつらい今、勘違いを訂正する事も難しいだろう。
私は起き上がろうと四苦八苦して、尼僧に止められながらも、なんとか寝台の上に置きあがった。
そして一番包帯で覆われている、自分の胸を見やった。
……胸に一体いつ、私は火傷を負ったんだろう? 記憶にある限り、火傷をしたという事実はない。
ひとりでに火傷を負うなんて事はないから、何者かの介入があるはずだけれど……そういう記憶もあいにく、なかった。
両手も包帯で覆われていて、かなり包帯人間状態みたいだ。
そんな風に、自分の手とか胸とかをしげしげと見ていたからだろう。
尼僧が続けた。
「倒れているあなたが発見された時、あなたは両腕に火傷を負っていて、服の胸の場所が大きく焦げていて、胸の大部分が、火傷でただれた状態でした。幸い、勇者援軍の方の中に、腕利きの治癒術者がいたので、応急処置を施して、ここ、ダズエルの町まで運んだのですよ」
あなたの身元の分かるものは何一つなくて……と尼僧が申し訳なさそうに言う。
「本当なら、あなたの家族に、あなたが生きていると、お知らせできたらよかったのですが……すみません……」
私は首を横に振った。気にしなくていいと思ったから。私の家族は残念ながら全員あの世に行っているのだし。
にしても……ダズエルの町の地形は……確か……そうだ、魔王の居城に近い町で、でも、ヘリオスと仲間たちは、一番近い町のニーアで装備などを整えようという事で、旅の間通らなかった町だ。
尼僧が私の顔なんてわからないのも無理はないだろう。
私は何か言おうと思ったけれど、喉も肺も痛くて断念した。
尼僧はそんな私の手を握り、優しい声でこう言った。
「たとえどんなに、魔王の配下たちにひどい事をされていたとしても、もう大丈夫ですよ。魔王は勇者ヘリオスとその仲間たちに、見事打ち取られましたから。もう、二週間前の事です」
日数間違えていないだろうか、と一瞬思ってしまった。
それが正しいのなら、私は二週間意識不明だったというわけで……ん?
その間、ヘリオスたちは私を探さなかったのだろうか? さすがに聖剣の鞘が行方不明なら、死体を探すとかしないだろうか……?
そんな事が疑問として頭に入った時、尼僧は驚く事を言った。
「そして……勇者ヘリオスの婚約者、ジーナが聖剣を残して死んだのも、二週間前の事です……彼女の尊い犠牲の結果、魔王は打ち取られたのですよ」
は、と私は言葉を失った。元々喋れないのだが。
まって、どうして、ジーナは、そう、ヘリオスの婚約者のジーナは……私なのに、私はいつ死んだ事になっちゃったの?
驚きで固まった私を見て、尼僧は詳しい話が聞きたいのだろうと思った様子で、こういう。
「伝聞なのですが……勇者ヘリオスが決死の覚悟で、魔王に打ち掛かった時、聖剣はばらばらに砕けたそうです。しかし……聖剣は突如黄金の輝きを放ち、その光でつなぎ合わせられ……そして聖剣は黄金の輝きをまとう、神剣となり、ヘリオスたちは魔王を打ち取ったのだとか。聖剣が砕けた後そうなるという伝承は、流浪の民ルルガドラが歌物語で伝えるだけとなっていましたが……それが正しければ、鞘の、勇者への限りない愛が、命尽きても勇者を守るために、己の心臓を剣として残すのだと言います。鞘のジーナは、愛する勇者を死んでも守るために、全てを賭して己の心臓を、神剣に変えたのでしょう……何と深い愛でしょう……」